「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

「身体の自然・健康」カテゴリーのアーカイブ

引き締める力 口・肛門

身体を自分で引き締め保つ力、それは身体の芯、そして重心を保つ力ということなのです。

中心力ともいいます。

別の言い方をするならば、魂魄か遊離することをとどめておく力。

土左衛門など助かるかどうかは肛門の緊まり具合でわかると伝えられてきました。

肛門の締まりがなくなってしまう。

それは、魂魄が離れ、身体を保つ力を失ってしまっているということなのです。

なので、呼吸法(息・生き)では肛門を締めることを基本とします。

肛門を引き締めることにより、仙椎が立ち、骨盤が引き締まります。

すなわち、身体の芯が立ち、重心・丹田の在処が明確となる、意識しやすくなるのです。

肛門を引き締める、としていますが、それは口(入り口)から肛門(出口)にまで繋がっている胃腸を引き締め活発化させるということでもあるのです。

このため、普段の口元はキチッと締まっていることが大切です。

そして、笑うときは、口元を弛め大きな口を開いて笑うことのできる弾力を保っていることが大切なのです。

大きく笑うとき、大きな息をし、お腹、内臓まで動くのです。

それが生きているということなのです。

悲しみ、怯えなどは、息を潜め、息を止め、元気を失うことになってしまうのです。

FBではくり返し口の大切さをお伝えしてきました。

それは内臓、そして肛門へと連なるものだからなのです。

口も肛門も、内臓が飛び出したものなのです。

口元、歯茎を叩打する、左右の口角に小指を入れ、左右に引く、口・唇の運動をするなどの方法もお伝えしてきました。

生きる元となる内臓を活性化させ、そして肛門までつづく深層筋を引き締めるための方法なのです。

このことからも、コロナ禍では大きな罪作りをしてしまいました。

口パンツ、猿ぐつわ装着の忖度強要により、口呼吸へと導き、締まりのない口元の人間を増やしてしまいました。

いまだに多くの人々が受け身・守り一方のくつわ族としてしまったことは罪深い行為だった、ということが理解できるでしょう。

死に行く年寄りがいのち汚く老醜をさらすのは勝手ですが、周囲のものにとってはみっともなく不快ですね。

大勢やっているから平気、皆で渡れば怖くない症候群なのでしょうね。

それでは、周囲のものまで暗く滅入らせ、身心を硬くさせてしまいます。

それにも増して、選択権のない子供達へのマスク強要は止めさせなければなりません。

生きる力を失った半病人を作り出してしまいます。

不健康な状態となる因子を埋込み、子供達の未来を狭めてしまうのです。

引き締めるということと、弛めることとが対をなし弾力を保っているのです。

どちらにも極端に偏ることなく、必要に応じて自在に動くことができる状態が弾力であり、締弛の幅が大きく、自在に使うことができる状態が良いのです。

偏りが固定化され弾力を失うことにより病と称される症状となり、究極の偏りに到り弾力を失うと死が訪れるのです。

身体(からだ・空だ)から、中身(霊魂=本体)が離れてしまうのです。

これが我が国古来から伝わる、体感に基づく霊魂観なのです。

当然ながら、入り口・出口の本体である胃腸が健全で弾力を持っていることが大切です。

すなわち、適切な食により共生している腸内細菌叢の健全さを保つことが大切となるのです。

これを、「悔い改めは食い改めから」と称しているのです。

胃腸の健全さは皮膚の張りになって現れます。

また、胃腸の健全さが鳩尾や丹田などに出て来るのです。

不健全なものは、身体の面では「腰抜け」、精神の面では「腑抜け」と称される状態になってしまうのです。

このような観点から言うならば、現在は、一億総病人、腰抜け・腑抜けの状態になっているといえましょう。

腸、皮膚は地続き、第一の脳、脳の始まり、無意識・心の脳なのです。

また、身体も一つ、地続きですから、肛門を引き締める力は、身体、心、精神、魂魄・霊魂にまで係わることなのです。

歯茎の叩打などを「仙人になる入り口・方法」としてお伝えしてきました。

以上の理屈からはあながち的外れではないということがご理解いただけるかと思います。

このような理屈をきく前に僅かなヒントで、感じ、気付き行えるものを「上根」、理屈を理解し行うものを「中根」、それでも理解できず、行わないものを「下根」、縁なき衆情と申します。

私は「中根」に属する部類故、理解し得た屁理屈を交えお伝えし仲間を増やそうとしているのです。

縁のある方々に届きますように。
https://www.facebook.com/naoko.harmonie/posts/pfbid0vywhTqPAtWCyHKhqCiR2EYh69qVaL4PpohAp9gY2BHubfgZ3CbYGyJ4JD25d22uml?__tn__=-UK*F


「自然に還ろう」6/22(日)甲府で講演


「自然に還ろう」
6月22日(日)、甲府市で開催。
武術研究者の 甲野善紀 さん
小児科医の  本間真二郎 さん
主宰者の「本物で日本を元気に」と
全国を飛び回り、本物を紹介し講演をしている
保坂浩輝 さんというもの凄い顔合わせ。
そして、なんと小生が登壇。 

テーマは「自然に還ろう」であり、人の暮らし方を見直そう、自然の暮らし、本物の暮らしを取りもどそうというもの。

小生は技術士(森林部門)、樹木医として紹介されているが、保坂さんのご注文は「母性の復活、食の改め」など人の生活のあり方を自然に還すということ話題提供しよう。
人が手をいれ緑・土壌を失った箇所の自然回復・復元、そしてエコサイクル(堆肥による土壌再生・人工土壌・廃棄物の土壌資源化)、さらには都市部特殊地・人工地盤の緑化、LID・GFなど山から都市までの緑化工・樹木医関連、そして斜面表層崩壊、防災など特殊土木については専門だからいかようにでも話すことができる。しかし、人の暮らし、母性・食の改めによる自然に即した生活に還す、なんていう大きなテーマについてはいわば素人のオオボラ話。          

乱れに乱れて人・社会の健康が蝕まれ続けているので、人・社会の健康を取りもどすためには、
・いのちの根っ子にある「母性の甦り」、
すなわち「妊娠・出産・育児のあり方」と、
「身体・脳を造る食」の見直しによって元気な子を育てる
・総ての社会改革運動は、
「子供達の明るい未来を創るため」に結び付けなくてはならない、
さもないと分断化され潰されてしまう
と、やむにやまれずFBで思いを述べてきた。
そんなことを話せとの要請。

その道の超専門家の甲野さん、本間さん、保坂さんと釣り合う話しができるかな?
6月、講演を終えるまで悩ましいですね。

ということで、お時間の取れる方は、冷やかしにお越し下さい。
無論、御三方の話しは傾聴すべきことが沢山。
甲野さんは元気な子に育てるための実践的な育児論、本間さんは医療を通じての実践的な健康の話しとなるのだろう。
保坂さんがうまく話しを聞き出しまとめてくれるだろう。
これらの講師に聞きたい話しがあったら、注文を付けておくといいかもしれません。
・甲野善紀「古武術に学ぶ 子どものこころとからだの育てかた」など
・本間真二郎「おうちでケアする決定版 あかちゃんからのかぞくの医学」など
・保坂浩輝「八方良しを目指して」 日本・山梨を元気に ~すべては知ることから始まる~

/申込みはコクチーズから
https://www.kokuchpro.com/…/819aa9919889b2d95d520bcdaf…/

・・・
https://www.facebook.com/events/983925553676010/?acontext=%7B%22ref%22%3A%2252%22%2C%22action_history%22%3A%22[%7B%5C%22surface%5C%22%3A%5C%22share_link%5C%22%2C%5C%22mechanism%5C%22%3A%5C%22share_link%5C%22%2C%5C%22extra_data%5C%22%3A%7B%5C%22invite_link_id%5C%22%3A560313723697700%7D%7D]%22%7D

よろしくお願い致します!

/FB(ひまなか)

https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid0Ef6Wy9akXazwQgLMUer4k6VjsafzT8RrCjXHMh2SyLyVdKjLp6Dw2aoLVMrKqNA2l

       

「土と内臓」&「失われゆく我々の内なる細菌」

土壌は、植物が海を陸に持ち上げたもの。
植物と微生物・小動物の共生体だ。
全体で一つだ。

その海を皮の中に封じ込め、お腹の中に土壌を取り込んだのが動物。
養水分を体に取り入れる仕組みは、植物も動物も同じ。
土壌微生物の力を借りている。
と、大きく俯瞰し説いてきた。

「土と臓」は、このような観点について硬質な庭に有機物を与えつつけることで肥沃な土壌としたこと、そのことと体の微生物との関わり、病との関係について記している。
「失われてゆく我々のなる細菌」は、更に体腸内細菌叢に関して判明したこと、抗生物質などの使いすぎによる問題について記している。
良書である。

この数年で腸内細菌叢に関する知見が、このような書籍、マスコミを通じて世間に拡がった。
しかし、世間といっても広く、このようなことに興味を持つ人々の間に拡がったと言い直すべきだろう。
私たちの健康は、土壌微生物・腸内細菌叢との関わり、さらには、私たちの身体を構成する一つ一つの細胞が元気であることが土台となるのだということに関してまでの踏み込みは少ない。

微生物、細胞レベルにまで思いを凝らし、健康ということについて考え、これらの目に見えぬ小さき物が喜ぶ暮らしということに心馳せることが大切だろう。
食、薬剤、運動、呼吸は、細胞を元気にするためという考え方が必要だ。
味覚、噛む感覚などが鈍った結果、感覚、細胞の感覚を感じる力が劣化し、目、脳が欲する方向へと進みがちになってしまった。

結果、微生物を含む全体で一つ、繋がり、連鎖、循環の中で暮らしているのだが、目に見えぬ世界故、自分たちの都合でその連鎖を断ち切ってしまう。
この連鎖の破綻が、回りに回って私たちに返ってきたときに病におちいる。

これは、生命のつながりを第一に考え暗し続けてきた結果、古人の経験の積み重ねの結果、つたえ残された道に反する行為でもあった。
目先の便利、快適におぼれた結果の自然のしっぺ返しだ。
急激な変化は、最初は小さくても、拡大連鎖し、大きな反動・反力となって還ってくる。
操作可能の自然、自然を征服・管理しようとした結果だ。

こののような結果を真摯に受け取り、部分最適・対症療法に走ることなく、今一度、微生物、細胞、の声に耳を傾けよう。

FB:2017.12/22

糞便移植・便カプセル

腸内細菌叢を、「新たに見つかった臓器」だと言ってるよ?
で、「便カプセル」だってさ。

昆虫から動物まで、糞食は当たり前。
人間さまも、尿の飲用治療をやっているから、糞食を取り入れればよい。
尿も糞も、出たばかりは、悪玉菌は少なく飲食には問題が無いはずだ。

生まれたばかりの赤ちゃんは、母親の便に触れ、腸内細菌叢の元となる細菌を摂取している。

また、土や粘土を食べる、土食は世界共通。
モンゴルの仲間が言っていた。
妊婦は、土を食べるのだそうだ。
粘土中のミネラルの摂取、体の毒物の排泄効果とともに、細菌も取り入れているのだろう。
動物も土を食べ、健康?を保持している。

自然の生き物に取っては、当たり前の行為なのに、新発見とするのは如何に?

「便カプセル」などという新兵器も良いが、その前に、野生に帰れ、野生の勘を取り戻せ、と叫ぶべきだろう。

野生・自然が、最も効率的で、経済的なものなのだが、それさえも色々理屈をこねて、新しい医療術としてしまう根性が物凄い。

 

FB:2014.12/15

腸内細菌叢の撹乱と再生

これが人間さまの生活。
糞便屎尿は自然のなかで分解され、その過程で体にも摂取する。
腸内細菌叢のかく乱と再生が繰り返される。

作物、肉と言えども、その元は土と水と太陽。
固形物の元は土。
土・地球を喰らっているのだから、本能に基づきバランスの取れた食生活をするならば、微生物も含め、必要なものはすべて身についている。
だから、身土不二。地産地消。一物全体。

便カプセル?、なんてものは要らないよね。
糞便・屎尿の有効活用・循環利用こそが、生活の基本。

ヨーロッパの都市は、その循環利用・有効活用ができず、流行病で大変な目に会った。
パリなどでは、下のものを始末する仕組みがなく、糞便屎尿を住居から追い出すのみ。
何のことはない、窓から道路に捨てるのだ。

この汚物を避けて通るための履き物が「ハイヒール」。
外出着が、コートなる。
淑女お気に入りの、裾の長い、ふわーっとしたロングドレスは、用を足すための着物。
どこで用を足すか?
庭の奥に行って、ドレスを着たまま、そのままできるのさ。
便利だろう。

庭園は、観賞だけではない。
実用を兼ねていた。
日本の回遊式庭園などとは次元が異なるのだ。
ハイレベルの目的を持っていた。

香水もしかり。
汚物まみれ?の体臭を消すためのもの。

ハイヒールを履き、ロングドレスを身にまとい、強い香水を薫らせる。
これが、女性のあこがれの的。
冗談じゃないよね。

温故知新。

人口が密集しても、同様のことをし続けた結果、都市は汚物まみれ。
ペストなど伝染病の蔓延。
このような状態を打開すべく工夫し、できたのが、下水道と公衆衛生・細菌学のセット。

汚物は目に見えないところに隔離し、細菌はやっつける、という基本戦略。
下水道を造っただけで、衛生問題は解決したはずだが、細菌・ばい菌というものを見つけたため、医学というばい菌相手の新たなる戦争を始めてしまった。

また、下水道と下水処理というとてつもないインフラを造りあげ、負の遺産を造ってしまった。
活性汚泥法と称する下水処理は、大利量の下水を集め、屎尿を微生物で分解するわけだが、その結果微生物が増える。
大量の水と、微生物(下水ケーキ)の処理を永久にし続けるというシステムだ。
水で希釈せず、地域単位で分散し、メタン発酵などをさせるシステムの方がインフラ投資は少ないのだが、巨大インフラを造り出した今、撤退もできず、そのメンテが次第に負担になって来ている。

でも、ヨーロッパの人々は、ばっちい生活をしたおかげで、強い細菌に対する免疫力を身につけた。
このばい菌とその免疫力の効果はものすごい。
世界の歴史を変えてしまった。

ヨーロッパの人々がアメリカ大陸へ乗り出し、原住民をたやすく征服できたのは、侵略したヨーロッパの人々自らが細菌兵器だったからだ。
これまでに経験したことのない伝染病により、免疫力のない原住民の人口は激減。
原住民の人口が激減したのだから、たやすく征服できたという訳だ。

このように、便利なばい菌達たったから、上手く使いこなせば効果満点。
西洋医学の骨頂は細菌学と外科。
負傷した兵士を細菌から守り、外科手術により効率的に戦線に復帰させる。
細菌は、侵略のための兵器にもなる。

これを逆手に使い、ばい菌が怖いという洗脳により、消毒と称して身の回りのばい菌を殺しまくり、ばい菌がいないための新たな疾病を造り出すという新たな戦略にも使える。
便カプセル兵器の出現だ。

ばい菌は、兵器にもなるし、薬にもなる、という訳だ。
平時は薬として使い、いざという時は、人減らしにも使えるという究極の兵器なのかもしれない。さじ加減一つだ。
どちらも、人を脅すことによる錬金術であることには変わりはない。

天は、強者を助ける。
しかし、強者は、天に助けられたことにより自滅への道を辿る。
人間様の時間の感覚では永遠のように思えるのだが、天の時間ではあっという間の盛り、栄枯盛衰の相なのだろう。

今できるのは、自然の循環に身を任せ、淡々と生きるのみ。
そのような人、仲間を増やして行くことが天与の生活なのだろう。

 

FB:2014.12/15

病は、身体の悲鳴を聞き取らないために発生する、身体のクーデター。

いよいよおしせまってきました。
最後は、健康ネタでしめくくり。
来年も、健康で元気で過ごしましょう。

みなさまにとって、健康で豊かな年となりますように。

・・・・・

仕事仲間から年末の挨拶が届きました。
心筋梗塞を患ったとのこと。
で、よけいなお節介。
昨日の健康ネタと同じ事の繰り返しとなりますが、参考まで。

・・・・・

若い内は、年は切り捨て。
中年は年相応。
年取ると、四捨五入。
最後は、四捨(死者)切り上げとなって、あの世へ組み入れられる。

65歳を過ぎたならば、70歳になったつもりで身体を使い、意識して免疫力アップに努めることが大切でしょう。

猿(地獄谷の猿)を見習い、身体と心を温かく。

・・・・・

病は、身体の悲鳴を聞き取らないために発生する、身体のクーデター。
身体をそれだけこき使っているということです。
大脳(心)も身体の内。
病とは、身体だけの問題では無く、心身のストレスの総和を身体が受け止められなくなってきた、というサインです。
とにもかくにも、身体と心を温め、休ませる事が大切です。

年末年始、身体と心をしっかりと温め、お休め下さい。

・・・・・

病原菌などの関係する急性疾患、切り貼りの外科など、急性的な病に対応するために西洋医療は発達してきました。
言ってみれば、戦争を遂行するための医学です。
病原菌をやっつける、身体に負った傷を修理する、早急に身体を復元して、再び戦場に送り出す、銃後の支えとして生産にあたりロジステックを怠りなく行うための医学です。

効率的に人を動かすためには効果的ですが、これとても直す主体は自然治癒力、自分の身体の持つ快復しようとする力です。

しかし、ともかく速く直してしまう、という方向に発達させてしまったために対処療法となってしまいました。
急性的な病に対しては、止む得ない方向だったのでしょう。
しかし、病原菌を病の主因とし、これを叩きつぶすという対処療法の効果は目覚ましいものであったため、これこそが医療とされ、現在医療の本流になってしまいました。

でも、慢性的な病は、病に至る過程の蓄積、病になる個人の素質というものがあり発病するものですから、病原菌を原因とするようなやり方では、根本的な対策には至りません。
このため、慢性疾患、生活習慣病などは、残念ながら、医療の不得手な分野となってしまいました。

病を悪者として、これをやっつけるための対処療法に走るために、いたずらに病を対立的に取扱い、自然治癒力を阻害する治療をする場合が多く、病が治っても、身体は死に至るということになりがちです。
病に至ったその人の全体、生活のあり方の総体を見ること無く、病に至った部分のみを相手にしてしまうためです。

病とは、その人の身体と心の状態に関する一つの表現と捉えるべきものなのですが、検査と称して身体の隅々まで調べられ、そのあげく悪いところを見つけたと脅かされ、患部を切除し、薬の投与するなどにより、麻痺させ感じなくなったことを、治ったとしてしまいます。

しかし、これは、大きな勘違い。
感じなくなったことにより自然治癒力が働き出すことを妨げ、更に状況を悪化させてしまいがちとなります。
たとえ、病状が消えたとしても、病に至った行動、生活習慣、すなわち、頭の中の構造が変わりませんから、再び、あるいは、形を変えて発病してしまいます。

病名、直接の原因が分かったならば、そのようになるまで心身を使い続けてきたことについて考え、真因を捕まえ、修正し直さなければなりません。
自分の身体を快復させるのは、自己の自然治癒力のみであることを理解し、心身の建て直しを図らなければなりません。
心身(心と体)と言っているのは、身体を酷使し続けるという心の状態、傾向があるからです。
心の状態をも含めた状況の変更を図る必要があるのです。

また、自己の持つ自然治癒力とは、免疫力であると共に、個々の細胞の回復力でもあります。
個々の細胞が元気にならなければ、力を取り戻さなければ、快復には至りません。
心の傾向、身体の使い方の癖を反省し、改めつつ、心身を休め、ストレスからの解放、身体を温め、細胞レベルの活力を取り戻し、自然治癒力のアップに努めることが大切です。

しかし、各人が持つ自然治癒力が働きやすいようにサポートすることが医者の本来勤めだと思うのですが、プロの腕前を見せようと、いろいろと余分なことをやってしまいます。
生活環境が良好・快適となった今、特殊な病以外は、極々当たり前の養生で回復してしまうのですが、それでは商売にならないというシステムがあるからです。
薬を与えなければ儲からない仕組みのため、余分な薬を与えてしまいます。

さらには、教育、マスコミなども、医療や薬に頼らないと健康は保てないとの大合唱を繰り返します。
そして、医者に対する依存度を高めようとします。
そして、庶民は、医療経済の神様に、身体を捧げるのです。
経済の神様のために、一生懸命、まじめに頑張り続け、そのストレスがたまりにたまって、病に至ります。
頭脳(神経・心)の疲れやストレスを、食い気、飲み気という形で、胃腸・内臓・血管のストレスに変換し続けてしまうから、身体の方はたまりません。

教育やマスコミを通じた洗脳で、病は医者・薬が治すものとしてしまいました。
ストレスの解消は、飲み食いすることだとマスコミは暗示します。
それは、経済優先の政治の賜です。
その結果、医者もまた、医療技術が病を治すと思ってしまいました。

自分の身体に備わった自然治癒力、40億年の生命進化の結果、身につけた自己治癒力の力を、自らが否定してしまったのです。
そして、庶民も又、医者という他人の手に自己の健康を守ってももらうということが当たり前としてしまいました。

本末転倒なことを制度化してしまい、教育によりその正しさを教え込み(洗脳し)、さらには、健康保険などと言って、医療経費を補填するシステムを造ってしまいました。
自分の身体の持つ免疫力を発揮させなければ快復しないのに、医者・薬を頼りにする心を植え付けてしまいました。
また、大枚の健康保険料を支払ってきたのだから、その元を取り戻さなければならないと、調子が悪いとここぞとばかり医者通いをするという、さもしい根性を植え付けてしまいました。
そして、医療費の肥大化を招いたのです。
医療が発達するほど病が増すという皮肉結果です。

心筋梗塞もまた、大きく見るならば同じことです。
心筋を形成する細胞の活力が低下したため心筋梗塞が発病してしまうものだと思います。
活力低下はなぜ起きるのか?
それは、心身のストレスの積み重ねの結果ですから、そのストレスを軽減してあげることが根本の解決策となるのでしょう。

心筋は、赤筋。
赤筋は、有酸素呼吸によりエネルギーを造り出すミトコンドリアを大量に含む細胞よりなる筋肉です。
酸素を運ぶのが血液中のヘモグロビン。
ヘモグロビンは、鉄が中心にあり、その鉄が酸素を運びます。
赤い色は、鉄の色。
ミトコンドリアは、細胞内の発電器ですが酸素が必要です。

堆肥で言うならば好気性細菌・高温菌の世界です。
心筋梗塞とは、いわば、高温発酵し、心筋が酸素切れになった状態と例えることができるかもしれません。
血流障害による、酸素・養分が断たれ、欠乏したために発病するものと考えられるのです。
堆肥ならば、切り返しすることにより、酸素を補給し、再び高温発酵に導くことができますが、心臓はそうは行きません。
再び、血流を取り戻すことが必要になります。

動物だから、酸素を運ぶのが血液。
酸素を十分に取り込んだ血液を心筋に送り込まなければなりません。
心臓に張り巡らされ血管に、血液を大量に送り込むことにより、赤筋である心筋が、死ぬまで止まることの無い有酸素運動、ミトコンドリアが持続的にパワーを供給し、心臓を動かしています。

心筋梗塞は、何らかの原因で発生したストレスの積み重ねにより血管に異常が発生した事による心臓の血流障害と言えます。
心筋を構成する筋細胞に酸素と養分が届かなくなってしまい発病に至るものだとされています。
血流障害となる主な原因は血栓などとされていますが、血栓に至る前の心身の使い方があったわけです。

心筋梗塞は、手術などにより見掛けの快復はしますが、手術により心筋梗塞に至った心身の素質が無くなるわけではありません。
回復・本復に至るには、適切な医療処置を行うと共に、身体と心を温め、血行を良くし、酸素と養分を取り入れ、個々の細胞の活力を取り戻し、自然治癒力である自己免疫力を高めつつ、病に至った素質・体質改善をする必要があろうかと思います。

以上 お節介ながら。
明年の活躍を祈ります。

2015/12/31 FB

抗生物質の冬

昨年末の投稿をシェア。
今年も、健康ネタで締めくくろうと思ったが、時間切れ。

来年も、心と身体を温かく保ち、細胞の隅々にまでみずみずしい栄養と酸素を配り、健康で過ごしましよう。
良き水、深呼吸、それに美味しい太陽の缶詰(食物)を取り(鳥)入れ、身体と頭を働かせ、汗をかき、適度かな負荷をかけつつ過ごしましょう。

先に紹介した「土と内臓」、「失われて行く我々の内なる細菌」の2書について語り、新たな年へと思ったが、長くなりそうだから来年にしよう。

これら体内に共生する腸内細菌叢に関する書物が、レイチェルカーソンの「沈黙の春」のような影響を与えることになりそうだ、なって欲しいと記した。
私たちの心身の健康を保つためには、体内に共生する微生物との関係構築、体内微生物生態系の健全さが重要だからだ。

読み進むと「内なる細菌」には、「沈黙の春」になぞらえて「抗生物質の冬」という記載がなされていた。
医薬品、抗生物質の使いすぎによる目に見えない影響が私たちの体内微生物の多様性を低下させ、微生物生態系の変容をもたらし、農薬による「沈黙の春」以上の影響を与えているということを「抗生物質の冬」と示したものだ。
農薬などは、食料を経て私たちの身体に、間接的な影響を与えている訳だが、体内微生物生態系は、私たちの身体の一部であり、その乱れは心身に対し直接的なダメージを与えることとなる。

かつて「核の冬」という事が言われた。
「核の冬」とは、「核戦争により地球上に大規模環境変動が起き、人為的に氷河期が発生する」という人類滅亡シナリオだ。
「抗生物質の冬」とは、体内微生物叢のかく乱による生命力の低下と耐性菌の出現により、抗生物質出現以前の大規模、世界的規模の伝染病(パンデミックス)の時代に逆戻りしてしまうという危険性を示したものである。

体内微生物のかく乱は、私が考えていた以上に重篤な状態となっている様だ。
ますます、心身を温かく保ち免疫力をアップし、医薬品、抗生物質に頼ることなく健康を保つ生活を送ることが重要になって来た。
耐性菌によるパンデミックスから自分、家族を守るためにも。
地球温暖化・生物多様性保全は、近未来の危機について語っているが、「抗生物質の冬」は、今、現実に進みつつある目に見えない危機といえる。

2016/12/31 FB

 

冬の身体・風邪の効用

昨日の「冬の身体・風邪」に対する投稿のつづき・補強。
中野理論というコメントがあったため、反応。
深い処に、長い書込をしたため、表に浮上させておこう。

私のやってきたことの中に、孫引きしつつ自分が本家だという方が多すぎるので、各人が判断できるようネタを表に出しておこうという事があった。
氏素性、系譜を明らかにしておくことは大切なことだろう。
それで、中野は、何処まで勝手な事を言っているかという判断もしてもらえる。
長い前段、屁理屈が嫌いな方は、最後の方だけお読みください。
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私の風邪理論というよりも、野口晴哉師の観察と技術に基づき展開される論を、私の経験と屁理屈で取纏直したもの、ということになります。
本家の「風邪の効用(筑摩文庫)」を熟読することをお勧めします。
私の説くことは、初級、入り口の部分。

野口晴哉師は、疲れというものの本質は偏り疲労、その偏り疲労からの快復過程が、風邪というものであると喝破しています。
そして、一連の快復過程を、自力・自分の体力で経過することにより、身体が整うと共に、パワーアップすると体験的に語っているのです。
そのための、具体的な技術が活元運動・愉気・整体法・体癖ということになります。
極めようとするならば奥が深いのですが、初級編を理解し実践するだけで健康を保つことができるのです。

50年近く医者のお世話にならない生活をしているが、30数年前に野口整体を体系的に学び、それまでの我流のやり方で良かったのだと納得でき、初級的な応用で子ども達も医者知らずで育てた。
野口晴哉師のものの見方は、私がそれまで学んできた自然観察、生態学、進化生理学的な知見、自然というもの、自然の流れと、自然の身体、身体の自然の流れというものと同じ大系の中に収まってしまうのです。
同じ自然のなかのことですから、当たり前と言えば当たり前のことですが、現代医療の不自然さとは異なるのです。
そのような経験からの話しです。

現代医学はエビデンスと言う訳ですが、大勢のデータを集め、科学的・統計的に確かめられたもの、ということです。
下世話な言い方をするならば、「大勢で渡るから怖くない」です。
しかし、それは、一つのものの見方であって、私と他は異なるものですから、何処まで、そのエビデンスが私に適応できるのか、信頼できるか、大勢の中に私は入っているのか、ということとは別問題です。
自分の身体の場合は、今の環境・状況ではと、自分に当てはめて見直す必要があるのです。
医療の結果は自己責任、医者はエビデンスに基づきましたとし責任は取ってはくれません。
薬、医者に任せっぱなしという訳には行かないのです。

自分の商売について考えて見てください。
プロとしての自覚、力量はあるでしょうが、今だ発展途上、全知全能というわけには行きません。
それが、薬、医者となると、全知全能の神様扱いをしてしまい、自分の一番大切な「いのち」さえもあずけてしまいます。
医者とて人間、薬も人の作ったもの、何処まで信頼できるかは、本気で長年つきあってみて、やっと納得できるのです。
それが、こと医療に限っては忽ち神様扱いにしてしまいます。
それを不思議に感じないといことが、不思議でたまりません。

生き死にを左右するような緊急を要する重篤な病の場合は、プロの出番でしょう。
しかし、風邪については、他人がどうこう言おうと、自分の身体を使って実際にその経過を観察してみることができ、その結果を実感し納得できるものなのです。
個人個人の身体の使い方は異なりますから、風邪に対する医療による治療の決め手はありません。
エビデンス以前のものです。
自分の身体の使い方と、風邪の引き方、治り方についての観察が大切なのです。

しかし、薬や医者が治すと、自分の身体を他者に丸投げし、依存することが良いとしている間は、このようなことはわかりません。
症状が緩和され、消え、今・明日の仕事・遊びに間に合えば良いのであって、自分の身体の中の回復過程を観察してみようなどというまどろっこしいことにはつきあってはいられません。
自分の内ではなく、絶えず外界を向いているからです。
薬、医者に丸投げが気楽だというのならば、それもむ一法。
己の選択・責任です。

ただし、自分の身体を観察をする気になるならば、感じることができるのです。
このようなやり方が面白いと思うのならば、自分の身体を使うだけのことですから、自己責任でやってみれば良いだけのことです。
やってみた結果という事実が一番です。

でも、ため込んだ疲労、ストレスが大きいと、また、体力があるならば、偏り疲労のため込んだ反動は大きく出てしまいがちです。
このため、上手に身体を弛める生活をおくり、少しずつ風邪を引いて、排泄、快復へと向かわせる、ため込んだものを少しづつ吐き出して行くということも考えることが必要でしょう。
その為には、普段から身体と心を温める生活を心がけることが大切です。

身体を温めることにより循環が良くなり、細胞レベルにまで養水分を届けられるようになり、また排泄作用が高まります。
それには、運動と深い息、良い食と水、ということになります。
筋肉を動かすから、熱が出ます。
動く事により、呼吸が速く深くなり、内臓も一緒に動きます。
汗、大小便による排泄も促進されます。
特に、大の排泄は、動いて腸が揉まれ、お腹の筋肉が強くなることでスムーズになります。
全身を程良く疲労させるならば、それれは快感であり、スムーズに疲労回復に向かうのです。
それに便乗して、深い処にため込んだ疲労も抜けて行きます。
身体が元気になるならば、自ずから心も明るく温かくなります。

従って、運動といっても偏り疲労を大きくするようでは逆効果です。
上体が緩み、お腹に自然に力が集まるような姿勢での運動が大切です。
余分なエネルギーを発散させるため、筋力をアップされるための強い運動も時には大切です。
しかし、身体を整えるためには、絶えず身体の使い方・姿勢について意識し確認し、上体が緩み下腹部に力が満ちるようにバランス良く動いているかということが観察、修正できる運動を行うことが大切になるのです。
歩くこと、東洋的なスローな動きの運動が適しているのです。
フラダンスなどもいいですね。
無論、活元運動はお勧めです。

2017/12/26 FB

クリスマス・一陽来復・冬の体・風邪の効用

Xmasのお祝いをメッセンジャーでいただいた。
その返信への、冬の身体・風邪についてを転載・補強。
・・・・・
merry Xmas・一陽来福。
世界中が、冬(殖)のさなかの冬至のお祭り。
陰の極地。
これから、お日様の力が増して行きます。

同時に、寒さに対し引き締まった身体が、春・夏の身体になるために、次第に、少しずつ開いて行きます。
骨盤から始まり、後頭骨へと、半年近くをかけ徐々に開いて行くのです。
植物が春に花開く、動物が冬眠し出産するのと同じです。

古人は、そのエネルギーが満ちた状態を冬(殖)と観じました。
外なる季節の変化と同時に、内なる身体の季節の変化をお楽しみ下さい。

なお、開き行く身体のため、瑞々しい身体を作るためにも、身につく水分の補給をお忘れなく。
冬の外気は乾燥していますから、身体が乾燥する時期なのです。
口に含んだ水を、温めるようなつもりで、少しずつ嚥下します。
細胞レベルにまで染み渡ってゆき、身体のみずみずしさを取り戻します。
ゴクゴクと水を飲んでしまうと、身体は沢山の水がやってくると理解し、水を捨てるモードに切り替えてしまいます。
これを防ぐために、ちびちびと飲むのです。
山登りのときも、こまめに水を飲みますが、それと同じです。

身体のみずみずしさ、弾力を取り戻すならば風邪は逃げて行きます。

風邪とは、風の邪気、冷えが身体に入った状態。
このような時、体力が低下すると、日頃のストレスの積み重ね、疲労・過労がどっと吹き出します。
そして、吹き出されることにより、健康・正常に復してゆくのです。
疲労・過労により縮こまった身体が、熱を出し、排泄することで弾力のある身体を取り戻そうとするのです。

春(張る)に向かう身体が弾力性を取り戻そうとする、いのちのダイナミックなリズムの一コマといえます。

疲労・過労により冷え固まった身体を温め、咳や痰などによる排泄を邪魔しないようにするだけで経過し、元気が回復すのです。

しかし、せっかく始まった疲労の排泄を押さえ続けてしま人うが多いのです。
押さえつけると、ウイルスの力までも使って疲労回復に向かわせようとするのが身体、生命の働きです。
身体のもっている知恵なんです。

このことは、風邪をひいたら卵酒を飲んで寝ていれば良い、熱いそばを食べて休めば良い、古人の経験の積み重ねで理解できます。
インフルエンザも風邪の区別などはしていないのです。

でも、古人の経験智、自分の身体のもつ力を信じられない人達が多いのです。
インフルエンザは怖い怖いと脅しつけられ、頭の中がインフルエンザになってしまった人でしょう。
そのような人達が、近代の流行りのインフルエンザという恐怖に怯えているのです。
そして、予防と称してワクチンを打ち、風邪にかかりそう、かかったと薬を飲み、風邪を無理矢理押さえつけ、仕事に、遊びに、無理に無理を重ねて、悪循環を造り出し、病を造り出しているのです。
急げ急げの現代社会は、早急な快復を要求するため、無理に無理を重ねることとなってしまいます。
この点で、風邪も又、今や生活習慣病といえるのです。

健康を保つのに、僅かな刺激で回復に向かう身体が一番なのです。
卵酒や温かいおそばが、僅かな刺激にあたります。

冬至はゆず湯。
お風呂、湯船に十分浸かり、身体を温めることも良いでしょう。
お風呂は、温まると共に重力からの解放です。
骨休めにより、骨髄が働きだし、免疫力を高めます。

しかし、無理に無理を重ねて身体に過度の負荷をかけすぎると、あるいは老化が進むと、快復力が弱くなり、なかなかそのようには行きません。

快復にはエネルギーが必要です。
食により、身体を構成する物質と共に、エネルギー源を得るわけですが、細胞レベルではミトコンドリアがエネルギーを造りだします。
冷えた身体を温めるために熱をだし、細胞・ミトコンドリアを活発にし、排泄力を高めます。

身体が冷え、弱っているとエネルギー不足となり十分な発熱ができません。
このような場合、湯たんぽや蒸しタオル、お風呂などで熱を補ってあげるこという方法があります。
ミトコンドリアの活動しやすい体温に誘導してあげるのです。
循環が蘇るように誘導してあげるのです。

細胞は、食で得られたエネルギー源を、酸素を使って熱とするのです。
この力が弱っているとき、湯たんぽ、蒸しタオル、お風呂などで、外部から熱エネルギーを補ってあげるのです。
呼吸と食をショートカットする方法といってもよいでしょう。

2017.12.25 FB

食品添加物など体内に取り入れる薬剤と、身体、特に「口」との関係について

化学調味料も食品添加物の一種ということになろう。

すなわち、薬剤ということになる。
現在の食品は、合成された薬剤を用いて化学的(味覚・色覚)のみならず、物理的(食感)にもまた改良している。

合成したもの、あるいは精製し純化したものは、細胞レベルで化学反応的な撹乱を起こすことはよく知られ、問題視されている。
一方、物理的な面、味覚・食感については等閑視されている。

合成物質、精製純化されたものに味覚は馴らされ、口触りの良いものを食べ続ける、ということにより、口を使うという動物の最も基本的感覚(味覚)・舌を鈍らせると共に、口を動かすという動作、筋力を低下させている。
結果、鰓の張った顔が消え、表情を乏しくさせてしまっている。
これが、食品添加物の使用による、物理的、筋肉的・運動的な側面だ。

柔らかで甘い食物は、口蓋周辺、舌部の筋力の低下を引き起こす。
よく噛まないで飲み込むという雑な食べ方となり、胃腸、腸内細菌叢へ負荷を与えるとともに、口まわり、舌、顔面の筋肉による血流ポンプの機能を低下させるために、頭部・脳への血流を減らし、考える力を低下させ、また、心臓、頭部を支える筋力を低下させる。
口のことと安易に考えることにより、化学的にも、物理的にも、身体全体にたいし連鎖的にダメージを及ぼしているものと感じる。

口は、動物が生きるための入り口なのだから、大切にし、動かさなければなければならない。
試しに、口をできるだけ大きく開けてみるが良い。
そして、大きく開けた口の空間の中で、ベロ・舌を大きく動かして見が良い。
首が引き締まり、背筋が伸び、姿勢がただされ、また、顔面とのつながりが意識されることだろう。
ついでに、顔面の筋肉を色々と動かすならば、脳の血行も良くなり、頭がすっきりすることを感じられるだろう。
かように、口は全身、頭・脳と繋がっているのだ。

美人になりたければ、口を動かす事が大切だし、美人になる努力は、脳も又すっきりさせ、姿勢を含め身体全体をキチッとさせることとなるのだ。
全身美人への入り口なのだ。
口が大切という所以である。
ただし、口を使うといっても調子に乗ってのおしゃべりは、いただけない。

話しが横道にずれたが、食品添加物の効果については、体内の化学的撹乱・汚染という側面とともに、物理的な側面、筋力、体力、姿勢などの側面からも検討すべきものと考える。
私たちは、全体で一つの生き物。
細胞の組織だった集合体ではあるが、部品の寄せ集めではない。
一つは、部分は、全体に波及するのだ。
口を動かしてみて、理解できただろう。

動物は、腸を作り口で物を食べることにより、進化した。
すなわち、口・腸が動物の出発点なのだ。
仇や口・腸を、口から入るもの(鼻・息を含め)おろそかにする無かれ。

ましてや、入れたら出すもの。
口からの飲食は、便、小水、汗として、鼻・口からの息は吐き、消化吸収されたものは、身体を構成する組織の材料として新陳代謝を繰り返し、片やエネルギーとなって動き、考えることにより発散・排泄?している。
その入力と出力の間に自分がいる。
難しくいうならば、動的平衡ということになる。

体内に取り入れた化学薬品は、細胞レベルの攪乱・汚染を引き起こし、汚染物質は排出されず滞留、蓄積することが問題なのだろう。
攪乱に対しては、身体は回復力を持つものであるため、適度の攪乱は身体を強くするものであり好ましいものといえる。
薬は、この適度のかく乱を招く範囲で使い個こなすのが原則だろう。
千差万別の各個人に対して処方することが、さじ加減ということであった。
さじ加減を忘れ、感覚を鈍らせるほどの大量・長期の薬剤の使用と、その結果の残留、汚染に薬害問題の本質があるのだろう。

生き物の常として、刺激に対する慣れがあり、大量・長期に使用し続けてしまうと、狎れとなり、癖がつき、偏ってしまう。
使い続けることにより、身体、細胞が慣れ、狎れ、さらに強度を上げなければ効能を期待できなくなってしまう。
すなわち、依存度を次第に高めてゆくということになる。

身体に取って良いもの、悪いもの総てに対し慣れの反応がある。
このため、元気・健康を保つためには、適度なかく乱を繰り返しつつ、動的なバランスを取って行くことが好ましいのだ。
一概に食品添加物、薬剤、農薬、肥料について否定しているのではなく、その使いよう、慣れと汚染に問題があると言っているのだ。
適、さじ加減を忘れた事に問題があると言っているのだ。

化学薬品だけでなく、動作についてもなれると言うことは同様だ。
慣れることにより、自動化される、無意識に動けるようになるというように身体の構造はできている。
意識的な運動から、無意識的な運動への移行、変化だ。
これが、身体に取っては合理的だし、余分なエネルギーを消費しなくとも良くなる方法だ。

体内の場合の慣れも又、細胞レベルでの合理化、エネルギーの摂生だ。
体内で合成していた物質を、体外から大量に与えられ続けるならば、体内で製造する必要はなくなり、そのような組織・器官は萎縮する。

筋肉を使うという面でも同じだ。
鍛えれば鍛えるほど性能を増し、逆に杖などを与えれば頼る、使わなければ萎縮する、というフィードバックが身体の中に埋め込まれているからだ。

そのフィードバックを良き方向へ回す、善循環とするか、悪しき方向へ回す、悪循環とするかは、私たちの選択に任されているのだ。

依存度を高めるほど商売には好都合の善循環となるわけだが、個人の心身の健康ということではマイナスとなり、悪循環を形成させて行く。
時間の経過と共に組織としての商売(ムラ)の経済循環と、個人の健康面での悪循環の乖離が拡大し、問題が大きくなってゆく。
現代は、まさにその乖離が開きすぎた故の社会問題に直明しているといえるのだ。

楽に流れる、流そうとするものが沢山ありすぎる今日。
楽、快適とは、依存度を高めるという方向。
その楽に乗り過ぎ、自らの心身の健康を、社会・環境の健康を害してしまったのが今日。
その行き過ぎた依存から抜け出すのは、依存度を高めやすい脳の声に偏るのではなく、胃腸などを含む身体の声を聞き入れる感覚を磨き、慎みと時としては撹乱も許容する、適度なバランスを保つ生活への切替が必要だ。
絶えず慎みを持ち、動かないと、楽に流れ、崩れてしまうからだ。

FB 2017.12.24