「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

6月, 2025 のアーカイブ

父の日だそうな-2

父の日だそうな-2

父の姿が霞んで見えないについて、更に辛辣に記しておこう。

こんな投稿をしたのでは炎上してしまうでしょう。

しかし、そんなことを恐れてはいられなくなってしまいました。

このままでは日本民族は滅んでしまいます。

そのことを理解してくれる方に届けば良いと思い、投稿をしています。

友達範囲の投稿にコメントしたら、次の返答が返ってきました。

> そうなんですよ、男と対等に張り合おうとする女が多すぎます、男を上手に操る女が減りました。

> 言い過ぎかもしれませんが、豚もおだてりゃ木に登ると言います、ブタは男それとも女(^^)

残念ながら、女も男も、どちらも豚になってしまいました。

近頃の政治家のたるんだ顔を見てください。

他国の政治家の引き締まった顔、背すじを伸ばした姿勢。

この覇気のなさ、口先三寸のみの逃げの答弁での責任感のなさの露呈。

他国に馬鹿にされ、舐められてしまってます。

これだけで、国は終わったなと思ってしまいます。

いいように喰わてしまう仕組みに、女も男も、楽ちんだと安直に乗ってしまった結果ですね。

餌と温かな住処が与えられ、幾分の遊びが許される環境。

しかし、いくら環境が良くても、与えられた畜舎という環境に満足する自己家畜化の群となってはいけません。

畜舎に囲い込まれ、楽しているうちにじわじわと足元が崩されてしまいました。

気が付くと亡国の民へと押しやられています。

一次産業はめちゃくちゃ、有事には餓えがまってます。

経済も外資が牛耳るようになり、失われた30年から浮上の見通しもないありさま。

そして今、土地が奪われています。

さらには、人の入替が行われています。

人そのものを武器としてしまう支那中共の得意技。

いずれはチベット、ウイグルの様に蹂躙されてしまいそうです。

植民地化が露骨となり、ステルス・ソフトジェノサイドへと向かっています。

しかし、その様な恐ろしい世界が国際政治だということに気が付かないまま、ぬるま湯につかった生活。

自分たちが茹で蛙状態、もう一炊きすると茹であがってしまう危機的な状態にあるということに気が付きません。

まずは女が雌豚になるように調教され、それに雄がついて行き豚化して行くというストーリーでした。

それが男女平等だし、3S政策、公団住宅による核家族、専業主婦・昼メロおばはんなどだったのです。

これによる女性の劣化はすごかった。

皆、一斉に崩れてしまったために気が付かない。

男はサラリーマン化し、働く姿から子供達は遠ざけられました。

男の素晴らしさからは目隠しされてしまいました。

それはTVの普及などにより加速化されました。

白物家電で時間の余裕ができたものだから、隣の芝生が青いと不平不満と嫉妬の固まりとなり、雄豚を尻に敷き、稼ぎが悪いと悪態をつき、その醜態を子供らに見せつけました。

そして、自分の境遇に対する呪いをカバーするために、子供達を自分の望みのための代理戦争に引き釣り込み、良き会社に入るための前哨戦としての受験戦争を造り出しました。

子供達は受験戦争で消耗し、大人の嘘っぱちの世界を垣間見、夢も希望もなくし自死を選択するものも出してしまいます。

「あきらめた子」を大量に造り出しています。

女の子は、母親の姿をみて、能ある鷹は角を隠すではなく、男を馬鹿にして尻に引くことを習い性にしてしまいました。

不平不満の渦巻く世の中にしてしまったのだから、個人、そして個人の集合体たる国の運、国運が良くなるわけはありません。

なので、

これでよいのかおっかさん。

母性よ甦れ。

子供達の明るい未来のために。

と叫んでいるのです。

・・・

画像は、

より拝借。

大意はありません。

1人、ユーストマ、、「男が、 こんな感じで いいのかな? 父 族が 族 家 家父 。 も が イ な イ ん だ 感 。 ど、 か じ イ だ イ 感 じ。 人それぞれ、 樣性 というけれど! BEAMS FATHER'S EAMFATHER'SDA DAY」というテキストのグラフィックのようです

3早川 奈穂子、他2人

父の日だそうな-1

父の日だそうな-1

しかし、父の姿は霞んで見えない。

何故だろう?

女と男、大きく俯瞰し考えて見ます。

男が、子供を守る、女を守るのは集団動物の基本的性質。

そして、女は自分たちを守ってくれるものを立てる。

これは集団動物としてはあたりまえ、自然なこと。

男はそれに答えるため、強くあらねばならないでしょう。

力がすべての場合は、強い男を中心として群れを造る。

それは、いのちを伝えるための智恵。

しかし人類は、知恵のある女を中心に母系性社会を造った。

集団が小さく、餌が豊富な場合は女系性の方がうまくゆく。

女の子も、男の子も等しく、女・母が産んだのだから。

女系性社会では、男は遊ぶことと種付けがもっぱらの仕事。

男の出番は有事の時となる。

そのような社会では、通い婚や入り婿となる。

女が男を選ぶのだから、当然のこと、女に認めてもらうため男を磨いただろう。

母もまた、男の子を男らしくなるように育てただろう。

やがて、1:1のつがいを作り、男は狩りやいざという時には力をあわせ協同するという集団動物へと進化した。

つがいを造るという方向の選択には、女、子育てが大きく働いた。

女が協同歩調を取らなければ、つがいはできないだろう。

生まれ落ちてから長い間、身動きのできない子と母親を守らせるため、固定的なペアを造る方向へと進んだのだろう。

食の主なものは女が近所で採取したが、肉などうまいものは狩りをして男が持ち帰った。

獲物を女、子どもに持ち帰るためには直立し、手を使うことは好都合だった。

男は持ち上げるほどによく働く、おいしいものを持ち帰る、その循環で男を磨き、さらに凛々しく男らしくなる。

利口な女達は、男を持ち上げてよい気分にし、よく傍楽方向へと進め、ついには財布の紐を握るのは女という世界を造った。

女系性社会の仕組みの延長だ。

男の子も母が産んだのだから、食の豊かな高温多湿な世界では母の思う方向へと進化した。

日常は母親の世界だが、非日常、憧れの対象は父親の世界と棲み分けを造ったのだろう。

人口が増えたり、異常気象などで餌の入手が困難となった場合は男の力がものをいうようになる。

そのような地域では男の力がものをいい、やがて男尊女卑、力で支配する社会となっていった。

乾燥地、寒冷地、砂漠の民の世界だ。

しかし、財を築いた場合は、財産権は女も持っていた。

支配し、虐げられる弱者を造る社会は、幾重にも重層的に弱者が造られ、ガス抜きが行われる。

力を持たない女にしわ寄せがなされ男尊女卑へと傾斜していったのたろう。

しかし、女系だろうが男系だろうが、いずれにしろ、女が男を立て、男を矢面に立て、女が奥に控えるというやり方でうまく機能してきた。

その知恵が文化として示されると、これらの書籍の説くところとなる。

いのちを伝え行くために、進化という時間をかけて作り出された智慧と体制だ。

わが国の場合は、食が豊かだったから女系性社会を基礎とし男系がその上に乗るという形の家族制度だった。

2階建て?、双系制と言うらしい。

家の経営は女が行い、外向きのことを男が行った。

家の経営とは、家・いのちの継続と、そのために子を産み育てる、すなわち人材育成だ。

男を立てる、雄々しく育てることは、男をしていのちをつなぐ核となる家を守るための必須のものだった。

その核とは女、女なしにいのちの継承はできないからだ。

そのような仕組みが崩れたのは、明治革命によりイギリス国教会をモデルにした天皇一神教により、女性をマリア的な存在、良妻賢母と位置付けたことによる。

女を経営者という座から、子を産み育て、男にかしづくものとしたのだ。

一般には儒教的とされているが、明治政府が狂育により埋めこんだのは猶基回一神教的な男尊女卑だったのです。

狂育により、高等狂育を受けた女性から経営者としての自覚が失われ、次第に下々にまで広がっていった。

しかし、農村、地方の大家族までは、このような考え方は拡散しなかった。

江戸自体は見かけは儒教的な男尊女卑であったがそれは武家であり、実態は女性上位だった。

かかあ・耀くもの、奥、ご内儀、そしてかみさん(神・上さま)という言葉に良く表れている。

明治革命により女性の権利が剥奪され、西洋的男尊女卑にすり替えられてしまったのだ。

ここに、わが国の女性性の劣化が始まった。

そして敗戦により押し付けられた自由、平等、平和。

西洋の虐げられ続けてきた女性を解放する運動、ウーマンリブの行き過ぎた流れが我が国にも押し寄せ、女は男と対立する存在と教えられ、農村部からも良俗は失われ、女性性の劣化に拍車がかけられたのです。

互いに助け合い、相和し子どもを育てる男女が、敵対する存在として教えられたのです。

男女同権、それは男も女も否定すること。

男と女、まるで異なる生物学的存在を同じと見なしてしまうのだから、混乱が生ずることは必定。

男と同じとは女性が男性化することであり、強くなった女性・母は、男の子のチンチンをとり、男を中性化してしまったのです。

女が、家族を守る存在という、生き物としての男の存在を否定したです。

しかし、女も生き物、集団動物であること、そして男を否定したならば、その根源的な存在基盤を失ってしまう。

それが核家族化だし、家の崩壊。

女は、他の手を借りず、独りで子を産み育てなければならない事態としてしまった。

自分の頭で考えることをせず、無批判なまま政治のなりゆきを受け入れてしまったため、女性の受難の時を造り出してしまったのです。

いのちの継承の危機を作り出してしまったのだ。

男は男らしく、女は女らしく、いたわり合い、助け合うという、生き物、人としての当たり前のことを、男女平等などという理念・理想の空理・空論を植え付けられ、信じてしまい過去の良俗、伝統文化を否定してしまった結果なのです。

その結果が現在の混迷状態となって顕れている。

しかし、現代の政治は狂育を通じて、生き物としての存在を否定することを教え、衰退、滅亡へと進めることを止めようとはしない。

国民を、グローバル金融勢力の仰ぐ、金・利の神のための人身御供とし続けている。

現況は母親が、男の子のチンチンを取りまくり、戦う気概を奪い続けているので、この流れは人を食い尽くすまで止むことはないのでしょう。

女性性を奪い、結果、男性性を失わせることによるステルスソフトジェノサイドが進められているのです。

で、

これでよいのかおっかさん。

蘇れ母性。

子供たちに明るい未来を残すため。

とあいなるのです。

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いつもの悪い癖、保坂さんのスレッドに書込。

書込責任と記録としてシェア、コピペ。
https://www.facebook.com/kohki.hosaka.5/posts/pfbid0c5wjaXcdTf9aFSVXXMoWVNgnJiJ8zRpb6trvQzemzxXGCZPGgPZgLB49hcULvQe8l

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精神性・霊性の劣化と強欲ネズミ講資本主義

音楽の素養なし、チェンバロ、ハープシコード、バージナルなどと呼ばれる古典的な楽器の音色が好きで、仕事等の際のバックグランドミュージックとして聞き流す程度だから、作曲者も題も記憶することはない。

聞いても、どこかで聞いたな、という程度。

私に取っては、聞いて邪魔にならない音楽が良い音楽。

時々、はっとする、心に響く音色などがある。

身の回りの自然とおなじ、ということかな。

精神性、霊性などということも深く考えることはない。

心地よく流れてゆく、それが自然だと勝手に思っている。

これに比較すると今の音楽?は、私にとってはうるさいだけ。

雑音だから、頭、心の中に残ることのなく消えて行く、消費し捨て去るだけの音。

現代の使い捨ての資本主義の様相が音にも現れているのだろう。

資本主義という巨大ネズミ講の生産システムは奴隷が支えている。

昔の奴隷は轡をはめられ、手足を鎖で繋ぎ、身心を縛り上げて酷使された。

現代の奴隷は、轡の代わりに口パンツを着けることを厭わぬよう、精神操作されたソフトな奴隷。

合法的に見えない鎖で縛り上げられた奴隷。

その奴隷が、労働者兼消費者としてマッチポンプの仕掛けにより使役され、利益、税だと称してピンハネされている。

合法奴隷は狂育、マスゴミなどにより飢餓感を植え付けられ物欲の固まりに育てられる。

当然のごとく奴隷に精神性・霊性などと意識は無用だから、剥奪されることとなる。

今、喰うことができ、刹那の楽しみに心奪われるように仕向け、消費という美名の元、サラリーを吐き出させれば良いのだ。

当然、精神性・霊性は低下・劣化の一途を辿って行くこととなる。

精神性・霊性が劣化してしまうと、逆説的に精神性・霊性の復興が叫ばれるのだが、ただ今は、そのような動きに対してもスピ系という商品が提示され、ガス抜きとして使われている。

音の劣化もこれと機を一にしているように感じる。

失われた30年の劣化の程度は著しい。

自由・平等・平和(博愛)などと理念理想の精神性を吐いたって、それは特定の人々、ネズミ講の胴元となっている人々にのみ許された境遇。

底辺を支える講員(消費奴隷)は、物欲をかき立てられる一方であり、物欲中毒に導かれ、リピーターとなるように仕向けられ、物を手に入れるためのサラリー欲しさに酷使される合法奴隷の境遇となってしまう。

すなわち、タコ部屋、女郎小屋に閉じ込められて自分の手足を喰う生活となってしまうのだ。

今や、日本列島タコ部屋、女郎小屋化。

強欲資本主義・巨大ネズミ講の実体は、奴隷制植民地主義だし、武器による植民地支配、支那清国を解体したアヘン戦争の時と本質は変わってはいないのだ。

富む支那清国に売りつけるものがなく、清国には西洋列強の垂涎となる物が溢れていたので、阿片・麻薬を売りつけ、支那人を中毒にし、それに抗議する清国を、西洋列強の唯一の強みである武器によって支配し、グローバルマーケットと称する巨大ネズミ講にに組込んだのだ。

市場が飽和してしまう、売るものが無くなってしまうと、ネズミ講の胴元への上納システムが止まってしまう。

これを防ぐため、戦争などによりリセットし、新たな市場を立ち上げにかかるのだ。

科学技術の進歩により、飢える心配がなくなったにもかかわらず、世界から戦争・騒乱が消えない理由だ。

昔は、奴隷というあからさまに過酷な条件の中での酷使だったから、その境遇から抜け出そうと必死でもがいた。

現在は、真綿で首を絞めるような巧妙な手口に支配方法が改良された。

精神改造により、自らが進んで奴隷の境遇になって行く自己家畜化の群とするるソフトな支配に変えたのだ。

進んで奴隷の境遇になって行くように仕向け、支配コストの効率化、縮減ができるからだ。

支配されるものは進んで畜舎というぬるま湯環境のなかで感性を閉じ、茹で蛙となってしまうように導くのだ。

精神性・霊性を高めるためには、そのぬるま湯から抜け出し、動き・感じ・考え・決断するという身心を適度なストレス・フィードバックのかかる環境、当たり前の環境に身を置かなければならないだろう。

グローバルマーケットへの依存度を減じて行くのです。

地域分散型の社会へと切り替えて行くのです。

自立自存・自律自尊・自足独立の人となることにより、精神性・霊性は高めることができるのです。

で、

これでよいのかおっかさん。

蘇れ母性。

子供達の未来のために。