健康な状態とは 母性の復権
私が興味を持っているのは、すべての健康、トータルな健康についてだ。
年老いたものは、自分の健康のみならず、子々孫々の健康にまでその知恵を用い、目配りをしなければならないと思い、言挙げをしている。
健康とは、自分の足で立って元気に生きて行くことだし、自立自存、自律自尊の個人が、手を取り合って、より面白い、楽しい世界を切り開くことだと思うからだ。
それには、個々人の身体、心の健康から、人の造った組織・社会システムに至るまで、健康・元気であることが必要だ。
なぜ組織・社会システムの健康までなのか。
それは、人は、人間と称すように、社会的な動物だからだ。
その様に進化してきたからだ。
組織・社会システムを離れては、健康な生活、幸せはないと思うからだ。
幸せ=仕合わせ、他の人と力を会わせて物事を成し遂げること、その達成感こそが仕合わせということだと思うからだ。
仙人のように俗界を離れた孤高の幸せでは意味がないと思うのだ。
また、1%の富めるもののみが健康であっても意味が無いと思うのだ。
種としての健康ということに目を向けなければならないのだ。
さすれば、新たな種としての進化が可能となるだろう。
人は、集団として暮らすように進化して来た種なのだから、集団・組織・社会システムの進化を探るということは、当然のことといえるだろう。
このため、
生まれる以前、出産、生まれた後、子々孫々の健康についてまで、
私たちが健康に生きて行くための仕組み、そして、それを取り巻く組織・社会システムのあり方、その未来まで、
その総てに対し目配りする必要があるのだ。
個人の健康は、社会を形づくるための基礎。
個々人が自立自存尊の生活をおくり、その上で組織・社会システムがキチッと機能するならば、快適な生活をおくることが出来る。
しかし、組織・社会システムは、両刃の剣。
便利なものだが、そのメンテナンスを怠るならば、その刃は我が身に返ってくる。
このため、組織・社会システムの健康管理をキチッと行い続けなければならないのだ。
健康管理のためのモデルは、私たちが進化してきた環境=自然の循環、永遠のいのちの継続としなければならないだろう。
私見では、昔の女性は偉かった。
このような健康観を持ち、暮らし、そのセンスを子ども達に伝えてきた。
家の経営者、いのちを繋ぐ者としての自覚を持ち、子を育て、そして男を造ってきた。
これを母性と称している。
皆が健康で元気に暮らし続けるためには、母性、いのちの継承というものを真ん中に据えた組織・社会システムの構築に取りかからなければならないのだ。そこで、母性の復活・復権を唱えているのです。
錦織法子 2015年4月17日 ·
中野裕司さんが私の投稿にコメントしてくださいました。
いつも見事な切り口で、現状を表現してくださる。
私の投稿のコメントに埋もれてしまうのがもったいなくて、
どうしたらよいのか…と思ってきましたが、貼りつけてしまえ!!
と、いうこと…にしました。
以下、中野裕司さんのコメントです。ーーー
自分の健康は自ら守るもの、家族の健康もまた同じ。
しかし、いつの間にか、また、それが便利で儲かる人たちがいたから、自分の、家族の健康はすべて医療に外注する、経費は健康保険でまかなう、それ以上の負担にも耐え得るよう保険会社に積み立てておく、という人任せを横行させてしまった。
そのような社会システムの構築を許してしまった。
根本は、政治的無関心にあり、仕組みを造ることにより利益を得る人たちを野放しにしてきたことにあるのだろう。
国の方針がそのような方向を向いているものだから、学校でもそのような福祉に頼ることが正しいと教えてしまい、それを信じた人が大半になったところから、医療制度の崩壊が始まった。
高コスト社会、税金値上げの到来だ。
医療制度そのものが、ある程度、自らの健康は自らの手で守るという気概を持った人がいるということを前提とし設計していたのだろう。
しかし、そのような含みがあることを忘れ、極端に走り始め、すべて医療におんぶに抱っことすることが当たり前となったため、システムの容量オーバーとなってしまった。
そして、本末転倒、自分の生命を自分が管理するのではなく、他人が健康・生命維持の面倒を見なければならない時代になってしまった。
当然のことながら、現場にそのしわ寄せが行く。
まして悪いのは、管理のための書類、書類のための書類が増えて行くことだろう。
現場よりも管理者の方が数が多い、二重三重に管理するという仕組みもまた本末転倒に拍車をかけている。
制度疲労という言葉で片付けしまうのは簡単だが、制度の末端で働いている人はそれではすまぬ。
大きな流れのなかで諦めるのではなく、根本・本質から替えるためのアクションが必要な時期に来ているのだろう。
このような声が量となり、飽和状態に達し、質への転換となることを期待している。