生物多様性保全、「悪夢のような時代は終わった」 「外来種の駆除を保全の目的としてはならない」
生物多様性保全、「悪夢のような時代は終わった」。
そのようになって欲しいですね。
現在の環境省主導で行っている駆逐・駆除を前提とする生物多様性保全は、自然保護というイズムを行政が取り込んだ対症療法的なものであり、過去の姿を固定化してしまおうという力付くの方法ともいえ、生態系の総合的な保全にはなり得ないと主張してきた。
人間の時間感覚ではなく、自然というレベルの時間の流れの中では、外来種を含んでの安定した生態系が生まれ出るだろう。
もう少し、時間のスパンを長くみての事実確認が必要だろう。
自然の時間の流れの中で、生物多様性保全というものを考えて行くということが本質であって、生物純血主義的な過去・現在の姿を固定してしまおうという現在のあり方は、むしろ生物多様性保全に対し棹さすやり方ではないのか、という素朴な疑問を持っている。
また、人体に直接的な被害を及ぼす生き物の場合は駆逐・駆除も1つの手段だが、過去数十年、数百年に遡り、国内に帰化し生きてきた種にまで、法の力によって遡り、駆逐・駆除を計るのはいかがなものであろうか、という問いでもあった。
今後に備えてという立場なら良いが、理念法を拵え、過去に遡り悪者としようという方法は、法の不遡及という大原則に反するもの、裁量により何でもありとなってしまいかねない。
過去に移入した種に対しては、個別に法を作り、承認を得るという丁寧な作業が必要だろう。
さらには、自然の中に外来種という悪者がいるから退治するのだという、勧善懲悪的な自然観を子ども達に植え付けるな、本来の自然、中立的な自然、ありのままの自然を観察するという感性が失われてしまう、という主張でもあった。
以上の問いかけに対し、キチッと答えてくれる行政・専門家・学者は残念ながら皆無であった。
黒船のようやってきた生物多様性条約により始まった、政治・行政的なトップダウンの動き、生物多様性保全の名を借りた自然保護的な政策なのだが、学問の世界は流行に乗り遅れるなという動きのみが目立った。
このような疑問に対して明確に答えてくれたのが、フレッド・ピアスの「外来種は本当に悪者か-新しい野生 THE NEW WILD-(草思社)」であった。
外来種を含む生態系、外来種が造り出す生態系というものを明確に示してくれた。
外来種は悪者ではない、新たな生態系の担い手だ、ということを明確に示してくれた。
私は、その感想として、後10年もしたらこのような考え方が我が国にも現れ、まともな生物多様性の取組がなされるようになるのではないかと、記した。
しかし、嬉しいことにそのような考え方が既に示されていた。
ピアスも海の中の孤島の生態系について扱っていたが、ここでは小笠原列島の母島が舞台となる。
海鳥の繁殖地の島と、海鳥が絶滅してしまった島の比較である。
保護的な色彩の強い現在の生態学の考え方からいうならば、海鳥の繁殖する島の方が豊かな生態系を持っているものと想像してしまうが、あにはからんや、海鳥が絶滅した島の方が緑豊かな、すなわち多様性の富む生態系となっているというのだ。
海鳥が消失した島は、海鳥により植生が踏み荒らされないため、緑豊かになるというのだ。
すなわち、ただ守れば良い、昔に戻せば良いという訳ではない、ということになる。
生態系は、動的に絶えず変化し、その時々の条件に即した安定を保とうとするのだ。
条件の変化にフレキシブルに対応するためにこそ、生物多様性が重要となるのだ。
生態系を現状のまま固定化しようとする、行政主導で進めている自然保護的な生物多様性保全と、生物多様性は異なる概念なのだ。
海鳥の住む島は、昔はグアノ(リン鉱石・窒素源)の掘削地だった。
リン酸、窒素源として掘削されつくし、現在ではグアノ資源は枯渇してしまった。
そのようにいわれてみれば、グアノの採掘した島々は、緑豊かな島というイメージはない。
グアノの島は、生物多様性という面では劣っていた、脆弱な自然ということになる。
動的な自然、気象・人間活動も含め動的な自然を過去・現在を含め、固定的に捉えることは、どだい無理な話なのだ。
固定的に考える、自然には手をつけるべきではない、ということも含め、管理という観念が先にある。
すなわち、保護・保全だろうが、開発だろうが、私たちの価値観で物事を見ているということでは同じということなのだろう。
昔、米国では、グアノ法という法律を作って、所有者(白人)のいないグアノを堆積する島は、世界のどこであっても米国の領土とするとして、グアノ採掘を行った。
米国に限らず、西洋列強の植民地政策による資源争奪の1つがグアノ、リン鉱石・窒素を巡るものであった。
今では、海鳥を保全せよ、手をつけるなだ。
化学合成など、他の手段により窒素・リン酸分の確保が可能となったから、海鳥の保全が可能となったのであり、ご都合主義といわれても仕方が無いだろう。
海鳥を失ったこの島の場合、海鳥の生息の復元を計り遠い将来のグアノの蓄積を計るか、海鳥を失った後に成立した豊かな緑を良しとし認めるか、ということになるが、理念・原理原則的な生物多様性保全の考え方をするならば、海鳥の復活ということになるのだろうし、現実的な考え方に立つならば現状の肯定ということとなろう。
いずれにしろ、現状では人間様の都合、声の大きな方になびくということになるのだろうから、このレポート「外来種の駆除を保全の目的としてはならない」は、無理無駄のない、多くの人々が納得できる常識的な範囲での生物多様性保全の取組へと進むための一歩となるニュースとなると良いなと考える。
・外来種の駆除を保全の目的にしてはならない理由
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/120700018/030200003/?P=3
FB:H300307