「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

「社会」カテゴリーのアーカイブ

ベビーシッターに税制優遇 税金でやることか?


R080502
  

ベビーシッターを雇えるぐらい給与を上げたまえ。
そして、復職がキチッとできる制度に変えたまえ。
さすれば、共稼ぎをせずとも母親は家に居られ、子の面倒を見ることができるようになる。
子に手が掛からなくなったら、復職すれば良い。

-税金の話しではないだう。政治、制度の問題をごまかし、すり替えてはならない。また、それを許してはならない。

-知らない内に給与から税金をかすめ取られているから、税金は自分の支払ったお金だという感覚を持てない。
他人の金・税金で賄うんだから、良いんじゃない、という雰囲気作り。困ったもんだ。

・・・

話しのすり替えがうまく、皆が騙される。
前提が誤っていることを素通りさせ、目の前の話しのみに落としこもうとする。
それが対症療法・部分最適。根治に向かう事は無く、行った対策が次々に新たな問題を引き起こしての焼け太り制度。無駄に税金が消費され、消えて行く。

-水が溢れようとしている堤防(制度)を、くり返しくり返し嵩上げし続け、カミソリ堤防としてしまった。
もう、これ以上の嵩上げは困難な処にまで至っている。
基礎から作り替えなければならないのです。

-皆、もっと大きな観点から、ものを見てほしいですね。
そもそも、代議士とは、なにをやらかすかわからない政府、官僚を見張り、導くための私の代理人。
私達ではなく、私の代理人だから、尻を叩き、こき使わなければならない人達なのです。

-それが本末転倒となってしまい、制度疲労を起こしているのだから、制度そのものを根底から見直さなければならない時期に来ているのです。
対症療法、部分最適ではもう駄目なのです。

ー根底、基礎とすべきは縄文から江戸に至る、我が国固有の伝統文化。長く深い伝統文化があるのだから、明治・昭和憲法も要らない。伝統に基づく不文憲法でよいのだ。
さすれば、当たり前のことが、当たり前になる。

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いつもの悪い癖、中西さんのスレッドに書込。書込責任と記録としてシェア、コピペ。https://www.facebook.com/ai.nakanishi.169/posts/pfbid036QKQ8ZfHcmMhE636fTEUBTo43Ze4GWR18sVBAf5HSQFnwc1b3z6XbMu1oTdYqpY3l

昭和の「普通」 、体罰動画・投稿に対して

R08.04.26  

なにやら近頃、昭和の「普通」、などとして昭和の教育が問題だらけだったとする投稿が目につくようになった気がする。
取り上げられるのは体罰だ。しかも、多くはカリュカライズして、大げさにしている。

-なぜ、昭和を蔑まなければならないのか?
先の戦争はひたすら我が国を悪ものに仕立ててきたが、それが昭和という時代へと拡大しようとしているのだろうか?
総括、反省は行わなければならないが、自虐的に走ることはなんの意味もなく、マイナスとなるだけである。
この動画、誰がどのような意図で創ったのだろう。
AIを使えば、極端な画像をたやすく造り、拡散できるからね。
新たな自虐史観が立ち現れて来たように思える。そのようなことも考えて見なければならないだろう。

-たしかに体罰はあったが、それによってトラウマになったというようなものはなかったとは言わないが、僅かだろう。昭和の「普通」と称するには余りにも侮蔑的。
成績の順番を張り出すということも、異常な例として示されているが、私は出来が良くない方だが、だからといって傷付くなどいうことはなかった。

-逆に、これらによって精神力が培われたし、成績などは置いといて、おかしいなと思うことは拒否する、興味を持ったものしかやらないという個性を潰されることはなかった。
好きなことをやらせてもらったことには感謝をしている。
投稿のような状態ならば、我々の年代はトラウマの塊となっていただろう。

-ウサギ跳び、連帯責任などの体罰も例として上げれていたし、別の投稿ではフリチンで立たせられるなどの記載もあるが、これもまた極端な取り扱い。不幸にして極端な先生がおり、極端なことがあったにしても、特殊な事例である。
それは、現在もまた同じだろう。

-否、子ども達、孫の幼稚園、学校の状態を、私が見聞きしたことを言わせてもらえば、先生は感情を抑え込むこと、モンスターペアレント対策、責任回避に走り、教育が狂育化している。体罰という目に見える罰から、ステルス化した罰、あるいは、子ども達の行動に対し関わりを薄くするという方向に向かっている。このような点では、むしろ学校、学習環境は昭和よりも悪化しているといえよう。

-その左証として、教師の中途退職、それも鬱など精神を乱し、壊しての逃避的退職が多い。
そして、教師のなり手がいないから、教師はドンドン劣化し、子ども達がその被害に晒されることとなる。
こんなことは昭和にはあり得なかった。

-男女協働参画、共働きでなければ家庭を維持できない時代であるからこそ、子ども達の教育、保育所・幼稚園、学校がすこぶる大切になってきている。
そのような問題こそ正面から向かわなければならないのだが、なぜかまともに取り上げられることはない。
教育全体の底上げを如何に行うか、ではなく、教師・学校の失体をことさら大きく取り上げ、条件反射的に責任回避行動をとるという悪しき方向へと走らせているようだ。

-子ども達の身体を観るが良い。皆、コチコチだ、身体を、手先をキチッと仕えない子が多い。
体罰だとか色々言うが、昭和・私達の時代は、皆、身体、手足を動かし、しなやかな身体を持っていた。それが昭和の活力の源線だろう。

-また、昭和と言っても64年もあり、一緒くたにしてはならない。
この動画は、敗戦後の教育を示しているようだから、昭和後期であり、私達の年代が生きた時期だ。それを昭和と一括りにしてはならない。
行政的な言葉を用いるならば、「戦後教育」であり、これをあえて「昭和」と拡大する物言いには悪意を感じる。
あるいは、戦前狂育のつもりだろうか?

-社会に出てからは、超々ブラックな働き方をさせられたが、目の前に現れたものをこなすのが精一杯で、他のことは考える余裕はなかった。しかし、これをこなす体力はあったし、それによって実力はついた。
これは昭和(後期)を生きたものの実感である。

-現代の目線・価値観で、過去の体罰的な問題をあげ連ねても意味は無い。
身体、心の柔らかなものは、これを跳ね返し生きてきた。それが、野生の力だろう。

-現代はむしろ、昭和の良い意味での活力を、いかに現代に甦らせられるか、いかに元気な子を育てるか、という工夫が重要だろう。
古くて新しいもの、科学的に裏付けされた教育法、トレーニングなどが生まれてきている。
しかし、伸び伸びと子ども達を伸ばすという方法を取り上げ実践している教師、トレーナー、師匠と称される方が僅かなことがむしろ気かがりである。

-どうも学校の教師は、教育者ではなく、国は、子ども達を管理するものとしての役割を強化されているようであり、それも書類で記録を残す、見せるための管理、責任回避のための管理が強化しているようだ。
まずは、このような制度を見直さなければならないだろう。

-いつも説くことだが、子ども達の教育については、学齢期にはいる前、習い事始めの時期以前に、キチッと野生の時期を経過させる事ができたかということが大きいだろう。
これは、心身の野生ということでもあるが、人間集団としての野生の心得を身に付けるということでもある。
それが「躾」だろう。

-児童の教育について、森信三先生は次のことを記している。
> 小学校入学前に躾ける。
> 学齢に達するということは、ものの道理が分かるということ。
> 裏返すと、我が強くなったということ。
> 親から言われたら反抗してしまう。
> 我の出ないうちに躾けなければならない。

-私の説くところと同じことを示しており、これが人間集団の中で学ぶ、学校で学ぶ前に、静かに長時間椅子に座り話しを聞くことのできる体力、気力、集団の中での和する力を培うということなのだろう。

-これもまた、極端に走ると軍国主義的な集団狂育となり、逆に悪しき自由に走ると統制の取れないものとなってしまう。昭和(後期)は、ある面軍国主義の残渣があり、現代は制限なしの自由により、いずれも極端に揺れ、子ども達を傷つけている。

-しかし、昭和の子は、元気に跳ね返し生きてきたのだが、現在のひ弱にしてしまう狂育では、今後予想される様々な環境の劣化・悪化のなかでは生き残ることが困難となるだろう。
いずれも極端は狂育と称する状態となってしまうので、バランスの取れた本来の、子ども達を元気にし、能力を目一杯に伸ばしてあげることのできる本来の教育へと回帰してほしいと願っている。

-そのためには、教師を管理要員ではなく、本来の教師として振る舞うことのできるよう、国民・親が、教育制度そのものに対して厳しい目を向けなければならないだろう。
私が狂育と揶揄する世界から、真の教育へと脱皮を願うのみである。

-真の教育・それは、昭和だ、現代だ、というものではなく、普遍的なものだろう。戦乱・混乱の時代は、そのような良きものが裏に隠されてしまう。明治、昭和、そして現在もまた、一見平和で安定している時代のように見えるが、精神的バックボーンは揺れまくり、不安定な状態が続いている。このことを意識し、普遍的な世界が現れるような教育が行われるよう願い、動き、働くのみ。皆が、普遍的な世界に気づくまで

https://www.facebook.com/naoko.harmonie/posts/pfbid0aZ1P5mzP3kuCavjL4EaMRwJhA4WX3DLPd9SEi7tQ4Q2f7byytrHiKHV7QSjZudBsl





https://www.facebook.com/naoko.harmonie/posts/pfbid02TVgnrxLv63rRCHfmdT8jKGs8kCR3dHsn1V7EGsMvPL8iqKFaZLQTSikjaR9ifBvml



自由 自らに由る

> 明るくさわやかに充実したいのちを生きている人は、明るくさわやかに充実した時間を作りながら生きている人です。
> どういう時間を作りながら生きるか-?
> それを決めるのは、だれでもない「いつでもこの自分!!」

・・・

それを決めるのは、自由・自らに由る、自らに与えられた時間・空間を全力発揮で生ききる人・自分ということだろう。
寄る辺にできるのは、我が身心のみ。
観脚下、己に与えられた時空を、今を観よ!

続きは
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid02kUDJoMoUTo9hsS7r4BrwEbU6r85hGY8fjsdth6VJ7BgjBrok581qVHGdi5PSafmDl&id=100064438849199

担板漢 頭が硬い人


2026.04.20
 ·

「担板漢(たんばんかん)」、板を担ぐ人。

頭が固くて反対側が見えない、という震旦の故事らしい。
その後、「柔軟体操なんていってね、人間は自分の体が固くなることには気がつくから一生懸命予防につとめる。
しかしね、頭が固くなること、こころが固くなることには案外気がつかない。」
と続くので、そうかなと反論。

・・・

なぜ、柔軟体操で身体の手入れをすることと、頭が固いことを別々にしてしまうのでしょうね。
普段から、不断に、身体をしなやかに保とうとする心を持つものは、気が付くという点で頭も柔らかく、心も柔らかく強(こわ)ばりが少ない。

-日本語、大和言葉は、身体にひっついた言葉。
身体を柔らかくしなやかに、言葉の温かさを保ち、心をころころと軽やかに動かしましょう。
動き、働く・傍楽ことで和顔愛語が広がって行く。
世のため人のため。

-さすればお先にどうぞ~、お先に~、と譲り合い、感謝のこころが転がり出す。
ありがたい、おかげさま、と、おてんとうさま、自然に生かされているという心が~。

-カタカナ語に侵され、固めてしまった身心を、柔らかなひらがな語に戻すのです。
そのような身体と心、心身を取り戻さなければならないのです。

-わがまま、我由・われよし、に振る舞うことが正しいと、上から植え付けられた誤った自由、不足(量)を満たすことの自由を、ひとよし・人由、の譲り合い、己の心根の質を高めるための自由・みずからによる、への変換、祖先が培って来た本来の大和言葉の世界へと還るのです。

続きは以下へ
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid0221652PWY1zcacU1ba7hL7hitg648DxBArMz7CH29doTY945hsqnSRpJpAFP4UpBSl&id=100064438849199

頑張って生きた人に対する罰則・罰金、相続税


1分
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頑張って生きた人に対する罰則・罰金、相続税。
これによって何十年という時間ををかけて創り出した文化景観・街並み、故郷が消えて行く。
こまったものだ。

11年前の投稿が浮上してきたよ。
このころは、金町にも緑濃い街並みが残っていた。
いまはもうその面影はなく、白い新建材の壁の兎小屋が建ち並んでいる。

その土地の文化・景観を守ろうとしない国は、子ども達に故郷を残すことはあたわず、愛国心などと言うものは夢のまた夢となってしまう。
すなわち、根無し草としてしまう。
それは、亡国の民。
その亡国の民の土地は、心の隙に乗じた外国企業に買い叩かれ、不法移民が押し寄せてきている。

敗戦から81年が経過した。
敗戦後も進駐軍は居座り、形ばかりの内容のない似非自由を与えられ、ステルス植民地とされての81年。
日本民族のバックボーンとなる精神性を消し去るためのWGIPに基づく狂育による洗脳が3代にわたり継続された。
これによって精神的なバックボーンは失われ、精神的根無し草となってしまった。

与えられた自由だから、自らの手で勝ちとった自由ではないため始末が悪い。
自由を自らの手でメンテする気はなく、甘ったれたぬるま湯の中でわがまま放題に振る舞うカタワの自由。
自由の裏付けとなる義務などというものの片鱗すらない。

公共への依存を強める一方だから、さらなる恐怖感を煽り、依存強化しての中抜き商売の横行により、収入の50%を税に持って行かれるというご時世にしてしまった。
その中抜きは海外へと消え去ってしまう植民地経済なのだから、経済敗戦以降、失われた30年が過ぎ、40年に向かわんとしている。

そして、3代で財産失わせるための相続税。
いわゆる準富裕層、および農地改革により地主より土地を手に入れた小作が、丹精した土地を奪い取られている。
我が国の相続税は、累進課税で高額なため、相続が3代続くと大幅に資産が減少してしまう。
これもまた、3代で失ってしまうように制度設計がなされている。

農地改革以前は、田舎には昔ながらのムラ社会が残されていた。
ムラ社会の構成員が、祖先が営々として造りあげてきた土地を、一所懸命・一生懸命守り、子孫に繋いで行こうという伝統文化があった。
しかし、小作個人のものとなるならば、もう、そのような義理はない。
3代にして失う仕組みにまんまと乗せられてしまった。

敗戦から3代、土地、故郷からも切り離されて、物質面においても根無し草となってしまいました。
昔は「国破れて山河あり」であったが、もう、その山河すら荒れ果て、奪われようとしている。

もう還る故郷もない。
ソフトステルスジェノサイド(集団殺害・民族浄化)と称し言挙げを続けて来たが、その佳境に入ったようだ。

で、いつもの
これで良いのかおっかさん、
母性よ甦れ。
子、孫達に明るい未来を残すため。
・・・
米進駐軍に制圧し続けられている日韓がダントツに相続税が高いのは面白いですね。
韓国もまた米軍政下で農地解放を行っています。
わがまま度合いは?
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・11年前の投稿
https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid0Q6fkqSwkBrBynqRgoRHPYnEZm59pSqFr8m8AR5w1V5NhrXuYs3UuCMVwAuqRnSN4l
・4/5の投稿
https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid02pMd23CJ6wPw44xU3JtRLv8bqm21axwCAkQ3FTeCgym5WYfc7pFkKA3GhmJaPctZ2l

循環こそが「いのち」

2025年4月18日

循環天地開闢、宇宙が生まれた時、循環が始まった。循環こそが「いのち」の本質。
循環が停滞すると秩序が乱れ、エネルギーが蓄積され大爆発を起こし、新たな秩序が生まれる。
循環が低下すると衰退に向かい、途絶えたとき冷え、死に向かう。

-人は小宇宙故、宇宙の循環・自然と連動することにより生成発展へと向かうのです。
逆に、循環に逆らうならば、様々な問題を発生させることとなってしまいます。
宇宙、太陽・地球があって人間が存在するのであって、物理的にはその逆はありません。すなわち、地球環境を変化させるならば、その変化に適応できない生物は衰退・滅亡し、新たな環境に適応した生物のその座を受け渡すのです。
その点で、人間は地球環境を大きく変えてしまったため、その生存の岐路に立たされているといっても良いでしょう。

-現代社会の循環不良は、停滞なのか、衰退なのか?停滞させているとするならば、いずれ限界に達し爆発へと向かうことだろう。
私はそのように感じ、大難を小難に変えさせたまえ、ソフトランデイングに向かわせたまえと情報の発信を行っているのです。
わが国の根っことなる伝統文化の良き・善きところにに立ち還り、良き方向に向かって爆発させたいと考えているのです。
我が国の伝統文化は、自然の循環に即したものとなっているのです。
循環をスムーズに行えるようにし、戦乱などハードランディングによる変化を避けたいのです。

-しかし、我が国の場合、循環を著しく低下させ、衰退へと向かっており、あらゆる面で劣化が進んでいるとも思え、気になるところです。

ー何れにしろ、社会の循環を良好にし、元気になってゆくためには、個々人の身心循環を正常に戻し、元気を取り戻さなければなりません。
そのためには、「日の下に出て深呼吸~」、となるのです。ま
ずは、己の身心を健全に保たなければなりません。
そして平行して、健全な次世代を育てるために、「母性よ蘇れ」となるのです。

ーしかしなぜか、このもっとも基本とすべきところに総合的に立ち返ることをせず、どうでも良い問題の部分最適にばかり目を向け、いがみ合っています。
根っこに据えるべき本質、「いのちをつなぐ」、「子供たちの未来のために」という部分をなおざりにしていることが精神劣化の原因と感じています。
言い替えるならば、「いのちの継続」にたいする無頓着さ、我よし、今よし、後は野となれ山となれという、未来を捨てた暮らしが、現代社会の閉塞感となって現れているのです。

演出される恐怖感・飢餓感

コロナでは感染の恐怖を煽り立て、唯一の救いは「コロナ遺伝子ワクチン」とし、飢餓感を増幅し多数回接種した。
ワクチン依存症とも言う状態。
生命汚さ、心魂の貧しさを露呈させてしまった。
そして在庫を抱えたままの米不足。安ければそれで良いと輸入米に走った。
で、今。
油断による社会機能の停止へと向かうと脅され、飢え死に至ると脅され恐怖感を煽られ、飢餓感をましている。
油断による不幸は先の敗戦でこりごりだろう。
しかし、その総括を行わず、手足を縛るための貿易立国へと走らされ、またまた、油断の世界が訪れた。
あらゆることが石油に依存する社会。
石油が断たれるならば、都市部では、あらゆる生活必需品、いのちを維持する食までもが失われることだろう。
このような状態となることを防ぐためには、分散型の社会を構築することが重要となる。
これを機会に輸入等他に依存する社会を変革し、地方が自立し、生産手段を取り戻し、持続可能な社会の構築へと向かうことが喫緊の課題となっている。
その自覚と覚悟が必要だ。

アセビ、イタドリ

-イギリスでは、イタドリは侵略的外来生物として嫌われていると聞きます。
気候がうまく合致したのでしょう。また、新参者は生態系に組込まれるほど時間が経過していないため、病害虫が存在せず、我が物顔で猛威を振るっているようです。

-意図してなのか、意図せずなのかは不明ですが、天敵のいない世界に人が持ちこんだものですから、人が天敵とならなければなりません。
幸い、イタドリは食べられるし、薬効も期待できます。その利活用を広めると良いでしょう。
さすれば、時間の経過と共にイギリスの生態系の中での居場所が定まることでしょう。

侵略的外来種とハーブ、どちらの扱いの方が好みですか?
好みの問題ですね。

-生物純血主義と私は揶揄しておりますが、連合(煉獄)国=国連の始めた生物多様性の取組は、外来種を悪者呼ばわりし、恐怖感を煽り、短期間で始末しよう、力尽くで駆逐しようという姿勢が困りものです。
在来種を守るために、侵略的外来種を根絶やしにしてしまうのです。
増えてしまってからは徒労に終わるのは目に見えていますが、二酸化炭素と同じ取組を政治的に強制しています。

-外来の野生の生物の場合は、侵略的外来種というレッテル張りをするのですが、人間に対しては移民を用いての侵略的な行為を推し進めているのが連合国(国連)と、その関係機関です。
身一つ、同じ一つの組織なのに、右手と左手は平気で異なったことをするという異常な組織。
そこから見えてくるのは、銭金・利のため。

・・・

イタドリの薬効についてイタドリ(虎杖)は、「痛みを取る」という名前の由来通り、高い鎮痛作用、抗炎症作用、利尿作用を持つ多年草です。
特に根は生薬「虎杖根(こじょうこん)」として、関節痛、リウマチ、膀胱炎、便秘、月経不順の改善に利用されます。また、若葉には止血効果があり、皮には抗酸化作用が高い成分が含まれています。 現代農業

・・・

イタドリは、全国で山菜として食していますが、高知県では定番惣菜となっていますね。
しかし、シュウ酸が多いため尿道結石となるとの指摘もありますね。

身体を動かし、汗を出し、キチッと排泄がなされていれば大丈夫、問題はないでしょう。
排泄系に過負荷をかけないように、良き水をとりつつですね。
排泄不良、水をとらないなどで、循環が滞ると、循環に関わる病気のある場合は、ご指摘の結石となるおそれが高くなります。
ただし、お菓子代わりにイタドリに砂糖をつけて食べるという組合せは、結石を造りやすくしているかもしれませんが、程度問題でしょう。

-北海道などのイタドリは、オオイタドリでイタドリよりも大型ですね。

・・・

シカは食べ物がなくなってしまうと、毒のある植物、棘のある植物まで食べ始めます。

三重の藤原岳の山頂付近はニホンジカが増え鹿牧場のようになっています。
そこでは、アセビなどの若芽を食べてしまうので、丸刈り状態になっていますね。
ガスの中に、入道のような樹形が出てきて、遠目では何の木かわかりませんでした。

-日本全国の山は、シカの食害によって下草が失われ、大変な状態になっています。
環境省は、生物多様性保全などと外来種を悪者として駆逐するための予算を沢山使っています。
その予算を本気でシカを駆除するために使った方がよいですね。
もう大変なことになっていますから、早期にシカを駆除しなければならないのですが、いろいろ法律は作っても現場の実態にそぐわないので、逆に足かせとな進みませんね。

-見せるための取組。部分最適、対症療法の積み重ね、先送りで、すべてが狂ってしまいました。

いつもの悪い癖、荻原さんのスレッドに書込。
書込責任と記録としてシェア、コピペ。コメントも。

https://www.facebook.com/chigusa.hagiwara.7/posts/pfbid06sHVcfAdUgyx86WJY3rbbMsNB6Nz4d3wg9hLhNAShcRqrc7vxLJEDNx1K3vwazdSl

国とは、巨大ヤクザ

さてさて困ったな、共時的現象。10年前の国は巨大ヤクザと指摘した投稿が浮上してきたよ。
同内容の投稿の浮上は、いつもは共時的な現象は面白いな、ということなのだが・・・。

10年前はスルーだったが、検閲が厳しくなった今はどうなるのやら。
類似の投稿は、差別的な表現として削除されてしまいました。
でも、10年前から私の発言は不動です。

-これが差別的な発言とされるのなら、世も末だ。それとも、文中で「ガ○キ○」という言葉に対する言葉狩りでレッテルを貼り付け、削除するのかな?
念のため、言葉狩りに合いそうな言葉は○○としておこう。
それとも「ヤクザ」という表現が禁忌なのかな?

・・・

2015年4月13日/プライバシー設定: 公開/コピペし、見やすくなるよう編集。

・・・

「左から見れば、真ん中も右に見える」、至言だ。
このような動画をシェアすれば、右というレッテルを張られてしまうご時世。
さしづめ私は、超右翼ということになるかもしれない。

最も、右翼・左翼という定義を理解した上でレッテルを貼っているとは思えないが。
右も左も、煎じ詰めるならば全体主義の統制国家を目指している同じ穴のムジナなのだが~。
いつのまにかすり込まれた色眼鏡を通して語っているだけだろうから・・・。

-しかし、右だ左だと言っている平和な時は過ぎた。
戦争反対、平和憲法を守れと、理念・理想を言っていれば良い時は過ぎた。
米国のソフト植民地であるからこそ、その傘の下だからこそ言えたこと。
守られている、自立していない子ども、○○の言い分だ。

-自立した者は、自らを守るための手立てが必要となる。
理念・理想ではなく、現実の社会・世界をありのままに見ることのできる者ならば理解出来ることだ。
学校で教えられた、習った、ことを、いつの間にか自分の考えだと勘違いしている。
きれい事ではなく、現実を見定めることが必要だ。

-現実の社会は、ソフト化された「力」の論理で動いている。
「力」をあからさまに示すのではなく、間接的にし見えにくくしているが、「力」であることには変わりはない。
現実は、人が集まり、集団が大きくなるにつれ「力」による統制が必要となる。
すなわち暴力的となる。暴力を抑制的に用いるか、直接的に用いるかの違い。
同じ「力」であっても、抑制的に使うためには工夫が必要であり、国民を守らんとする傾向が強くなる。

自らの組織を自らの「力」、直接的な「力」で守ろうとすると暴力団・ヤクザの世界となる。
その最大の組織を国家なのだ。

-税金という冥加金を納めることにより、治安のための警察、防衛のための軍、を造る。
税金により暴力装置の外注が始まる。
税金を納めるということは、そのような事なのだと認識する必要がある。
実際には、理念・理想というオブラートで包み暴力的な「力」をソフト化し、見えにくくしているだけのことだ。
(10年が経過し、力をむき出しにする傾向が強くなって来ている。それは、ある面、力を表に出さざるを得ないほど、国のあり方が劣化してしまったということ。)

-納税者は、このような現実を見定めた上で、国の方向性・税金の使い道を監視する必要があるのだ。
これを、見えにくくなっているから無いとし、見ない、聞かない、言わざる状態とし、理念・理想という表面のみを教えている。
このような状態を知の後退という。

-江戸の昔は、武士という「武」の「力」を熟知した上で、精神修養を重ねた支配層がいた。
一般庶民も又、そのような前提の元、自らを守ると言う事を行ってきた。
また、商道など、自らの生業を道の領域にまで高めようという思いがあった。
理念・理想などというものではなく、実践を通じた地に足のついた方法で修養を重ねていた。
それが、明治教育では「修身」として花開いた。

-しかし、戦後はこのような良俗を捨て去ってしまった。
そして、理念・理想という明らかな矛盾・嘘を含んだものを、平気で教えるから、子ども達の社会に対する信頼感を損なう事になってしまう。
理性を麻痺させなければ生きて行けないという国にしてしまっている。そんな国、社会では、生き生きと生きることは困難だ。

-矛盾を飲み込めない子ははじき飛ばされ、教えられた通りに覚え込むお利口さんのみが生き残る。
明治期に始まったエリート教育の結果で既に実証されている。
頭デッカチのお利口さんが国の中枢を占めたとき、国の舵切りを誤り、先の敗戦を招いた。
明治維新から70年後に現れた教育の成果である。

-国民の生命・財産を守ると言う事が国の基本的な機能だ。
極論するならば、対外的には外交・防衛であり、対内的にはインフラ整備・防災であり、後は付け足しに過ぎない。
国の機能を基本的な部分に限るならば小さな政府・夜警国家となる。
国家の基本的な機能、最小限の機能とは、安全保障や治安維持だ。
すなわち、外交と外交の手段としての暴力装置である軍、治安のための暴力装置を持つことだ。

-余分な部分を拡大して行くのが大きな政府、福祉国家である。
現在の我が国は、福祉国家的な政策により大赤字となっているわけである。
福祉・医療に名を借りた銭儲けが大流行り。
自分の身体を精神的な人質に取られてしまい、グーのもでない状態。

-しかし、国家の最小機能としての安全保障を自力で行うことができないわけであるから国家とは言えず、米国の半植民地・ソフト植民地・属国という事になるわけである。

-このようなことを踏まえ分かり易く言うならば、国とは、最大のヤクザ組織という事になる。
ただし、その本性をむき出しにしないようにインテリヤクザを装っているという存在と見ることが本質に近いとおもう。
現実の国際社会は、互いに俺のシマを荒らすなよとしのぎを削り、弱いところは傘下に組みこもうと虎視眈々と狙っている。
植民地主義と異なるのは、直接的な「力」の行使ではなく、ソフト化された金融という「力」を用いることである。
ソフト植民地主義の時代と言えるのだろう。

-日本国は、地球という星の最大派閥の米印ヤクザの傘下に入り、せっせと貢ぎ続けていたからこそ脳天気なことを言い続けられた。
そのポジションを守るにあたってはソ連との冷戦構造が幸いしたが、情勢が様変わりしているにもかかわらず、惚けた状態のままでいる。
戦後70年が経過して、戦争責任を国軍の暴走として片付け、ほおかむりをしてきたが、そろそろその化けの皮がはげ始めてきた。
敗戦後70年にわたり続けられた頭デッカチとする教育の成果が失われた20年として現れた。
明治70年が敗戦、敗戦後70年で新たな敗戦ともいえる。


巷に植え付けられた敗戦教育、負けるべくして負けたなどと言う教育であるが、事態はそんな単純なものではない。
負けるはずの無い戦いを、完膚無きまでにたたきのめされ敗戦に導いた官僚、陸軍・海軍の知性の劣化の著しさにはあきれかえるが、その暴走を認めたのは国民で有り、国を守るために一般庶民の貴い生命が捧げられた。
しかし、明治70年の敗戦、敗戦後70年の経済敗戦に対する総括は行われていない。

-その貴い生命を無駄にしないためにも、国と言うものの本性を見定め、理念・理想という陥穽に陥ること無く、現実の世界に立ち向かって行かなければならない。じわじわと戦後70年間の義務教育の成果が現れてきた。
明治に始まるエリート教育の結果による敗戦。
その反省から、新たな義務教育制度が惹かれた(はずだ)。
しかし、頭の詰め込みという基本的な部分は変わらず、むしろ多様な教育を不可能とし、人として生きるための基本を教えることをおろそかにしたため、さらに状況は悪化している。
戦前のエリートが抱いた頭でっかちの世界観が、一般庶民にまで病魔のように拡がっている。
この点では、明治70年の敗戦よりも頭デッカチ病は重篤化しているといえる。

-まずは、現実を見る目を曇らせている、理念・理想というベールを取り去る必要がある。
その上で、どんな方法が、組織が、現実世界に順応的なのか考える必要があるのだろう。
なにかおかしいな、変だなと感じている庶民、サイレントマジョリティーの目覚めが必要だ。


・「誇り高キ大日本帝国」
https://www.youtube.com/watch?v=5s7prx1Uh-Q&t=33s



油断大敵 だから言わんこっちゃない。 2026.04.11

油断大敵、用心せざるべからず。だから言わんこっちやない。
貿易立国などという美しい言葉に騙されて自らの首を絞めている。

-「止まっても良いように備蓄しております」なんていう対症療法、部分最適の言葉に騙されてはなりません。
食を始め生命線のすべてを貿易という他国に丸投げをし、依存してしまったら、有事には生命を守ることはできないのです。

-国民は、この大きな罠にそろそろ気が付いても良かろう。
物価が上がる、という程度の問題ではないのですよ。
食を含め、物造りの手段を我が手に取り戻さなければならないのです。

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1年前この日の思い出を見る中野 裕司2025年4月11日 ·プライバシー設定: 公開


貿易立国、輸入の自由化、という美しい言葉に騙され、尻馬に乗り、第一次産業を壊滅させ、食の自給の道を断たれ、貿易封鎖されるならば日本は餓死列島と化してしまう。
その見直しにかかる良いチャンスだろう。
敗戦後レジームからの脱却だ。

-貿易振興のために使われる消費税を全廃し、食の自給・第一次産業の建て直し、そして、貿易立国、貿易自由化によって壊滅的となった我が国の山林・里山・自然をインフラとして整備にとりかかるのだ。
老朽化したグレーインフラの維持管理、荒れた野山の再生、そして災害・防災関連に予算をたっぷりと付け、内需拡大を図るのだ。
国富が国外に持ち出されることを防ぎ、国内で金が廻っていれば何ら問題は無い。
それこそが持続可能な社会ということになる。

-幸い人口減少に向かっているのだから、幕末の藩程度の規模での自治、地域コミュニティとし、現代科学の成果を活かしつつ、地産地消で何処までやって行けるかをシミレーションし、切り替えて行くのだ。
エネルギー資源を輸入するための輸出品、技術開発は必須となるだろう。
世界最大の対外純資産国という立ち位置を活かし、付き合う国を戦略的に選択するのだ。-現在まで、様々な資源を輸入し、都市鉱山などと称される状態になっているから、エネルギー以外の資源は循環利用するならば何とかなるのではないだろうか?
省エネ、循環利用は我が国のお家芸。
プチ鎖国というスタイルだが、自然環境をキチッと整備し観光資源化するならば、旅行者は押しかけてくるだろう。

-江戸時代、幕府が衰退したのは地殻変動・寒冷化の影響が大きい。幸い、温暖化傾向にあるから農産物・食は確保できるのではないだろうか?
問題は、地に足をつけ、汗して働くマインドが劣化していること。
食料を止められ、餓死に追い詰められる前に、食の自給・汗して働くマインドに切り替えるための仕組み作りが急務となっている。

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いつもの悪い癖、勇惣さんのスレッドに書込。書込責任と記録としてシェア、コピペ。https://www.facebook.com/yuso.hiroo/posts/pfbid02o8yKVMhWWbnzwZYhW91wJE92oxBsTajmnSP9CrRMy8VkVy26Cdptysge5mEKg9Mpl