「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

6月, 2013 のアーカイブ

海岸防災林と肥料・施肥(林地肥培)

海岸防災林と肥料・施肥(林地肥培)

海岸防災林の復旧が本格化してきました。

海岸防災林の主目的は、海岸の飛砂を防止し農地・宅地を保全することでした。

昭和30年代まで、日本の山ははげ山でした。
そのはげ山から、降雨により土砂が流され海に供給され、それが波によって運ばれ、海岸に砂丘が形成されました。海から砂が吹き上げられ運び込まれたものです。
海岸の住宅、農地は、絶えず飛砂に脅かされていたわけです。

現在は、私たちの先輩の尽力で治山工事により日本の山々は緑に覆われるようになりました。そのような緑を、大昔から続いていたかのように錯覚が生まれています。
生態学・自然保護などの分野では、大昔から続いている自然を大切にと教えていますから、皆・山の緑は大昔からそこに存在している自然と誤解をしています。
しかし、つい最近まで、多くは禿げ山だったのです。
従って、正確には、先祖代々に渡り持続的な管理を行ってきた森林(里山)を引き続き管理し、緑に復した禿げ山を再び禿げ山にしないように大切に、なのですが・・・・・・・・・。
海岸も又、激しい飛砂にさらされていたのです。

この辺の詳細のついては、太田猛彦先生の「森林飽和(NHKブックス)」をご覧ください。

従って、海岸林の造成も又、治山緑化・緑化工の分野でした。
強い潮風の中、乾燥した砂丘に、営々とクロマツを植え続けました。
それが、現在の海岸防災林となり、白砂青松の風景を造り出しました。海岸の厳しい環境の中で、それに耐え確実に生育できるのはクロマツだけでした。

先人の努力により、禿げ山は緑に覆われ、海岸に押しよせる砂は減り、穏やかな海岸となりました。
海岸防災林は大きく生長し、海岸の風景を形づくるまでとなりました。
(までは逆に、山から土砂の供給が減ったため、海岸がやせ衰えるという状態にまでなっています。)

その裏には、我々の先輩である治山技術者のなみなみならない苦労とその技術の蓄積があったことは忘れてはなりません。

しかし、近頃は、何もしないことが自然=良いことだ、ありのままが良いことなのだという意識が強まってきているように思えます。
生態学的なものの見方がその後押しをしております。

狭い我が国の国土の中で原生の自然を保っている処は極々僅かな部分のみです。
国土の自然の多くは、人間が育み育てた自然(二次的自然)です。

二次的な自然は、様々な技術を用いて育み育ててきたものです。
その緑を育み育てた技術が、現在は忘れ去られています。
立派な林ができあがり、緑が回復してしまうと育林のための技術の必要が無くなるからです。また、化石燃料を用いることにより薪炭林は不要となり、森林(里山)の持続的な管理技術も又失われようとしております。
私たちは、その技術を継承し、持続可能な森林を育成して行かなければなりません。
今回の震災による津波は、そのような技術の継承の大切さも又教えてくれました。

現在は、何もしないことが自然という雰囲気が強く、また、化成肥料を多用する行き過ぎた農業に対する反省から、海岸防災林も又樹木さえ植えれば育つという考え方強いように思えます。
しかし、生育条件の厳しい海岸では、初期成育を良好として根系の発達を促すことが大切です。

このための技術が施肥(林地肥培技術)です。
施肥と言っても農業とは異なります。
農業は短期間で生産を上げる必要がありますが、海岸防災林の場合は、長期にわたる肥効が必要です。このため、固形肥料・コーティング肥料などの緩効性の化成肥料、あるいは、堆肥類を用いることが大切です。
堆肥は、バーク堆肥などが大表ですが、リサイクルという点を考えるならば、下水コンポストを用いることが適当でしょう。

これらの無機(化成肥料)・有機(堆肥類)を上手く活用することにより、根系の発達した海岸防災林を造成する事が可能となります。

緩効性肥料については、建設物価サービスの建設資材情報・別冊「災害に強いまちづくり(H25.3.)」に掲載されたものを添付します。

このような施肥技術により、健全な防災林を形成させることが必要でしょう。
そのためには、その立地条件に合った植物を用いることが重要です。
林学では、適地適木と称しますが、海岸の場合、長い年月をかけ選抜されたのがクロマツだったのです。

近頃は、広葉樹を用いるということが主張されておりますが、海岸砂丘という瘠悪で気象環境の厳しい環境では困難です。
広葉樹は、土壌環境の整ったところで良好な生育を示しますから、海岸の海砂で、潮風のあたる前線への導入は困難です。まずは、最前線にはクロマツを植栽することが適当です。その後背、内陸側にカシワ、ケヤキなどを導入することはできるでしょう。
それは、昔とは違い、山を緑にしたため、飛砂が激減したからです。
それでも、砂地に広葉樹林を形勢させることは困難と思われますから、厚い良質な客土が必要となります。

クロマツは痩せ地でも生育しますからね安価に実施できます。これに比較し、広葉樹林を成立させるためには客土などそれ相当の費用を投じる必要がありそうです。
近頃は、短絡的に自然が良い、日本の自然は広葉樹林だから広葉樹を植えるのが良いと説明をされている方々がおりますが、技術的な観点、経済的な観点からの説明が欠けているように思えます。

一方的・偏った情報では無く、多面的・多角的な情報を公表すべきですが、残念ながら偏った情報のみが発信されております。そのような情報はセンセーショナルで耳目を引きやすいためマスコミが取り上げます。
このため、一方的になりやすく、生物多様性などを主張しつつ、多様性を排除する方向が見え隠れしてしまいます。

海岸林の再生などには税金が投じられるのですから、現実・足下をキチッと見据えた意見、情報であるかを吟味し判断する必要があるでしょう。
一方的な情報からの判断では、無理無駄が多いように思えます。

以上

海岸防災林の再生=現況復旧?

海岸防災林の再生=現況復旧?

東日本大震災で甚大な被害を受けた海岸防災林復旧への取り組みが始まっている。
しかし、当初のかけ声とは裏腹に災害復旧の原則である現況復旧的な方向へと流されているような気がする。

被災後、いち早く震災瓦礫を有効活用し、高いマウンドを造り、津波被災対策をも視野にいれた海岸防災林を再生するように提案した。
震災当初に震災特区的な指定を行い、ある面超法規的な取り組みがなされたならばその可能性があったと思われる。しかし、そのような取り組みはなされなかった。このため、一般的な行政の枠組みの中で災害復旧が進められることとなった。

そもそも震災瓦礫という言葉そのものが、その現れである。
瓦礫とは、ゴミのこと、廃棄物行政の用いる用語である。

廃木材、土砂、コンクリート・アスファルトガラなどは、建設・土木分野では瓦礫とは言わない。建設副産物、有効活用すべき資材・資産である。

震災後、震災地を建設・土木現場として一括指定したならば、震災瓦礫という言葉は用いられること無く、資源としての有効活用が可能となったのである。

災害地を一般地とみなしたため、建設・土木行政ではなく廃棄物行政の管轄となった。これにより、震災瓦礫はゴミとして扱われることとなり、有効活用の道は閉ざされ、ゴミとして税金を投じて処理・処分(廃棄・捨てる)する事となった。

しかも、他所へ運び出しての処理が進められた。
無料で処理するのではなく、運賃をかけ他所へ持ち出し、処理費用を投じて廃棄処理をおこない、有限の廃棄物処理場の寿命を縮めようというのだから二重・三重のムダと言える。なおかつ、地域住民の反対を押し切っての処理・処分である。
ゴミ・震災瓦礫としたため壮大なムダを行っているといえる。

そのムダは、税金として国民に課せられ、消費税などの値上げに繋がり子々孫々へそのつけが回されて行く。
原発の除染なども同様だ。
福島県下では健康被害は全く認められない。
しかし、マスコミ等が垂れ流した根拠の無い情報により、不信感が肥大化し、その住民の声に迎合する行政とによりムダな経費が使われ、そのつけが子々孫々へとつけ回されて行くこととなる。

放射線被害そのものより、住民に不感・不信感を植え付けるマスコミ、そのマスコミに踊らされた住民に迎合する形で推し進められる行政指導による避難、環境の変化によるストレス、運動不足による被害の方が格段に大きいことは黙して語らない。

チェルノブイリの被爆に関する追跡調査結果においては、被爆そのものよりも避難による住環境の変化によるストレスによる健康被害の方が甚大だとされているが、そのような科学的な報告を一顧だにしないのが現実である。

冷静・客観的な情報に基づき行動すべきなのに、マスコミ、一部の識者と称する扇動的な意見のみが大きく取りざたされ、被害者意識を高めるためのステレオタイプの物語が紡ぎ出される。

東日本大震災の被災から2年以上の月日が経過した。
そろそろ冷静になり考え直すべき時と思うが、被害者意識を高めるための物語だけが後に残され、あとは風化の一途をたどり、一般的な行政の枠組みの中で復旧が行われている。縦割り行政の中での調整に手間取り、対策は遅遅として進まない。

このような中で進められている海岸防災林の再生は、現状復旧といえる。
砂丘の後の後背湿地のような箇所は、地下水位が高く植栽したクロマツの根系の発達が悪く、今回の津波では根返りし流木化した。このような部分に対しては土盛りを行い健全な成長を促す、地下水位の低い箇所に対しては、現状のままで植裁を行うというものだ。
今後の津波への対策とはなっていないと言える。

さる会合で、海岸防災林の専門家に質問を行った。
現状は、津波対策では無く現況復旧としか見えない。
陸前高田の高田松原にて幹折れした樹木の年輪を調べると約50年程度である。先の津波により被災した後、植え直したものと考えられる。
これより鑑みると、現状のまま植裁し海岸林を再生したとしても、50年周期で来る津波により壊滅状態となり、また、一からやり直すこととなる。
千年に一度の津波に対する対策ということが当初の話であったが、50年対応にもなっていない、如何に?
という内容である。

これに対する回答は、地元の要望を汲み上げて実施しているというものであった。

残念ながら、地元と言っても一枚では無い。
多数の意見が複雑に入り組み、利害が絡みまとまらないことが現状だ。
また、正確な知識も無く、地元の要望というものがまとまって上がらない状態となっている。
建前としては、地域住民の代表としての議員・政治家がいるが、これとても情報不足であり、また、必ずしも地域を代表する意見を述べることができるわけではない。多数派工作を行わなければ意見が通らないという現状がある。

すなわち、地元の意見を傾注してと言うことは、地元の意見は聞こえない、従って現況復旧を優先すると言うことと受け取ることができる。

行政・政治家、いずれもが責任の所在を明らかにすること無くボールを投げ合っていると言える。その中で取り残されるのは地域住民である。
海岸防災林は粛々と再生されるだろうが、50年後の津波により水泡のアワとなってしまう可能性が高い。

住民の声をまともに持ち上げられる仕組み作りが急務と言える。

以上