「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

カタカナ語を駆使し、むずかしいことを言わなくとも、祖先は「3つ子の魂まで」と称していたということをしっかりと理解すれば良いだろう。

妊娠・胎児の段階から、生理的早産・体外子宮状態の母子密実一体の時、乳児期、幼児期と家族・親族に囲まれ、やがて外界への興味いっぱいに動き回る、それぞれの段階で必要な体感を培う、経過させることにより、身心、身体を育てるとともに、身体・五感を通じて頭脳・心、豊かな潜在意識を育てていたという事実の理解だ。
カタカナ語を通して抽象的に語る必要はあるまい。
このころまでに腸内細菌叢の質が大人に近い状態になるのは偶然ではない。
3つ子の時までに、一人前となるための基礎がかたち造られるのだし、そのように育てるのだ。

3歳の頃にはその体感のうえに培った身心に、自我・顕在意識が目覚め、遊びという形で自然・外界(風土)との交流・刺激を求め、野生の身心を手に入れます。

そして、6歳6ヵ月6日に習い事はじめとなり、文化・文明(文武両道)を獲得し、継承するものへと歩みだすのです。
育つための経過すべき段階(ステージ)があるのです。

この段階・ステージを無視し始めさせられたのが男女平等という呪詛。
本来異なっているものを、丸めて同じとしてしまうのだから、不自然この上もない。

そして、今、567に対し666が象徴として浮上。
旧約・ヨハネの黙示録では獣とされるもの。
人を習い事、文化・文明の段階、自分の頭で考えるという段階の前に留めておくぞ、というサインに思われるのです。
(文明)人となる以前の存在とも解されるのです。

6⑥6とするならば、⑥は胎児・私。
私を取り巻く人たちが66です。
マスク、3密を避(裂)けよ人と人の間を分断し、過剰な消毒・清潔で共進化してきたばい菌たちとも分断され、免疫力、生きる力さえも奪われているのです。

この語呂合わせ的な数字を偶然と見るか否かは人それぞれ、感性の問題ですが、その裏に秘めたる意図を感じ取ることができる人は、受け手一方ではなく、準備・応戦の備えができることでしょう。

ちなみに、欧州と東洋・わが国は逆。
悪魔の使いのドラゴンは、神たる龍になるのです。
龍の吐く6⑥6は、567となり、369となるのです。

いつもの悪い癖。
Hさんのスレッドに長い書き込み。
書き込み責任と記録としてコピペ。

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