2011/4/27(水) 16:01
塩害・油分に対する対策に関する質問に対する返答
塩類障害を抑える、油分の分解を促進する堆肥を造り対応するという手があります。
現地で堆肥化する際に、塩分・油分を含んだ資材を用いて、菌相を馴化させます。
馴養堆肥と称しています。 理屈は簡単ですが、実際に馴養堆肥を造るためには専門家の派遣が必要となります。
種菌を造るならば、そのコツを伝授することにより、増やしてゆくことができます。
堆肥造りのプロは自分流のやり方に染まっていますから、そのコツを実践することが困難かもしれません。
むしろ、地域の志の高い方にそのコツを伝授することで上手く機能するようになるものと思います。
現地の要望があるならば、段取りすることができます。
・震災で発生した木質系廃棄物を炭化し処理する方法が採れないかという質問に対する返答
⇒炭化ではなく、現地で分別・破砕・チップ化しねマルチとして敷き均し、粉塵防止・悪臭分解として用いることを提案
炭化では大面積のカバーはできません。
分別した木材をタブグライダーなどの大型破砕機を用いてチップ化し、発酵助剤を混合し敷き均してゆく、マルチとして使用ということが現実的です。 むろん、炭を加えるならばよりよいものになります。
敷き均した木質マルチは、1~2年で分解し土壌化してしまいます。 すなわち、自然消滅です。
問題は、建築木材に含まれる重金属を含む防腐剤です。 重金属の問題を避けるために、建築廃材を炭化するにあたっては、基礎に近い防腐処理を行った部分を切断し、重金属を含む部分は別途処理するなど面倒くさいことをやっているということが現実です。
このような煩雑な作業をさけるために、建築廃材はバイオマス利用と称して、バイオマス発電に持ち込み燃やしてしまいます。 環境に優しい、エネルギー危機・地球温暖化対策といううたい文句・美辞麗句の元、もっとも手離れの良い、利益をあげられる仕組みが構築され、木質系廃棄物の多様な利用は妨げられてゆきます。
被災家屋については、基礎に近い部分と異なる部分を切り分けるなど手間のかかることをやることは不可能でしょうから、重金属は総量としカウントし、重金属の濃度は全体として希釈され問題ないとして進めることも一法です。しかし、行政サイドは問題発生の可能性のあるものについては極力回避しようとするため、そのような方法を採用することは困難でしよう。手間暇をかけ、分別しなければなりません。
古畳の堆肥化利用について、農水省から古畳には薬剤(防腐剤など)が用いられているから、農業で利用する際にはその点について確認し、薬品が含まれるものは利用してはならない、という趣旨の通達が出されました。 農業、人の口に入る作物に用いるための規制ですが、農業以外の用途にも拡大解釈されてゆきます。 古畳は、大切な有機物・資源と考えるのですが、大半が焼却処分されるようになりました。
このように、生活全般が通達などによる規制、および、問題回避のための自己規制の誘導が相まって、何もできない状態となっています。 行政の多くの仕組みが、このような構造となっておりますので、適度な配慮ではなく、極々安全・安心、行き過ぎた・過敏な配慮がなされるようになってしまい、ひ弱な高コスト社会が形成されてしまいました。
そのさえたるものは医療の世界ですが、制度すべてに蔓延しております。 便利、効率的、安全・安心のためというお節介による脅し文句に屈し、飼い慣らされ、自然から乖離した生活が強要されていることに気がつかなければなりません。現在の精度は、 自分の足で立とうという気概を失わせるためのもの、そのような前提で教育がなされているとしか思えません。 自然環境の復元とは、人にとっての(良い意味での)野生性の復元・復活だと考えるのですが、残念ながら、飼い慣らされた空間の中で、自然ごっこをやっているだけという、悲しい状態になっているものとも、辛口ですが感じています。
行政はいよいよ締め付けを厳しくし、新たな法律を造り、通達を流し、外郭団体を立ち上げ、焼け太りしてゆきます。 行政刷新、仕分けなどもパフォーマンスに終わってしまいました。 行政サイドに対する締め付けを厳しくすると、ますます仕組みを複雑とし、裏の仕組みが形成され、陰湿になって行きます。 正義の名の下に、高コスト社会、増税社会へと向かい邁進しております。 美辞麗句の後ろには嘘が仕込まれます。 誰もが反対できない環境問題、子供を人質にとられた教育問題がそのさえたるものです。地域社会に根ざした真にバランスのとれたリーダーが出現しないと、この構図は変えられません。 今回の被災は、その面でも重要と考えております。 地域社会が復権できるか否かが問われているものと思いますが、中央は締め付けを厳しくしてきております。
戦前は、各地に地主と称される人がおりました。 地主は悪と教育されてきましたが、そのような事実も一部ではあたかもしれませんが、地域社会の文化・教育・教養の要として機能してきました。 諸外国の地主とその地位・機能が全く異なるものでしたが、その点について問うことなくステレオタイプ的に悪としてしまいました。 私の田舎では、つい最近まで昔の小作が、盆暮れの挨拶に来ておりましたし、秋の収穫には米が届けられておりました。 地主制に問題が全くなかったとは言いませんが、地主・小作を含む地域共同体として良好に機能してきたのです。 このような地主を復活させる事はすでにできませんが、地域風土に適応した文化・教育・教養の要、リーダーが必要です。
環境教育とは、自然が大切、ビオトープはこのように造るんだよ、というものでは無く、地域環境・風土・文化を継承し発展させるための人材教育・全人教育こそが本旨と考えます。
このような立脚地点から、地域環境の町医者としての環境再生医のあり方を問い直すべき時が来ているように思われます。 また、被災地での対応には、地域の心あるリーダーとの結びつきを確保することが最重要課題です。
以上 またまた話が拡散してしまいました。
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