「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

「Uncategorized」カテゴリーのアーカイブ

理念理想に走りすぎる環境行政

現実と理念理想の間に翻弄される法面緑化の世界を示すと共に、そのような状態からの脱却への道筋に対する提案です。

現実を踏まえて進めるべき行政が、理念理想に走り、現実との乖離を引き起こし、無理無駄を発生・拡大させています。
行政は、現実的であるべきです。

私たちが求めるのは安価なサービスではありません。
質の高いサービスを求めているのです。
しかし、理念理想を隠れ蓑とし、税金の無駄遣いをしてきたことを棚に上げて、いたずらにコスト縮減をはからせ、品質の低下を引き起こしています。
理念理想を声高に語ると、トラブルの元となり、高コストとなってしまうことは歴史が示しています。

現在は、理念理想を説きながら、安かろう、悪かろうという世界へと誘導しています。
私は、このような状況を「貧乏人になる競争」とも称しています。
国家が、国民を貧乏人になるための競争へと追い込むのは異常事態と感じるのですが、多くの人は異常とも感ぜず、唯々諾々従っています。
従順な、飼い慣らされた、迷うことのない子羊です。

そのような世界がバブルがはじけて以降、20年以上も続いてしまうと、安かろう悪かろうが常識・常態となってしまいました。
技術立国日本は、どこかへ消えてしまったようです。
行政管理立大国日本となってしまいました。

品質の良いものを造り、維持し、人物金の資本を国内に循環させることが基本です。
海外との貿易、グローバルは、その次の話です。
本末転倒は止めましょう。

西丹沢 ミツバ岳・権現山

天気が良いので、西丹沢、ミツバ岳834m、権現山1018mへ。

わが家のシェフの要望。
ミツマタの花が綺麗だから行こう、ということでお供。
いつもの、ガイド兼ポーターです。

通常ならば、3月下旬から4月上旬が花盛り。
今年の花は遅れ気味ですから、ちょうど見頃。

標高300mの丹沢湖畔から、一気に700mを上り詰めます。
もう少し奥の屏風岩山1051mまでと思いましたが、花見に時間を割いたため、諦めました。

ミツマタの群落のところでは、お日様が雲の中から出てくれました。
風もなく、周り一面、良い香りが漂っていました。

シェフは、来週は何処へ行こうかと、もう、作戦を考えています。
なにせ、PCにかぶりつきの私の健康管理という名目があるから、逆らうことはできません。

量の積み重ねが質(第六感)に変わる

2026.04.13

 「皮膚・筋肉・細胞・(五感)」をフルに使っての刺激の受容とその刺激の処理・経過の蓄積・量によって「ヒト」が「人」になる。量の積み重ねにより質(第六感)への変換がなされるようになる。
脳内のバーチャル空間がキチッと生成され、見えない世界まで察知できるようになるのだ。

これは、フィードバックによる神経回路の刈り込み、強化、運動能力の向上だから、一定量をこな(熟)す、経過させることによってのみ会得されるもの。
熟練。
筋肉は使うほどに強くなり、脳細胞も又使うほどに強化され、身体全体のバランス、繋がりが構成されて行く。
練って練って、発酵させるのだ。
これは進化の道程の再現なのだから、生き物としての一定の経過時間が必要であり、ショートカットしてはならないのだ。

その練り上げられた身心・脳を造り出すことによってのみ、次なる進化の道程へと踏み出すことができるのだ。
さもなければ進化の袋小路に入り込んでしまうことだろう。
出産・育児の手抜き、ショートカットの手段を手に入れてしまった今、その岐路に立ったといえるだろう。
その岐路の最先端に立っているのが我が国の今、だろう。

この量の熟しは、意識が明瞭となってからではつらいものがある。
三つ子の魂といわれる無意識の時期、六歳六ヶ月までの動物としての「ヒト」の安心・安全、絶対的に守られている時期に、くり返しくり返しの刺激に晒され、野生に生きることができる身心を如何に獲得するかが大きいのだ。
この時期の経過の仕方により深き、広き世界が身心、そし脳内に形成される。
あとはこの基礎の上に乗り、磨き込み、己という構築物を建設することとなる。

動物としての野生の身心の確保が「人」となるための基礎であり、その基礎の上に祖先が構築してきた文明・文化を受容する期間が成人(「人」と成る)となるまでの時期。
このように、進化の成果を会得し「人」となった後、己の世界を積み上げて行くのだ。

その過程を古人は「守破離」として示しており、大きく見るならば、成人、一人前に至るまでが「守」であり、その上に自己の工夫を積み重ね「破」、老成するに至っては「離」、己の世界を創り出し、後代に託すのです。
その積み重ねが文化であり、文明なのです。

子ども達が、野生の時期、文化・文明の受容の時期を進化の流れに沿って十全に行えるよう親、周辺は心を配ることが大切だが、人の行うことであるから過不足が生ずる。
長じては、内省・内観する目を育て、自己の成長の過程で過不足の部分を意識して補いつつ、縁により与えられた自己の進むべき道を見いだし、歩くことが大切となる。
この不足を補うことがその人の人生の大きな課題となるのだろう。
・・・
昨日の投稿にも、脳に汗をかかせなければならないと記しました。
身体を使い、感じ・動き、脳に染みこませ、そして時間をかけ熟す、熟成・熟練させたものでなければ、薄っぺらで役に立ちませんね。
張りぼて。
身体は、空だ。
時間をかけて中身を詰め込まなければならないのです。

現代社会は、時間をかけて中身を満たすことを怠ったが故に、空いた隙間を塞ごうとあがくか、満たない心に目をつむり無視し、不感症、お化けのように生きて行ことになるのです。
そのような心に目を背けるためのスマホ動画など、時間食い虫の数々。

自分が今世で経験を積むための時間を、スマホなどによって喰い潰されているということに気が付きません。
膨大なエネルギーを使い、人の時間を喰い潰すための仕掛け、罠にはまっています。
それでいて地球温暖化、CO2削減、カーボンゼロなどと叫ぶのですから、この世は妙ちくりん、矛盾に満ちあふれています。
しかし、矛盾などはお構いなし。
銭金・利を生み出すのが時間ということが資本主義という巨大ネズミ講の本質ですからね。

昨日の「AI活用に対する危惧」の投稿
https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid02hKPddjyjycXAYehgwD93jzhg8e6w2wm2pQwxDYzdYijUNvmzzhB6woBTy7sVWiR7l

画像のリンク
https://www.facebook.com/naoko.harmonie/posts/pfbid01PhdYq7p6nXfsz374SxmVXz73Rs54ae1cf5j5jGMoBXXdHTDcNh9NuoHPZc2QwSHl

荒川さんの投稿の画像は中抜けです。 全文は下記へ
https://www.facebook.com/yukari.arakawa.10/posts/pfbid02CDz9MZD5aWwUR7otVdjwu3n7FutZ86Q6Fp8oHjUCPqDhoCWG2HUV8z9QwzZ1HnMPl

AIの問題 脳に汗を~

脳に汗をかかせ、いろいろな引きだし、索引を頭の中に造ることなく、AIを使用することは、脳を劣化させてしまいかねませんね。
辞書代わりとしては超便利ですが、そもそも調べるためには、基本的な事項に関する知識がないと使いこなせません。
シェアに指摘にあるように、この点がAIに関する最大の問題でしょう。

-AIが出現する以前の年代は、現場で身体と脳に汗をかかせての作業をやってきたので、AIを脳の拡張として使いこなせる脳の状態にはあると思われます。
使いこなすスキルの点は、脇に置いておいてですが。

-90年代のWWWでは、ネットサーフィンなどと言い、ネット上に展開される情報を追いかけて、新たな知見を得るということがあった。キーワードを追いかけ、知識を深めるという点では、ある面、知的?な遊びだったろう。

-そのネットサーフィンも死語となり、画像・動画が流されるようになると、ネットへの受け身へと流れ、依存度がましていった。脳に汗をかかせることなく、情報を受け入れるのみ。情報の流れを追いかけ、流され、身を任せるのみ。

-スマホという便利な手持ち端末により、覚え、考えるということを放棄してしまったようだ。問えば答えが返されるという便利な状態では、脳に汗をかかせ、覚え、考えるという労力は避けるようになってしまう。そのうち、問いを発する力さえも劣化して行くことだろう。-最初からスマホを使い熟し、さらにAIという便利な道具を与えられ、生身の身体、脳の開発のできない環境で育ったものたちの行く末が心配ですね。
取り越し苦労でなければ良いのですが。

・・・

子供達に取って、大変な時に到ったと思います。
便利な道具を最初に与えたのでは、身心の劣化に進んでしまいます。
その劣化の方向を文科省が進めているということも問題です。
知的な作業もまた体力勝負であり、身心・脳に汗をかきトレーニングをし、一定水準に達していない者は使いものになりません。

トレーニングジムブなどで、筋肉トレをして身体の手入れを行うことは当たり前となっているに、脳を使いこなすためのトレーニングを教えず、知識という結果だけあればよいとショートカットを進めてきましたが、更に加速されていることが気かがりですね。

大学の高校化と言われてから久しいのですが、その改善がなされず、更なる地盤沈下へと進みそうで大きな危惧感を持っています。

https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid02Y72S8rRPd9YasabGZYaUC2xXPnXDPfTpgcxDZchqP5rhhc5LyaHCeGSAui1L8WY6l

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いつもの悪い癖、蟹澤 さんのスレッドに書込。書込責任と記録としてシェア、コピペ、補強。

https://www.facebook.com/satoshi.kanisawa/posts/pfbid02KPK1HqBnVDGn4uBjLwVvTJc5D3Ath9ftkPdN2W6BzDhAkXYCSpLswkdWewo2kBEWl

精神性・霊性の劣化と強欲ネズミ講資本主義

音楽の素養なし、チェンバロ、ハープシコード、バージナルなどと呼ばれる古典的な楽器の音色が好きで、仕事等の際のバックグランドミュージックとして聞き流す程度だから、作曲者も題も記憶することはない。

聞いても、どこかで聞いたな、という程度。

私に取っては、聞いて邪魔にならない音楽が良い音楽。

時々、はっとする、心に響く音色などがある。

身の回りの自然とおなじ、ということかな。

精神性、霊性などということも深く考えることはない。

心地よく流れてゆく、それが自然だと勝手に思っている。

これに比較すると今の音楽?は、私にとってはうるさいだけ。

雑音だから、頭、心の中に残ることのなく消えて行く、消費し捨て去るだけの音。

現代の使い捨ての資本主義の様相が音にも現れているのだろう。

資本主義という巨大ネズミ講の生産システムは奴隷が支えている。

昔の奴隷は轡をはめられ、手足を鎖で繋ぎ、身心を縛り上げて酷使された。

現代の奴隷は、轡の代わりに口パンツを着けることを厭わぬよう、精神操作されたソフトな奴隷。

合法的に見えない鎖で縛り上げられた奴隷。

その奴隷が、労働者兼消費者としてマッチポンプの仕掛けにより使役され、利益、税だと称してピンハネされている。

合法奴隷は狂育、マスゴミなどにより飢餓感を植え付けられ物欲の固まりに育てられる。

当然のごとく奴隷に精神性・霊性などと意識は無用だから、剥奪されることとなる。

今、喰うことができ、刹那の楽しみに心奪われるように仕向け、消費という美名の元、サラリーを吐き出させれば良いのだ。

当然、精神性・霊性は低下・劣化の一途を辿って行くこととなる。

精神性・霊性が劣化してしまうと、逆説的に精神性・霊性の復興が叫ばれるのだが、ただ今は、そのような動きに対してもスピ系という商品が提示され、ガス抜きとして使われている。

音の劣化もこれと機を一にしているように感じる。

失われた30年の劣化の程度は著しい。

自由・平等・平和(博愛)などと理念理想の精神性を吐いたって、それは特定の人々、ネズミ講の胴元となっている人々にのみ許された境遇。

底辺を支える講員(消費奴隷)は、物欲をかき立てられる一方であり、物欲中毒に導かれ、リピーターとなるように仕向けられ、物を手に入れるためのサラリー欲しさに酷使される合法奴隷の境遇となってしまう。

すなわち、タコ部屋、女郎小屋に閉じ込められて自分の手足を喰う生活となってしまうのだ。

今や、日本列島タコ部屋、女郎小屋化。

強欲資本主義・巨大ネズミ講の実体は、奴隷制植民地主義だし、武器による植民地支配、支那清国を解体したアヘン戦争の時と本質は変わってはいないのだ。

富む支那清国に売りつけるものがなく、清国には西洋列強の垂涎となる物が溢れていたので、阿片・麻薬を売りつけ、支那人を中毒にし、それに抗議する清国を、西洋列強の唯一の強みである武器によって支配し、グローバルマーケットと称する巨大ネズミ講にに組込んだのだ。

市場が飽和してしまう、売るものが無くなってしまうと、ネズミ講の胴元への上納システムが止まってしまう。

これを防ぐため、戦争などによりリセットし、新たな市場を立ち上げにかかるのだ。

科学技術の進歩により、飢える心配がなくなったにもかかわらず、世界から戦争・騒乱が消えない理由だ。

昔は、奴隷というあからさまに過酷な条件の中での酷使だったから、その境遇から抜け出そうと必死でもがいた。

現在は、真綿で首を絞めるような巧妙な手口に支配方法が改良された。

精神改造により、自らが進んで奴隷の境遇になって行く自己家畜化の群とするるソフトな支配に変えたのだ。

進んで奴隷の境遇になって行くように仕向け、支配コストの効率化、縮減ができるからだ。

支配されるものは進んで畜舎というぬるま湯環境のなかで感性を閉じ、茹で蛙となってしまうように導くのだ。

精神性・霊性を高めるためには、そのぬるま湯から抜け出し、動き・感じ・考え・決断するという身心を適度なストレス・フィードバックのかかる環境、当たり前の環境に身を置かなければならないだろう。

グローバルマーケットへの依存度を減じて行くのです。

地域分散型の社会へと切り替えて行くのです。

自立自存・自律自尊・自足独立の人となることにより、精神性・霊性は高めることができるのです。

で、

これでよいのかおっかさん。

蘇れ母性。

子供達の未来のために。

山の放棄という国政変更レベルの大問題

2日  · 

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山の放棄という問題を、国政レベルの大きな話しにしておこう。

貿易の自由化・貿易立国という政策の付け回しが山にしわ寄せされている。

しかし、その根本の問題に触れるものはいない。

それどころか、トランプ関税による貿易への締め付けを回避しようと国内農産物を生け贄に差し出し、食料輸入に励み食の自給にとどめを刺し、有事にはたちどころに飢餓列島としてしまおうという政治の動きがある。

国民を豊かにするための政治であるべきものが、国民・国土を食いものにし、国富を国外にたれ流し続けている政治とは?

私はこの状態を、「ステルス・ソフト植民地」と称したわけだが、いよいよその度合いが強められている。

貿易立国の奥の手が消費税。

輸出品は、国内消費ではないからと消費税分を企業に還付する仕組み。

貿易を行わぬ国民に対し貿易振興のためのダンピングの原資を付け回し払わせるのが消費税という悪の仕組み。

組織票・政治献金などによる大企業優遇政策だし、天下りのためだろう。

消費税等という懲罰的な課税はもってのほか。

本来ならば貿易という国策によって利益を出す大企業から、国策によって不利益を被った一次産業の振興のための資金を還流させる流れを造らなければならなかったのだ。

しかし、様々な農業助成など巧妙な仕組みに目を曇らせ、食の防衛を担う一次産業は壊滅的な状況へと導いた。

あと、5年、10年で米作り農家は消えてしまうことだろう。

農業法人の大規模モノカルチャーとなるだろう。

農業植民地化ともいう。

経済は既にグローバル金融勢力の植民地と化し、農業・土地も又奪われてしまうのだ。

既に林業は壊滅状態となり、山の手入れをするものがいなくなってしまった。

その山を、水源地を二束三文で外資が買い占めている。

貿易振興という名目で切り捨てられた山だが、経済的に成り立たなくても自分の山を守ろうと手を入れ続けた年代がいた。

しかし、高齢となり消え失せてしまった今、荒れるに任せるしか方策が無い。

それによって何が起きたのか?

山が荒れに荒れ、荒れるに任せジャングルとしてしまったのだ。

奥山の樹は大きくなり、人工林は大きくなりすぎうっ閉し、日が林床にまで射すことがなくなり、獣たちの住める場ではなくなってしまった。

これに変わり、獣の住処となったのは、手を入れることなく大きくしてしまった里山。

里山の奥山化といって良いだろう。

そのような地域生態系の変化によって熊など森の獣たちは、人里近い里山に住処を移したのだ。

政策が、人と獣の住処の境をなくしてしまったのだ。

しかし、その根本・本質を探ることなく、里にでてくる獣が悪いの一点張り。

部分最適の思考停止に陥り、根本的な原因を造った国策を見直すことはない。

根本的に解決するためには、貿易に依存する経済に導いた国政の転換が必要なのです。

因果は巡る糸車、貿易立国という政治家、官僚の思い付き?、国際連合(国連)・GHQの仕込んだ罠に安易に乗り続けた結果だ。

その罠の餌は、経済生長・金、今さえ良ければよいだ。

何故、大東亜・太平洋戦争となったのか?

それは、食の自給のためだったし、ガソリンなどの燃料・資源の輸入封鎖をされたことにより、国の存続を危うくされたため、坐して餓死するよりもと立ち上がったからだ。

しかし、敗戦により、その自衛のための戦争は何の意味もないものとされてしまったのです。

そして今、輸入を封鎖によって飢餓に追いむ体勢を造り、自分で自分の首をしめることを国が率先して行い、さらに強化しているのだ。

このような国の姿を見たら、なんのために戦ったのかと、戦死者は浮かばれないだろう。

政策の誤りは、政策の方向転換で変えなければならない。

しかし、本末転倒の政策を依然として続けている。

そして国民は、その問題の在処に無関心を装いつつけてきた。

その結果が、現在の世情となって現れている。

有事の際には即刻餓死に至ると、足元に火がつき始めても無関心という心の劣化。

平成元(’89)年に消費税が開始されたわけだが、これはグローバル金融勢力と国によるバブル潰しが歩調を合わせて行われたもの。

グローバル化の一環であり、失われた30年をつくり、現在も継続中である。

凝りもせず、とどめのない消費税の値上げを行おうとしている。

税は直接・間接をあわせると50%に近いものとなっている。

昔ならば、一揆を起こしているレベルだ。

政策によって生じた問題は、政策によって変えなければならない。

しかし国は、その問題解決を国民に押し付けているのだ。

それが、50%近い税率となつて現れている。

私の述べる政策の方向転換とは、我が国の自然環境をインフラとして、税を投じて、自然環境の整備と、持続的に管理することを法制化し、税を投じるということだ。

都市一極から地域・地方分散へと梶を切り直し、地域に金を落とし、一次産業も建て直し、地域経済を活性化させることで、国内で金を回すのだ。

地方に資金を回し、国内消費という循環を造り出し、海外への贈与ともいえる状態、海外に金をまき散らすATMなどと称される政治状態を終わらせるのだ。

自分たちの稼ぎ、税金は、自分たちが健康で元気に暮らし続けることのできる環境整備に用いるのだ。

自然環境インフラ整備と共に、老朽化した従来のインフラ・グレイインフラの維持管理に資金を回すのだ。

「美しい日本」というかけ声があったが、これを本気になって行うことが喫緊の課題となったのだ。 

国政レベルの転換を図るためには、個人レベルの覚醒が必要です。

現在の政治・経済に依存的な体質を切り替えて行かなければならないのです。

元気・健康な身心持ち主を増やして行かなければ、現在の依存的な体質の切替は困難です。

切替のためには基本的なこと、本質に立ち返ってやり直さなければなりません。

その基本・本質とは、自然に即した生活。

あたりまえのことをあたりまえにできる身心を手に入れなければなりません。

自分自身が健康な身心を手に入れること。

そして、当たり前のことを当たり前に行うことのできる次世代を育てなければなりません。

そのために、日の下にでて汗をかき深呼吸だし、母性よ甦れ、と叫びつつけているのです。

まずは健康・健全な身心を造り、維持すること。

そのような人が増えなければ、増やさなければ政治は変わらないのです。

一人ひとりの積み重ねが現在を造ったのです。

現在を変えるのも、一人ひとりの積み重ねなのです。

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いつもの悪い癖、佐藤さんのスレッドに書込。

書込責任と記録としてシェア、コピペ。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid025sYLDtemptL41x8YSpDV96gHAptgb526vYiqzfkCMQc4HUksqVnLiQS3BKMhfQ1Ll&id=100029496936259

もう、WEBではなく生成AIの時代

                         2025.05.14
この投稿から1年。

世の動きは尋常なく速いですね。

人の理解できるスピードを超えてしまいました。

頭の中に索引ができていると、なんとかなる。

WEBで検索すると大概のものが確認できる。

とても便利と1年前に投稿しました。

もう、WEBではなく生成AIの時代。

googleなど検索エンジンは淘汰されてしまいそうな雰囲気。

頭に中に何もなくとも、ChatGPTなどに質問すると、大概のものは整理・要約して答えてくれます。

整理・要約だけでなく、次のステップへ進むための道筋まで示してくれます。

ますます頭を使わなくても良くなってしまう。

脳の退化、まっしぐら。

産業革命以降、身体を使わなくなってきたため、脳の縮小、容積の減少という傾向にあった訳ですが、ますます拍車がかかりそうです。

だからこそ、「ママは何でも知っている」が大切になってくるのです。

この場合の「何でも」ということは、百科事典的な知識ではなく、身体を動かして蓄積し続けてきた経験智。

知識を持つだけではなんの役にも立たない時代に突入したのです。

詰め込み狂育は屁の突っ張りにもならないことが明確になったのです。

だからこそ、母性よ蘇れ。

ママが蓄積した経験智、生き方・生き様の伝達によってこそ、子供達の明るい未来を切り開くことができるのです。

母子密実一体の時、ママの振る舞い、ママを通じた、それこそ肉体的なレベルでの子への経験智の繋ぎ、無意識の世界への埋込が重要になるのです。

そして、母子密実一体の時という大切な環境を、大きく守る、父、そして家族という環境が大切となるのです。

しかし、その大切な時期を国・政治は親から取り上げ、0歳児から国が管理しようとしているのです。

ハイブリッドとするためには、機械と相性が良くなるよう個性を剥奪すると便利です。

そのための0歳児保育、保育所の低年齢化なのでしょう。

ますます、没個性的な依存的な人々を増やすこととなり、AIを駆使する一部の人達と、奴隷として扱われるものの分断への道を歩まされています。

ムーンショット目標は2050年、あと25年で人と機械のハイブリット化へと進めるのです。

そのワンステップが2030年、あと5年です。

SDG’sの目標達成年限も2030年ですね。

SDG’sの目標達成率はAIの解析では16%程度だそうですから、2030年には、SDG’sを推し進めるためには機械・AIとのハイブリッド化が必要とされて行くのではないでしょうか?

ハイブリッド化され、奴隷が常態化されてしまうならば、たちどころにSDG’sの目標は達成できてしまいます。

全ての人、の定義を変えてしまえばよいのですから。

人と奴隷を分担してしまえば良い。

かねてから申している新しき中世の到来です。

ムーンショット計画は、①空間・時間、②身体、③脳、この3つの制約から解放するとし、その手段はアバター、ロボットです。

機械・AIと人とのハイブリット化、良く言うと組合せなのだが、はっきり言うならば人のロボット化・奴隷化ということになるのでしょう。

ロボットとは、カレル・チャペックの造語でチェコ語の労働ですからね。

子に取って最も大切な時期、人となるための基礎を育てる時期を、国・政治に外注してしまうならば、人ではない個性を剥ぎ取られた没個性の病弱な身心を持つものに育ててしまうことでしょう。

子は、無意識の時の育て方により、神にでも悪魔にでもなることのできる素質を持っているのです。

没個性のものの行く末はロボット化?

子育て、育児のための経費を、そして狂育を受けさせるための経費を捻出するために父、母が外に出て働いています。

住みよい街とは、保育所への待機がない所なんていう時代です。

子を、ハイブリッドロボット・奴隷とするための費用を支弁しているのです。

また、子育て、狂育費が高いと、結婚をあきらめる若者が急増しています。

人工調節が必要とうそぶいている人々がいるのですから、もくろみ通りに進んでいるのです。

なんと捻れた、本末転倒を作り出す政治を行っているのでしょう。

その政治を、長いこと認め続けて来たのでしょう。

SF小説の描いたディストピアを造り出すために税金を納めているということに気が付かなければならないのです。

その認識が世界を変える始まりとなるのです。
1年前

この日の思い出を見る  

中野 裕司

2024年5月14日  · 

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先の早川さんの「ヨモギ」に関する投稿のコメントに対し、何でも知っている、なんていう過分な反応。

調子にのっての長い書込、失礼。

・・・

うろ覚えなので、記憶に間違いがないかネットで確認をしています。

今は、便利ですね。

頭の中に索引ができていれば、関連が理解できていれば大体の物はネットで確認できます。

昔は百科事典、専門書ゆえ、確証を持てるまで確認するためには時間、手間暇がかかった。。

今、WEB上の外部記憶装置でなんとかなりますね。

しかし、頭の中の索引のできていない者がネットを頼ると危険ですね。

上辺だけで理解したつもりになり、深掘りが困難になってしまいフラットな世界にしてしまうことになる。

分節(情報の固まり)の相互の繋がりが見えなくなり、応用力が身につかなくなってしまいます。

真偽の見分けすら、できないこととなる。

ChatGPTなんていうものが出てきたから大変だ。

外部記憶がビックデーターと連結されているから、今後重要となるのは換算能力、スピードだとしてスパコンの開発競争となっている。

しかしその能力とは、情報・ビッグデーターの最初から終わりまで総当たりして必要な情報を得るためのスピードを増ための能力開発だから、力任せでありすこぶる原始的といえる。

発電方法が水力、火力、原子力と変わっても、蒸気タービンを回すという力任せであると同じだ。

ある程度、キーワード、関係性などによる絞り込みが行われても、焦点を定めての検索にはなりえず、閃きなどは期待できません。

検索のためのキーワードの選択など、人の使いこなす能力次第ということとなる。

シミレーションを行うには便利だろうが、これも使いよう。

一方人間の頭脳は、関連ある項目を一つの纏まりのある固まりとして記憶し、その固まりと固まりを結びつけるということで処理能力を高め、飛躍させている。

直感と言っても良いだろう。

その検索リスト、項目を作り出す本は、旺盛な興味。

飛躍させるためには、体感をベースとする情報の固まりと、索引(引きだし)を沢山作っておかなければならない。

そのバラバラの固まりが、煮詰まり、一つの目的に対し有機的に融合すると閃き、直感となって顕れる。

また、情報の固まりはぼやけていても、索引ができているならば、それをキーワードとして必要な情報を芋づる式に拾い出すことができるので省力・省エネでまとめることができる。

このようなことができる人材として、専門家よりも全体を見回すことのできるゼネラリストが重要となるのではと説いているのです。

専門家にしろ、ゼネラリストにしろ、発想力、応用力、直感力の優れた人材は、母の胎内、そして母子密実一体の時、三つ子の魂の時期をきちっと経過することのできた人、そしてその基礎をしっかりと体感に結びつけ強固にするのが6歳6ヶ月の習い始めに至る前の野生の時期だと感じ、説いているのです。

また、その時期をきちっと経過させ、旺盛な興味をもつ子にそだてるためには母親の力が大切となるのです。

で、母性を蘇れ、子ども達の明るい未来を造るため、と相成る訳です。

お母さんは、ゼネラリスト!
https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid0n7oN4eB7kTzjqrJn724czNWRWo8zJwzHyW9XWDBkxk662VNFXQg1HJX3QFG3nq6Sl

、「マフは何でも 知っている 知 Mom's Story ジェイムズヤッフェ The Detective 小屋芙性訳 James Yaffe 早耳書屎」というテキストの画像のようです

ことばを選択しよう-2 

ことばを選択しよう-2   FB 2025/05/09 プライバシー設定: 公開

・・・

先に、古来から「和顔愛語」と教えられてきたが、脳科学・情報科学の発達によりその理由、メカニズムが明らかになってきた。

古人の経験の積み重ね、時間のフィルターを経て残されてきた伝統的な智慧や恐るべし。

と述べた。

これに対し、「言霊ですね」というコメントが寄せられた。

ご明察。

このコメントに対する長い返答を浮上させておこう。

・・・

さらに付言するならば、言葉・言霊などを発する身心の問題があるのです。

人は言葉を操るようになった。

初期の言葉、それは身体をフルに使いこなし、そこで感じ取った溢れ出る思い・感情を周辺の人に伝える、共感を得るためのものだったのでしょう。

身体をフルに使う、共に全力発揮の体勢の中での共感があったのです。

それは、音・音楽とともにあったでしょう。

言葉を用い共有した思いは集団を動かすものとなるので、言葉に発した、もの、こと、は現実化するという言霊信仰となったのだろう。

それは、共感という波動の籠もった身体にひっついた言葉=言霊。

身体を動かし、感じたこと、その共感により家族、一族、集団を一つにし、厳しい自然の中で生き抜いてきたのでしょう。

やがて言葉を自在に紡ぎ出せるようになると、言葉は身体から遊離するようになってしまった。

集団が大きくなるにつれ、言葉は情報の伝達、共有へと進化し、感情を抜きフラットとなっていったのです。

脳の紡ぎ出す言葉となり、言葉と身体のつながりを希薄化させて行ったのです。

言葉を記号として扱うようになり、死する言葉としてしまいました。

人は、便利なものを不便に使う名人と何度も記してきましたが、文明の利器のみならず、人は言葉を操り、文字とする段階で同様のことをしているのです。

それは、人を縛り、支配するという欲によって行われてしまうのです。

その死せる言葉は文字となり、法・契約など人を縛るための道具となり、一方では科学という体裁を作り出したのです。

そして、IT・AIなど人工言語によるバーチャル空間という魔法の世界を作り出し、現実の世界から遊離させ、今、飲み込まれようとしています。

身体にひっついた言葉が失われてしまったのです。

現在は、言葉を固定化した書物を読むことなく、漫画すら読むことを忘れ、Web上に流れる動画に沈溺し、話す言葉は乱れに乱しています。

身体使いは雑になり、腰抜け、腑抜けとなり、発する言葉の力を失ってしまいました。

便利なものを便利に使いこなすという方向ではなく、便利だと思う、思わされるものに依存し、自分の頭で考えるということすら放棄してしまう方向へと流されてしまいました。

今や、衰退の危機に存しているといっても良いでしょう。

もはや「言葉を選んで使おう」などという世界すら希薄化させてしまっています。

その場しのぎ、責任逃れのための空疎な言葉の氾濫。

そして、差別だヘイトだ、などという上から目線の一方的な制約を、繰り返し繰り返し加えられ、発する言葉すら制限され、自分の感情を表現することを押さえつけられています。

結果、頭で考えず、条件反射的に忖度、自己規制を行うことを良しとする世界としてしまったのです。

自分の気持ちがわからないでは、相手の気持ちも当然わからないこととなります。

となると、閉じ込めた鬱屈した思いが発露を求め、負の感情を伴って吹き出させ、相手を傷つけてしまうことになってしまいます。

それが、相手の気持ちを察することのできないいじめの横行、周辺はそのいじめにも気づかない、気づいても見て見ない振りをするという感受性の鈍り、すなわち、五感・身体の鈍りを常態化させることになってしまいました。

ストカーのあげく、殺してしまうという身勝手、究極の鈍り、そしてその兆しが見えていても周辺が動かないという社会の大きな鈍りを造り出してしまいました。

原始的な世界で集団を保つために行われたことは、相手を尊重するということです。

それによって自分も尊重される。

相手があって自分があるという相対的な関係性の中で暮らしていたのです。

集団内を円滑とするために言葉も行動も選び、慎んだのです。

それが躾、身体を美しく使いこなすということに繋がります。

食生態学を提唱した西丸震哉は、首狩り族の社会に飛び込みフィールド調査を行いました。

西丸は、首狩りと食人は異なり、自分が調査したのは食人種と称していますが~。

首狩り族の社会はさぞや獰猛だろうと思いきや、相手に不快感を抱かせたら殺されてもしょうがないというものであり、おだやかな世界だったそうです。

相手に不快な思いをさせないとの思いは、自ずと行動・言葉使いは洗練され穏やかになってゆくのです。

身体にひっついた言葉は、このようにして洗練され磨かれてきたのでしょう。

しかし、法・契約などという死せる言葉が人と人との関係の間に立ちはだかるようになり、肥大化させてしまったことにより、身体にひっついた言葉が劣化させ、乱暴、げれつとして行き、精神性も退行させていったように思われます。

文字に書かれたことは守っても、それ以外は守らなくても良いという曲解が横行し、世を覆ってしまいました。

フェイク、ペテンの常態化です。

相手を思いやる、共感するという、集団動物としての人間の本性が脅かされるという事態にまで行き着いてしまいました。

それが、コロナ禍により明確になってしまいました。

身体を動かし感じたことを、周辺の共感を得るために思わず発する原初の言葉、支えとなる言霊を失ってしまった結果です。

これではなりません。

他と繋がる、共感の世界へと立ち戻らなければなりません。

それは、私たちの心を支えている身体、五感というものの見直しであり、意識を支えている無意識の世界、集団無意識への回帰となるのでしょう。

失った支えを取り戻し、作り直すことが急務となりました。

身体・五感を磨き、無意識を豊かにすることができるのは、三つ子の魂以前の自意識の未完成な時期の過ごし方にあると思うのです。

なので「母性よ蘇れ、子供達の明るい未来を創るため」となるのです。

大きくなってしまったもの達は、身体を動かし五感で感じ取り無意識の世界へ沈着させるという幼子の行為を思い出し、自分に取って不足しているもの、ことを振り返り、その不足を補うための行動へと結びつけることが重要となったのです。

不足の部分に気がつけば変わって行くのです。

真の反省です。

このためには身心の健康を取り戻す、五感の感受性の回復から始めなければなりません。

頭デッカチになったがための首、上体の力を弛め、身体の重心(丹田)に自ずと力が集まり、お腹に深い呼吸が入るように身体を導くのです。

で、「日の下に出よ、身体を動かし汗をかき、深呼吸~循環・排泄を整えよう」となるのです。

問題が発生したときは、迂遠なようでも原点に立ち返っての見直しが大切です。

対症療法、部分最適、先延ばし社会からの脱却が喫緊の課題となっているのです。

きちっと立ち、温かく光耀く太陽を心の中にイメージし、「あまてらすおおみかみ」と唱えましょう。

無意識への刷り込みです。

先達はこれを、十言の神咒(かじり)と伝えてきました。

「あまてらすおおみかみ」の裏には「ありがとう・おかげさま」の十言があり、「たのしいな・うれしいな」の十言が潜んでいるのです。

その他、十言のなかに多くの明るい言葉が浮かび上がってくることでしょう。

https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid0M5X8cSxDjSebbXhzQHMppWBgLKV3Saqz9L4ZY8b4VG7UXawxDLUZfaxFyzfKcNa5l

・・・

・画像はいただきもの

選択理論えほん ワークショップ ファシリテーター養成講座

https://www.reservestock.jp/page/consecutive_events/23179

1人以上、、「しあわせ いいね ありがとう たのしいね たのしいね うれしいな うれしいな」というテキストの落書きのようです

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コロナワクチンのデトックス

全力発揮のアスリートなど身体に負担をかけ続けているもの達がが最初、次第に普通に身体を動かしている人々にたいするダメージが増えて行きましたね。
まずはデトックス。
身体を動かし汗を出し、体温を上げ深呼吸。
この基本を行った上で、平行し、薬剤、サプリ、食などによる解毒を進めましょう。
循環・排泄力を改善せず、外から加えても効果は薄いのです。
その基本を理解しましょう。

中野裕司 2022年4月11日 プライバシー設定:公開


・・・

いつもの悪い癖、二方に同じコメント。
全力を発揮し戦うアスリートの身体に異変が~。
他山の石とするなかれ。

————————————————————————-
見えない部分にダメージを受けていますね。
全力を発揮しようとすると、ダメージを受けた部分が影響し、全体のパフォーマンスを下げてしまうのでしょう。
一流のアスリートは、火事場の馬鹿力を意識して引き出すことができるようにトレーニングを積み重ねている。
その歯車の一部が欠損しても大変なことになってしまう。
健康・元気だつたワ〇チ〇接〇以前の身体イメージのまま、むりやり動かしてしまうものだから、切れてしまうことになってしまいます。

全力で動かないものには影響が現れないダメージ。
その影響が、時間の経過とともに、じわじわと、かつ確実に出てくるのでしょう。
人類としての総合力の低下です。
怖いですね。

かねてから農・食、住環境などを通じて行われてきた身心を損ねる動きの、だめ押しがコロナ禍によるワ〇チ〇接〇でした。
これにより、身心ともに健常な者、元気なものが少数派となる時代がやってきそうです。
コロナ〇ク〇ンで遺伝子レベルまで影響・汚染されているとなると、次世代の大多数が身心の健康を保つことのできない、生命力の低い、元気・気力を振り起こすことができない人となってしまいそうです。

速くこのような最悪の方向に向かいつつあるという現実に気づき、対抗しなくてはならないのですが…‥。。
これでよいのかおっかさん、甦れ母性。
未来を造る子ども達のために。

・小林さんFB

・桐部さんFB

令和7年4月11日 FBに投稿

生物多様性と生物多様性「保全」なにが違う?

けふ(もう昨日か)は、東京農大で打合せ。
サクラは丁度良い塩梅です。
道中、新入社員、新入生の初々しい姿が見え、なにか嬉しい気分となりましたね。

私の預かる(特非)日本緑化工協会は、毎年7月下旬に東京農大で緑化工技術講習会を行っている。
その内容、協会の今後の方向性などについて意見交換を行った。

「生物多様性」については多様性が高まるほど生態系は安定するから異存はない。
しかし、「生物多様性保全」と「保全」が入ると極めて政治色の強いものとなり、学問が政治に汚染されてしまった。
なにせ、お国の方針に従わないと研究費が手に入らないのだから。
また、自然には手を付けるなと言う自然保護論者が、生物多様性保全を隠れ蓑にして浮上してきた。
政治に敵対してきた自然保護運動が、政治に取り込まれたのだから大喜び。
高温多雨な我が国の自然は、徹底的に管理を行わなければ荒れ果ててしまうのに、そのような方向へは進めようとはしないのだ。

連合国(国連)地球サミット(1992年)で始まった生物多様性保全条約による取組なのだが、自然の中に外来種という悪者がいるので、その悪者を排除しろというもの。
やり玉に挙がったのは外来牧草。
法面は面積が大きく目立つから、昔から自然保護論者の目の敵にされてきた。
政治と密着したことによりおおっぴらに叩くことができると大喜び。
以前は「牧草」で済んでいたのに、生物多様性保全の取組が始まってからは、外来牧草と「外来」というレッテル張りが行われました。
法面緑化では、70年以上前から牧草を用い続けており、牧草で覆ったところは自然に復元していて問題はないのにね。
問題とする理由は、自生する在来種を駆逐するというのだ。
しかし、その原因を探るならば人間様が環境を改変し、在来種が生育できなくなくしてしまった、砂漠のような状態としてしまったからである。
にもかかわらず、外来種、外来牧草は敵だ、駆逐しろ、使うな、という論法。
その原因を造った、自然環境の中に砂漠のような状態をつくったのは人間様だし、環境が整うならば特殊な環境にしか生育できない牧草は衰退してしまうのだが~。
自分たちが行った行為に対し糾弾するたけの不思議な論法がまかり通る学問としてしまったのは金と政治のため。
おかしい、問題だ、世界より遅れている、世界標準に従うのだと騒ぐほどに予算がつくのだから。

本気で外来種を駆逐したいのならば、改変した環境を元に戻さなければならないのだが、それは物理的に無理なので、牧草に八つ当たりしているのだ。
放っておげは、時間が経つならば自然に消えて行く牧草にはいい迷惑だ。

外来牧草は敵だという論法の生物多様性保全が法面緑化に本格的に及んでから20年以上が経過した。
私は、自然保護運動的な取組の時代から、このような偏った考え方に棹さし続けてきた。
桃太郎の鬼退治じゃあるまいし、悪者を退治すれば済む話しではない。
お役所の見せるための仕事に振り回されてきたのだ。
学問(生態学)の世界は猫も杓子も生物多様性保全に汚染されっぱなして20年以上が経過した。
そろそろ現実に即したところ、当たり前のことがあたりまえに行えるようにしようよという取組に関する打合せ。

家に戻ったら、カラフルな餃子が出てきたよ。
ババの果樹園から、ネギと共にほうれん草を沢山持ち帰った。
有機栽培無農薬。
餃子の具はほうれん草。
ついでに、皮にもほうれん草を入れたんだとさ。

しばらくはネギとほうれん草攻めと思ったが、ほうれん草は茹でて冷凍してすこしづづ使うんだってさ。
ならばネギもそうしたらと、提案したのだが~。

食べ物は農薬や食品添加物などで汚染され、これを何とかしなければならない。
法面の外来種退治などにうつつを抜かしている暇はない、生活習慣病などいのちに係わる問題を優先課題とすべきなのに、縦割り行政は予算消化のために見せるための仕事、連合国(国連)の命を遂行すべく作業を続けている。

こんな非生産的なことをするために税金を納めているのではないと言いたくなってしまいます。
否、サラリーマンは税金を給与からむりやり抜き取られているから、自分の懐が痛んだという気がしないのですね。
欧米のように、収入は自己申告する仕組みに変えなければなりませんね。
さすれば、政治に対して無関心ではいられなくなるはずですね。