2011/6/6(月) 3:01
フォーラム、お疲れ様でした。
また、大変お世話になりました。盛況の内の閉会、慶賀に堪えません。
生 態系の物質循環の中にゴミを組み込め、土壌として使いこなせ、という提案。生態系の諸先生・市民の方々よりおしかりを受けるものと考えておりました。しか し、フォーラムが終わった後、市民の方がやってきて、おもしろい話だった、このような技術が確立していることは知らなかった、どしどしやって欲しいとの話 を聞き、安堵しました。
生き物の住処を確保・保全することは大切なことですが、それ以上に生態系の流れ、循環に人間の営みを組み込むこと が重要と考えております。昔の農耕主体の収奪的な関係とは異なる、収奪可能な資源により人口が抑制される、筋肉エネルギーによる生産力に縛れるというもの ではなく、効率的・持続可能なエネルギーに支えられ、かつ、生態的循環の環の中で生活する、そのような仕組みが作れないかと知恵を絞ることが重要と考えま す。
地史的なスケールで考えるならば、生物は自らが排泄する廃棄物を上手く利用するように進化・適応してきました。嫌気的な世界から、酸素を用いる好気的な世界に適応したものが現在の植物、動物です。酸素は廃棄物で有り、有毒でした。
毒 を制することで進化してきたということから考えるならば、原子力の利用も含め、冷静に、感情的にならずエネルギー問題、廃棄物問題について考える必要があ ろうかと考えます。先に廃止と決めてかかるのでは無く、様々な検討を加えた結果の廃止とする、暫定的利用を認めつつ廃止とする等、いろいろな選択肢があろ うかと思います。
同様、生態系に関する研究は、人間の生活をも含めた生態系というものはいかにあるべきか、そのような方向に役立ててこそ 生きた学問になるものと考えますが、残念ながら現状は生き物中心・人間疎外となっていることが残念に思われます。海岸エコトーンから、人間をも組み込んだ 生態系という視点への取り組みへと進むことを期待します。
フォーラムでは、生態系サービスという言葉が多発されました。
このような欧米的人間中心・一神教的善悪二元論の考え方が行き詰まったところから現在の環境問題が発生しています。
生態系サービスという言葉を人間様の都合に良いときのみ使うのではなく、今回のような地震・津波に対してまで生態系サービスと考えてきたのが日本人の心性だと理解しております。二元論を超越し、すべてを受け入れるという姿勢です。
このような受容的な自然の恵みという美しい言葉を用いること無く、サービスといううつろな言葉が一人歩きする姿はグロテスクです。災害もまた、自然のサービスと考えるならば、安易にこのような言葉は使えません。
人間利するものはサービス、利さないものは悪として徹底的に排除するという二分法では成り行かなくなってしまいました。
災害をも含め、天地・自然の恩恵・恵みと考える一般庶民の感覚から学問・技術を構築し直す必要があるように思われます。
また、自然の災いは、生態学で言うところの攪乱と言えます。
大 きな災害・人命が失われたため、このような言い方は御法度なのでしょうか?そのような観点からの考えからの取り組み・発言が少なかったことに少しがっかり もしております。攪乱であるならば、この後の新たな生態系の復元を見守るという姿勢をとることができます。私が生態学をおもしろいと思い専攻したのは、そのよう なスケールの大きな考え方があったからです。
洗い流された蒲生干潟が、再び復活しつつあるという話がなされましたので、一縷の希望を見いだしました。
時間がかかるでしょうが、是非、ここは、余分な手を加えず自然の推移に任せてもらいたいものと考えます。
自然の速度と、人為の速度の差が明らかになるものと思います。
あるいは、人為が加わってこその生態だったということになるかもしれません。
自然の災害を甘受し、そこから立ち上がると言うことが日本の歴史です。
僅かな期間の攪乱・災害を甘受し、それから立ち上がり次の攪乱までの間、自然の恵みを享受するということが古来からの生活のあり方でした。順応的生活とでも言えるでしょう。
この、あきらめとも言うべき生活のあり方が、津波被害に遭っても整然と受け流し生活するという姿勢に繋がっています。
このようなありかたが諸外国の絶賛するものとなっております。風土に由来する文化です。
生態学も、このような風土に立脚したあり方へとシフトすることが必要なのではないかと感じております。
すなわち、猛威とも言うべき驚異的な自然の再生力に立脚した生態学です。
近頃の生態学は、欧米からの輸入による弱い生態を守り保全するという延長上にあるような気がしております。
人 間の手が過度に加わった場合はこのような視点が必要ですが、我が国の自然の大半は、手を入れ続けることにより維持されてきた強い自然です。痛んでも下手に いじらず、手を加えることは最低限に止め、後は自然の回復力に任せるというやり方をするならば、数十年で自然は回復します。むしろ、その後のケアが大切と なります。
急ぎ成果を出さなければならないという成果主義が学問の世界にひたひたと寄せてきていることが根本的な問題なのでしようか。
なにやら手を加えすぎるように思えます。
釈迦に説法となってしまいました。
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懇親会の時に話しました四省庁による緑化植物取扱方針検討調査の顛末について補足します。
3年計画で実施する予定のものが、予算が取れなかったとして2年で中止となった委員会です。
外来緑化植物をどのように扱うかという検討会でした。
外来生物による被害の防止等に配慮した緑化植物取扱方針検討調査
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=7857
四省庁で行う合同委員会の前に、どのようなスタンスで発言するか意見交換を行いました。
① 生物多様性条約など外国のお仕着せに従うのか?(長いものには巻かれろ?)
② 今までの実績を踏まえ常識的に進めるのか?
(外来牧草を50年間使っているが、20~30年で樹林に還っている。河川に逸出しているから悪者とされているが、それは、河川環境を人為的に変えたからであって、牧草が悪いという訳では無い)
林野庁は、以上のいずれのスタンスで行くのか決めてくれ、それ如何により、私も発言内容を考えなければならない、という問いかけをしました。
これまで緑化植物を多用してきたものの実感として②が妥当とする意見が多かったため、かねてからの外来牧草を悪者とする論法に対し異を唱えました。四省庁の委員会では、外来牧草の使用は何ら問題ない、という論陣を張りました。
ただし、ウイーピングラブグラス(WLG)については、マスコミが騒ぎ、すでに悪者としてレッテルを貼られてしまいましたので、無理に使用しなくとも問題は発生しないため、ここまで活躍してくれて、ありがとうと感謝して引退してもらうという妥協案も示しました。過去、経費を十分にかけることのできなかった時代、乾燥が激しく・貧養な立地条件に耐え生育してくれるため、安価にはげ山を緑化し、浸食防止を行うことができ、その結果、数十年で森林に還すことができたという実績を持つものです。
その昔は、東名・名神高速道路を走る観光バスの中では、ガイドさんが「奇跡の草」、「恋にすすり泣く草」として、法面を緑化・被覆する姿をたたえ、説明してくれました。
安価にはげ山を緑化し、土砂流出を防いでくれた恩義のある植物に対し、外来植物は悪者というレッテルを貼り付け、排除しようとします。このような恩義のある植物を悪者扱いをするというセンスが信じられません。
環境に優しい、生き物に優しいなどという発言は、商売用としか思えません。
時代が変わったから引退してくれ、今までありがとうと感謝の念を示すことが筋というものです。
専門委員のメンバーは、大半が応用生態学系の学者、官サイドの研究機関の諸先生、多勢に無勢、私の主張は聞き入れられず、技術者風情が何を言うか、学術論文として認められたものに異を唱えるのか、天下の印籠が目に入らぬのか、とたしなめられました。
外来植物は悪者という言葉が飛び買います。思わず、技術屋風情ではありますが、ここは学問的に討議する場なのではないですか?、最初から悪者と色を付けての討議はまずいのではと発言してしまいました。もう、宗教の世界です。
2年目の委員会で、外来牧草が悪者とされた現場を見に行くと、私の主張する通りでした。
外来牧草(ウイーピングラブグラス WLG)は、河川環境が変化したため生育するようになったことが明らかになったのです。
WLG が、氾濫原に侵入し、カワラノギクなど氾濫原植生を被圧する、根系が砂を抱えて立地環境を改変する、従って自然植生・生態系を荒らすWLGは悪者だ、種子 の供給源となる川上の法面植生が原因、そこへ種をまいた法面屋が悪い。すべて駆逐せよ、今後は外来牧草は使用してはならないという論法でした。また、査読 を受け論文となっているものに異をとなえるのはけしからん、という論法でもありました。
もっともらしいのですが、ちと事実と違うのです。
50年余りWLGは使い続けて来たのですが、WLGが目立つようになったのは2010年に近くなってからです。それ以前は、氾濫原を旺盛に被覆しているという状態ではないのです。
委員会で現場調査に言った折、河川事務所の担当者にそのころ河川環境になにか変化があったものと聞いて見ました。
得られた返答は、「そのころ上流で砂利採取をやめました」というものでした。
さらに極めつけは、その現場のカワラノギクは一端絶滅した。花が綺麗なため、河川事務所の周りに播いていたものが残っていたため、再び増やそうと播種したもの、ということでした。
上流で川砂利採取が行われなくなり河川の攪乱も無くなり氾濫原が形成されなくなった、治山治水・ダム建設の成果により洪水が抑えられ、流量が少なくなったため河床が削られ低くなり、氾濫原が陸化し乾燥した。
結果、洪水による氾濫原の形成・撹乱はなされなくなり、乾燥が激しくなり氾濫原植生は消失した。その空いたニッチに乾燥に耐えるWLGが侵入・定着した。
河川の立地条件が変化が主因であり、WLGの繁茂は結果であったわけです。
こ のような事実が判明し、外来牧草を悪者とする理由が無くなったため、その点を明記せよ、牧草を悪者扱い化することを止めよと迫りましたが、その話は5時以 降にしてくれと言う奇妙な話となり、委員会は終了してしまいました。以降、再び委員会が招集されることはありませんでした。
閉会後、発言をせずじっと効いていた専門委員の一人が、この本はあなたに読んでもらうのが良さそうだと、著作を手渡してくれたのが印象的でした。
環境ホルモン、ダイオキシン、地球温暖化、生物多様性などの環境問題は、いずれも強い政治的なバイアスがかけられておりますが、残念ながらこれに異を唱える学者がほとんどおりません。科研費の問題があるのでしょうが、まことにもって不誠実です。
このためか、近頃では環境の話はウソが多いと、批判が出始めております。
このようなペテンまがいの不誠実な政治的な動きと連動しているならば、いずれ不審の芽が大きく膨らみ、批判の対象となり、市民の理解を得ることができなくなり、自らの足下が崩れることになってしまいます。
目指す方向は一緒のように見えても、ウソはウソと明言しつつ、政治的な動きとは別に、自己の足下を見つめ、できることを一つ一つ積み重ねて行くことが大切と考えます。
我が国の自然の回復力・復元力は、驚異的に強いものと考えております。
エネルギー問題が解決した場合は、放置された樹林の海の中に、都市とゴミ処理場が点在するということになりかねないと考えます。しかし、エネルギー問題が解決されないならば、おじいさんは芝刈りにというはげ山の世界に立ち返るということになるので使しょうか?
エネルギー問題を解決しつつ、岳・海、奥山、里山、里、都市という自然と農・魚、都市がバランス良く融合する世界が形成されることを祈ります。
以上 懇親会の発言の補足まで またまた長くなり、失礼しました。