「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

「身体の自然・健康」カテゴリーのアーカイブ

担板漢 頭が硬い人


2026.04.20
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「担板漢(たんばんかん)」、板を担ぐ人。

頭が固くて反対側が見えない、という震旦の故事らしい。
その後、「柔軟体操なんていってね、人間は自分の体が固くなることには気がつくから一生懸命予防につとめる。
しかしね、頭が固くなること、こころが固くなることには案外気がつかない。」
と続くので、そうかなと反論。

・・・

なぜ、柔軟体操で身体の手入れをすることと、頭が固いことを別々にしてしまうのでしょうね。
普段から、不断に、身体をしなやかに保とうとする心を持つものは、気が付くという点で頭も柔らかく、心も柔らかく強(こわ)ばりが少ない。

-日本語、大和言葉は、身体にひっついた言葉。
身体を柔らかくしなやかに、言葉の温かさを保ち、心をころころと軽やかに動かしましょう。
動き、働く・傍楽ことで和顔愛語が広がって行く。
世のため人のため。

-さすればお先にどうぞ~、お先に~、と譲り合い、感謝のこころが転がり出す。
ありがたい、おかげさま、と、おてんとうさま、自然に生かされているという心が~。

-カタカナ語に侵され、固めてしまった身心を、柔らかなひらがな語に戻すのです。
そのような身体と心、心身を取り戻さなければならないのです。

-わがまま、我由・われよし、に振る舞うことが正しいと、上から植え付けられた誤った自由、不足(量)を満たすことの自由を、ひとよし・人由、の譲り合い、己の心根の質を高めるための自由・みずからによる、への変換、祖先が培って来た本来の大和言葉の世界へと還るのです。

続きは以下へ
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid0221652PWY1zcacU1ba7hL7hitg648DxBArMz7CH29doTY945hsqnSRpJpAFP4UpBSl&id=100064438849199

腸内細菌叢と丹田について

-腸内細菌叢と丹田の関係腸内細菌叢と病的な体臭ということについて、腸内細菌叢と丹田という観点から総合的に述べてみよう。
腹・肚を定めることが、健康を維持するための要。それは、腹・丹田、「身体の重心をあるべき処に置く動く」という体勢を整えることであり、「肚・腸内細菌叢の健全さ」である。
丹田を中心に動くことのできる体勢と、腸内細菌叢とは、裏腹なのです。

-頭、首、肩甲骨の力を抜き、鳩尾を弛め、上に登った気(血)を下に下げ、深い呼吸に導く方法については、何度がFBに記したので、腸内細菌叢と腹・肚の関係について記しておこう。

・・・
肚は、肉付きに土と書く。腹の中に土・土壌があるということ。すなわち、腸内細菌叢。私は、土壌細菌叢をお腹の中にとじ込め、餌となるものを追いかける様に進化した生き物が動物と説いてきました。
それほどに、植物根系が土壌養分を吸収するメカニズムと、腸内で栄養吸収するメカニズムは酷似しているのです。

-腸内細菌叢の研究が進み、腸内細菌叢と、住まいする土地の土壌細菌とは連続性があるということがわかってきました。心土不二、地産地消と言われていることが科学的にも裏付けられたといっても良いでしょう。

-腸内微生物叢は単に消化のならず、その代謝物は大切な役割を持っていることも明らかになってきました。代謝物は、腸管のエネルギー源となり、免疫系にも関連しホメオスタシス(身体の恒常性)の維持に関わっているとされています。

-健康なお腹は温かく弾力に富み、オナラは臭いがなく、水素に富んでいる(オナラは燃える)。腸内細菌叢が健全だと、産生された水素によってアルカリ性体質が保たれ、抗酸化・抗炎症作用により健康維持や老化防止が行われるのです。-また私は、腸内細菌叢の発酵熱は血液を通じて体内に配分されるものと感じています。
「発熱時(38℃以上)には特定の腸内細菌叢が活性化し、ウイルス感染の重症化を抑制するメカニズムも明らかになっている(東京大学医科学研究所)」とされています。昔から「お腹は冷やさない」とされており、腸内細菌叢は体温の維持にも大きく作用していると思われます。

-すなわち、腸内環境が悪化し腸内微生物叢の生態系が劣化すると、体内の恒常性もまた崩れることとなるのです。
そのサインは臭いオナラ、便秘などとなって現れることになります。
すなわち、そのガス成分は水素と同様、体内を巡ることになるから、酷い場合は身体から悪臭を発することとなる。
身体に取って不要、悪しきものだから、汗腺、呼気を通じて発散・排泄されることになる。
いろいろな臭いがあるが、それは酸化臭と総括できるだろう。

-このように悪化したお腹は、硬く冷たく、動きが不良となる。腸内微生物叢の働きを活発に保ち、お腹を温かく、弾力のある状態に保つことが健康の秘訣ということとなる。
古来より、このような健康なお腹を保ち、鍛えることを、丹田を鍛えると称してきた。
やわらかく、状況に即してしなやかに動くことのできるお腹なのです。

-丹田がキチッと整っていることを「上虚下実」の体勢と称しています。
これは頭デッカチとなり、首、肩、肩甲骨が固まっている状態をほぐし、丹田・重心に身体の中心を定めることを示しているのです。
硬いお腹ではこれがうまくできないのです。

-柔らかでしなやかで、重心の定まるお腹とは、身体の体勢、身体使いであると同時に、頭デッカチとなり、そのストレスによって、腸の蠕動運動を阻害し、腸内細菌叢の動きを悪化させることを防ぐ、すなわち、頭の中を空っぽにし、身体を弛め、腸内細菌叢を健全に保つということと同義なとのです。

-このことをキチッと理解し、悪しき体臭となることを防ぐことのできる生活を送るのです。
悔い改めは食い改めから!

https://www.facebook.com/naoko.harmonie/posts/pfbid0VSvyuM2exyJixdbAMeL8u26yZzcTKV7sBZFWBAs639wiPaKS1E4xBXnVg2fMRJnrl

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母性礼賛 20260409

9年前の投稿 「母性礼賛」 コメントと共に浮上させておこう。
長いですよ。

昨日は、友人に誘われて「mana」のフラライブに、フラフラっと出かけた。
以前から気になっていた踊り・舞踊と女性の身体づくり、体育の関係について得るものがあるのでは無いかとの予感に駆られてのことだった。

とはいっても出不精につき、フラをわざわざ見に行くという気力はない。前日の夜、来ないかとの友人からの電話での誘いに乗り、フラフラと出かけたという訳だ。

「mama」のダンスは、いわゆるフラダンス、ショー的な要素を組み込んだものではない。
メレと称する詠唱、大きな瓢箪(イブ)を二つ重ねて造った「イプケペ」と呼ばれる打楽器のゆったりとしたリズムとに乗り踊る。
ハワイの神々に捧げる詠唱・踊り・音という事なのだろう。
火(火山)の女神ペレに捧げる踊りなど古典的なフラ(カヒコ)を演じてくれた。

イプケペは、胴の部分を叩きながら、一方で、床を突きリズムを取る。
そして詠唱、それに合わせ腰を落とし緩やかな風に乗るかのような舞。
心地良い緊張感に包まれた時が流れた。-ペレはハワイ島キラウエア火山の女神、火の女神であり、美しく猜疑心が強く、思い通りにならないと火を噴くという「女」の性そのものという神。
腹の中にマグクマをたぎらせ、気にあわないことがあるとマグマを吹き出す、という怖いが、その一方で魅力的で引かれる女神様。

男は、危なげな美人にはよろよろとなりますね。

でも、浮気をしたら、怖いのです。浮気もまた、男の性ですから、女神様は火を噴くことになりますね。
そのような内容を詠唱し所作にした舞ということであった(ということにしておこう)。

神話を基にし、神に捧げる舞であるからそうなのだろう。
しかし、私には、腰を落として舞う彼女らのお腹の中に真っ赤なマグマがたぎっているのを垣間見たような気がした。
神に捧げる舞であると共に、己自身の感情・心・無意識と体力の源泉である腰とそれに収まる腹に、自ずから力があつまるように、腰を落として、肩を落として流れるように舞う。

かねてから、お腹(腸)の中には土壌が収められているとし、腸の、腸の中の土壌の働きが心身の健康を保つためには大切だと解いてきた。
身土不二、食身不二、地産地消とは、住まいする大地・土壌と身体、心の連続性、循環について解いたものだ。
その基礎に、お腹の中に土壌があるという事実がある。

腸とお腹の中の土壌(腸内微生物フロラ)と食の三つにより、私たちの身体の栄養という物質的な基礎が支えられていると共に、免疫系、感情・心・無意識の世界までもがお腹の状態により左右されるという事は経験的に理解されていたが、科学の世界が現実の世界にやっと追いつき理解が深まってきた。

それと同時に、女性のお腹の中には子宮・性(生)がある。
この子宮が過去と未来をつなぐ生命の要となっている。「フラ」の動きは、肩の力を抜き、子宮、腸の収まる腰を揺さぶり動かし、活性化させる。子を生み出すための基となる腰を、腹をマグマの如く活性化させるのだ。

生き物は、腹・消化栄養が満ちるならば、その栄養を生殖というモードに振り向け、腹の中のマグマの排出をはかろうとする。
それが生命の営み、リズム。
子供の頃からフラを楽しく実習することにより、女性としての心身の基礎、生命をつないで行くための礎が形づくられるのだ。
母性の涵養だ。

フラに限らず、我が国に伝わる盆踊りなどの踊りにも、そのような要素が籠められていたと思っている。

季節の行事などを通じ、自らの身体鍛え開発するという装置が踊りだったのだろうが、それは、自らが演ずるものではなく、見るもの鑑賞するものとなってしまった。
自らが演じ、火の神の化身と変容して行くことが大切なのだろう。

女性の子宮は、丹田に位置する。男どもは、丹田を開発するために様々な稽古に勤しむ。武術の要諦は丹田開発にあるのだから。
肩の力が抜け、身体が弛みきり、丹田の一点に力が集中したとき、心も澄み切り、全力発揮し得るようになるからだ。

ところが、女は、意図せずして日常の中で丹田開発を行っている。
月一で訪れるもの、十月十日をかけてお腹の中で育て上げるものにより、自ずと丹田を意識し、開発されて行くのだ。
月一のリズムは、月、地球上に生息する生物・生命のリズムだし、十月十日では、我が子を通して、地球に生まれた生命の進化を反復しなぞるのだから、女の身体は小さな月・地球、まさしく小宇宙といえるのだ。

生命を産み出すことの出来ない男は、この点でかたわもの、半端物、女のお化け。
このため、頭を使ってものを造りだそうとあくせくする。

胎児が海から陸に上陸するときは、つわりとなり、母子ともに上陸劇を演じ、胎児へ語りかける母の子声は、神の声となって届くのだ(三木成夫説)。
子を産み落とした後の女、母は強いわけだ。

男は、神様に適うわけがない。
だまらっしゃい、のひと言で、凹むしかないのだ。
しかし、このような事実、体感を女が忘れてしまったことに、現代の不幸の元がある。

女が、母性を取り戻すならば、生命をつなぐものとしての自覚を取り戻すならば、世の中は自ずと平和になって行く。
エネルギーを自在に使いこなすことが出来るようになり、物が溢れている世界が到来したのに、貧しいために止む得ず行ってきた戦いを続けていること自体がおかしい、不思議。
しかし、そのような事には気がつかない。

ますます忙しく消耗する社会を造り出すべく、男女平等、一億総括役と頑張っている。
男が戦地に赴いた時に、女が労働力として扱われたのだが、そのような事実から鑑みるならば、まさしく女を経済戦争の尖兵としてかり出そうというもの。
女の男性化が男女共同参画の真意。

生命をつなぐことの出来ぬ男どもが造り出した組織という疑似人格(神?)を維持するためのイズム、イデオロギーに根ざした戦いに、女が巻きこまれる必要はない。
度をこした生産と消費のための戦いに加わる事はない。
自らが生命を生み出す事のできぬものの擬似的な行為だろう。
それは、AIなど人工生命、医療を通じての永遠の生命という方向を向いていることからもあきらかだろう。

このような騒動に巻きこまれていることが、女であること生命をつなぐ母であるということを忘れている姿。
母性の源泉は、腰(骨盤)の中に収まっている子宮・丹田にあり、身心の健康の基は、同じく腹の中に収まっている腸と腸の中の土壌(腸内微生物叢)にある。

「フラ」は、生命を繋ぎ、心身の健康を保つための腰を揺らし、腰を活性化させる、骨盤の可動性を高めるものと強く感じた。母性の回復を図るためには、肩を落とし、腰を落とし、腰・腹を練り作り上げることの大切さが改めて見せられた。

フラ=ハラ(腹)=腹腰なのだ。

男も又、頭でっかちを止めて、腹を練るべく方向転換をすれば良い。
自然、野生への回帰だ。
生き物、動物としての身体、心身のベースを整えなければ、健全な文化、文明は造れないのだから。

AI、永遠の生命も良いが、それ以前の私たちの生命を育んできた母なる地球、海・大地=自然・野生、女=母性というものに心を馳せなくてはならないだろう。
頭でっかちでは、身体、心身という基礎が伴わないから、いずれかの時が来たならば折れてしまうだろう。
地に足のつかない頭でっかちは、足を持たぬはかないもの、幽霊出あると古人は示してきた。

昔は、うらめしやと恨み辛みの感情が凝り固まり頭に血が上ったが、今や体感を伴わない知識のみが頭に上っての幽霊状態。今や、知を頭に上らせた魑魅魍魎跋扈の時となってしまった。
その閉塞感を感じ取り、魑魅魍魎が祓われるときを待ち望み、その時が近いことを皆が感じ出している。

血、知を腹に下げなければならならない。
このような事を思わせた緊張感溢れる古式フラの後には、日本歌謡・ポップスのリズムにのせての創作フラと笑い泣きの漫談。
空気の張り詰めた後の、お二人のフラの経験から紡ぎだされる至言と笑い、涙の数々。心あたたまる時間を過ごさせてもらった。

・・・ 以下、長いコメント2件 ・・・

大地(土壌)、水(川・海)の豊かな恵みを受けていた時は、女性を中心にした社会が営まれていました。
だから、現在でも女性は女将(上・神)さんだし、山の神だし、かかあ、おっかあ(耀くもの)と呼ばれています。

西洋、Chinaのママ(乳房)、博多では、ごりょんさん(御寮さん)。子供のためだけの人ではありません。
衣服、器物などを含む家内の総てを取り仕切る、切り盛りする存在。家(内)の管理を行うもの、経営者です。
その中の一つに子を産み育てる、後継者造りが含まれます。

しかし、西洋文明という自然から離れたいびつな理解の仕方により、女性の本質を見失ってしまいました。
でも、まだまだ太古からの積み重ねの雰囲気が残され、伝えられているのがネイティブといわれる人々であり、日本人もまだその一族に繋がっているのです。

ハワイは、日本は、ネイティブでありながら、その色彩を残しながら西洋文明を受容しているという不思議な世界です。
この点で、そこに住む人々がそのまま世界遺産としても良いほどのものだと思っています。
そして、その雰囲気が消えないうちに、キチッと復活させ、伝えて行かなければならない体術、技法が、フラなどとして残っているのだと思います。

太古の昔は、身体を動かすことのできる範囲からの恵で足りた生活をしていました。
旧石器、縄文の時代です。漁労採取の時代の方が、時間の余裕があり、質の高い文化が営まれたとされています。
世界最古とされる縄文土器を造ったなどに、その一端が現れています。

土器は、女が、煮炊きをするために造ったものだとされています。
複雑な文様、形を創るという時間があったのです。
また、土偶のテーマは女、母神です。生命の賛歌、繋ぎです。

男は、鉄砲玉。
力仕事や遠方に狩りに出かけたのでしょう。
男は、女子供を守り、働くために、女が化けたものだから、それに生命をかければ良いのです。
女の持つX遺伝子の一部が欠けたものがY遺伝子ですから、男は女の化け物と言ってもあながち間違いではありません。

旧石器、縄文時代の、もっとも大きな願いは、産み落とした子供を、無事育て上げることだったと思うのです。
縄文土器には、赤ちゃんの足形が沢山残されています。ペンダントとして、肌身離さず持ち歩いていたようです。
生まれ出た生命を如何に大切に思い、慈しんだのですが、残念ながら育ちきらずに旅たった子への思いの程が、足形として残されているのです。

暑さ寒さに晒され、細菌に対する知識が無い時代ですから、大きく育つ、育てあげるという事は大変なことだったのだと思います。
人は、身動きできない頭でっかちで産まれたため、一人前になるまで手厚く守ってあげなければなりません。
他の動物は、生まれた時が一人前ですが、人は異なります。母親が面倒を見なければ、文化を伝えなければ生きて行けない存在なのです。

食は、周辺から手に入れることができたため、時間はたっぷりあります。
自ずと女達の井戸端会議?が始まります。井戸端会議の大きなテーマは如何に丈夫な子供が授かるか、その為にはどのようにしたら良いのか、どのように育てるか、だったのではないかと思われます。

子供を産む、それは自分の身体のなかで十月十日育てるわけですから、その身体の変化の観察により、母となるための身体づくりということを考え、実践し、その成果を子に伝え、さらなる工夫をし、と、連綿と練り続け、母嬢はと伝えて来たに違いないのです。

それが、女性を巡る様々な文化として結晶しているのであり、フラ、盆踊りなどは、単なる踊りではなく、身体づくりという要素を持っているのだと思うのです。

しかし、そのような女性、母性の文化を差別の賜物としてしまったのです。男女差、蔑視、軽視という見方です。
確かにそれは、差別の賜物ではありますが、現在の理解とは真逆。聖なるもの、大切に守り伝えて行くべきものとしての差別です。
女らしさ、男らしさという性の本質に基づく差別です。性は、生命、生き物としての本質に関わることです。

それが、何故問題となるのかが不思議なことです。現代の感覚は、如何に生命の道から離れているかが理解できるでしょう。
生き物は、生命を繋いでいくということが本質。
そのための準備、身体づくりという観点が抜け落ちてしまいました。
また、それが、文化、文明の本質を支える基盤となると言うことも。

まずは、その本質、生命を繋ぐという根っ子の部分に着目して、そのためにいかように身体を使いこなしたのか、ということについて、自己の身体を通じて掘り起こすという作業が大切なのだと思います。
それが、男女の和合、天地の和合となり、生命を紡ぎ出し、生命を伝えるということとなるのですから。

さらには、健全な文化、文明を作り上げる基礎となるのです。
身体を育て、使いこなすということが、世界の平和、平安の礎なのです。
女、母性の復活を切にのぞむ所以です。

・・・

とにもかくにも、女=母がいないと何事も始まらないし、生命を繋げない。
しっかりと、楽に、生命を繋いで行くためには、その土台となる身体づくりが大切となる。
その技法としてのフラなどがあったと思うのだ。

身体をしなやかに使いこなすならば、頭(脳・心)も柔らかく使えるようになる。
そのような人(女)が増え、そのような子供を増やすならば、世界は楽しくなる。

出産は自然の摂理。生命が地球上に生まれてこのかた、途絶えることなく生命を繋いできた。
それが苦しみである訳は無い。
ひねり出せば良い。出産(排泄)の快感があるだろう。

それを苦しんで生まなければならないような身体と頭に、自らがしてしまった。
教育、マスコミなど、文化のなせる業、洗脳のたまものだ。

女と子供を守るために、男に見せつけ、脅し、従わせるための出産パフォーマンスを、女自身が苦しいものと信じ込み、思い込んでしまった。
だます者が、騙される側に回ってしまうと言うことほど滑稽なことはない。

しかし、だまされるものとなり、心と体を固めてしまった。
身体と頭・心を固めてしまうならば、出産は苦しいものとなってしまう。
そのようなとらわれから逃れるためにも、女として、母となるための身体づくりが大切なのだ。
柔らかねしなやかで、かつ強靱な身体と頭・心造りだ。

身体の土台は骨盤だ。
脳を治めている頭蓋骨・後頭骨は、骨盤と相似だ。骨盤が動き出すと、後頭骨も動き出す。
脳も、心も動き出すのだ。

(身体は、季節に応じ変化する。植物と同じで、はる(張る)には芽吹き花開こうとするのだ。冬縮こまったものが、冬至を越えると春に向かって開いて行く。外へ向かって開いて行くのだ。そもそも、冬(増・殖ゆ)は、開くために籠もるときなのだから。骨盤、頭部は次第に開き、5月になっても頭部が拓かない場合は5月病といわれる症状となってしまう。その動きの滞ったところで症状が出る。頭が、後頭骨がスムーズに動かないと五月病と言われるような精神的な症状があらわれる。)

以上は、私の私淑する野口晴哉先生の観察によるものだが、産むごとに身体が整い健康になると言っていた。
身体の力の総てを総動員し、全力を発揮し出産するのだから、骨盤を中心として体中が動くのだから、その一連の経過をキチッと成し遂げることができるならば、元気にならないわけはないのだ。
ならば、出産を機に元気になるように産まなければならないのだし、その工夫をすれば良い。

西洋医学を取り入れ、出産を病気として位置づけ、医者が関与しだしてから、おかしくしてしまったのだ。
産む楽しみよりも、生む恐怖を与えるようになった。
その方が儲かるし、医者の権威も増すからだ。
医療というものが、自然の営みの流れをせき止めてしまったのだ。

そんな事にはお構いなしの、我が家のシェフ(かみさん)は、何人でも産んであげると言っている。(子ども達が大きくなり、反抗しだしたら、産むのは良いが育てるのは嫌いだと言い出したが~)
女=母となる身体を造りにより、強い女となるのだ、ということを、男どもは女がひねり出したのだ、ということを、多くの女性に伝えてあげてください。

強いばい菌として、伝染させ、文明というものが造り出した誤った思い込み・洗脳を解いてあげてください。
フラという技法は、強力で楽しいばい菌になるものと思います。
感染してしまう女性が増し、女=母としての自覚を持つならば、自ずと楽しい世界が訪れるもの思っています。

https://www.youtube.com/watch?v=yPVYMn-RbgAhttps://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid0Pq3fseLmMYtCJCHjvBtPP84eL6UGBTF4n9FfZQP9L5PDaWQLeUQoAysBHvtCu3WQl&id=100015857313340

https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DyPVYMn-RbgA%26fbclid%3DIwZXh0bgNhZW0CMTAAYnJpZBExbDlSc0RkWWl0Vnl5UjNGU3NydGMGYXBwX2lkEDIyMjAzOTE3ODgyMDA4OTIAAR6YBrMhxRgY87iIxijd1GxswPFfEffHqoTfgZehmZc61n-qIe8IMvxWu6J_8g_aem_BnzHVX9cxglQIREHZ3ghkQ&h=AT6Spw-g6hXSPxj0suYVdUj8GvQzjOzHY1cfF22fWW-As4M_1yXOSv2prGja0Ke9hudXDrUZ6ZubBFOLDInyQF_DOvoMoco5jmLxPpTgq5N4SjwJLHqJP1dlQG40R52-TwZm78AOYlKROWx4op9k7EnLGeQW0z06&tn=-UK*F

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中心力:身体を引き締め保つ力/口から肛門まで貫く力

2025年4月15日 ·

身体を自分で引き締め保つ力、それは身体の芯、そして重心を保つ力ということなのです。
中心力ともいいます。
別の言い方をするならば、魂魄か遊離することをとどめておく力。

-土左衛門など助かるかどうかは肛門の緊まり具合でわかると伝えられてきました。
肛門の締まりがなくなってしまう。それは、魂魄が離れ、身体を保つ力を失ってしまっているということなのです。
なので、呼吸法(息・生き)では肛門を締めることを基本とします。
肛門を引き締め息を吸い込むことにより、骨盤が引き締まり、仙椎が立つのです。
すなわち、身体の芯が立ち、重心・丹田の在処が明確となる、意識しやすくなるのです。

-肛門を引き締める、としていますが、それは口(入り口)から肛門(出口)にまで繋がっている胃腸を引き締め活発化させるということでもあるのです。
このため、普段の口元はキチッと締まっていることが大切です。
そして、笑うときは、口元を弛め大きな口を開いて笑うことのできる弾力を保っていることが大切なのです。

-大きく笑うとき、大きな息をし、お腹、内臓まで動くのです。
それが生きているということなのです。
悲しみ、怯えなどは、息を潜め、息を止め、元気を失うことになってしまうのです。

-FBではくり返し口の大切さをお伝えしてきました。
それは内臓、そして肛門へと連なるものだからなのです。口も肛門も、内臓が飛び出したものなのです。
きる元となる内臓に刺激を与え活性化させ、そして肛門までつづく深層筋を引き締めるための方法なのです。

-このことからも、コロナ禍では大きな罪作りをしてしまったことが理解できます。
口パンツ、猿ぐつわ装着の忖度強要により、口呼吸へと導き、締まりのない口元の人間を増やしてしまったのです。
口元の弛んだだらしなさを感じさせる人が増えたように感じます。
そして、いまだに多くの人々がコロナ怖いと守り一方、受け身のくつわ族が多い状態としてしまったのです。
いかに罪深い行為だったのか、理解できるでしょう。

-死に行く年寄りがいのち汚く老醜をさらすのは勝手ですが、周囲のものにとってはみっともなく不快ですね。
大勢やっているから平気、皆で渡れば怖くない症候群なのでしょうね。
それでは、周囲のものまで暗く滅入らせ、身心を硬くさせてしまいます。

-それにも増して、選択権のない子供達へのマスク強要は止めさせなければなりません。
生きる力を失った半病人を作り出してしまいます。
不健康な状態となる因子を埋込み、子供達の未来を狭めてしまうことになるのです。

-引き締めるということと、弛めることとが対をなし弾力を保っているのです。
どちらにも極端に偏ることなく、必要に応じて自在に動くことができる状態が弾力であり、締弛の幅が大きく、自在に使うことができる状態が良いのです。
偏りが固定化され弾力を失う、偏り疲労により病と称される症状となり、究極の偏りに到り弾力を失うと死が訪れるのです。
身体(からだ・空だ)から、中身(霊魂=本体)が離れてしまうのです。
これが我が国古来から伝わる、体感に基づく霊魂観なのです。

-当然ながら、入り口・出口の本体である胃腸が健全で弾力を持っていることが大切です。
すなわち、適切な食により共生している腸内細菌叢の健全さを保つことが大切となるのです。
これを、「悔い改めは食い改めから」と称しているのです。

-胃腸の健全さは皮膚の張りになって現れます。また、胃腸の健全さが鳩尾や丹田などに出て来るのです。
不健全なものは、身体の面では「腰抜け」、精神の面では「腑抜け」と称される状態になってしまうのです。
このような観点から言うならば、現在は、一億総病人、腰抜け・腑抜けの状態になっているといえましょう。

-腸、皮膚は地続き、第一の脳、脳の始まり、無意識・心の脳なのです。

また、身体も一つ、地続きですから、肛門を引き締める力は、身体、心、精神、魂魄・霊魂にまで係わることなのです。

-歯茎の叩打などを「仙人になる入り口・方法」としてお伝えしてきました。
以上の理屈からはあながち的外れではないということがご理解いただけるかと思います。
このような理屈をきく前に僅かなヒントで、感じ、気付き行えるものを「上根」、理屈を理解し行うものを「中根」、それでも理解できず、行わないものを「下根」、縁なき衆情と申します。
私は「中根」に属する部類故、理解し得た屁理屈を交えお伝えし仲間を増やそうとしているのです。
縁のある方々に届きますように。

・画像元
https://www.facebook.com/naoko.harmonie/posts/pfbid0vywhTqPAtWCyHKhqCiR2EYh69qVaL4PpohAp9gY2BHubfgZ3CbYGyJ4JD25d22uml

・元投稿
https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid0CqhXsXBkGNS9FSztZZEV5a6osxJNCQCesXJKiPCVm8e5MjqZNTvBbCGkoLm8n4bXl

引き締める力 口・肛門

身体を自分で引き締め保つ力、それは身体の芯、そして重心を保つ力ということなのです。

中心力ともいいます。

別の言い方をするならば、魂魄か遊離することをとどめておく力。

土左衛門など助かるかどうかは肛門の緊まり具合でわかると伝えられてきました。

肛門の締まりがなくなってしまう。

それは、魂魄が離れ、身体を保つ力を失ってしまっているということなのです。

なので、呼吸法(息・生き)では肛門を締めることを基本とします。

肛門を引き締めることにより、仙椎が立ち、骨盤が引き締まります。

すなわち、身体の芯が立ち、重心・丹田の在処が明確となる、意識しやすくなるのです。

肛門を引き締める、としていますが、それは口(入り口)から肛門(出口)にまで繋がっている胃腸を引き締め活発化させるということでもあるのです。

このため、普段の口元はキチッと締まっていることが大切です。

そして、笑うときは、口元を弛め大きな口を開いて笑うことのできる弾力を保っていることが大切なのです。

大きく笑うとき、大きな息をし、お腹、内臓まで動くのです。

それが生きているということなのです。

悲しみ、怯えなどは、息を潜め、息を止め、元気を失うことになってしまうのです。

FBではくり返し口の大切さをお伝えしてきました。

それは内臓、そして肛門へと連なるものだからなのです。

口も肛門も、内臓が飛び出したものなのです。

口元、歯茎を叩打する、左右の口角に小指を入れ、左右に引く、口・唇の運動をするなどの方法もお伝えしてきました。

生きる元となる内臓を活性化させ、そして肛門までつづく深層筋を引き締めるための方法なのです。

このことからも、コロナ禍では大きな罪作りをしてしまいました。

口パンツ、猿ぐつわ装着の忖度強要により、口呼吸へと導き、締まりのない口元の人間を増やしてしまいました。

いまだに多くの人々が受け身・守り一方のくつわ族としてしまったことは罪深い行為だった、ということが理解できるでしょう。

死に行く年寄りがいのち汚く老醜をさらすのは勝手ですが、周囲のものにとってはみっともなく不快ですね。

大勢やっているから平気、皆で渡れば怖くない症候群なのでしょうね。

それでは、周囲のものまで暗く滅入らせ、身心を硬くさせてしまいます。

それにも増して、選択権のない子供達へのマスク強要は止めさせなければなりません。

生きる力を失った半病人を作り出してしまいます。

不健康な状態となる因子を埋込み、子供達の未来を狭めてしまうのです。

引き締めるということと、弛めることとが対をなし弾力を保っているのです。

どちらにも極端に偏ることなく、必要に応じて自在に動くことができる状態が弾力であり、締弛の幅が大きく、自在に使うことができる状態が良いのです。

偏りが固定化され弾力を失うことにより病と称される症状となり、究極の偏りに到り弾力を失うと死が訪れるのです。

身体(からだ・空だ)から、中身(霊魂=本体)が離れてしまうのです。

これが我が国古来から伝わる、体感に基づく霊魂観なのです。

当然ながら、入り口・出口の本体である胃腸が健全で弾力を持っていることが大切です。

すなわち、適切な食により共生している腸内細菌叢の健全さを保つことが大切となるのです。

これを、「悔い改めは食い改めから」と称しているのです。

胃腸の健全さは皮膚の張りになって現れます。

また、胃腸の健全さが鳩尾や丹田などに出て来るのです。

不健全なものは、身体の面では「腰抜け」、精神の面では「腑抜け」と称される状態になってしまうのです。

このような観点から言うならば、現在は、一億総病人、腰抜け・腑抜けの状態になっているといえましょう。

腸、皮膚は地続き、第一の脳、脳の始まり、無意識・心の脳なのです。

また、身体も一つ、地続きですから、肛門を引き締める力は、身体、心、精神、魂魄・霊魂にまで係わることなのです。

歯茎の叩打などを「仙人になる入り口・方法」としてお伝えしてきました。

以上の理屈からはあながち的外れではないということがご理解いただけるかと思います。

このような理屈をきく前に僅かなヒントで、感じ、気付き行えるものを「上根」、理屈を理解し行うものを「中根」、それでも理解できず、行わないものを「下根」、縁なき衆情と申します。

私は「中根」に属する部類故、理解し得た屁理屈を交えお伝えし仲間を増やそうとしているのです。

縁のある方々に届きますように。
https://www.facebook.com/naoko.harmonie/posts/pfbid0vywhTqPAtWCyHKhqCiR2EYh69qVaL4PpohAp9gY2BHubfgZ3CbYGyJ4JD25d22uml?__tn__=-UK*F


「自然に還ろう」6/22(日)甲府で講演


「自然に還ろう」
6月22日(日)、甲府市で開催。
武術研究者の 甲野善紀 さん
小児科医の  本間真二郎 さん
主宰者の「本物で日本を元気に」と
全国を飛び回り、本物を紹介し講演をしている
保坂浩輝 さんというもの凄い顔合わせ。
そして、なんと小生が登壇。 

テーマは「自然に還ろう」であり、人の暮らし方を見直そう、自然の暮らし、本物の暮らしを取りもどそうというもの。

小生は技術士(森林部門)、樹木医として紹介されているが、保坂さんのご注文は「母性の復活、食の改め」など人の生活のあり方を自然に還すということ話題提供しよう。
人が手をいれ緑・土壌を失った箇所の自然回復・復元、そしてエコサイクル(堆肥による土壌再生・人工土壌・廃棄物の土壌資源化)、さらには都市部特殊地・人工地盤の緑化、LID・GFなど山から都市までの緑化工・樹木医関連、そして斜面表層崩壊、防災など特殊土木については専門だからいかようにでも話すことができる。しかし、人の暮らし、母性・食の改めによる自然に即した生活に還す、なんていう大きなテーマについてはいわば素人のオオボラ話。          

乱れに乱れて人・社会の健康が蝕まれ続けているので、人・社会の健康を取りもどすためには、
・いのちの根っ子にある「母性の甦り」、
すなわち「妊娠・出産・育児のあり方」と、
「身体・脳を造る食」の見直しによって元気な子を育てる
・総ての社会改革運動は、
「子供達の明るい未来を創るため」に結び付けなくてはならない、
さもないと分断化され潰されてしまう
と、やむにやまれずFBで思いを述べてきた。
そんなことを話せとの要請。

その道の超専門家の甲野さん、本間さん、保坂さんと釣り合う話しができるかな?
6月、講演を終えるまで悩ましいですね。

ということで、お時間の取れる方は、冷やかしにお越し下さい。
無論、御三方の話しは傾聴すべきことが沢山。
甲野さんは元気な子に育てるための実践的な育児論、本間さんは医療を通じての実践的な健康の話しとなるのだろう。
保坂さんがうまく話しを聞き出しまとめてくれるだろう。
これらの講師に聞きたい話しがあったら、注文を付けておくといいかもしれません。
・甲野善紀「古武術に学ぶ 子どものこころとからだの育てかた」など
・本間真二郎「おうちでケアする決定版 あかちゃんからのかぞくの医学」など
・保坂浩輝「八方良しを目指して」 日本・山梨を元気に ~すべては知ることから始まる~

/申込みはコクチーズから
https://www.kokuchpro.com/…/819aa9919889b2d95d520bcdaf…/

・・・
https://www.facebook.com/events/983925553676010/?acontext=%7B%22ref%22%3A%2252%22%2C%22action_history%22%3A%22[%7B%5C%22surface%5C%22%3A%5C%22share_link%5C%22%2C%5C%22mechanism%5C%22%3A%5C%22share_link%5C%22%2C%5C%22extra_data%5C%22%3A%7B%5C%22invite_link_id%5C%22%3A560313723697700%7D%7D]%22%7D

よろしくお願い致します!

/FB(ひまなか)

https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid0Ef6Wy9akXazwQgLMUer4k6VjsafzT8RrCjXHMh2SyLyVdKjLp6Dw2aoLVMrKqNA2l

       

アレルギー増加の因果関係

2024年4月19日 · 

Tさんの「肉の味が変わったのは丁度半世紀ぐらい前の昭和40年代後半でしょうか」という問いかけに反応、話しを大きく脹らませておこう。

・・・家畜の飼料に抗生物質を使い、使用量か増加したのが昭和40年代ですね。
人に使っていた抗生物質ですが、耐性菌などが出てきたため、その使用を控えました。
あまった抗生物質の売り先が必要となり、人の代替として家畜に使用しました。家畜に抗生物質を用いると、病気にかかりにくくなるだけでなく、発育が促進されるのです。

-すなわち、放牧ではなく畜舎に閉じ込めての工場生産的な食肉生産に切り替わった時期にあたります。
運動はさせないのですから、当然味は落ちることとなります。
質より量の世界。貧乏人は抗生物質入りの餌を食べさせたゲージ飼い、畜舎飼いの不味い肉を食え。金を持っているものは放牧、放し飼いのうまい肉をたべる。というように変わったのですね。

-農薬の使用量が増え、洗剤による過剰な消毒、化粧品などによる過剰な化粧が行われるようになっていったのもこの頃でしょう。
アレルギー、アトピー、花粉症などは、昭和34(’59)年平成天皇ご成婚の際にTVが普及した後、1960年代以降急激に増加したと言われています。
TVによるシャンプーなどの公告がされるようになり、購買欲をそそられるようになり急増したのですね。
結果、過剰な洗浄・消毒を行うようになり、皮膚バリアを破壊し皮膚感作を起こすようになったため、アレルギーなど免疫異常を引き起こすようになったのです。

-現在の50代後半の人を境として、食べるものの質、住環境が大きく変化し、年を経るに連れ激化させてしまったのです。腸内細菌叢を乱し、過剰な衛生観による皮膚バリアの破壊を進める生活様式にしてしまったのです。
贅沢病、成人病などと言われていた慢性疾患が若齢化し生活習慣病と言われるようになったのは平成8(’96)年ころからであり、現在の50代が生まれた頃でもあり、アレルギー、アトピーなどが増加するのと期を一にしています。

-商売、経済、利益のため、社会が不健康な人を作る方向に一気に転換して行ったのです。
人を喰って生長させる経済です。その結果が、食の工業生産化であり、過剰な衛生観念の普及による自虐的な潔癖症であり、成人病から生活習慣病への切替となったのです。

-食を取り巻く環境が悪化の一途を辿り、生活習慣病は3人に2人となり、「がん、心疾患(主に心筋梗塞)、脳血管疾患(主に脳卒中)」のいずれかが原因で死亡しているといわれるようになりました。
体内環境の悪化、免疫力の低下を押し進めた後のコロナ禍・コロナワクチンの接種。
ワクチン副反応による死因は脳出血、急性心不全などが挙げられていますが、ワクチン接種が生活習慣病の悪化に追い打ちをかけ、死に至らせたもののように思われます。
また、癌の悪化を発生させているとも想像できます。

-50年前といえば、ローマクラブの「成長の限界」により人口の削減の必要性が示されたとき。
生活習慣病の埋込とコロナワクチンにより、用意周到削減プログラムが発動されたように感じるのは私だけでしょうか?


・アレルギーはなぜ増えたか -きれい好きの功罪検証-(藤田紘一郎)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjrm/63/6/63_910/_pdf
・アレルギー患者数の推移
https://oyanagiallergyclinic.com/3761/

健康な状態とは 母性の復権


2019年4月17日
 ·

私が興味を持っているのは、すべての健康、トータルな健康についてだ。
年老いたものは、自分の健康のみならず、子々孫々の健康にまでその知恵を用い、目配りをしなければならないと思い、言挙げをしている。

健康とは、自分の足で立って元気に生きて行くことだし、自立自存、自律自尊の個人が、手を取り合って、より面白い、楽しい世界を切り開くことだと思うからだ。
それには、個々人の身体、心の健康から、人の造った組織・社会システムに至るまで、健康・元気であることが必要だ。

なぜ組織・社会システムの健康までなのか。
それは、人は、人間と称すように、社会的な動物だからだ。
その様に進化してきたからだ。
組織・社会システムを離れては、健康な生活、幸せはないと思うからだ。
幸せ=仕合わせ、他の人と力を会わせて物事を成し遂げること、その達成感こそが仕合わせということだと思うからだ。

仙人のように俗界を離れた孤高の幸せでは意味がないと思うのだ。
また、1%の富めるもののみが健康であっても意味が無いと思うのだ。
種としての健康ということに目を向けなければならないのだ。
さすれば、新たな種としての進化が可能となるだろう。

人は、集団として暮らすように進化して来た種なのだから、集団・組織・社会システムの進化を探るということは、当然のことといえるだろう。
このため、
生まれる以前、出産、生まれた後、子々孫々の健康についてまで、
私たちが健康に生きて行くための仕組み、そして、それを取り巻く組織・社会システムのあり方、その未来まで、
その総てに対し目配りする必要があるのだ。

個人の健康は、社会を形づくるための基礎。
個々人が自立自存尊の生活をおくり、その上で組織・社会システムがキチッと機能するならば、快適な生活をおくることが出来る。

しかし、組織・社会システムは、両刃の剣。
便利なものだが、そのメンテナンスを怠るならば、その刃は我が身に返ってくる。
このため、組織・社会システムの健康管理をキチッと行い続けなければならないのだ。

健康管理のためのモデルは、私たちが進化してきた環境=自然の循環、永遠のいのちの継続としなければならないだろう。

私見では、昔の女性は偉かった。
このような健康観を持ち、暮らし、そのセンスを子ども達に伝えてきた。
家の経営者、いのちを繋ぐ者としての自覚を持ち、子を育て、そして男を造ってきた。

これを母性と称している。

皆が健康で元気に暮らし続けるためには、母性、いのちの継承というものを真ん中に据えた組織・社会システムの構築に取りかからなければならないのだ。そこで、母性の復活・復権を唱えているのです。

錦織法子 2015年4月17日 ·

中野裕司さんが私の投稿にコメントしてくださいました。
いつも見事な切り口で、現状を表現してくださる。
私の投稿のコメントに埋もれてしまうのがもったいなくて、
どうしたらよいのか…と思ってきましたが、貼りつけてしまえ!!
と、いうこと…にしました。

以下、中野裕司さんのコメントです。ーーー

自分の健康は自ら守るもの、家族の健康もまた同じ。

しかし、いつの間にか、また、それが便利で儲かる人たちがいたから、自分の、家族の健康はすべて医療に外注する、経費は健康保険でまかなう、それ以上の負担にも耐え得るよう保険会社に積み立てておく、という人任せを横行させてしまった。
そのような社会システムの構築を許してしまった。

根本は、政治的無関心にあり、仕組みを造ることにより利益を得る人たちを野放しにしてきたことにあるのだろう。

国の方針がそのような方向を向いているものだから、学校でもそのような福祉に頼ることが正しいと教えてしまい、それを信じた人が大半になったところから、医療制度の崩壊が始まった。

高コスト社会、税金値上げの到来だ。

医療制度そのものが、ある程度、自らの健康は自らの手で守るという気概を持った人がいるということを前提とし設計していたのだろう。
しかし、そのような含みがあることを忘れ、極端に走り始め、すべて医療におんぶに抱っことすることが当たり前となったため、システムの容量オーバーとなってしまった。
そして、本末転倒、自分の生命を自分が管理するのではなく、他人が健康・生命維持の面倒を見なければならない時代になってしまった。

当然のことながら、現場にそのしわ寄せが行く。

まして悪いのは、管理のための書類、書類のための書類が増えて行くことだろう。
現場よりも管理者の方が数が多い、二重三重に管理するという仕組みもまた本末転倒に拍車をかけている。
制度疲労という言葉で片付けしまうのは簡単だが、制度の末端で働いている人はそれではすまぬ。
大きな流れのなかで諦めるのではなく、根本・本質から替えるためのアクションが必要な時期に来ているのだろう。
このような声が量となり、飽和状態に達し、質への転換となることを期待している。

「土と内臓」&「失われゆく我々の内なる細菌」

土壌は、植物が海を陸に持ち上げたもの。
植物と微生物・小動物の共生体だ。
全体で一つだ。

その海を皮の中に封じ込め、お腹の中に土壌を取り込んだのが動物。
養水分を体に取り入れる仕組みは、植物も動物も同じ。
土壌微生物の力を借りている。
と、大きく俯瞰し説いてきた。

「土と臓」は、このような観点について硬質な庭に有機物を与えつつけることで肥沃な土壌としたこと、そのことと体の微生物との関わり、病との関係について記している。
「失われてゆく我々のなる細菌」は、更に体腸内細菌叢に関して判明したこと、抗生物質などの使いすぎによる問題について記している。
良書である。

この数年で腸内細菌叢に関する知見が、このような書籍、マスコミを通じて世間に拡がった。
しかし、世間といっても広く、このようなことに興味を持つ人々の間に拡がったと言い直すべきだろう。
私たちの健康は、土壌微生物・腸内細菌叢との関わり、さらには、私たちの身体を構成する一つ一つの細胞が元気であることが土台となるのだということに関してまでの踏み込みは少ない。

微生物、細胞レベルにまで思いを凝らし、健康ということについて考え、これらの目に見えぬ小さき物が喜ぶ暮らしということに心馳せることが大切だろう。
食、薬剤、運動、呼吸は、細胞を元気にするためという考え方が必要だ。
味覚、噛む感覚などが鈍った結果、感覚、細胞の感覚を感じる力が劣化し、目、脳が欲する方向へと進みがちになってしまった。

結果、微生物を含む全体で一つ、繋がり、連鎖、循環の中で暮らしているのだが、目に見えぬ世界故、自分たちの都合でその連鎖を断ち切ってしまう。
この連鎖の破綻が、回りに回って私たちに返ってきたときに病におちいる。

これは、生命のつながりを第一に考え暗し続けてきた結果、古人の経験の積み重ねの結果、つたえ残された道に反する行為でもあった。
目先の便利、快適におぼれた結果の自然のしっぺ返しだ。
急激な変化は、最初は小さくても、拡大連鎖し、大きな反動・反力となって還ってくる。
操作可能の自然、自然を征服・管理しようとした結果だ。

こののような結果を真摯に受け取り、部分最適・対症療法に走ることなく、今一度、微生物、細胞、の声に耳を傾けよう。

FB:2017.12/22

糞便移植・便カプセル

腸内細菌叢を、「新たに見つかった臓器」だと言ってるよ?
で、「便カプセル」だってさ。

昆虫から動物まで、糞食は当たり前。
人間さまも、尿の飲用治療をやっているから、糞食を取り入れればよい。
尿も糞も、出たばかりは、悪玉菌は少なく飲食には問題が無いはずだ。

生まれたばかりの赤ちゃんは、母親の便に触れ、腸内細菌叢の元となる細菌を摂取している。

また、土や粘土を食べる、土食は世界共通。
モンゴルの仲間が言っていた。
妊婦は、土を食べるのだそうだ。
粘土中のミネラルの摂取、体の毒物の排泄効果とともに、細菌も取り入れているのだろう。
動物も土を食べ、健康?を保持している。

自然の生き物に取っては、当たり前の行為なのに、新発見とするのは如何に?

「便カプセル」などという新兵器も良いが、その前に、野生に帰れ、野生の勘を取り戻せ、と叫ぶべきだろう。

野生・自然が、最も効率的で、経済的なものなのだが、それさえも色々理屈をこねて、新しい医療術としてしまう根性が物凄い。

 

FB:2014.12/15