「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

父の日だそうな-1

しかし、父の姿は霞んで見えない。

何故だろう?

女と男、大きく俯瞰し考えて見ます。

男が、子供を守る、女を守るのは集団動物の基本的性質。

そして、女は自分たちを守ってくれるものを立てる。

これは集団動物としてはあたりまえ、自然なこと。

男はそれに答えるため、強くあらねばならないでしょう。

力がすべての場合は、強い男を中心として群れを造る。

それは、いのちを伝えるための智恵。

しかし人類は、知恵のある女を中心に母系性社会を造った。

集団が小さく、餌が豊富な場合は女系性の方がうまくゆく。

女の子も、男の子も等しく、女・母が産んだのだから。

女系性社会では、男は遊ぶことと種付けがもっぱらの仕事。

男の出番は有事の時となる。

そのような社会では、通い婚や入り婿となる。

女が男を選ぶのだから、当然のこと、女に認めてもらうため男を磨いただろう。

母もまた、男の子を男らしくなるように育てただろう。

やがて、1:1のつがいを作り、男は狩りやいざという時には力をあわせ協同するという集団動物へと進化した。

つがいを造るという方向の選択には、女、子育てが大きく働いた。

女が協同歩調を取らなければ、つがいはできないだろう。

生まれ落ちてから長い間、身動きのできない子と母親を守らせるため、固定的なペアを造る方向へと進んだのだろう。

食の主なものは女が近所で採取したが、肉などうまいものは狩りをして男が持ち帰った。

獲物を女、子どもに持ち帰るためには直立し、手を使うことは好都合だった。

男は持ち上げるほどによく働く、おいしいものを持ち帰る、その循環で男を磨き、さらに凛々しく男らしくなる。

利口な女達は、男を持ち上げてよい気分にし、よく傍楽方向へと進め、ついには財布の紐を握るのは女という世界を造った。

女系性社会の仕組みの延長だ。

男の子も母が産んだのだから、食の豊かな高温多湿な世界では母の思う方向へと進化した。

日常は母親の世界だが、非日常、憧れの対象は父親の世界と棲み分けを造ったのだろう。

人口が増えたり、異常気象などで餌の入手が困難となった場合は男の力がものをいうようになる。

そのような地域では男の力がものをいい、やがて男尊女卑、力で支配する社会となっていった。

乾燥地、寒冷地、砂漠の民の世界だ。

しかし、財を築いた場合は、財産権は女も持っていた。

支配し、虐げられる弱者を造る社会は、幾重にも重層的に弱者が造られ、ガス抜きが行われる。

力を持たない女にしわ寄せがなされ男尊女卑へと傾斜していったのたろう。

しかし、女系だろうが男系だろうが、いずれにしろ、女が男を立て、男を矢面に立て、女が奥に控えるというやり方でうまく機能してきた。

その知恵が文化として示されると、これらの書籍の説くところとなる。

いのちを伝え行くために、進化という時間をかけて作り出された智慧と体制だ。

わが国の場合は、食が豊かだったから女系性社会を基礎とし男系がその上に乗るという形の家族制度だった。

2階建て?、双系制と言うらしい。

家の経営は女が行い、外向きのことを男が行った。

家の経営とは、家・いのちの継続と、そのために子を産み育てる、すなわち人材育成だ。

男を立てる、雄々しく育てることは、男をしていのちをつなぐ核となる家を守るための必須のものだった。

その核とは女、女なしにいのちの継承はできないからだ。

そのような仕組みが崩れたのは、明治革命によりイギリス国教会をモデルにした天皇一神教により、女性をマリア的な存在、良妻賢母と位置付けたことによる。

女を経営者という座から、子を産み育て、男にかしづくものとしたのだ。

一般には儒教的とされているが、明治政府が狂育により埋めこんだのは猶基回一神教的な男尊女卑だったのです。

狂育により、高等狂育を受けた女性から経営者としての自覚が失われ、次第に下々にまで広がっていった。

しかし、農村、地方の大家族までは、このような考え方は拡散しなかった。

江戸自体は見かけは儒教的な男尊女卑であったがそれは武家であり、実態は女性上位だった。

かかあ・耀くもの、奥、ご内儀、そしてかみさん(神・上さま)という言葉に良く表れている。

明治革命により女性の権利が剥奪され、西洋的男尊女卑にすり替えられてしまったのだ。

ここに、わが国の女性性の劣化が始まった。

そして敗戦により押し付けられた自由、平等、平和。

西洋の虐げられ続けてきた女性を解放する運動、ウーマンリブの行き過ぎた流れが我が国にも押し寄せ、女は男と対立する存在と教えられ、農村部からも良俗は失われ、女性性の劣化に拍車がかけられたのです。

互いに助け合い、相和し子どもを育てる男女が、敵対する存在として教えられたのです。

男女同権、それは男も女も否定すること。

男と女、まるで異なる生物学的存在を同じと見なしてしまうのだから、混乱が生ずることは必定。

男と同じとは女性が男性化することであり、強くなった女性・母は、男の子のチンチンをとり、男を中性化してしまったのです。

女が、家族を守る存在という、生き物としての男の存在を否定したです。

しかし、女も生き物、集団動物であること、そして男を否定したならば、その根源的な存在基盤を失ってしまう。

それが核家族化だし、家の崩壊。

女は、他の手を借りず、独りで子を産み育てなければならない事態としてしまった。

自分の頭で考えることをせず、無批判なまま政治のなりゆきを受け入れてしまったため、女性の受難の時を造り出してしまったのです。

いのちの継承の危機を作り出してしまったのだ。

男は男らしく、女は女らしく、いたわり合い、助け合うという、生き物、人としての当たり前のことを、男女平等などという理念・理想の空理・空論を植え付けられ、信じてしまい過去の良俗、伝統文化を否定してしまった結果なのです。

その結果が現在の混迷状態となって顕れている。

しかし、現代の政治は狂育を通じて、生き物としての存在を否定することを教え、衰退、滅亡へと進めることを止めようとはしない。

国民を、グローバル金融勢力の仰ぐ、金・利の神のための人身御供とし続けている。

現況は母親が、男の子のチンチンを取りまくり、戦う気概を奪い続けているので、この流れは人を食い尽くすまで止むことはないのでしょう。

女性性を奪い、結果、男性性を失わせることによるステルスソフトジェノサイドが進められているのです。

で、

これでよいのかおっかさん。

蘇れ母性。

子供たちに明るい未来を残すため。

とあいなるのです。

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いつもの悪い癖、保坂さんのスレッドに書込。

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