化学調味料も食品添加物の一種ということになろう。
すなわち、薬剤ということになる。
現在の食品は、合成された薬剤を用いて化学的(味覚・色覚)のみならず、物理的(食感)にもまた改良している。
合成したもの、あるいは精製し純化したものは、細胞レベルで化学反応的な撹乱を起こすことはよく知られ、問題視されている。
一方、物理的な面、味覚・食感については等閑視されている。
合成物質、精製純化されたものに味覚は馴らされ、口触りの良いものを食べ続ける、ということにより、口を使うという動物の最も基本的感覚(味覚)・舌を鈍らせると共に、口を動かすという動作、筋力を低下させている。
結果、鰓の張った顔が消え、表情を乏しくさせてしまっている。
これが、食品添加物の使用による、物理的、筋肉的・運動的な側面だ。
柔らかで甘い食物は、口蓋周辺、舌部の筋力の低下を引き起こす。
よく噛まないで飲み込むという雑な食べ方となり、胃腸、腸内細菌叢へ負荷を与えるとともに、口まわり、舌、顔面の筋肉による血流ポンプの機能を低下させるために、頭部・脳への血流を減らし、考える力を低下させ、また、心臓、頭部を支える筋力を低下させる。
口のことと安易に考えることにより、化学的にも、物理的にも、身体全体にたいし連鎖的にダメージを及ぼしているものと感じる。
口は、動物が生きるための入り口なのだから、大切にし、動かさなければなければならない。
試しに、口をできるだけ大きく開けてみるが良い。
そして、大きく開けた口の空間の中で、ベロ・舌を大きく動かして見が良い。
首が引き締まり、背筋が伸び、姿勢がただされ、また、顔面とのつながりが意識されることだろう。
ついでに、顔面の筋肉を色々と動かすならば、脳の血行も良くなり、頭がすっきりすることを感じられるだろう。
かように、口は全身、頭・脳と繋がっているのだ。
美人になりたければ、口を動かす事が大切だし、美人になる努力は、脳も又すっきりさせ、姿勢を含め身体全体をキチッとさせることとなるのだ。
全身美人への入り口なのだ。
口が大切という所以である。
ただし、口を使うといっても調子に乗ってのおしゃべりは、いただけない。
話しが横道にずれたが、食品添加物の効果については、体内の化学的撹乱・汚染という側面とともに、物理的な側面、筋力、体力、姿勢などの側面からも検討すべきものと考える。
私たちは、全体で一つの生き物。
細胞の組織だった集合体ではあるが、部品の寄せ集めではない。
一つは、部分は、全体に波及するのだ。
口を動かしてみて、理解できただろう。
動物は、腸を作り口で物を食べることにより、進化した。
すなわち、口・腸が動物の出発点なのだ。
仇や口・腸を、口から入るもの(鼻・息を含め)おろそかにする無かれ。
ましてや、入れたら出すもの。
口からの飲食は、便、小水、汗として、鼻・口からの息は吐き、消化吸収されたものは、身体を構成する組織の材料として新陳代謝を繰り返し、片やエネルギーとなって動き、考えることにより発散・排泄?している。
その入力と出力の間に自分がいる。
難しくいうならば、動的平衡ということになる。
体内に取り入れた化学薬品は、細胞レベルの攪乱・汚染を引き起こし、汚染物質は排出されず滞留、蓄積することが問題なのだろう。
攪乱に対しては、身体は回復力を持つものであるため、適度の攪乱は身体を強くするものであり好ましいものといえる。
薬は、この適度のかく乱を招く範囲で使い個こなすのが原則だろう。
千差万別の各個人に対して処方することが、さじ加減ということであった。
さじ加減を忘れ、感覚を鈍らせるほどの大量・長期の薬剤の使用と、その結果の残留、汚染に薬害問題の本質があるのだろう。
生き物の常として、刺激に対する慣れがあり、大量・長期に使用し続けてしまうと、狎れとなり、癖がつき、偏ってしまう。
使い続けることにより、身体、細胞が慣れ、狎れ、さらに強度を上げなければ効能を期待できなくなってしまう。
すなわち、依存度を次第に高めてゆくということになる。
身体に取って良いもの、悪いもの総てに対し慣れの反応がある。
このため、元気・健康を保つためには、適度なかく乱を繰り返しつつ、動的なバランスを取って行くことが好ましいのだ。
一概に食品添加物、薬剤、農薬、肥料について否定しているのではなく、その使いよう、慣れと汚染に問題があると言っているのだ。
適、さじ加減を忘れた事に問題があると言っているのだ。
化学薬品だけでなく、動作についてもなれると言うことは同様だ。
慣れることにより、自動化される、無意識に動けるようになるというように身体の構造はできている。
意識的な運動から、無意識的な運動への移行、変化だ。
これが、身体に取っては合理的だし、余分なエネルギーを消費しなくとも良くなる方法だ。
体内の場合の慣れも又、細胞レベルでの合理化、エネルギーの摂生だ。
体内で合成していた物質を、体外から大量に与えられ続けるならば、体内で製造する必要はなくなり、そのような組織・器官は萎縮する。
筋肉を使うという面でも同じだ。
鍛えれば鍛えるほど性能を増し、逆に杖などを与えれば頼る、使わなければ萎縮する、というフィードバックが身体の中に埋め込まれているからだ。
そのフィードバックを良き方向へ回す、善循環とするか、悪しき方向へ回す、悪循環とするかは、私たちの選択に任されているのだ。
依存度を高めるほど商売には好都合の善循環となるわけだが、個人の心身の健康ということではマイナスとなり、悪循環を形成させて行く。
時間の経過と共に組織としての商売(ムラ)の経済循環と、個人の健康面での悪循環の乖離が拡大し、問題が大きくなってゆく。
現代は、まさにその乖離が開きすぎた故の社会問題に直明しているといえるのだ。
楽に流れる、流そうとするものが沢山ありすぎる今日。
楽、快適とは、依存度を高めるという方向。
その楽に乗り過ぎ、自らの心身の健康を、社会・環境の健康を害してしまったのが今日。
その行き過ぎた依存から抜け出すのは、依存度を高めやすい脳の声に偏るのではなく、胃腸などを含む身体の声を聞き入れる感覚を磨き、慎みと時としては撹乱も許容する、適度なバランスを保つ生活への切替が必要だ。
絶えず慎みを持ち、動かないと、楽に流れ、崩れてしまうからだ。
FB 2017.12.24
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