「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

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「外来種」 教育と、「外来種」駆逐運動?

自然環境復元学会(旧・自然環境復元研究会・協会)は、人間疎外の自然保護運動の流れを汲む諸団体とは異なる、人間をも含む生態系、自然と人間の関わり合いを究明し、健康で幸せな人間生活を持続させるために自然復元を行うという団体だろうと感じ入会しました。

 その究極が、内なる自然、内外も無い人間を身ぐるみ抱え込む自然、自然=人間同体・共同体という考え方に集約されたように受け取っています。

 この点で、杉山イズム・自然環境復元という観点から、侵略的外来種リスト・外来種被害防止行動計画にはもの申していただきたく、お願いをいたします。

 環境省の推し進めている外来種問題、特に外来植物問題は、人間の産業活動を制限しても、外来牧草・芝草の使用を制限しようとしているように感じます。

 産業界にダメージを与えるだけならばまだしも、子供達に外来種教育を行う、地方自治体・NPO・ボランティアを動員し、外来種対策を行う(=駆逐)という国民運動化しようという動きが感じられます。

思い過ごしならば良いのですが・・・・・。

 なぜかこのような方向性に対し、変なものは変、おかしいものにはおかしいという人がいないようです。皆、おかしいとは感じていないのでしょうか?私は、おかしいと感じたものは率直に口に出してしまうため、いつのまにか矢面に立ってしまいます。面倒くさくてしょうが無い、仕事でも無い、乗り出した船、貧乏くじとぼやきながらもやっています。

 外来種問題・生物多様性保全に対しては、総論は賛成ですが、その強引な持って行き方は困りものです。このため、極論的な観点からもの申してみます。

 現在の応用生態学的な生物多様性保全という考え方(生物純血主義)は、1つの思想に過ぎないのですが、地球環境という人質を持ち出し、正義を振りかざしております。

自然界に、(人為的な)遺伝子の交雑を認めない、純系だけ残すという考え方は、欧米世界の悪しき優生学的な発想に基づくものなのですが、正論であると正義を振りかざしていますから、そのおかしさに気がつかないようです。

 日本の暴力的ともいえる復元力の強い自然に対し、欧米風の一端壊すと復元不能な自然環境に対するものの考え方を、翻案して入れるなよ、日本の自然・暴力的な程の回復力を持つ自然をキチッと観察して、日本の生態・風土に合った学問を構築してくれよ、安直に外来植物を悪者にするなよ、と、機会を捉えてはもの申しておりますが、微力故どこ吹く風です。

 挙げ句の果てには、外来種被害防止行動計画により、自治体・NPO・ボランテイアを駆り立てて外来種征伐の十字軍を造りあげ、国民運動に仕立てる算段のようです。

予算がないから、1つの方向に洗脳し、悪者退治に動員(駆り立て)しようという算段のように思われます。優生学に基づく動員、その発想は、本質的にはナチズム・全体主義と変わりありません。

 生物多様性保全を叫ぶ方々が、多様なに考え方、立場を排除するという大きな矛盾をやらかしておりますし、人間様の外来種を用いた多様な産業活動も否定しております。

植物の純血を守るために、産業活動をも制限しようというのです。
そもそも、植物の純血とは?

遺伝保全学という学問分野では、純系を守ることは群落の衰退につながる、如何にうまく交雑させるかという研究をやっています。立場立場で、考え方は異なるのです。
しかし、現在は保全生態学的な思想により動いています。

このままでは、法面のみならず、牧場・ゴルフ場・公園緑地・スポーツターフなどに用いる牧草・芝草までもが外来というだけで使用不能となってしまいそうです。

 逆に、外来という呼び方にこだわるがあまり外来牧草を排除した結果、在来種と称される中国産在来種が大量に使用されるという結果になっております。

これにより、国内の同種との交雑が発生しております。
ヨモギ、メドハギ、ススキ、イタドリ、ヤマハギ、コマツナギ等です。
もう、取り返しがつかないほどになっていますが、(外国産)在来種に対する根本的な対策はなされないようです。

 昔も今も、全体主義は役人の理想とする所でしょう。
そのような傾向に、多様性保全を語っている生態学者が手を貸し、推進しているということに気がついていないのでしょうか? 自らの学問を政治を使い実現させるというつもりかもしれませんが、実態は真逆です。

 生態学的な発想がやっと政治・行政に組みこまれる時代がやってきたと喜び勇み、原理的・理念的な発想で事に取り組むと、ねじれたユートピアとなってしまいます。理想という非常識に固められた窮屈な世界です。

人間様の営みに対し、急速に変化を伴うような施策は、いずれ、形を変えて、そのつけ、反発が、自らの子孫に襲いかかって来ます。これは歴史の鉄則です。

 外来種退治を国民運動とするための、その1つの伏線なのでしょう。
外来種被害防止行動計画には、環境省から文科省へ申し入れをし、文科省が教育委員会へ外来種教育を行うようにとの通達を出したとの記載があります。

 外来種という言葉には、すっかり手垢がついてしまいました。
侵略的等という冠を付けてしまったため、外来種=悪者です。

環境省の旗印を受け、マスコミ、自然保護団体などが本気になって、外来種=悪者と啓蒙活動を行っています。
その結果、外来種=悪者というレッテルが貼られてしまいました。

 国土交通省などは省庁間の政策のすりあわせでは無く、マスコミに煽られた大衆の動きを察知して、媚びる形で外来種対策を進めています。このため、無理が発生し、仕組みを構築すること無く、建前に現場を合わせるろ、という形になっておりますから、無理難題・現場サイドは混乱が常態化しております。
その結果が、先に示した中国産外来植物の多用です。

 このような動きを、学校教育の場で、更に強化しよう、洗脳を推し進めようというのでしょうか?
生き物は中立的なもの、善も悪も無いんだよ。
外来種と言われるものだって、そうなのよ。
人間様の使い方が悪かったんだよ。
それを反省し、改めようとしているんだ。
適切に管理しようね。
なんて話が出来る教師がいるとは思えません。
外来種教育と言っても、単に外来種=悪者というイメージを植え付け、強化するだけの事になるのでしょう。

 人間様のやらかしたことを、外来種が悪いと責任転嫁しているだけなのですが、そのような事実・史実には触れることは無いでしょう。
結果、子供達にあやまった自然観を植え付けてしまうことになります。
あるいは、巧みな責任転嫁の方法を教え込むわけですから、人生観そのものを傷つけてしまいます。

 日本の風土の中で形成されてきた、自然に包まれ、自然と共に生きて行くという、人生観そのものが揺らぎだしているのですが、日本的な人生観にとどめを刺すこととなるように思います。

内なる自然の全否定です。
自然ととにあった日本的生活観の破壊です。

 これにより、子供達の自然に対する考え方は変化し、大きく分けて2つに分かれて行くものと思います。

 1つは、自然の中には外来種という悪者がいるという自然観をもつ子供達です。
自然に興味を持つ子供達の多くは、このような考え方になるものと思われます。
自然と対峙する、欧米的な善悪二元論的な世界観を持つようになるのでしょう。
自らの立場のみを正義とし、勧善懲悪というファナティックな世界観を持つにいたるものと思います。

日本人精神の欧米化が一層進みます。
このような考え方が、人種問題などへ変化して行くことは容易です。
今後、中国・韓国との関係が悪化すると、その傾向はエスカレートして行くでしょうが、その種まきをしているという事になります。行き着く先は、人種差別です。時代と逆行していますね。

 もう一つは、自然にあまり興味を持たない子供達です。
興味を持たないと言っても、潜在意識に外来種=悪者というイメージがすり込まれてしまいますから、自然は嫌いとなり、自然離れ、都市空間、あるいはバーチャルな空間に住まいするという傾向が一層強まるようになるものと思います。
バーチャルな空間も又、自らが大将、勧善懲悪の世界です。

バーチャルなゲーム空間は、暴力空間ですから、悪者はやっつけろと、右翼化しつつある今日、これもまた人種差別的な動きに連動する傾向を持つようになるものと思われます。

 自然が好きな子は、悪者退治というファナティックな世界に住み、自然に無関心な子は、さらに自然離れを促進させる。
これが、現在進めている外来種教育の行く末と思います。

 私も植物社会学、森林生態学を学んだものの一人ですが、
一人でも多くの子供達に自然大好きになって欲しい、自然の中で遊び転げられる世界を作りたいと考え行動してきました。
しかし、一部?の生態学者の旧態依然とした自然保護運動の発想から抜け出せない、対立的な発想から、無意識とは思いますが、今後の社会混乱を煽動していることに、悲しみを覚えます。

自然を破壊する、自然を守る、いずれも自分を自然の外に置いた欧米的な発想の延長上の行為です。
日本的、彼我一体というものの考え方にたった生態学の構築が望まれます。
私の受取方が極端すぎるということであれば良いのですが、このような方向へと進む事が無いように祈ります。

 現在、外来種問題に携わっている諸先生には、もうすこし歴史的・長い時間をかけた観点から考えていただきたいと切に思っています。
元来、植物生態学は、遷移など長いスパンでものを観察し、考える学問であったはずです。
わたしは、そのような部分に対し興味を持ちました。
そして、この40年現場を見続けてきました。
結果、現在外来植物=悪者論を吐くような状態にはなっていないことだけは断言できます。
外来牧草からスタートした現場も、20年、30年と時間が経過すると、周辺自然へ同化しています。

 外来植物が悪者扱いされる場所は、すべて人間様が環境改変を行った場所です。
100%、完全にという意味で、すべてとしてしまうと語弊がありますが、外来植物に関する問題の100%近いものが人間様の環境改変に起因するものであり、また、意図・非意図的に人間様が外来種を運び込んだものです。

すべての責任は人間様にあります。
ならば、外来植物を悪者扱いすることなく、改変した環境を元に戻すか、管理し続けるしかありません。
それが責任の取り方です。
外来種に対する責任転嫁は問題外と言えます。

 時間をかけ、環境改変した結果なのですから、時間をかけ、もとに戻して行く必要があります。
我が国のパワフルな自然環境では、それが可能です。
また、復元・管理を行うための仕組み、予算化、生業化が必要です。

 「明日のエコでは間に合わない」、「外来種=悪者」というマイナスイメージを与え、脅迫感をあおり、外来種教育により洗脳するという手法を用いて、急げ急げとあおり立てる事に何のメリットがあるのでしょう。

行き着く先は、自然から離れた非人間的な社会だと思います。
私の危惧に終わることを切に祈ります。

 以上

市場単価・物価版掲載の緑化植物について 矛盾-1

市場単価・物価版に掲載さている緑化植物と、現在設計・発注され使用が求められている生物多様性保全、周辺の自然環境に配慮した緑化植物との間に矛盾が発生している。

この矛盾を解消すべく、日本緑化工学会から修正をもとめる意見書が、市場単価調査の担当とされる九州地方整備局に提出された。
「市場単価の植生工で設定している使用植物に関する問題点と修正に関する意見書」

市場単価及びその基礎となる物価版に掲載される緑化植物に関しては、様々な問題を輻輳しているため、意見書の内容は難解である。

このため、法面緑化を行う場合、現場として理解しておかなければならない矛盾部分について、要約して示す事とした。

矛盾1.在来種(郷土種)という記載

物価版などに掲載されている緑化植物は、「在来種(郷土種)」と記載されている。
草本類のヨモギ、ススキ、イタドリ、メドハギ、及び、木本類のヤマハギ、コマツナギである。

しかし、そのすべてが外国(主として中国)の自生地で採取されたものであることは公知の事実となっている。特に、コマツナギは、性状が我が国在来のコマツナギとは大きく異なるものであることは多方面から指摘されている。
環境省・国土交通省・農林水産省・林野庁(以下4省庁)による「緑化植物取扱方針検討調査」においては、このような実態を踏まえ、「(外国産)在来種」と記載している。

このような実態が指摘されながら、積算の基礎価格となる物価版などの記載の変更がなされていないことは問題である。

問題とは、次の二つを挙げることができる。

① 周辺自然環境に配慮するとし、外国産在来種を使い続ける根拠とされている。

緑化植物に関し知識のない設計者は、物価版などに記載される在来種(郷土種)という記載を鵜呑みにし、あるいは、よりどころとし、周辺の自然植生に配慮し自然に優しい緑化を行うとして、物価版記載の在来種(郷土種)を用いる事例が増加している。
外来牧草の使用が制限された場合、代替として物価版に記載している在来植物(郷土種)を使えば良いだろうという判断である。

我が国在来の植物であるかのような記載のため、発生する問題である。
これにより、自然度の高い地域に、(外国産)在来種が用いられることとなり、自然に優しい緑化、生物多様性保全などを謳いつつ、外国産の遺伝子を持った植物を導入するという愚行をおかす原因となっている。

生物多様性保全に対する配慮は多岐にわたるが、法面緑化を行うに際しては(1) 侵略的な外来生物を用いない、(2) 同地域に分布する植物の同種・近縁種を用いることにより、地域固有種の遺伝子レベルの汚染、すなわち、交雑を防ぐ、の二点が重要である。

外来生物というと、(1)の部分に目くじらをたて、これまで50年あまりの使用実績をもつ牧草類を、外来というだけで、外来牧草を悪者扱いする傾向が強い。

しかしながら、これら外来牧草は日当たりの良好な裸地状の箇所でしか生存ができず、自然度の高いうっ閉度された原野や樹林地には侵入・定着できず、外来牧草を用い法面を緑化したとしても20~30年の後には法面上に樹林が形成され、周辺自然に同化するものであり、自然回復のスターターとしての役割を果たしてきた。
この点では、牧草は外来ではあるが実質的な問題の発生は少ないものと言うことができる。

これに対し、(外国産)在来種は、我が国に同種の植物が自生するものであり、交雑による遺伝子の汚染が発生するものである。また、一端発生した遺伝形質の変化は、回復不能なものとなる。
目に見えない形で、生物多様性が浸食されてゆくものであり、問題の発生は潜伏し、より深刻といえる。

外来牧草は、逸出が発見されたならば判別は容易でありね駆除可能である。
これに対し、交雑・遺伝子レベルの汚染は取り返しのつかないものとなる恐れがある。

しかしながら、外来牧草の使用を咎める声は大きいが、(外国産)在来種を用いる事を咎める声が上がらないことは、不思議である。
このためか、物価版などでは、「在来種(郷土種)」という記載を改める必要性を認めてこなかったものと考えられる。

② 設計で周辺自然に配慮した緑化を謳っても、積算は市場単価のため、設計に即した施工をなすことができない。

物価版記載緑化植物は、市場単価の基礎となるものである。
すなわち、積算の根拠として重要な位置を占めるものである。
現在、法面緑化工はすべて市場単価により積算され発注されている。
市場単価に用いられる緑化植物は、法面の浸食防止を行う事を目的としたものが主であり、急速にの法面を緑化・被覆するために用いる事が前提となっているものである。

一方では、生物多様性国家戦略が策定され、生物多様性保全が行政の内部目的化され、外来生物法など、生物多様性保全を図るための施策が進められている。

このような動きを受け、国土交通省では、平成21年6月に発行した「道路土工-切土工・斜面安定工指針」では、植生工の部分について、生物多様性保全に配慮した改定がなされた。この改訂にあたっては、筆者も意見書を提出した。

林野庁では平成17年~19年「特定外来生物による被害の防止などに配慮した緑化植物取扱方方針検討調査」、平成20年~平成21年「荒廃地緑化手法検討調査」を実施し、筆者も委員として参加し意見を述べた。これらの成果を総合し、平成23年1月に「林野公共事業における生物多様性保全に配慮した緑化工の手引き」、手引きの別冊として、「同手引きに沿って実行する工事の施工、保育・管理ガイドブック」が作成された。

以上に示したように、仕様書・設計書レベルでは生物多様性保全に配慮した方向へと進んでいる。

従って現在は、設計と積算が矛盾し、整合性の取れない上程のまま放置されている状態となっている。
設計は、周辺自然環境に配慮した緑化を求めるが、積算は市場単価によるため、外来牧草・(外国産)在来種を用いる基礎価格となっている。

設計と積算の間の矛盾・齟齬については、受注した業者が良きに計らえというものである。
従って、①に示した、周辺自然に配慮した緑化が、物価版に記載された在来種(郷土種)を用いるということとなってしまう。

積算の基礎となる市場単価・物価版が、現状の設計仕様に追随し改訂されないために発生する矛盾であるが、生物多様性保全に与えている影響はおおきい。

現状に合わせた、早急なる改善を望むものである。

関連ブログ 「緑化工あれこれ」 もご覧ください。

その2に続く