平成29年丁酉の年 干支 FBイントロ
「平成29年年賀+干支の話し」が長くなってしまったので、FBへ解題を投稿。
ここから、長い干支の分析へと導きます。
「平成29年年賀+干支の話し」が長くなってしまったので、FBへ解題を投稿。
ここから、長い干支の分析へと導きます。
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
平成29年 2017年 1月1日 丁酉(ひのととり・34番) 元旦
丁酉:ひのととり ⇒ ひのとり(火の鳥) と縮めちゃいましょう。
火の鳥・フェニックスが今年のイメージ。
・・・・・ ・・・・・ いつもの干支を巡る与太話です。お暇な方はどうぞ ・・・・・
今年はどうなるやら・・・。
いにしえの先賢の経験知の積み重ねである干支から今年の傾向を探ってみましょう。
昨年のイントロ。
読み返してみると、主張したいことは昨年と同じ故、今年バージョンに字句を訂正、多少強化をして再掲載。
思っていること、考えていることは進歩しないですね。
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東日本大震災、福島原発の発生からはや6年が経過しておりますが、問題解決への道程は遠く、なかなかに進まず、それどころか新たな問題、負の資産が増すばかりのようです。
天災とはいいながら、人災であることが色濃くなってきております。
また、火山活動も全国で活発化し、一昨年から山で入山禁止が相次ぎ、現在も持続しております。
豪雨による災害は、山筋の土石流のみならず、低地の洪水被害を引き起こしてしまいました。
岩手、熊本では、災害の傷跡が消えやらぬ内に再び災害に見舞われるという状態、岩手では地震災害の後に豪雨災害、熊本では豪雨災害の後に地震災害という具合となりました。
気候変動は落ち着く様子はなく、ますます極端化の一途。
もう、全国、何処に発生してもおかしくはないという状態になってしまいました。
一昨年、昨年と年を越しても暖かな日が続き過ごしやすいお正月となりました。
しかし、各地のスキー場が小雪で困っております。
これも気性の極端化のあらわれ、冬の暖かさ、小雪は、夏の渇水の先触れ。
雪も又、小雪傾向が続いています。
昨年は関東地方では渇水の心配もしましたが、豪雨により救われた形になりました。
季節、その季節らしい装いで巡ってこないと、人間社会のみならず生き物の世界も攪乱されてしまいます。
地球規模の大変動期に入ったとされておりますが、大過なく、一年を暮らすことができれば良いと願っております。
被災地の調査や、倒木事故の情報を見るにつけ感じることは、災害により被災に会う、会わないは紙一重。
これを避けるためには、危険を察する野生の勘を取り戻し、磨くしかない。
それても足らない、日頃から運の良い人となるように努めなくてはならないと強く感じます。
では、運の良い人になるには?
古今東西の難問です。
このような難問に答えを得るために、東洋では経験知を積み重ねてきました。
その一つが長年の自然観察結果、植物の成長、季節変化の観察結果から洞察することにより得られた十干・十二支の組合せによる干支(えと)です。
干支は、植物の生長の様などの観察と経験より得られた直感(勘)により造られたもの、勘を研ぎ済し、多様な経験を積んだ先哲、先達が、時を超えて経験を蓄積し、整理したものなのだと感じております。
さて、それでは例年のごとく、干支より今年の傾向・年回りをうかがって見ましょう。
・・・・・
東洋哲学は、直線的な時間・空間ではなく、時間・空間・万物の生成化育は循環していると直感的に捉えておりました。
万物のみならず、目に見えない世界、万霊も又あの世とこの世を循環していると感じ取っておりました。
従って、人間から見た場合、天災、破壊・攪乱と見えるものも、その循環のなかの一コマに過ぎないと捉えた訳です。
我が国では、そのような感性が当たり前ですから、地震・津波被災に遭っても諦め、混乱の中にあっても我良しに走ることなく秩序だった行動となります。
このような感性・行動に世界が驚愕したと伝えられております。
自然の循環を観察した結果、干支・暦などが生まれたわけですが、現在も正にその循環を感じ取りながら、私たちは生活をしているのです。
いにしえの賢人達は、自然の観察から、1年を記録するのみならず、さらに大きな循環のサイクルを見いだしました。
古代バビロニアではアストロジー(占星術・学)が生まれましたが、古代中国では十干十二支の60年の巡りや八卦・64卦の易となりました。
東西とも、月、星の動きより暦が造られましたが、特に太陽、月、木星の周期に注目しています。
木星の周期は12年ですから、十二宮・十二支が対応しているものといえます。
古代の賢人は、太陽のみならず、惑星・天体・銀河の動き:宇宙との対応・相似により、社会・人象を見ようとしました。
すなわち、人は小宇宙と考え、天・星の運行と密接な関係を見いだそうとしたわけです。
ここから、天・地・人の乱れは連動すると捉え、慎みある生活を送ることにより、天地が安泰であることを祈ったのです。
西洋科学、物質科学では、このような考え方は迷信だと切り捨て、己勝手、自己の権利を主張する訳ですが、人間性という観点から見るならば、自分勝手であることを抑え、慎み、天地の巡りと共に生活をしようというあり方の方が精神的には高く、深いものと思います。
人は地球に溢れ、現在の物の消費と廃棄を是とすることで成り立つ物質文明を、現在の水準で持続させるためには、数個の地球が必要という状態になってしまいました。
このまま地球を食いつぶすか、循環を取り戻し持続可能とするのかは、私たちの行動、考え方にかかっているわけです。
先哲・先賢の循環を基礎とした教えに学び、慎みのある生活へと切り替えて行く時期に来ていると言えましよう。
干支の世界では、ホロスコープ(出生時の天体の配置図・幾何による占星術)のように星と人とを数で直接繋ぐことをせず、その間に自然・草木の生活還環境を仲介させ、物語を紡ぎ出しました。
それが十干・十二支(干支)です。
干は、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十干。
支は、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支です。
十干を、中国哲学の基礎となる五行(木火土金水)に変換するために、
甲乙(木)、丙丁(火)、戊己(土)、庚辛(金)、壬癸(水)の5グループに分け、
先を兄(え)、後を弟(と)としたことより、干支を「えと」と呼ぶようになりました。
五行は、7曜から、太陽と月を除いた5つの惑星。
木星、火星、土星、金星、水星なのですが、新羅万物に対し、この5つの逆走する惑星の性に分け分類し五行説としました。
万物は、五行(五つの性質)から成り立っていて、その消長、結び合い、循環によりあまたの現象として現れるというものです。
兄・弟で陰陽、5グループは五行、偶数と奇数の組合せで物事を理解することができるとしたわけです。
十干十二支では、60年で一周期、還暦となります。
宇宙・天地・自然を貫き、循環するエネルギーの変化の過程を60のタイプに分類したものといえるのです。
今年は、「丁(火の弟)・酉」です。
「ひのと・とり」の年ということになります。
干支の最初甲子(きのえね)から34番目、60年周期(還暦)の真ん中、折り返しから4年目の年の始まりとなりました。
60年の前半で造りあげた事柄の完成へと動き始める時期です。
男(陽)は、42歳が役ですが、陰の女性の場合は33歳が本厄です。
34の今年は、陰の後厄。
厄年をうまくこえると、次の37歳の厄、女を卒業する時期となる庚子(新たな芽生え・更新の象)の厄を楽に越すことができるようになります。
33歳を過ぎると、身体的にはホルモンバランスが変化し、子どものできない身体への脱皮の準備にかかります。
37歳で、脱皮・変身するという事になります。
栄養の不良だった時代、人生50年などと言っていた時代は、老境に入ったとされておりましたが、栄養が良くなった今は、まだまだ若造です。
その次の厄は、陰陽・男女ともに干支が一巡する61歳となります。
還暦60から折り返し、0に戻る巡りが始まります。
120歳、大還暦に向けての折り返しです。
60歳で折り返すと61歳ではなく、59歳、58歳と、だんだん若返って行くと考えると楽しく生きて行けそうです。理想は、0歳の大還暦にあの世に旅立つことです。
人間の生物学的な最大寿命(潜在力)が120年と言われておりますから、大還暦に挑戦するのも一興と思います。
さて、今年の干支を分解して見ましょう。
・十干(根・幹の部分、天) 丁:火の弟(陰)
甲子から始まり、十干3巡目の4年目・丁に入りました。
乙は、芽吹きに備え屈曲している状態、芽が殻の中で縮んだ状態でしたが、丙となり、火(陽気が)働き炳(明らか・つよし)となって行く、すなわち芽が地上に伸びて形をはっきりとさせる状態となったものが、丁では伸びきり、盛を少し過ぎてきた状態(陰)となった事を示している。
すなわち、枝葉を茂らせ、枝がしなだれ下がった状態を示している。
丁の字象は、頭の-(横棒)は昨年の丙(ひのえ)の横棒を引き継ぎ、引き続き丙の延長のまま推移していることを示している。一方、下の│(縦棒)は─(横棒)との緊張、対立の様相があらわれていることを示しており、昨年の流れが持続しつつ、新たな動きが生じ対立が生まれることを示している。
・五行では、丁は火の弟で火。
五行相生説では、木火土金水、木火土金水と循環し、土から金が生まれ、金は水を生むという流れが順当に進んでいることを吉とします。自然の循環に即しているからです。
これとは異なり、五行相克説は他の性に対し優位になる状態を示し、火は金を克し、金は木を克す、のであり、火は金を溶かし、木を倒すのに金物の斧を使うと言うように、押さえ込む様を現します。
いわゆる「あいしょう・相性」が五行であり、循環する方向の流れが吉(相性が良い)であり、相対する性とは、凶(相性が悪い)と見るわけです。
干支の根・幹となる「干」は、盛を過ぎ衰退へと向かう変化の兆しと、その中から変化が生まれ出ようという兆し、衝突し火が燃え上がろうとしているとし、これを革命と見るのである。
・十二支(枝・葉の部分、地) 酉(とり):金・陰
十二支の10番目。
酉は、酒を醸造する器であるが、草木の熟した実を壺に入れ、発酵させた状態である。
酉は、老、飽く、成る、熟す、と意味が通じており、生長したものが熟し老いて行く象である。
新たな勢力があらわれ出る年、革命の年とされている。
以上より、干支の枝である酉は、成熟し老いに向かう象であり、古きものから新しきものへと向かう革命の象とも見ることができる。
酉は、取りでもある。
舞台などの最後を「取り」というが、これは、真打ち・最後の演者がギャラを纏めて受取り、これを分配するところから名付けられたものだが、ものごとの総括、総決算という意味となる。
古きものの総決算としての革命と言う事だろう。
また、酉は、採り、撮り、執り、捕り、であり、物を集めるという意味を含んでいる。
十理(とり)とするならば、篭目(加護目・六芒星)に編んだ籠に閉じ込められた鳥(童謡・カゴメ)が軛を解かれ放たれた象であり、集めた物を腐らせる事なくスムーズに循環する世界(1→10・十理)を指すものとなる。
干(幹)支であるから、丁を幹とし、酉を枝葉として兆しを捉えることとなる。
幹は伸び盛を過ぎたが、枝葉は茂り実を稔らせ、熟した実が発酵している。
幹は火のように勢いがあり、枝葉は黄金のように耀いている。
しかし、その影・内部(陰)では、新たな芽生え、ひこばえが動きはじめている。
五行的に見るならば、幹は火、枝葉は金、火は金に勝(克)つという五行相克となっており、変化が表に出るためには大きな力が必要ようとなり、革命的な様相を帯びることとなる。
ということが、今年の象と見ることができる。
干支では、3年を一つの区切りとして動きを読み取っている。
甲午、乙羊、丙申と続いた3年の区切りが終え、今年から丁酉、戊戌、己亥と続く新たな展開、革命・革新の3年の始まりである。
政治、経済など、自分の興味のある処に、このような象が暗示する様を当てはめ、各人が考察する必要があります。
干支の示すところをヒントに、幹と枝葉の関係などの事象がなにを現しているのか、考えてみると面白いでしょう。
自分、個人の興味ある分野について干支の示す象を考察する前に、参考として十干(天・根幹)と十二支(地・枝葉)を組み合わせた60年(一元)を一区切りとして過去へさかのぼり、世情を確認して見ましょう。
・昭和32(1957)年(一元前)
ソ連、米国へ核実験の中止を申し入れ。
東海村原子炉臨界、原子の火がともる。
日本原子力発電株式会社設立。
鍋底不況(神武景気と岩戸景気の端境期)。
学生運動の原点となった砂川事件発生。
諫早豪雨(死者856名)
国産1号ロケット。
・明治30(1897)年(二元前)
足尾鉱毒事故被害民の請願運動。
金本位制・貨幣法公布
日本勧業銀行設立。
八王子大火(八王子市の大半焼失)
・天保8(1837)年(3元前)
大塩平八郎の乱
生田万の乱
(天保の改革の切っ掛けとなる)
モリソン事件(米船モリソン号が漂流民を輸送して浦賀港に入港するも砲撃に遭う)
・安永6(1777)年(4元前)
各地で一揆勃発。
三原山噴火。
以上を俯瞰するならば、次のように言えます。
噴火、大火、原子力の火、一揆・乱・学生運動の原点となった事件、それと豪雨。
金本位制、鉱毒など金に関わるもの。
天災、動乱(革命)的な動きが多い年巡りです。
根・幹の部分では、│と─の衝突、幹と枝は、火は金に勝(克)つという五行相克、乱の姿が現れているようです。
一方では、原子力発電、国産一号ロケット、金本位制、ペリーの黒船の来訪へとモリソン号事件など、次の時代への魁となる新たな動きが始まっています。
しかし、特に気になることは、福島原発事故の元となった原子炉が一元前に臨界となっていることです。一元、60年も出しました経たないうちに負の資産となってしまいました。
新たな技術の導入に対しては、慎重に検討を重ね導入を行わないと、一元の巡りを経ないうちに負の資産となってしまうということも示しております。
また、各地での一揆や乱の発生、請願運動、学生運動など、これまで行ってきた諸政策の積もりに積もった歪みが浮上し問題を発生させ、そのつけを一揆・乱・運動が「取り」という形となり総決算へと向かう象ということも言えるのだろう思います。
騒乱へと発展させないためには、干支の示す象より対策を考えるならば、茂った枝葉を整理し、風通しを良くし、林床まで日光が入るようにし、病虫害の発生しにくい状態とすることが大切です。
また、根っ子の部分、土壌の改良も必要となります。
自分の身の回りに発生する可能性のある騒乱とは、その枝葉とは、整枝剪定などその手入れの方法とは、と考察を進めることが大切なのです。
しかし、60年サイクル(一元)はおもしろいですね、一定の傾向が出てくるのは不思議ですね。
酉にこだわるならば、12年毎に巡り来る酉年は、自然災害の発生が多いという傾向があるようだ。
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/724.html
12年周期の十二支、その5倍のスパン60年の巡りの干支、いずれもが天災の多い年回りのようです。
さて、干支により、今年の年の巡りの傾向がつかみ出せたとしても、対策が上手く行かなければ大変です。
後付けの対策はどうしても対処療法的な部分最適かとなりがちです。
根っ子の部分、劣化した土壌に関する対策まで行うことは困難です。
それでも人災的な問題は対応可能ですが、天災となると手の下しようがありません。
災害、天災、災難に遭わない運の良い人になることが一番です。
このためには、野生の勘を磨かなければなりません。
野生の勘を育てるには、野生の経験を積み重ねるしかありません。
特に、物心のつかない、すなわち幼児期の記憶に残っていない時期、3歳~4歳までの間に、野生の経験を十分に積ませる事が大切です。
妊娠・受精してから、この時期までの間の経験の蓄積が、無意識となり、身体と心の健康を造り出し、運の良い人とします。
40億年前に地球上に生命が誕生しました。
私たちは、母体・子宮の中でこの生命の歴史を忠実にトレースし、繰り返して生まれてきます。
そのまくり返しはDNAに刻み込まれ、野生の動物(ほ乳類)は、生まれ落ちたときから自力で立ち上がり、母親のおっぱいへ向かう本能が付与されています。
すなわち、動物の運動機能は、生まれ落ちたときには、一人前に生長しているのです。
その後、栄養の摂取により性の成熟へと向かい、子孫を残して死に至ります。
生命を繋いで行くことが、唯一の使命と言えます。
しかし、人は、大脳が肥大化したため、胎児の身体が一人前になるまで待っていたならば、母胎が持ちません。
このため、生理的早産の状態、未熟な状態で生まれてきます。
このため、自力で歩き、おっぱいにたどり着くことができるようになるまで、守らなければなりません。
このとき、外界に生まれ落ちても子宮の中にいるのと同じ刺激の少ない状態を保ち、次第に刺激の量を増し、外界・野生の世界へと同化させてゆくことが大切となります。
また、ハイハイし、立ち上がり、動き回ることができるようになったならば、なめ回す、触りまくるということになりますが、このとき、身体をフルに使わせ、外界との接触を十分に行わせ、五感の発達を促さなくてはなりません。
このなめ回しにより、環境中のばい菌を取り入れ、腸管免疫の確保・整備が行われます。
それ以前に、母体の産道を通過するとき、おっぱいにしゃぶりついたときに、母体のもつばい菌を取り込み、腸内細菌叢を形成させる事となります。
「眼・耳・鼻・舌・身」という五感をフル活用し、その情報を大脳にインプットし、神経回線が密に、複雑に結ばれることにより「意」の元となる、「意」を支える、無意識がしっかりと形成されます。
五感をフルに使うという事は、なめ回しなどを含め、外界の微生物環境を我が身に受け入れると言うことでもあり、腸内環境・腸内微生物相の多様化・複雑さを増こととなります。
腸内細菌叢を健全に生育させることが、子供の栄養、心身の健康を保つ基となるのです。
大脳のみならず、消化系器官の神経系もまた、動き回り、なめ回すことで回路が繋がれて行くのです。
さらには、免疫細胞の強化・教育も行っているのです。
腸内環境を整えることは、意識ではコントロールできない内臓神経を健全にする事であり、また、大脳神経も健全にする事であり、身体活動のベースとなる無意識は、五感をフル活動させた結果の有形無形の情報との接触により獲得される消化系、及び大脳系神経節の結束と免疫力の賦活なのです。
そして、この無意識をベース、足かがりとして意識の世界へと歩み出すのです。
動物は、無意識の世界を生きており、この無意識の世界の広さ、深さ、多様さを、人も動物である幼児期に形成させることが必要なのです。
40億年の生命の旅を再体験し、腸内細菌叢を育て、動物的な感覚までも体験し大脳に刻み込まなければ人にはなれないのです。
人が、人としての大脳活動・意識をフルに使っての行動を行うためには、生まれ落ちてから五感をフルに使った野生の生活体験が被必要なのです。
人の場合、生命40億年の歴史を繰り返す体験は、子宮の中で終わるのではなく、生まれ落ちてからもの子ごろつくまで、3歳頃まで続くのです。
私見では、野性時代をキチッと過ごさせ自然とふれあう機会の多い子は、勘が研ぎ澄まされ、運の良い人になるのだと思っています。
天変地変が日常化してきた昨今、ますます災害がよけて通る運の良い人となりたいものです。
野生動物は、研ぎ澄まされた感覚、勘により、災害を察知して逃げ出します。
そのような野生を鈍らせず、磨きをかけて行きたいものです。
私たちの年代は、貧しかったが、野山川海、自然の中で、時には生命を落とす危険を冒しながら遊び回っておりましたので、野生の勘は幾分残っていることでしょう。
しかしながら、豊かになるにつれ自然から離れ、野生の勘を培う機会・時を失ってしまいました。
野生の勘を養うためにはということを考え、理解したのは、子をお腹に宿したときからの胎教、生まれ落ちた後の育児、乳幼児期、3歳までの体験の蓄積が大きいのではないかと思い当たりました。
で、このような事を語り始めたところ、講演の機会を得ることができました。
天変地変、及び文明病の激甚化、天・地・人の狂いに歯止めをかけるためには、心身共に健康で、勘の良い(感性に優れた)子ども達を育てることが必要だし、母性の復権を唱えています。
ギリシャ神話の登場人物の一人オイデップスが、顔は人間、身体はライオンという怪獣スフィンクスの謎かけに答えるという話があります。
スフインクスは、通りかかった旅人に謎かけをし、知恵比べを挑み、答えられなかった者喰らってしまう。逆に、正答の場合は、スフィンクスが海に身を投げて自らの生命を断つという設定だ。
その問いは「「朝に4本、昼に2本、夜に3本の足を持ち、その上声を出すものは何か」というものです。
オイディプスはそれは人間であると答えます。
その理由は「人間は幼児の時は4本足で這い、成人になると2本足で歩き、老人になると杖を使うからだ」としました。
なぞなぞの答えとしては、オイデップスの解でよいのだろうが、この答えのみでは何か物足りない。もう少し深い意味があるのでは無いかと考えていたが、フト、先に示した人間の一生の発達段階を示しているのではないかということに思いあたりました。
朝に4本とは、乳幼児期、ハイハイの時期にあたり、4本足を持つ者として象徴される動物の野生の感性を磨き上げる時であり、2本足とは、野生の身体と感性を完成させた後、それを土台として文化・文明を受容し発達させる大人・成人という発達段階であり、3本の足とは、文化・文明を築いてきた老賢者の象徴なのではないかと思うに至ったのです。
胎教に始まり、乳幼児期から3才頃までに至る母子密実一体の時に養われる野生の身体、感性が土台となって、先人が築いた文化・文明を継承し発展させ、老いては若者・後人に文化・文明の精華を賢者として引き渡すという役割、発展段階があるのだろうと思うのです。
このような発展段階を意識するならば、生まれた時から、老いて死するときまでの役割、なすべき事が明確となる。
生き物としての最大の使命は、生命を伝えて行くことなのだがその為の発展段階が明確にされるのだ。
オイディプスは、このような事柄について洞察し返答した。
これにより生命の道の本質の継承が図られた故、その後はオイデップスとして象徴される人に任せ、スフインクスは生命の源たる海に身を投じ、生命の大元へと立ち返ったと見ることができるのではないだろうか?
災害から逃れることのできる運の良い人ということから、人間が人として進化してきた生命史、自然の流れに即した野生の心身、感性をもつ子を育てることが大切だろうというところまで来てしまった。
————————————- いつもの毎年同じ能書きです。
古代中国では、万物は一(・)より生じた陰陽(・・)により発したとされ、五行思想の十干十二支、易の六十四卦に表されるように循環し、一回りし元へ戻ると考えられておりました。
中国に限らず、古代ギリシャなど太陽・星々の動きより時間を観察していた時代はすべてが循環するという世界観でした。
しかし、いつの間にか、直線的・拡散的な世界観に変わってしまい、現在は効率化というスピード・加速まで求められるようになってしまいました。
あっというまに1年が過ぎてしまうこの頃です。
すべてが巡る、元の所へ戻るという世界観へ立ち戻ることができるならば、もう少しゆとりが生まれるように思います。
中国の場合、循環論が精緻にくみ上げられ、様々な循環論の中で最も我々の世界に入り込んでいるのが干支(えと)の世界です。これは、十干と十二支という二つの循環論を組み合わせたものです。
十干といっても、十干を陰陽(兄・え弟と)とし、五行(木火土金水)に還元しております。これと、十二支を掛け合わせたため、十干十二支は5×12=60年で一回りします。易は、六十四卦として表しますから、いずれも60年程度で一巡りし同じような事象が現れると感じていた模様です。人間の寿命では、、120年という長年月を見通すことは困難、60年程度が妥当なところと考えたのでしよう。
人間の一生を60年とし、その程度は観察できる、経験できるということでの組み立てと考えられますが、社会的活動ができるのが約30年と想定するならば、二世代となります。二世代を過ぎる当たりで、ご先祖様が行ってきた事柄を忘れ、同じ事を繰り返すという事かもしれません。
懲りない面々、ということなのでしょうか?
このような懲りない面々に対し、気をつけろよと言うサインを送っているものとも思われます。
もともとは、十干、十二支は別の概念と思われますが、いずれかの時期に合体されたものと考えられます。
いずれも、植物が芽吹き、生長し、実を結び枯れるまでのサイクルを表したものとされておりますが、これを無理矢理組み合わせたため、組み合わせの上での矛盾が発生します。この矛盾から、その年のイメージを浮かび上がらせるという事ができるものと思います。
十干十二支は、植物が芽生え、繁茂し枯れ朽ちてゆく春・夏・秋・冬の生命の姿、時間の経過により生ずる変化の考察より、天地万物の変化を類推的に読み取ろうとするものです。科学的な根拠というよりは、先人の長年の経験と類推による経験科学?といえましよう。
十干十二支は、10×12=60で一巡りです。60年を1サイクルとする変化です。
経済額では、約60年周期で好不況が起きるとしております(コンドラチェフの波)。
・ 技術革新に起因するコンドラチェフの波(約60年周期)
・ 長期設備投資に起因するクズネッツの波(約20年周期)
・ 中期設備投資に起因するジュグラーの波(約10年周期)
・ 短期在庫投資に起因するキチンの波(約3~4年周期)
これらの波が輻輳ししうねり60年で会合します。
このような動き、うねりを植物の生成繁茂に仮託したものといえます。
近頃、これに加え
・社会体制・歴史サイクルの変化 70年説 明治維新+70=太平洋戦争終焉(1945)+70=2015年何か起きる?
・個人の季節サイクル 春・夏・秋・冬 各3年×4=12年説
・人生の生長ステージ 7年一節×12段階説
などが言われております。
大地震は70年
不況は60年
とも言われます。
易が64卦となっており、60~70と少し幅を持って循環しているのかもしれません。
一世代約30年、二世代でふた巡りというところでしたが、長寿命となったため7×12=84年説まで出てきました。
さらに長い循環としては、村山節の800年周期説という物があります。
「文明は800年周期で東西が交代している。西暦2000年が東西文明の交差する年であり、今まで800年続いた西洋の時代が終わり、これから800年が東洋の時代になる。」という説です。
東西の歴史上の出来事を、時間軸の中で俯瞰(歴史上の出来事、1年を同じ長さとし長い巻物とした)すると、800年で循環していることに気づいたというものです。
日本の発展、それに続くアジア諸国の発展、中国の目覚め、言い得て不妙なものがあります。
以上 十干十二支・干支をヒントに、イメージを広げてみました。
またまた、錦織さんのスレッドに長い書込。
ご免なさい。
記録として、若干手を入れてシェア。
脇から、シェフ兼社長の声が聞こえてくる。
また、「ひま」なことをやっている。
そんな時間があったら、さっさと仕事を片付けて、早く寝なさいと!
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母体の中にいるとき、胎児から、物心のつかない赤子のうちが、母の勝負時。
このときは、母子の密実一体の時。
母の身体の構造そのものが、そのようになっている。
進化の妙だ。
これにより、動物としての身体と脳の配線が完成し、野生の身体と脳と心が育まれる。
そのなかで、総合力としての野生の勘も身につく。
生命に対する信頼感、危険察知能力など様々。
これが、ある面、生きて行く上での「運」を造るのではないかと思っている。
身体を運び動かすための運動の土台、察知する感性の土台となるのだから、「運」と言っても良いのだろう。
わたしは、このような世界を無意識の世界と称している。
その上に、記憶による知恵が乗っかるのだ。
頭よりも、身体が先に反応して動き出すのだ。
頭は、後追いの屁理屈を付けて説明しているにすぎない。
母は、子供にとっての総て、宇宙・世界そのもの。
母なる宇宙との関係がしっかりと結ぶ事ができた後、安定が確保された後、次第に外界との結びが始まる。
母という存在をアンカーとして命綱を繰り出して、外界の探検を始めるのだ。
そして、母のアンカーとなるのが父たる存在だろう。
家をキチッと保てないと、安定した母にはなれない。
子供は、この無意識の中で培われた母との安定した信頼関係性を基にして、外界へ踏みだし、結びを行い、世界を拡大してゆく事ができる。
いつでも立ち戻ることのできる、安定した関係性が確保された後、外界へと向かうのだ。
母との関係性が、総ての関係性の基礎となるのだ。
この母子一体・密実の時を、じっと見守り、物理的にも守るのが父親の仕事。
大きく言うならば母の住まいする家を保つこと。
その中で、子は育ち、母も、父親も育って行く。
相互に影響し合い、大人(たいじん)へと育って行く。
栄養が満ち、がたいがでかくなり、盛がついたのが青年。
花・華の時期だ。
その栄養、エネルギーを子供へと結実させる。
そして、母・父・親となり、その経験を通して大樹・大人となり、経験を伝え、老い枯れ果てて死に行くのだ。
古木の風情を残して朽ち果てて行くのだ。
現代社会は、経済生長(成長ならば良いのだが大きくする生長)のみを視野に入れ、生命循環の諸相には目をつぶっている。
人・人間としての成長、人間学・心術を捨て去ってしまった。
死に至るまで、どこまで人という器を大きくできるかが生の目的であり、その為に如何に生ききるかが問題だったのが・・・。
子供は、次第に無意識の世界から外界へと目が開き、父なる存在、家族が立ち現れ、親戚、近所へと拡がってゆく。
そして、地域コミュニティーの子育てシステムが機能し始める。
社会の子、地域の自然環境の子となって行くのだ。
父の行為、社会の中に生きる人々の行為を見習い、大きくなって行くのだ。
社会・故郷との関係が子を育て上げるのだ。
そして、親・社会もまた、そのような関係性の中で共に育って行くのだ。
経験・文化の伝達という循環の力が働いているのだ。
昔は、それぞれの循環の中での発達段階に応じたやり方が伝えられてきたのだが、村社会、大家族、封建的として切り捨てられた。
このため、現在は細やかな発展段階に応じた育児は無視され、フラットな状態としてしまった。
そして、子供は自然に育つのだと教えられている。
自然の法則・流れ、循環は無視。
いつかは親になるのだという循環、死んで行くのだという、生・性の諸相は無視。
フラット化。
そこに立ち現れる他者との関係は、我良しの姿のみ。
循環から、はみ出さそうともがいている。
我良しのために、いくら頑張ったとしても、死んでしまえば流されてしまうのみ。
大きな時間の中では泡沫。
しかし、我良しに走り、なまじ知恵があるため、動物よりも悪くなった。
自然とは放置、なにもせず放り投げておけば良いものとの誤解を生みだした。
教育とマスコミの力だ。
一見、言葉としては楽ちん。
なにも努力する必要はないからだ。
これが社会の常識となったのだから、たまらない。
このため、女性は、なんの心得、準備もなく妊娠・出産・育児へと突入することとなる。
そして、母は無我夢中・五里霧中の育児。
母子の受難の時代としてしまった。
子供なんか欲しくない。
自分の時間を大切にしたい、となるのはあたり前の趨勢。
胎児・赤ちゃんを扱うための技術が失われたまま、総てが自己流なのだから。
地球上に、生命が生まれてから40億年。
産みが苦しみならば、地球上には生命は溢れていない。
命の道から、どこかでそれてしまった。
産むという行為のみならず、子育ても同様だ。
母子密実一体の時の大切さを意識せず、子ども達の自我意識ができた後にあれこれと干渉を始めてしまう。
無意識の反抗のしようのないときには、赤ちゃんは可愛いと猫かわいがりをし、甘やかし、親は、子供の召使い状体。
そして、意識=反抗心が芽生えた後、意識に働きかけて強制・矯正しようとする。
子ども達に取っては、おい止せよ!、だろう。
王様から、召使いへの転換が始まるのだから、逆らいたくもなる。
そのような力業を用いるのが育児になっている。
それでは、ちと無理だろう。
流れに逆らっての育児は、疲れるだろう。
何度も記すが、江戸末期から明治初めに訪日した欧米人が同様に記すのは、日本は子ども達の天国、元気に楽しそうに遊び回り、泣く子は見当たらない。
女性に取っても天国。
ある日、近所のうら若い乙女が、一斉に消えてしまう。
お伊勢参りに行ってしまう。
その姿の楽しげな事。
女性上位社会、性風俗も欧米とは子となっており、あっけらカランとしたもの。
処女崇拝などと言うものは、欧米文化が持ちこんだもの。
女性を商品として扱おうという精神があるため、傷物を嫌ったのだ。
このような文化に対する犯行がフェミニズムを醸成した。
日本では、純血は、武家・貴族などの男系社会のもの。
庶民の世界は、自由に溢れ天国だった。
それが、春画などに現れている。
話しが飛んだが、
母子密実一体、無意識の時代、三つ子の魂をキチッと仕込んだならば、その後は、次第にその関係を粗にして行く段階。
母の子離れの時期に入って行かなければならない。
母に取とっては、ここからが本当の産みの苦しみなのかもしれない。
転んでも直ぐには起こさない、手を出さない。
自分の力で起き上がるのを見守る。
手を出したいのを堪え、じっと我慢し、守り導く。
子供の将来を見据えた我慢力の涵養だ。
適度な躾、指導は必要だが、過度な手出しは無用な時期となる。
それが、肉体的にも心・精神的にも自立を促すのだ。
この子離れができないため、モンスターペアレントなどが生まれる。
子供達はおろか、先生など外界までもが自分の思い通りに動くものとの勘違い。
究極の甘え、わがまま構造だ。
この様な状態を見習ったのでは、子ども達は自立できないこととなる。
これは、数世代にわたる子育ての結果培われてしまったのだ。
今に始まったことではない、原因・遠因があるのだ。
真の子育ての結果が現れるのは、母から母へと子育て技術?が受け継がれ、磨き上げられてゆくのだから、数世代後のこととなる。
すなわち、現在の母、子ども達の良き面、悪き面は、敗戦後の教育の成果とみることができるのだ。
無意識の時期を大切にし、心・精神を育てるということに重きを置くよりも、意識がついてから、自己主張を始めた頃から、身体・肉体、及び大脳・知識に偏重した育児を行うという方向だ。
気にくわないものは排除し、我良しに流されるのは当たり前だろう。
心身の無意識の土台が完成した後、ここからが、「子供は自然に育つ」という時期となるのなだ。
しかし、逆のことを行っている。
内臓を含む自律神経という無意識、大脳の基礎となる(不随意運動を含む)筋肉などを動かす神経の配線など、無意識の世界を支えるベースがキチッと育ち、準備されることが、意識活動の土台となるのだ。
現代社会は、この無意識の世界に対し、余りにも無意識すぎる。
目に見える物だけ、数字・量で評価で切るものだけが重要と教えたためだろう。
数字、量で評価するという安直な方向で良しとしたことから、無意識を含む目に見えない世界、センスなどでしか評価できない世界こそが根っ子なのだということを忘れてしまった。
日本文化は、無意識の世界、察知する、感じ取ることが基本なのだが、そのような心を育てようとの配慮が感じられない。
子供の根っ子、土台となる部分さえしっかりと育てる事ができたならば、その後は、様々な物事にぶつかり、その中で試行錯誤、理解をし、深めて行く。
身体の動きもシャープになって行く。
次第に社会との関係性も学んで行く。
自ずから学ぶという体勢を取ることができるようになるのだ。
このような基礎、母と子供も達がいたからこそ、幕末から明治の鮮やかな転進が可能となったのだ。
意識が生まれてきた後は、家業としての習い事を始める時期となる。
見習い、見取り稽古から始める事となるが、そのとき、親父の存在がものを言うようになる。
社会、地域コミュニティーがものを言うようになる。
文化的な遺伝子の継承だ。
母は、より良く生きて行くための命と心と身体の伝承。
父は、社会は、文化の伝承。
母が土台、根っ子を造り、父・社会の伝授する文化・社会性が花開く。
しかし、その父も亦、母から産まれ出でしもの。
人は、母の生ける作品。
社会は、その綜合的な表現。
バイブルでは、生命の樹と智慧の樹の二本があると記しているが、生命の樹を軽んじ、智慧の樹だけを重んじてしまったのが現在。
母なる生命の樹、無意識の樹の伝統は、縄文の昔から日本に根付いてきた。
その伝統を掘り起こし、守り、伝える手行くことが大切なのだ。
だじゃれ的となるが、生命の樹と知恵の樹は、二本とも、日本にあるのだ。
子ども達は、母たる宇宙、内なる宇宙から、外界へ、外なる宇宙へと飛び立つのだ。
それによってこそ、真の自立した子、他者の傷みを感じ取れる心を持つ、思いやり深い社会の構築が可能となるのだ。
そのような子が増え、大人となるならば、世界は安定し、平和になるのだ。
母なるものの使命、それは、子ども達の野生をフルに磨き上げることだろう。
私たちは、地球の子。
生命史40億年の結果が現在だ。
生命史の教えるところは、野生の肉体と感性の土台の上に、文化は花開くということだ。
母なる存在、野生という生命の歴史、について見直し、考え直すときに来ているのだろう。
いつもの悪い癖。
錦織さんのスレッドに長い書込。
いつものごとく、記録のためシェアし補強。
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角度を少し変えて、身体という面から・・・・・。
「最近、春だから~」という点について。
日が長くなるにつれ、身体も春になって来ます。
骨盤から開きはじめ、だんだん上に昇り、後頭部に至ります。
花(=性)開くのは、植物だけではありません。
その中で、春になり切れない身体を持つ人がいます。
悶え閊える部位に関連した症状が現れます。
身体だけではありません。
閊え悶えたエネルギーが頭・脳=精神にも影響します。
だんだん、桜が咲き始め花狂いの時期になって来ました。
更に温かくなると、皐月病と言うものもあります。
精神的な問題とされますが、身体のこわばり、エネルギーの鬱滞、循環・発散の悶えとも見ることができるのです。
すなわち、春になりきれない身体です。
年取ると、回春、春を取り戻す、という事があります。
春になれない身体というものは、老人・あの世に近づいた、という事でもあります。
近頃は、春になれない身体を持つ人が沢山。
世の中全体が、あの世化していると言っても良いのかもしれません。
物理の法則を転用するならば、身体・心の重い人は地の世界へ、軽い人は天の世界へ行くのでしょう。
身体・心が滞ってしまった場合は、身体を動かし、エネルギーを発散する事で閊え悶えが溶けだし流れ始める事となります。
私たちは、動物なのですから、しなやかに身体を動かす事ができるようにすることが基本です。
感情は、身体・内臓にくっついているのですから。
身体の循環が良くなれば、感情・精神の循環も良くなります。
悶えが取れます。
身体がこわばると、受け入れられるキャパが小さくなります。
感情も抑えきれなくなってしまいます。
・・・・・
制度的に言うならば・・・。
誤解を恐れずに言うならば、結婚するまでは女。
結婚した後は、母だろう。
その覚悟無しに結婚してはならないのだろう。
結婚とは、家を造り、生まれてくる子ども達を守り育てるための仕組み。
利口な女性達が、馬鹿な男を騙して作った仕組みだろう。
長い長い歴史、時間をかけて人という種が造りあげた、母体と子を守るための仕組みだろう。
子々孫々にわたり生命を伝えて行くための仕組みだろう。
この仕組みがあってこそ、地の上に人が溢れるほどに栄えた。
その男を騙し搦め取るための仕組みが、いつの間にか、自分たち女が騙され、家庭に縛り付けられているとしてしまっている。
家の主役は母。
家=内は、女=母の場所。
商家はご内儀だし、武家では大奥だ。
庶民の間では、床の間に鎮座する山の神だ。
家は、構造からしても子宮=子育ての場だろう。
男は、その入り口から出入りする金精様。
金精様は、祭り上げて元気にしておけば良い。
男を家に縛り付けて活用するために手練手管を磨くのが女の修行。
母として、自分・故郷を守る子を育てるための修行もある。
女・母としての自立だ。
それが日本の婦道だ。
いつの間にか、そのような女として積極的に生き抜くという考え方を放棄し、男性優位社会であることを認めてしまった。
女は虐げられてきたという嘘を教えられ、男女平等やジェンダーフリーを説きつつ、過去の自立の道を自らが潰してきた。
行き着く先が、雇用均等、男女共同参画、国民総活躍だ。
女の男性化は、男の中性化を招き、男も女も無い、労働力とだけ見なす社会の到来だ。
労働力が増すならば、当然のことながら給与の低下を招く。
給与の男女差を無くすと称しつつ、年功序列を無くす。
当然のことながら、子育を生むというハンディを持つ女が劣勢に回り、社会弱者となって行くことだろう。
国民総活躍とは、敗戦前の言葉を使うならば国民総動員だ。
経済戦争のために国民総動員体制を造るぞと言う宣言なのだが、なぜか皆、平気だ。
むちゃくちゃな本末転倒社会。
そのような社会を認めるということは、女が馬鹿になってしまった、という事だろう。
優れたDNAを持つ男を捕まえるために女を磨く。
そして子を作る。
後は、男は、おだて上げて働かせばよい。
家を守らせれば良い。
生活費を家に入れ、生活が安定してさえいれば、男はいない方が楽。
家をぶちこわさない程度に、問題を起こさない程度に、外で遊んでらっしゃい。
子育ての邪魔はしないでね。
胎教、育児、子育ての文化は女・母が築き、伝えてきた。
子供は神からの授かり物、神として仕え、育ててきた。
江戸末から明治初めに来た欧米外国人は、子ども達の天国、泣く子を見たことが無い、と異口同音に魂消ている。
また、男が家業を離れ、サラリーマンとなってしまった今、子ども達が、男が額に汗して働く姿を見ることができなくなってしまった。
会社で働き疲れた男が、家でゴロゴロしているようになってしまった。
男が元気な時は、出社よりも、給仕にゴルフなど遊びに行く時。
こんな男を見ていたら、子供がキチッと育つわけが無い。
このような社会では、男が家にいない方が良い子に育つ。
遠くにいる、帰ってこないお父ちゃんを、お父ちゃんはすごい人なのよ、とお母ちゃんが幻想を与えた方が良い子に育つ。
両親がいないと子供は育たないなどいう神話はなぜ生まれたのだろう。
その根っ子を探って見る必要があるだろう。
H27.05.26.(火)、お腹の中の宇宙
<FB転載>
凄い。
薄皮一枚?でまもられている。
破裂してしまう人がいないのが不思議なくらい。
でも、お母さんは、動いた、蹴ったと嬉しそうに喜んでいる。
生まれて来る命に対する絶対的な信頼感・一体感。
我が家のシェフも、張り詰めてパンパンでしたね。
恐る恐るお腹の皮膚に触れました。
宇宙は、地球は、自分は、この子を生み出すためのみに存在すると思える一瞬。
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