「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

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「幼稚園と小学校の接続」と「段階的成長」について

物質的な世界のみ、「量」に偏ってしまった結果、その内実である「質」という世界を見落とすようになってしまいました。
子ども達を育てるということは、「量」の問題よりも「質」を高めてゆくということが大切なのです。

家畜を太らせるということと同じ「量」の問題として捉えると、直線的に進んで行くと考える。
色の世界で言うならば、グラデーション・濃淡が次第に移り変わって行く世界。
坂道だが、勾配を緩くし、同じ線路を進めば目的地に達するというイメージだろう。
この発想により「幼稚園と小学校の接続」などということとなる。
しかし、これは現実、実際、現場を踏まえない頭で考えたことだろう。

このような直線的なもの、ことは自然界には存在しない。
自然は、多様性、凹凸という波があり、直線的には進むことができない。
この複雑な条件、環境にぶつかり、熟すという段階を踏む、経過させることで力がついて行くのだ。
物事をこなすためには、一定の時間の経過が必要なのだ。
やりこなすことでワンステップ階段を上ることができるのです。
ストレスを段階的に増やすことで力が付くのだ。

筋トレでは当たり前のことなのだが、頭デッカチの人々は直線的に成長するという負荷の少ないモデルを好むようだ。
何事にも一定の負荷をかけたトレーニングが必要だし、段階的に負荷を上げて行くことで力がついて行くのです。

子どもの自然の成長に対しても、物量的な発想、直線的な発想をあてはめてはならない。
体験・経験の積み重ねにより、脳神経の刈り込み、配線の強化が行われ、「量が質へと変化」する、「飛躍」するという段階がある。
意識的に行っていた動きが、量を熟すと無意識に行えるようになるという段階がある。

これを古人は、世代を経た観察と経験の積み重ねより、七五三と称したり、六歳六ヵ月の習い事始め、あるいは十三詣りなどとして示している。
その成長段階に即した段階的な育児の切りかえを示しているのだ。

そして、その段階となったということを自覚させるために通過儀礼としての行事を行ってきた。
それは、「自覚」であり、更には深い「覚悟」を定めさせるためのものなのです。
この通過儀礼により、子どもが「自覚」し「覚悟」するわけですが、それは同時に、親が「自覚・覚悟」し、子ども達と向き合わなければならないのです。

この切替がキチッとなされないと、ケジメを失った社会を造り出してしまうこととなるのです。

「量質転化」は大切なことなのですが、質を上げるべく工夫を重ねつつ、量を熟すという集中力、エネルギーの持続が必須となるのです。
小学校に上がる以前、就学前の幼児期は、野生の身心を育て、集中力と持続力を養う時期。
これによって身心が育った後、学習という集注・持続をともなった行為を行うことができるようになるのです。
それは、いつも言うところの「守破離」の世界。

「幼稚園と小学校の接続」などということを許すならば、脳のみが肥大し頭デッカチとしてしまった現代だから、小学校での勉強が楽になるようにと、保育所・幼稚園が小学校の予備校化させて行くことになるだろう。
それは、子ども達の身心の自然、健康奪い、殺すこととなるだろう。
現在、そのような弊害により子ども達の元気が失われてしまっているのに、更に拍車をかけるような愚行はしてはならない。

現代社会は、この集注、持続を嫌い、効率化と称するショートカットをさせてしまうため、最初は良いようでも、時間が経つにつれ真に身に付いていないことが露呈するという問題を発生させているのです。
効率化、ショートカットという「楽」、依存は、麻薬にも似たものであり、脳の回路に固定され、中毒となり、取り戻しのできない状態を造り出してしまうこととなるのです。

動物は、DNAに消費エネルギーを節約するように組込まれていますから、効率化、ショートカットによる「楽」を一端覚えてしまったならば、集注の持続などは苦行となってしまうのです。
なので、それぞれの成長段階をキチッと「経過」、身に付けさせ、次のステップへと進む「自覚・覚悟」の植え付けが大切になるのです。
その成長段階で身に付けるべきものをキチッと身体に、脳に染みこませるならば、次の段階を楽々と熟すことができるようになるのです。

明治以降、無批判に西洋式が良いものとして受け入れ、敗戦後は古いものはすべて悪として捨て去ってきました。
しかし、悪しきものとして良きものも一緒くたにして捨てしてしまったのです。
ここに、現代社会の混迷のもとがあるわけです。
日本古来の経験の積み重ねにより造りあげられた伝統的な取組を、その内実が失われないうちに、現代的に取り戻すことが喫緊の課題となっているのです。
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いつもの悪い癖、加藤さんのスレッドに書込。
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