「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

「社会」カテゴリーのアーカイブ

演出される恐怖感・飢餓感

コロナでは感染の恐怖を煽り立て、唯一の救いは「コロナ遺伝子ワクチン」とし、飢餓感を増幅し多数回接種した。
ワクチン依存症とも言う状態。
生命汚さ、心魂の貧しさを露呈させてしまった。
そして在庫を抱えたままの米不足。安ければそれで良いと輸入米に走った。
で、今。
油断による社会機能の停止へと向かうと脅され、飢え死に至ると脅され恐怖感を煽られ、飢餓感をましている。
油断による不幸は先の敗戦でこりごりだろう。
しかし、その総括を行わず、手足を縛るための貿易立国へと走らされ、またまた、油断の世界が訪れた。
あらゆることが石油に依存する社会。
石油が断たれるならば、都市部では、あらゆる生活必需品、いのちを維持する食までもが失われることだろう。
このような状態となることを防ぐためには、分散型の社会を構築することが重要となる。
これを機会に輸入等他に依存する社会を変革し、地方が自立し、生産手段を取り戻し、持続可能な社会の構築へと向かうことが喫緊の課題となっている。
その自覚と覚悟が必要だ。

アセビ、イタドリ

-イギリスでは、イタドリは侵略的外来生物として嫌われていると聞きます。
気候がうまく合致したのでしょう。また、新参者は生態系に組込まれるほど時間が経過していないため、病害虫が存在せず、我が物顔で猛威を振るっているようです。

-意図してなのか、意図せずなのかは不明ですが、天敵のいない世界に人が持ちこんだものですから、人が天敵とならなければなりません。
幸い、イタドリは食べられるし、薬効も期待できます。その利活用を広めると良いでしょう。
さすれば、時間の経過と共にイギリスの生態系の中での居場所が定まることでしょう。

侵略的外来種とハーブ、どちらの扱いの方が好みですか?
好みの問題ですね。

-生物純血主義と私は揶揄しておりますが、連合(煉獄)国=国連の始めた生物多様性の取組は、外来種を悪者呼ばわりし、恐怖感を煽り、短期間で始末しよう、力尽くで駆逐しようという姿勢が困りものです。
在来種を守るために、侵略的外来種を根絶やしにしてしまうのです。
増えてしまってからは徒労に終わるのは目に見えていますが、二酸化炭素と同じ取組を政治的に強制しています。

-外来の野生の生物の場合は、侵略的外来種というレッテル張りをするのですが、人間に対しては移民を用いての侵略的な行為を推し進めているのが連合国(国連)と、その関係機関です。
身一つ、同じ一つの組織なのに、右手と左手は平気で異なったことをするという異常な組織。
そこから見えてくるのは、銭金・利のため。

・・・

イタドリの薬効についてイタドリ(虎杖)は、「痛みを取る」という名前の由来通り、高い鎮痛作用、抗炎症作用、利尿作用を持つ多年草です。
特に根は生薬「虎杖根(こじょうこん)」として、関節痛、リウマチ、膀胱炎、便秘、月経不順の改善に利用されます。また、若葉には止血効果があり、皮には抗酸化作用が高い成分が含まれています。 現代農業

・・・

イタドリは、全国で山菜として食していますが、高知県では定番惣菜となっていますね。
しかし、シュウ酸が多いため尿道結石となるとの指摘もありますね。

身体を動かし、汗を出し、キチッと排泄がなされていれば大丈夫、問題はないでしょう。
排泄系に過負荷をかけないように、良き水をとりつつですね。
排泄不良、水をとらないなどで、循環が滞ると、循環に関わる病気のある場合は、ご指摘の結石となるおそれが高くなります。
ただし、お菓子代わりにイタドリに砂糖をつけて食べるという組合せは、結石を造りやすくしているかもしれませんが、程度問題でしょう。

-北海道などのイタドリは、オオイタドリでイタドリよりも大型ですね。

・・・

シカは食べ物がなくなってしまうと、毒のある植物、棘のある植物まで食べ始めます。

三重の藤原岳の山頂付近はニホンジカが増え鹿牧場のようになっています。
そこでは、アセビなどの若芽を食べてしまうので、丸刈り状態になっていますね。
ガスの中に、入道のような樹形が出てきて、遠目では何の木かわかりませんでした。

-日本全国の山は、シカの食害によって下草が失われ、大変な状態になっています。
環境省は、生物多様性保全などと外来種を悪者として駆逐するための予算を沢山使っています。
その予算を本気でシカを駆除するために使った方がよいですね。
もう大変なことになっていますから、早期にシカを駆除しなければならないのですが、いろいろ法律は作っても現場の実態にそぐわないので、逆に足かせとな進みませんね。

-見せるための取組。部分最適、対症療法の積み重ね、先送りで、すべてが狂ってしまいました。

いつもの悪い癖、荻原さんのスレッドに書込。
書込責任と記録としてシェア、コピペ。コメントも。

https://www.facebook.com/chigusa.hagiwara.7/posts/pfbid06sHVcfAdUgyx86WJY3rbbMsNB6Nz4d3wg9hLhNAShcRqrc7vxLJEDNx1K3vwazdSl

国とは、巨大ヤクザ

さてさて困ったな、共時的現象。10年前の国は巨大ヤクザと指摘した投稿が浮上してきたよ。
同内容の投稿の浮上は、いつもは共時的な現象は面白いな、ということなのだが・・・。

10年前はスルーだったが、検閲が厳しくなった今はどうなるのやら。
類似の投稿は、差別的な表現として削除されてしまいました。
でも、10年前から私の発言は不動です。

-これが差別的な発言とされるのなら、世も末だ。それとも、文中で「ガ○キ○」という言葉に対する言葉狩りでレッテルを貼り付け、削除するのかな?
念のため、言葉狩りに合いそうな言葉は○○としておこう。
それとも「ヤクザ」という表現が禁忌なのかな?

・・・

2015年4月13日/プライバシー設定: 公開/コピペし、見やすくなるよう編集。

・・・

「左から見れば、真ん中も右に見える」、至言だ。
このような動画をシェアすれば、右というレッテルを張られてしまうご時世。
さしづめ私は、超右翼ということになるかもしれない。

最も、右翼・左翼という定義を理解した上でレッテルを貼っているとは思えないが。
右も左も、煎じ詰めるならば全体主義の統制国家を目指している同じ穴のムジナなのだが~。
いつのまにかすり込まれた色眼鏡を通して語っているだけだろうから・・・。

-しかし、右だ左だと言っている平和な時は過ぎた。
戦争反対、平和憲法を守れと、理念・理想を言っていれば良い時は過ぎた。
米国のソフト植民地であるからこそ、その傘の下だからこそ言えたこと。
守られている、自立していない子ども、○○の言い分だ。

-自立した者は、自らを守るための手立てが必要となる。
理念・理想ではなく、現実の社会・世界をありのままに見ることのできる者ならば理解出来ることだ。
学校で教えられた、習った、ことを、いつの間にか自分の考えだと勘違いしている。
きれい事ではなく、現実を見定めることが必要だ。

-現実の社会は、ソフト化された「力」の論理で動いている。
「力」をあからさまに示すのではなく、間接的にし見えにくくしているが、「力」であることには変わりはない。
現実は、人が集まり、集団が大きくなるにつれ「力」による統制が必要となる。
すなわち暴力的となる。暴力を抑制的に用いるか、直接的に用いるかの違い。
同じ「力」であっても、抑制的に使うためには工夫が必要であり、国民を守らんとする傾向が強くなる。

自らの組織を自らの「力」、直接的な「力」で守ろうとすると暴力団・ヤクザの世界となる。
その最大の組織を国家なのだ。

-税金という冥加金を納めることにより、治安のための警察、防衛のための軍、を造る。
税金により暴力装置の外注が始まる。
税金を納めるということは、そのような事なのだと認識する必要がある。
実際には、理念・理想というオブラートで包み暴力的な「力」をソフト化し、見えにくくしているだけのことだ。
(10年が経過し、力をむき出しにする傾向が強くなって来ている。それは、ある面、力を表に出さざるを得ないほど、国のあり方が劣化してしまったということ。)

-納税者は、このような現実を見定めた上で、国の方向性・税金の使い道を監視する必要があるのだ。
これを、見えにくくなっているから無いとし、見ない、聞かない、言わざる状態とし、理念・理想という表面のみを教えている。
このような状態を知の後退という。

-江戸の昔は、武士という「武」の「力」を熟知した上で、精神修養を重ねた支配層がいた。
一般庶民も又、そのような前提の元、自らを守ると言う事を行ってきた。
また、商道など、自らの生業を道の領域にまで高めようという思いがあった。
理念・理想などというものではなく、実践を通じた地に足のついた方法で修養を重ねていた。
それが、明治教育では「修身」として花開いた。

-しかし、戦後はこのような良俗を捨て去ってしまった。
そして、理念・理想という明らかな矛盾・嘘を含んだものを、平気で教えるから、子ども達の社会に対する信頼感を損なう事になってしまう。
理性を麻痺させなければ生きて行けないという国にしてしまっている。そんな国、社会では、生き生きと生きることは困難だ。

-矛盾を飲み込めない子ははじき飛ばされ、教えられた通りに覚え込むお利口さんのみが生き残る。
明治期に始まったエリート教育の結果で既に実証されている。
頭デッカチのお利口さんが国の中枢を占めたとき、国の舵切りを誤り、先の敗戦を招いた。
明治維新から70年後に現れた教育の成果である。

-国民の生命・財産を守ると言う事が国の基本的な機能だ。
極論するならば、対外的には外交・防衛であり、対内的にはインフラ整備・防災であり、後は付け足しに過ぎない。
国の機能を基本的な部分に限るならば小さな政府・夜警国家となる。
国家の基本的な機能、最小限の機能とは、安全保障や治安維持だ。
すなわち、外交と外交の手段としての暴力装置である軍、治安のための暴力装置を持つことだ。

-余分な部分を拡大して行くのが大きな政府、福祉国家である。
現在の我が国は、福祉国家的な政策により大赤字となっているわけである。
福祉・医療に名を借りた銭儲けが大流行り。
自分の身体を精神的な人質に取られてしまい、グーのもでない状態。

-しかし、国家の最小機能としての安全保障を自力で行うことができないわけであるから国家とは言えず、米国の半植民地・ソフト植民地・属国という事になるわけである。

-このようなことを踏まえ分かり易く言うならば、国とは、最大のヤクザ組織という事になる。
ただし、その本性をむき出しにしないようにインテリヤクザを装っているという存在と見ることが本質に近いとおもう。
現実の国際社会は、互いに俺のシマを荒らすなよとしのぎを削り、弱いところは傘下に組みこもうと虎視眈々と狙っている。
植民地主義と異なるのは、直接的な「力」の行使ではなく、ソフト化された金融という「力」を用いることである。
ソフト植民地主義の時代と言えるのだろう。

-日本国は、地球という星の最大派閥の米印ヤクザの傘下に入り、せっせと貢ぎ続けていたからこそ脳天気なことを言い続けられた。
そのポジションを守るにあたってはソ連との冷戦構造が幸いしたが、情勢が様変わりしているにもかかわらず、惚けた状態のままでいる。
戦後70年が経過して、戦争責任を国軍の暴走として片付け、ほおかむりをしてきたが、そろそろその化けの皮がはげ始めてきた。
敗戦後70年にわたり続けられた頭デッカチとする教育の成果が失われた20年として現れた。
明治70年が敗戦、敗戦後70年で新たな敗戦ともいえる。


巷に植え付けられた敗戦教育、負けるべくして負けたなどと言う教育であるが、事態はそんな単純なものではない。
負けるはずの無い戦いを、完膚無きまでにたたきのめされ敗戦に導いた官僚、陸軍・海軍の知性の劣化の著しさにはあきれかえるが、その暴走を認めたのは国民で有り、国を守るために一般庶民の貴い生命が捧げられた。
しかし、明治70年の敗戦、敗戦後70年の経済敗戦に対する総括は行われていない。

-その貴い生命を無駄にしないためにも、国と言うものの本性を見定め、理念・理想という陥穽に陥ること無く、現実の世界に立ち向かって行かなければならない。じわじわと戦後70年間の義務教育の成果が現れてきた。
明治に始まるエリート教育の結果による敗戦。
その反省から、新たな義務教育制度が惹かれた(はずだ)。
しかし、頭の詰め込みという基本的な部分は変わらず、むしろ多様な教育を不可能とし、人として生きるための基本を教えることをおろそかにしたため、さらに状況は悪化している。
戦前のエリートが抱いた頭でっかちの世界観が、一般庶民にまで病魔のように拡がっている。
この点では、明治70年の敗戦よりも頭デッカチ病は重篤化しているといえる。

-まずは、現実を見る目を曇らせている、理念・理想というベールを取り去る必要がある。
その上で、どんな方法が、組織が、現実世界に順応的なのか考える必要があるのだろう。
なにかおかしいな、変だなと感じている庶民、サイレントマジョリティーの目覚めが必要だ。


・「誇り高キ大日本帝国」
https://www.youtube.com/watch?v=5s7prx1Uh-Q&t=33s



油断大敵 だから言わんこっちゃない。 2026.04.11

油断大敵、用心せざるべからず。だから言わんこっちやない。
貿易立国などという美しい言葉に騙されて自らの首を絞めている。

-「止まっても良いように備蓄しております」なんていう対症療法、部分最適の言葉に騙されてはなりません。
食を始め生命線のすべてを貿易という他国に丸投げをし、依存してしまったら、有事には生命を守ることはできないのです。

-国民は、この大きな罠にそろそろ気が付いても良かろう。
物価が上がる、という程度の問題ではないのですよ。
食を含め、物造りの手段を我が手に取り戻さなければならないのです。

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1年前この日の思い出を見る中野 裕司2025年4月11日 ·プライバシー設定: 公開


貿易立国、輸入の自由化、という美しい言葉に騙され、尻馬に乗り、第一次産業を壊滅させ、食の自給の道を断たれ、貿易封鎖されるならば日本は餓死列島と化してしまう。
その見直しにかかる良いチャンスだろう。
敗戦後レジームからの脱却だ。

-貿易振興のために使われる消費税を全廃し、食の自給・第一次産業の建て直し、そして、貿易立国、貿易自由化によって壊滅的となった我が国の山林・里山・自然をインフラとして整備にとりかかるのだ。
老朽化したグレーインフラの維持管理、荒れた野山の再生、そして災害・防災関連に予算をたっぷりと付け、内需拡大を図るのだ。
国富が国外に持ち出されることを防ぎ、国内で金が廻っていれば何ら問題は無い。
それこそが持続可能な社会ということになる。

-幸い人口減少に向かっているのだから、幕末の藩程度の規模での自治、地域コミュニティとし、現代科学の成果を活かしつつ、地産地消で何処までやって行けるかをシミレーションし、切り替えて行くのだ。
エネルギー資源を輸入するための輸出品、技術開発は必須となるだろう。
世界最大の対外純資産国という立ち位置を活かし、付き合う国を戦略的に選択するのだ。-現在まで、様々な資源を輸入し、都市鉱山などと称される状態になっているから、エネルギー以外の資源は循環利用するならば何とかなるのではないだろうか?
省エネ、循環利用は我が国のお家芸。
プチ鎖国というスタイルだが、自然環境をキチッと整備し観光資源化するならば、旅行者は押しかけてくるだろう。

-江戸時代、幕府が衰退したのは地殻変動・寒冷化の影響が大きい。幸い、温暖化傾向にあるから農産物・食は確保できるのではないだろうか?
問題は、地に足をつけ、汗して働くマインドが劣化していること。
食料を止められ、餓死に追い詰められる前に、食の自給・汗して働くマインドに切り替えるための仕組み作りが急務となっている。

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花粉症緩和米による花粉症対策について

部分最適、対症療法の積み重ね。無理・無駄の積み重ねで、税の負担を増やすだけ。
根治へ向かうためには、制度疲労を起こした仕組みをリセットしなければならない。

> 対症療法では無駄にしかならないですね…
> なんでそれに気づかないのか、謎でしかないです。
とのコメントに対して。

そんなことは百も承知でしょう。
問題の先延ばし ⇒ 問題が起きる ⇒ 対策という部分最適・対症療法 ⇒ 焼け太り ⇒ 問題の先送り ⇒ エンドレスの悪循環での依存と行政の肥大。
すべてが国民の依存を誘導し、行政が肥大するように制度設計されている。
1%の者達の利のためという根本原理の上に成り立っている。

これは生長があってこそ成り立つ仕組み。
生長とは、人口増加の言い換え。資本主義と称する巨大ネズミ講は、新たな講員を増やし走り続けないと破綻してしまう。
これが生長を善とする理由。末端講員を確保し続けるための商品開発が必要だ。

我が国の場合、少子化により、このような制度が行き詰まって、制度疲労を起こしている。

そのほころびを埋めるための移民政策。移民を呼び込み人口増加を図り、人手不足を補い、生長を保とうというのでしょう。
さすれば文化的軋轢という新たな問題が発生し、新たな焼け太りのネタを造り出す事ができる。
転んでもただでは起きない。
ありとあらゆる手段を使って焼け太りして行くのです。

国民の命・健康と財産を守る、という憲法は空文化していますね。
もともと空文憲法だから当たり前か。

世界という点からは、生長が鈍化するならば、戦争を起こし、破壊し新たな需要を作り出せば良い、また、供給を止めインフレにしてしまえば良い。
それが新型コロナ戦争だし、ウクライナに始まり、ドンバスからイランまで続く戦争の時代の本質だろう。
ソ連が潰れ、China中共の市場開放による生長に限りが見え始めたため、戦乱による撹乱を引き起こし軍産複合体の在庫払いを行い、撹乱が鎮まった後の経済活性化をねらっているのかな?
1%の銭金・支配欲の亡者とその取り巻きは、庶民とは異なる原理で動いていますからね。
何れにしろ利の最大化をねらっての両建ての動きなのでしょう。と、大きな話にしておこう。


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FBリンク:
https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid02WYvgTBV83SavJdUutDKmetszer5ijmngcqMmg8LEj5GH9NmBd1yczi9WpRAjuEkal

投稿が削除されました 2026/04/10

ご報告と、ヘイトに関する注意喚起。またまた私の投稿がメタAIのご注意を受けてしまいました。
このような投稿が削除されてしまうのですね。
私の投稿の閲覧者も減ってきているように思えます。
囲い込まれてしまったかな?

4/3の投稿ですが、ずいぶん時間が経ってからのお叱りですね。
この投稿も、同様お叱りを受けてしまうのでしょうか?
このような投稿はFBの安寧を犯してしまうそうなので、絶対に真似しないでください。

国内仕様による○○地方への配慮によるものと受け取っていましたが、我が国というよりも、彼方の地方からの指示によるものではないかと考えるようになりました。
じわじわと、全方位にわたり目に見えない○○が進められているようです。
いよいよ、ステルス・ソフトジェノサイド本格化ということでしょうか?なんて言うことを投稿すると、またまたご注意を受けてしまいそうです。

参考として、今回のご注意を受けた投稿と、前回ご注意に対する抗議に対する「審査結果」をお示ししておきます。
以前は、「第三者組織」による判断とされていたようですが、今回は『弊社のテクノロジーにより、~ 措置が講じられました』とされています。
メタAI君の判断のようですね。

ヘイトもAIによって判断・お仕置きされるようになってしまったようです。
このようなお仕置きにより、長芋のに巻かれろ、という姿勢を摺り込まれてしまうのですね。
長芋を摺り下ろしたネバネバのとろろは好きですが、長芋はで人を巻けるかな? と、伏せ文字、暗号を使わないと本音を言えない時に入ってしまったようです。
私の判断とメタAI君との判断には大きな齟齬があるようです。
しかし、その溝を埋める手立てはありません。
すなわち、専制・専政、情報操作ということですね。

繰り返します、このような投稿は絶対にしないでください。
なんだかな~、世も末・まっ盛り!

どの部分が禁忌に触ったのかわかりませんが~。
枝の国という用語かなと思ったのですが、それだけではないようですね。
悪しき文化、との組合せのようでもあり、それが政治的な批判なのかな~。
文化には良き側面と悪しき側面の両方がありますからね。そのような批判さえ許さないとなると、日本国は既に枝の国と同様の言論統制になっといるということですね。自分の投稿に対するコメントまでも管理され、削除されていますからね。

-女性の身心、子どもの身心のひどい状態、情報統制、もう死に体の国になってしまいました。

目を通されたいないようなのでここでも記しておきますが、スマホが普及してから、若い女性が子どもを産める身体ではなくなった、として助産を止めた助産師さんの話を聞き、これをFBにアップしました。
体力・肚の力は衰え、頭デッカチ・脳が常時興奮状態となってしまったため、身体を弛めいきむことができなくなってしまっているのですね。
こまったものです。

FBリンク:
https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid034VTTXoR28qNzFk1FHmzf5eqJ2Ak4d3X65VJEytR94rMdxGeQke1ytT7eMGrkus3Vl

失われた30年の真因

バブルがつぶされて以降、貧しさマインドが世間を覆ってしまいました。

グローバル化と称して事務屋の管理の力を強くして、現場の裁量権を取り上げていった。

結果、当初、若干の利益は出たが、現場の活力を失い悪循環に陥った。

技術屋は居なくなり、作業監督のみになってしまった。

改良はなされても、新規の開発はなくなった。

そして、余分な管理のための管理仕組み、書類が増え、作業監督さえもおろそかになっていった。

グローバル化=標準化、マニュアル化、管理とし、技術屋を、人をないがしろにした結果、技術屋は、週末は韓国へ行って技術移転?。

良いアルバイトとなった。

韓国の次は支○中○だ。

定年、リストラ後は、高給で雇ってくれる。

こうして敗戦後叩き上げで会得・造った技術を流出させ、スカスカにしてしまった。

グローバル化だと官主導で、ISOの取得が流行だしました。

私は、USO800と称していましたがね。

これでコンサルは儲けました。

以降、コンサルタントや広告代理店という体裁の良い理屈のみの虚業が大流行り。

中身のないデコレーション。

書類も、わかりやすく短文・箇条書きで、図・絵を多くして、などとしてしまいました。

体裁のみ、中身なしの紙芝居。

私は、この流れに逆らい、中身いっぱいの長文で抵抗し続けてきましたがね。

で、企業の中では生きづらくなり、独立とあいなりました。

官は国際標準に従うことが良いことだとISOなどを持ち上げ、その裏で、国土交通省などは指針・仕様書などの英文化を進めました。

何のことはない、バブル潰し・経済戦争に敗れての門戸開放、グローバル金融勢力の軍門に下った、経済植民地として組込まれたということなのです。

効率化、株主優先、利益は株主、国外へ。

利益が出なければリストラをしろ。

あれから20年が30年となり、凋落が酷いですね。

人を育てる、開発する余裕があったら利益を出せ、ということですね。

出過ぎた利益は使うでもない、内部保留としてしまう、投資に回さないから国内経済は廻らなくなる。

あげくの果ての円高だから、内部保留は相対的に消えて行く。

虻蜂取らず。

さらに状況の悪化に拍車をかけたのは、談合問題。

マスゴミは談合問題を執拗に取り上げ攻撃するものだから、国民は談合の本質を理解することなく、建設・土建業を悪者にしてしまいまった。

談合の本質とは官製談合、天下りのための仕組みだ。

天下りという問題がなければ、ルールをオープンにして公開の場でのし合いができた。

ルールとは、その仕事を取るために、如何に先行投資をし、如何に努力をしたかについて鎬を削るのだから。

談合、話し合いのない世界はないのだから、談合は見えない世界、頂上談合となっていった。

談合潰しの結果は、地域の沈没として跳ね返って来た。

風が吹けば桶屋が儲かる、ではなく、風が吹けば巡りに巡って自分の手足を喰わなければならないような状態に追い込まれるのだ。

それどころか、若者の理工離れを引き起こし、大学の理工学系は沈没。

人材育成そのものができなくなってしまい、著しい質の低下を生み出してしまった。

その低下を公的、準公的な資格で補おうとするのだが、頭デッカチを造るだけ。

資格試験のための仕様書、マニュアル、手引きの丸呑み、そこに記されている以外のことができなくなってしまった。

工夫ができなくなってしまった。

そのような資格保持者の方が、現場たたき上げよりも給与が高いという本末転倒。

汗して現場で働く、もの造りをするという雰囲気を破壊してしまいました。

アホらしくなった技術屋は、韓国・○那○共へ技術を売り、横流し。

教育を通じても、企業内部でも人材を育てるということができなくなったので当然のことながら、時間を経るに連れ地盤低下を引き起こしてしまいます。

このような流れに抵抗し続け数10年。

いいかげんしろと、国・4省庁の委員会の根拠とするペテンの論文を論破し委員会を継続できなくしたり、委員会の座長に逆らい追い出されたり、学会に波紋を起こしてみたりしましたが、力不足。

やっとコロナ禍で、国・官という虚構に目覚めた人が出始めましたが、その視野を国政全体に広げることのできる人は僅か。

このような状況を変えて行くためには、大勢の目覚めが必要ですが、狂育と記さなければならないほど教育、人材の劣化は著しく、前途多難。

狂育を受けたものの子らがさらに狂育を受けるという負の拡大再生産。

幼子の時から身心を壊してしまい、依存的な人々を増やそうという動きが加速されているので、「母性よ蘇れ」と叫んでいるのです。

そして、現状の問題に対する反対運動のすべてを、「子供達の未来のために」というところに集束させて行かないと、分断され潰されてしまうため、理念理想のきれい事、ペテンは捨て「いのち」という根っ子に繋がれ」ともの申しているのです。

分断し、ポシャらせるということが改革潰しの常套手段ですからね。

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いつもの悪い癖、矢澤さんのスレッドに書込。

書込責任と記録としてシェア、コピペ。
https://www.facebook.com/makoto.yazawa.184/posts/pfbid02StmGABS1fXibJMiYvmsLtnqPy6S88mnJhAET5m2KuRv2FqaGC6xZB125Qh1muw1dl

明治70年の敗戦、敗戦後70年の経済敗戦

さてさて困ったな。
10年前の国は巨大ヤクザと指摘した投稿が浮上してきたよ。
10年前はスルーだったが、今はどうなるのやら。
類似の投稿は、差別的な表現として削除されてしまいました。
10年前から私の発言は不動です。

これが差別的な発言とされるのなら、世も末だ。
それとも、文中で「ガ○キ○」という言葉に対する言葉狩りでレッテルを貼り付け、削除するのかな?
念のため、言葉狩りに合いそうな言葉は○○としておこう。
・・・
2015年4月13日/プライバシー設定: 公開
コピペし、見やすくなるよう編集。
・・・
「左から見れば、真ん中も右に見える」至言だ。
このような動画をシェアすれば、右というレッテルを張られてしまうご時世。
さしづめ私は、超右翼という事になるかもしれない。
最も、右翼・左翼という定義を理解した上でレッテルを貼っているとは思えないが。
いつのまにかすり込まれた色眼鏡を通して語っているだけだろうから・・・。

しかし、右だ左だと言っている平和な時は過ぎた。
戦争反対、平和憲法を守れと、理念・理想を言っていれば良い時は過ぎた。
米国のソフト植民地の元であるからこそ、その傘の下だからこそ言えたこと。
守られている、自立していない子ども、○○の言い分だ。

自立した者は、自らを守るための手立てが必要となる。
理念・理想ではなく、現実の社会・世界をありのままに見ることのできる者ならば理解出来ることだ。
学校で教えられた、習った、いつの間にか自分の考えだと勘違いしているきれい事ではなく、現実を見定めることが必要だ。

現実の社会は、ソフト化された「力」の論理で動いている。
「力」をあからさまに示すのではなく、間接的にし見えにくくしているが、「力」であることには変わりはない。
現実は、人が集まり、集団が大きくなるにつれ「力」による統制が必要となる。
すなわち暴力的となる。
自らの組織を自らの「力」、直接的な「力」で守ろうとすると暴力団・ヤクザの世界となる。
その最大の組織を国家と称している。

税金という冥加金を納めることにより、治安のための警察、防衛のための軍、を造り、税金により暴力装置の外注が始まる。
税金を納めるということは、そのような事なのだと認識する必要がある。
実際には、理念・理想というオブラートで包み暴力的な「力」をソフト化し、見えにくくしているだけのことだ。

納税者は、このような現実を見定めた上で、国の方向性・税金の使い道を監視する必要があるのだ。
これを、見えにくくなっているから無いとし、見ない、聞かない、言わざる状態とし、理念・理想という表面のみを教えている。
このような状態を知の後退という。

江戸の昔は、武士という「武」の「力」を熟知した上で、精神修養を重ねた支配層がいた。
一般庶民も又、そのような前提の元、自らを守ると言う事を行ってきた。
また、商道など、自らの生業を道の領域にまで高めようという思いがあった。
理念・理想などというものではなく、実践を通じた地に足のついた方法で修養を重ねていた。
それが、明治教育では「修身」として花開いた。

しかし、戦後はこのような良俗を捨て去ってしまった。
そして、理念・理想という明らかな矛盾・嘘を含んだものを、平気で教えるから、子ども達の社会に対する信頼感を損なう事になってしまう。
理性を麻痺させなければ生きて行けないという国にしてしまっている。
そんな国、社会では、生き生きと生きることは困難だ。

矛盾を飲み込めない子ははじき飛ばされ、教えられた通りに覚え込むお利口さんのみが生き残る。
明治期に始まったエリート教育の結果で既に実証されている。
頭デッカチのお利口さんが国の中枢を占めたとき、国の舵切りを誤り、先の敗戦を招いた。
明治維新から70年後に現れた教育の成果である。

国民の生命・財産を守ると言う事が国の基本的な機能だ。
極論するならば、対外的には外交・防衛であり、対内的にはインフラ整備・防災であり、後は付け足しに過ぎない。
国の機能を基本的な部分に限るならば小さな政府・夜警国家となる。
国家の基本的な機能、最小限の機能とは、安全保障や治安維持だ。
すなわち、外交と外交の手段としての暴力装置である軍、治安のための暴力装置を持つことだ。

余分な部分を拡大して行くのが大きな政府、福祉国家である。
現在の我が国は、福祉国家的な政策により大赤字となっているわけである。
福祉・医療に名を借りた銭儲けが大流行り。
自分の身体を精神的な人質に取られてしまい、グーのもでない状態。

しかし、国家の最小機能としての安全保障を自力で行うことができないわけであるから国家とは言えず、米国の半植民地・ソフト植民地・属国という事になるわけである。

このようなことを踏まえ分かり易く言うならば、国とは、最大のヤクザ組織という事になる。
ただし、その本性をむき出しにしないようにインテリヤクザを装っているという存在と見ることが本質に近いとおもう。
現実の国際社会は、互いに俺のシマを荒らすなよとしのぎを削り、弱いところは傘下に組みこもうと虎視眈々と狙っている。
植民地主義と異なるのは、直接的な「力」の行使ではなく、ソフト化された金融という「力」を用いることである。
ソフト植民地主義の時代と言えるのだろう。

日本国は、地球という星の最大派閥の米印ヤクザの傘下に入り、せっせと貢ぎ続けていたからこそ脳天気なことを言い続けられた。
そのポジションを守るにあたってはソ連との冷戦構造が幸いしたが、情勢が様変わりしているにもかかわらず、惚けた状態のままでいる。
戦後70年が経過して、戦争責任を国軍の暴走として片付け、ほおかむりをしてきたが、そろそろその化けの皮がはげ始めてきた。
敗戦後70年にわたり続けられた頭デッカチとする教育の成果が失われた20年として現れた。
明治70年が敗戦、敗戦後70年で新たな敗戦ともいえる。

巷に植え付けられた敗戦教育、負けるべくして負けたなどと言う教育であるが、事態はそんな単純なものではない。
負けるはずの無い戦いを、完膚無きまでにたたきのめされ敗戦に導いた官僚、陸軍・海軍の知性の劣化の著しさにはあきれかえるが、その暴走を認めたのは国民で有り、国を守るために一般庶民の貴い生命が捧げられた。
しかし、明治70年の敗戦、敗戦後70年の経済敗戦に対する総括は行われていない。

その貴い生命を無駄にしないためにも、国と言うものの本性を見定め、理念・理想という陥穽に陥ること無く、現実の世界に立ち向かって行かなければならない。
じわじわと戦後70年間の義務教育の成果が現れてきた。
明治に始まるエリート教育の結果による敗戦。
その反省から、新たな義務教育制度が惹かれた(はずだ)。
しかし、頭の詰め込みという基本的な部分は変わらず、むしろ多様な教育を不可能とし、人として生きるための基本を教えることをおろそかにしたため、さらに状況は悪化している。
戦前のエリートが抱いた頭でっかちの世界観が、一般庶民にまで病魔のように拡がっている。
この点では、明治70年の敗戦よりも頭デッカチ病は重篤化しているといえる。

まずは、現実を見る目を曇らせている、理念・理想というベールを取り去る必要がある。
その上で、どんな方法が、組織が、現実世界に順応的なのか考える必要があるのだろう。
なにかおかしいな、変だなと感じている庶民、サイレントマジョリティーの目覚めが必要だ。
・・・
残念ながらこの動画のリンクは切れておりました。
・10年前の投稿
https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid024H8ePwLkUrvnasoMmaTjKhJHN1XsmJCe4F3uKm81dSuQJGMeRJtPjyf62AponihZl

国は巨大なヤクザ

国は巨大なヤクザという趣旨の投稿をしたら、差別的とのご注意を受け削除されてしまいました。
少しずつ禁忌のワードを探って見ましょう。
この投稿はどうなるのかな?
・・・
シェアしても、コメントがくっ付かないのでコピペ。
・・・
2022年4月13日 /プライバシー設定: 公開 3年前の投稿をシェア。

ウクライナ情勢を的確に捉えていますね。
わが国は、中立を保つべし。
さらには国家外交の基本。
相手方が困った時には貸しを造るべく、創るべく、知恵を働かせよ。
このことも、かねてから唱えてきたことだ。

個人は性善説でよいが、組織、国というレベルになると、力とインテリやくざの流儀でゆかなければならないのだ。
個人関係と組織のレベルを同一にすることができるほど、人類は成熟していないのだから。
その事実より始めなければならない。

考えない・省力思考へと導いた現代狂育の罪

学校狂育による丸呑み学習の弊害が大きい。
考えずに丸呑みするのだから効率的に学習できる。
しかも、身体をキチッと使い、動かすことも教えられる教師がいない。
身体を使い、感じ、考え考え、脳に上書きを繰り返し獲得した記憶、身に付いた記憶ではないから劣化は速い。
すなわち、大学受験などには役にたってもそれ以降は消えてしまう。

大学狂育も高校なみといわれてから久しい。
頭の筋肉を振り絞り、汗を出し考え考える、という脳の筋肉を鍛える、脳トレの
習慣を身に付けるのが大学教育なはずだが、そのような習慣を身につけた者は極々僅かだろう。
鍛えていない頭の筋肉、脆弱なままで社会へと出て行く。
身体も頭も脆弱。

社会に出るならば、長いものに巻かれろが大正解となる世の中。
すなわち、指示を待ち、指示以上のことはせず、一日を無難に過ごす。
上司に媚びを売ることに専念すれば良い。
それが出世の王道。
先生に好かれ、内申書をよくするという延長で暮らして行くのだ。

出る杭は打たれる。
脳力のあるものは、下剋上は許さぬと皆で潰しにかかり、逆らうものは虐め放逐する。
仲好しクラブ日本。

適応できない人、あきらめた人は、無気力、鬱など病になってしまうよね。
慢性的無意識の自殺願望。
これが若齢化していっているから怖い。

敗戦後狂育によって培われたマインドだ。
だから、省エネ思考に走り、なにも考えなくても良い楽ちん人生を選ぶこととになる。
劇場化し与えられたストーリーに、受け身となって流されて行くこととなる。
頭の中身は空っぽで省エネ、一方では食は豊だからエネルギーは有り余ってしまう。
余剰エネルギー発散のために自分探しなんていうことになる病的な世界。
頭の中身が詰まり、考えることにエネルギーを消費するならば、それが自分なのだから、他に自分を求めることなど不要。

余剰エネルギーを無駄な消費に費やすのだからに大量生産・大量消費にはうってつけ。
経済・為政者には都合が良いが、劣化に劣化を重ね数世代。
病膏肓に入り、我が身すら守ることを忘れてしまった家畜化の群。
何処も同じ秋の夕暮れ。
身体を動かし、キチッと感じ、考えることからやり直そう。
・・・
政党政治ということが民主主義であるわけはない。
徒党を組むということは、組織票を動かすということ。
しかし、代議制民主主義が現在の民主主義と言うことであるのならば、私は、庶民感覚に近い物言いをする政党に投票する。

更に言うならば、組織票を機能させないためには、政党の好き嫌いではなく、政治的に振る舞い、与野党拮抗するように投票するということが有権者の智慧だろう。