担板漢 頭が硬い人
「担板漢(たんばんかん)」、板を担ぐ人。
頭が固くて反対側が見えない、という震旦の故事らしい。
その後、「柔軟体操なんていってね、人間は自分の体が固くなることには気がつくから一生懸命予防につとめる。
しかしね、頭が固くなること、こころが固くなることには案外気がつかない。」
と続くので、そうかなと反論。
・・・
なぜ、柔軟体操で身体の手入れをすることと、頭が固いことを別々にしてしまうのでしょうね。
普段から、不断に、身体をしなやかに保とうとする心を持つものは、気が付くという点で頭も柔らかく、心も柔らかく強(こわ)ばりが少ない。
-日本語、大和言葉は、身体にひっついた言葉。
身体を柔らかくしなやかに、言葉の温かさを保ち、心をころころと軽やかに動かしましょう。
動き、働く・傍楽ことで和顔愛語が広がって行く。
世のため人のため。
-さすればお先にどうぞ~、お先に~、と譲り合い、感謝のこころが転がり出す。
ありがたい、おかげさま、と、おてんとうさま、自然に生かされているという心が~。
-カタカナ語に侵され、固めてしまった身心を、柔らかなひらがな語に戻すのです。
そのような身体と心、心身を取り戻さなければならないのです。
-わがまま、我由・われよし、に振る舞うことが正しいと、上から植え付けられた誤った自由、不足(量)を満たすことの自由を、ひとよし・人由、の譲り合い、己の心根の質を高めるための自由・みずからによる、への変換、祖先が培って来た本来の大和言葉の世界へと還るのです。


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