「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

4月, 2025 のアーカイブ

引き締める力 口・肛門

身体を自分で引き締め保つ力、それは身体の芯、そして重心を保つ力ということなのです。

中心力ともいいます。

別の言い方をするならば、魂魄か遊離することをとどめておく力。

土左衛門など助かるかどうかは肛門の緊まり具合でわかると伝えられてきました。

肛門の締まりがなくなってしまう。

それは、魂魄が離れ、身体を保つ力を失ってしまっているということなのです。

なので、呼吸法(息・生き)では肛門を締めることを基本とします。

肛門を引き締めることにより、仙椎が立ち、骨盤が引き締まります。

すなわち、身体の芯が立ち、重心・丹田の在処が明確となる、意識しやすくなるのです。

肛門を引き締める、としていますが、それは口(入り口)から肛門(出口)にまで繋がっている胃腸を引き締め活発化させるということでもあるのです。

このため、普段の口元はキチッと締まっていることが大切です。

そして、笑うときは、口元を弛め大きな口を開いて笑うことのできる弾力を保っていることが大切なのです。

大きく笑うとき、大きな息をし、お腹、内臓まで動くのです。

それが生きているということなのです。

悲しみ、怯えなどは、息を潜め、息を止め、元気を失うことになってしまうのです。

FBではくり返し口の大切さをお伝えしてきました。

それは内臓、そして肛門へと連なるものだからなのです。

口も肛門も、内臓が飛び出したものなのです。

口元、歯茎を叩打する、左右の口角に小指を入れ、左右に引く、口・唇の運動をするなどの方法もお伝えしてきました。

生きる元となる内臓を活性化させ、そして肛門までつづく深層筋を引き締めるための方法なのです。

このことからも、コロナ禍では大きな罪作りをしてしまいました。

口パンツ、猿ぐつわ装着の忖度強要により、口呼吸へと導き、締まりのない口元の人間を増やしてしまいました。

いまだに多くの人々が受け身・守り一方のくつわ族としてしまったことは罪深い行為だった、ということが理解できるでしょう。

死に行く年寄りがいのち汚く老醜をさらすのは勝手ですが、周囲のものにとってはみっともなく不快ですね。

大勢やっているから平気、皆で渡れば怖くない症候群なのでしょうね。

それでは、周囲のものまで暗く滅入らせ、身心を硬くさせてしまいます。

それにも増して、選択権のない子供達へのマスク強要は止めさせなければなりません。

生きる力を失った半病人を作り出してしまいます。

不健康な状態となる因子を埋込み、子供達の未来を狭めてしまうのです。

引き締めるということと、弛めることとが対をなし弾力を保っているのです。

どちらにも極端に偏ることなく、必要に応じて自在に動くことができる状態が弾力であり、締弛の幅が大きく、自在に使うことができる状態が良いのです。

偏りが固定化され弾力を失うことにより病と称される症状となり、究極の偏りに到り弾力を失うと死が訪れるのです。

身体(からだ・空だ)から、中身(霊魂=本体)が離れてしまうのです。

これが我が国古来から伝わる、体感に基づく霊魂観なのです。

当然ながら、入り口・出口の本体である胃腸が健全で弾力を持っていることが大切です。

すなわち、適切な食により共生している腸内細菌叢の健全さを保つことが大切となるのです。

これを、「悔い改めは食い改めから」と称しているのです。

胃腸の健全さは皮膚の張りになって現れます。

また、胃腸の健全さが鳩尾や丹田などに出て来るのです。

不健全なものは、身体の面では「腰抜け」、精神の面では「腑抜け」と称される状態になってしまうのです。

このような観点から言うならば、現在は、一億総病人、腰抜け・腑抜けの状態になっているといえましょう。

腸、皮膚は地続き、第一の脳、脳の始まり、無意識・心の脳なのです。

また、身体も一つ、地続きですから、肛門を引き締める力は、身体、心、精神、魂魄・霊魂にまで係わることなのです。

歯茎の叩打などを「仙人になる入り口・方法」としてお伝えしてきました。

以上の理屈からはあながち的外れではないということがご理解いただけるかと思います。

このような理屈をきく前に僅かなヒントで、感じ、気付き行えるものを「上根」、理屈を理解し行うものを「中根」、それでも理解できず、行わないものを「下根」、縁なき衆情と申します。

私は「中根」に属する部類故、理解し得た屁理屈を交えお伝えし仲間を増やそうとしているのです。

縁のある方々に届きますように。
https://www.facebook.com/naoko.harmonie/posts/pfbid0vywhTqPAtWCyHKhqCiR2EYh69qVaL4PpohAp9gY2BHubfgZ3CbYGyJ4JD25d22uml?__tn__=-UK*F


明治70年の敗戦、敗戦後70年の経済敗戦

さてさて困ったな。
10年前の国は巨大ヤクザと指摘した投稿が浮上してきたよ。
10年前はスルーだったが、今はどうなるのやら。
類似の投稿は、差別的な表現として削除されてしまいました。
10年前から私の発言は不動です。

これが差別的な発言とされるのなら、世も末だ。
それとも、文中で「ガ○キ○」という言葉に対する言葉狩りでレッテルを貼り付け、削除するのかな?
念のため、言葉狩りに合いそうな言葉は○○としておこう。
・・・
2015年4月13日/プライバシー設定: 公開
コピペし、見やすくなるよう編集。
・・・
「左から見れば、真ん中も右に見える」至言だ。
このような動画をシェアすれば、右というレッテルを張られてしまうご時世。
さしづめ私は、超右翼という事になるかもしれない。
最も、右翼・左翼という定義を理解した上でレッテルを貼っているとは思えないが。
いつのまにかすり込まれた色眼鏡を通して語っているだけだろうから・・・。

しかし、右だ左だと言っている平和な時は過ぎた。
戦争反対、平和憲法を守れと、理念・理想を言っていれば良い時は過ぎた。
米国のソフト植民地の元であるからこそ、その傘の下だからこそ言えたこと。
守られている、自立していない子ども、○○の言い分だ。

自立した者は、自らを守るための手立てが必要となる。
理念・理想ではなく、現実の社会・世界をありのままに見ることのできる者ならば理解出来ることだ。
学校で教えられた、習った、いつの間にか自分の考えだと勘違いしているきれい事ではなく、現実を見定めることが必要だ。

現実の社会は、ソフト化された「力」の論理で動いている。
「力」をあからさまに示すのではなく、間接的にし見えにくくしているが、「力」であることには変わりはない。
現実は、人が集まり、集団が大きくなるにつれ「力」による統制が必要となる。
すなわち暴力的となる。
自らの組織を自らの「力」、直接的な「力」で守ろうとすると暴力団・ヤクザの世界となる。
その最大の組織を国家と称している。

税金という冥加金を納めることにより、治安のための警察、防衛のための軍、を造り、税金により暴力装置の外注が始まる。
税金を納めるということは、そのような事なのだと認識する必要がある。
実際には、理念・理想というオブラートで包み暴力的な「力」をソフト化し、見えにくくしているだけのことだ。

納税者は、このような現実を見定めた上で、国の方向性・税金の使い道を監視する必要があるのだ。
これを、見えにくくなっているから無いとし、見ない、聞かない、言わざる状態とし、理念・理想という表面のみを教えている。
このような状態を知の後退という。

江戸の昔は、武士という「武」の「力」を熟知した上で、精神修養を重ねた支配層がいた。
一般庶民も又、そのような前提の元、自らを守ると言う事を行ってきた。
また、商道など、自らの生業を道の領域にまで高めようという思いがあった。
理念・理想などというものではなく、実践を通じた地に足のついた方法で修養を重ねていた。
それが、明治教育では「修身」として花開いた。

しかし、戦後はこのような良俗を捨て去ってしまった。
そして、理念・理想という明らかな矛盾・嘘を含んだものを、平気で教えるから、子ども達の社会に対する信頼感を損なう事になってしまう。
理性を麻痺させなければ生きて行けないという国にしてしまっている。
そんな国、社会では、生き生きと生きることは困難だ。

矛盾を飲み込めない子ははじき飛ばされ、教えられた通りに覚え込むお利口さんのみが生き残る。
明治期に始まったエリート教育の結果で既に実証されている。
頭デッカチのお利口さんが国の中枢を占めたとき、国の舵切りを誤り、先の敗戦を招いた。
明治維新から70年後に現れた教育の成果である。

国民の生命・財産を守ると言う事が国の基本的な機能だ。
極論するならば、対外的には外交・防衛であり、対内的にはインフラ整備・防災であり、後は付け足しに過ぎない。
国の機能を基本的な部分に限るならば小さな政府・夜警国家となる。
国家の基本的な機能、最小限の機能とは、安全保障や治安維持だ。
すなわち、外交と外交の手段としての暴力装置である軍、治安のための暴力装置を持つことだ。

余分な部分を拡大して行くのが大きな政府、福祉国家である。
現在の我が国は、福祉国家的な政策により大赤字となっているわけである。
福祉・医療に名を借りた銭儲けが大流行り。
自分の身体を精神的な人質に取られてしまい、グーのもでない状態。

しかし、国家の最小機能としての安全保障を自力で行うことができないわけであるから国家とは言えず、米国の半植民地・ソフト植民地・属国という事になるわけである。

このようなことを踏まえ分かり易く言うならば、国とは、最大のヤクザ組織という事になる。
ただし、その本性をむき出しにしないようにインテリヤクザを装っているという存在と見ることが本質に近いとおもう。
現実の国際社会は、互いに俺のシマを荒らすなよとしのぎを削り、弱いところは傘下に組みこもうと虎視眈々と狙っている。
植民地主義と異なるのは、直接的な「力」の行使ではなく、ソフト化された金融という「力」を用いることである。
ソフト植民地主義の時代と言えるのだろう。

日本国は、地球という星の最大派閥の米印ヤクザの傘下に入り、せっせと貢ぎ続けていたからこそ脳天気なことを言い続けられた。
そのポジションを守るにあたってはソ連との冷戦構造が幸いしたが、情勢が様変わりしているにもかかわらず、惚けた状態のままでいる。
戦後70年が経過して、戦争責任を国軍の暴走として片付け、ほおかむりをしてきたが、そろそろその化けの皮がはげ始めてきた。
敗戦後70年にわたり続けられた頭デッカチとする教育の成果が失われた20年として現れた。
明治70年が敗戦、敗戦後70年で新たな敗戦ともいえる。

巷に植え付けられた敗戦教育、負けるべくして負けたなどと言う教育であるが、事態はそんな単純なものではない。
負けるはずの無い戦いを、完膚無きまでにたたきのめされ敗戦に導いた官僚、陸軍・海軍の知性の劣化の著しさにはあきれかえるが、その暴走を認めたのは国民で有り、国を守るために一般庶民の貴い生命が捧げられた。
しかし、明治70年の敗戦、敗戦後70年の経済敗戦に対する総括は行われていない。

その貴い生命を無駄にしないためにも、国と言うものの本性を見定め、理念・理想という陥穽に陥ること無く、現実の世界に立ち向かって行かなければならない。
じわじわと戦後70年間の義務教育の成果が現れてきた。
明治に始まるエリート教育の結果による敗戦。
その反省から、新たな義務教育制度が惹かれた(はずだ)。
しかし、頭の詰め込みという基本的な部分は変わらず、むしろ多様な教育を不可能とし、人として生きるための基本を教えることをおろそかにしたため、さらに状況は悪化している。
戦前のエリートが抱いた頭でっかちの世界観が、一般庶民にまで病魔のように拡がっている。
この点では、明治70年の敗戦よりも頭デッカチ病は重篤化しているといえる。

まずは、現実を見る目を曇らせている、理念・理想というベールを取り去る必要がある。
その上で、どんな方法が、組織が、現実世界に順応的なのか考える必要があるのだろう。
なにかおかしいな、変だなと感じている庶民、サイレントマジョリティーの目覚めが必要だ。
・・・
残念ながらこの動画のリンクは切れておりました。
・10年前の投稿
https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid024H8ePwLkUrvnasoMmaTjKhJHN1XsmJCe4F3uKm81dSuQJGMeRJtPjyf62AponihZl

666,567と三つ子の魂について

カタカナ語を駆使し、むずかしいことを言わなくとも、祖先は「3つ子の魂まで」と称していたということをしっかりと理解すれば良いだろう。

妊娠・胎児の段階から、生理的早産・体外子宮状態の母子密実一体の時、乳児期、幼児期と家族・親族に囲まれ、やがて外界への興味いっぱいに動き回る、それぞれの段階で必要な体感を培う、経過させることにより、身心、身体を育てるとともに、身体・五感を通じて頭脳・心、豊かな潜在意識を育てていたという事実の理解だ。
カタカナ語を通して抽象的に語る必要はあるまい。
このころまでに腸内細菌叢の質が大人に近い状態になるのは偶然ではない。
3つ子の時までに、一人前となるための基礎がかたち造られるのだし、そのように育てるのだ。

3歳の頃にはその体感のうえに培った身心に、自我・顕在意識が目覚め、遊びという形で自然・外界(風土)との交流・刺激を求め、野生の身心を手に入れます。

そして、6歳6ヵ月6日に習い事はじめとなり、文化・文明(文武両道)を獲得し、継承するものへと歩みだすのです。
育つための経過すべき段階(ステージ)があるのです。

この段階・ステージを無視し始めさせられたのが男女平等という呪詛。
本来異なっているものを、丸めて同じとしてしまうのだから、不自然この上もない。

そして、今、567に対し666が象徴として浮上。
旧約・ヨハネの黙示録では獣とされるもの。
人を習い事、文化・文明の段階、自分の頭で考えるという段階の前に留めておくぞ、というサインに思われるのです。
(文明)人となる以前の存在とも解されるのです。

6⑥6とするならば、⑥は胎児・私。
私を取り巻く人たちが66です。
マスク、3密を避(裂)けよ人と人の間を分断し、過剰な消毒・清潔で共進化してきたばい菌たちとも分断され、免疫力、生きる力さえも奪われているのです。

この語呂合わせ的な数字を偶然と見るか否かは人それぞれ、感性の問題ですが、その裏に秘めたる意図を感じ取ることができる人は、受け手一方ではなく、準備・応戦の備えができることでしょう。

ちなみに、欧州と東洋・わが国は逆。
悪魔の使いのドラゴンは、神たる龍になるのです。
龍の吐く6⑥6は、567となり、369となるのです。

いつもの悪い癖。
Hさんのスレッドに長い書き込み。
書き込み責任と記録としてコピペ。

国は巨大なヤクザ

国は巨大なヤクザという趣旨の投稿をしたら、差別的とのご注意を受け削除されてしまいました。
少しずつ禁忌のワードを探って見ましょう。
この投稿はどうなるのかな?
・・・
シェアしても、コメントがくっ付かないのでコピペ。
・・・
2022年4月13日 /プライバシー設定: 公開 3年前の投稿をシェア。

ウクライナ情勢を的確に捉えていますね。
わが国は、中立を保つべし。
さらには国家外交の基本。
相手方が困った時には貸しを造るべく、創るべく、知恵を働かせよ。
このことも、かねてから唱えてきたことだ。

個人は性善説でよいが、組織、国というレベルになると、力とインテリやくざの流儀でゆかなければならないのだ。
個人関係と組織のレベルを同一にすることができるほど、人類は成熟していないのだから。
その事実より始めなければならない。

食料自給・食の自衛

貿易立国、輸入の自由化、という美しい言葉に騙され、尻馬に乗り、第一次産業を壊滅させ、食の自給の道を断たれ、貿易封鎖されるならば日本は餓死列島と化してしまう。
その見直しにかかる良いチャンスだろう。
敗戦後レジームからの脱却だ。

貿易振興のために使われる消費税を全廃し、食の自給・第一次産業の建て直し、そして、貿易立国、貿易自由化によって壊滅的となった我が国の山林・里山・自然をインフラとして整備にとりかかるのだ。
老朽化したグレーインフラの維持管理、荒れた野山の再生、そして災害・防災関連に予算をたっぷりと付け、内需拡大を図るのだ。
国富が国外に持ち出されることを防ぎ、国内で金が廻っていれば何ら問題は無い。それこそが持続可能な社会ということになる。

幸い人口減少に向かっているのだから、幕末の藩程度の規模での自治、地域コミュニティとし、現代科学の成果を活かしつつ、地産地消で何処までやって行けるかをシミレーションし、切り替えて行くのだ。
エネルギー資源を輸入するための輸出品、技術開発は必須となるだろう。世界最大の対外純資産国という立ち位置を活かし、付き合う国を戦略的に選択するのだ。

現在まで、様々な資源を輸入し、都市鉱山などと称される状態になっているから、エネルギー以外の資源は循環利用するならば何とかなるのではないだろうか?
省エネ、循環利用は我が国のお家芸。
プチ鎖国というスタイルだが、自然環境をキチッと整備し観光資源化するならば、旅行者は押しかけてくるだろう。

江戸時代、幕府が衰退したのは地殻変動・寒冷化の影響が大きい。
幸い、温暖化傾向にあるから農産物・食は確保できるのではないだろうか?
問題は、地に足をつけ、汗して働くマインドが劣化していること。
食料を止められ、餓死に追い詰められる前に、食の自給・汗して働くマインドに切り替えるための仕組み作りが急務となっている。
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いつもの悪い癖、勇惣さんのスレッドに書込。
書込責任と記録としてシェア、コピペ。

考えない・省力思考へと導いた現代狂育の罪

学校狂育による丸呑み学習の弊害が大きい。
考えずに丸呑みするのだから効率的に学習できる。
しかも、身体をキチッと使い、動かすことも教えられる教師がいない。
身体を使い、感じ、考え考え、脳に上書きを繰り返し獲得した記憶、身に付いた記憶ではないから劣化は速い。
すなわち、大学受験などには役にたってもそれ以降は消えてしまう。

大学狂育も高校なみといわれてから久しい。
頭の筋肉を振り絞り、汗を出し考え考える、という脳の筋肉を鍛える、脳トレの
習慣を身に付けるのが大学教育なはずだが、そのような習慣を身につけた者は極々僅かだろう。
鍛えていない頭の筋肉、脆弱なままで社会へと出て行く。
身体も頭も脆弱。

社会に出るならば、長いものに巻かれろが大正解となる世の中。
すなわち、指示を待ち、指示以上のことはせず、一日を無難に過ごす。
上司に媚びを売ることに専念すれば良い。
それが出世の王道。
先生に好かれ、内申書をよくするという延長で暮らして行くのだ。

出る杭は打たれる。
脳力のあるものは、下剋上は許さぬと皆で潰しにかかり、逆らうものは虐め放逐する。
仲好しクラブ日本。

適応できない人、あきらめた人は、無気力、鬱など病になってしまうよね。
慢性的無意識の自殺願望。
これが若齢化していっているから怖い。

敗戦後狂育によって培われたマインドだ。
だから、省エネ思考に走り、なにも考えなくても良い楽ちん人生を選ぶこととになる。
劇場化し与えられたストーリーに、受け身となって流されて行くこととなる。
頭の中身は空っぽで省エネ、一方では食は豊だからエネルギーは有り余ってしまう。
余剰エネルギー発散のために自分探しなんていうことになる病的な世界。
頭の中身が詰まり、考えることにエネルギーを消費するならば、それが自分なのだから、他に自分を求めることなど不要。

余剰エネルギーを無駄な消費に費やすのだからに大量生産・大量消費にはうってつけ。
経済・為政者には都合が良いが、劣化に劣化を重ね数世代。
病膏肓に入り、我が身すら守ることを忘れてしまった家畜化の群。
何処も同じ秋の夕暮れ。
身体を動かし、キチッと感じ、考えることからやり直そう。
・・・
政党政治ということが民主主義であるわけはない。
徒党を組むということは、組織票を動かすということ。
しかし、代議制民主主義が現在の民主主義と言うことであるのならば、私は、庶民感覚に近い物言いをする政党に投票する。

更に言うならば、組織票を機能させないためには、政党の好き嫌いではなく、政治的に振る舞い、与野党拮抗するように投票するということが有権者の智慧だろう。

「三つ子の魂」、母子密実一体の時の大切さについて

ナショナル ジオグラフィックに「手先が不器用になる子どもたち、『驚くべき異変』を専門家が危惧 ファスナーを上げられない、ページをめくれない…親にできることとは」との記事がありました。


・ パンデミックの1年目(2020年3~12月)に生まれた250人以上の赤ちゃんを対象にした米国での研究によると、生後6カ月での微細運動テストでは、パンデミック中に生まれた赤ちゃんは、それ以前に生まれた赤ちゃんよりも点数が低かった。
・スマートフォンやタブレット端末、電子書籍、テレビなどの画面を見ている時間は、子どもが何かを作ったり組み立てたり、絵を描いたりする時間を削る。
そうした端末を使った算数の学習やデジタルアートの作成は、教育効果はあるが、書く、切る、色を塗るといった動作に伴う細かな運動能力を育てることはできない。
との記載がありました。

すなわち、
「動物の本質である身体を動かすことが少なくなっている。
人間の本質は、立ち、手を動かすということであり、身体を動かすことが少なくなっているため、人としての動作も劣化してしまった。
細かな動作ができないということは、その動作によって培われる細やかな感情もまた育てることができなくなっている。
荒っぽい動作、粗野な感情むき出しの世界となる方向へと進んでいる。」
それすなわち、退化。
ということを示しているのです。
人類・人としての危機的な状態に至っているといえましょう。
・・・
人類学では、
「人の脳は7万年前から縮小傾向となっているとしており、この2万年間で人間の脳が1500~1350ccに縮小したとされています。
縮小は、神経繊維の塊である白質ではなく、言語や文化、文字など、人間に特有の複雑な行動や能力をつかさどる灰白質が減少し、野生だった祖先よりも脳が10~15%ほど小さくなっている。」
としています。

脳容積が縮小した原因はわからず、様々な仮説が述べられています。
・最小のエネルギーで最大の知性を得る」ように進化した結果
・社会的動物・家畜化したため
・温暖期に入ったため暖かい気候に適応するために、体が小さくなり、同時に頭がい骨と脳が縮小した
・女性の骨盤が縮小していったため、頭がい骨も小さくなり、脳の容積も縮小した
・単に人間が怠惰になり、知能が低下したから
などなど

「最小のエネルギーで最大の知性を得る」という方向への進化ならば目出度いのですが、残念ながら知識は増えても知性が向上しているとは思えません。
他の仮説の示すところを大きくまとめると、身体を動かさなくなったことに対する適応・進化の結果となろうかと思われます。
身体を使わなくなったための退化といえるのです。

生物・動物に共通する仕組みとして「廃動萎縮」ということがあります。
エネルギーの効率的な配分を行うため、使わないところは萎縮させ、よく使うところを肥大させるというものです。
筋肉は廃動萎縮が顕著ですが、脳も又同様です。

脳を肥大化させる方向に進化した人は、生理的未熟児の状態で子を産み、体外子宮とも言うべき環境、母子密実一体の状態で自分で動くことのできる状態、すなわち動物の出産レベルの運動能力が発達するまで面倒を見るという方向に進化したのです。
脳を肥大化させた代償が、未熟児を一人前の子にするという手間、長時間の育児なのです。
しかし現代社会は、この手間を惜しむ方向へと進めてしまったため、退化の一途を辿っているといってよいのです。

出産後に脳は肥大化してゆき、神経細胞同士のつながり(シナプス)は1~3歳くらいまで過剰に作られ、その後、必要なつながりだけが残されていくのです。
ほぼ1歳で最大になるとも言われています。
神経細胞の繋がりを造り出している最中ですから、自我などというものを持つことはできません。
無意識の自己保全の本能によって生きている、本来ならば、未だ子宮の中で生長している時期といえます。

私はシナプスの繋がりが造られて行くこの時期・体外子宮の時期を、無意識の時期として示し、古人は三つ子の魂とし、この時期の母子密実一体を基礎とする子を取り巻く環境が大切なことを訴えてきたのです。

なぜならば、赤ちゃんは身体・五感をとおして感じた快・不快などの情報、なめ回し、触りまくった皮膚感覚によって脳神経の繋がりを密に、太くして行く時だからなのです。

感じ取った情報、身体を動かしフィードバックした情報により神経回路が形成されて行くのです。

それを、古人は「三つ子の魂百まで」と称したのです。

脳の基礎が形づくられるのですから文字通り「魂の時期」です。

脳科学の世界が、やっと古人の示したことを理解し、説明できるようになったのです。

そして、3~7歳の脳では過剰なシナプスの刈り込みが行われ、神経回路が整備され効率的な処理が行えるようになっていきます。

三つ子の魂の時期に形成された神経回路を中心に、自然の中で遊び回り、感じ、身体を動かすことで、更に強く強固な神経回路へと育てて行くのです。

そして、使わない神経、余分な神経が刈り込まれ失われて行くのです。

身体を動かし、感じることで、外界と脳の配線が照合され、外界との繋がりが確実にされて行くのです。

これで、野生の身体と脳の基礎を完成させることができるのです。

逆にいうならば、野生の身心を完成させるための育児を行わなければならないのです。

その後、6歳6ヵ月の稽古始めから、これまで培ってきた身心をもとに、文化・知恵・知識を植え付け、また、自得して行く時期となるのです。

すなわち、野生の身心を獲得した上に、文化遺伝子(ニーム)という側面を受け持つ父親・男の出番となるのです。

これが進化に即した育児、個体発生は系統発生を繰り返すという原則に則した育児なのです。

他の動物と異なり、人の場合は個体発生、子宮内での進化をなぞり育って行くという歴史は、出産後も続き、三つ子の魂の時期、6歳6ヵ月まで続くのです。

・・・

数日前、人類の脳は縮小しているとの一文を入れた投稿をしました。

すると、脳の容積は増えている、縮小ということについては何のエビデンスもないという指摘・コメントが医療者から寄せられました。

私は数万年の変化という人類学的な見地を述べたのですが、数10年という現代医学のデータを示してのご指摘、反論です。

当然ながら、時間のスパンの異なる比較不能のデータですから意味をなしません。

私はこのデータからは、長いスパンでは縮小傾向にある脳が、なぜ現代になって増加しているのかという疑問が出てきます。

野生の時代に比較するならば身体能力は劣る一方であり、しかも、受け身の情報にさらされるだけで、脳容量が大きくなるという原因・理由は考えにくいのです。

整体的な見地から見るならば、脳が疲れると頭蓋骨が弛み、頭が大きくなるという傾向があります。

すなわち私には、現代の脳容積の肥大は、脳の極度の疲労、身体を引き締めて使うことができなくなってしまった身体の病理が反映されているように感じられるのです。

大きなトレンドからのズレがあった場合は、その原因を究明するのが医学の役割の一つと思うのですが、いかがでしょうか?

私がなにを語らんとしいてるのかという文脈・大意について触れることなく、短期間のデータを示し、全体を否定するイメージを惹起させるものとなっていると感じました。
自分の頭でキチッと考え、判断をしてほしいものです。

私は、述べんとすることの一つの傍証として脳容積の縮小という問題を示したのであって、脳容積が拡大しようが縮小しようが、大意は変わりません。
私が述べていることそのものが誤りならば、もっと俯瞰的なコメントが欲しいと感じましたが、世界観のことなるものの平行線の応酬を避けるために、あえて反論は行いませんでした。
しかし、放置しておくことも意に沿わないため、整理し述べてみました。
・・・

・「手先が不器用になる子どもたち、『驚くべき異変』を専門家が危惧 ファスナーを上げられない、ページをめくれない…親にできることとは」

・ヒトの脳は7万年前から縮小しつつある

・❸ 子どもの頭の中では何が起こってる? <幼児期に効く! 脳コラム5選>

・3歳までにやっておきたい「育脳」! 脳の発達には、基礎となる”生活”が大事

令和7年4月9日 FBに投稿

コロナワクチンのデトックス

全力発揮のアスリートなど身体に負担をかけ続けているもの達がが最初、次第に普通に身体を動かしている人々にたいするダメージが増えて行きましたね。
まずはデトックス。
身体を動かし汗を出し、体温を上げ深呼吸。
この基本を行った上で、平行し、薬剤、サプリ、食などによる解毒を進めましょう。
循環・排泄力を改善せず、外から加えても効果は薄いのです。
その基本を理解しましょう。

中野裕司 2022年4月11日 プライバシー設定:公開


・・・

いつもの悪い癖、二方に同じコメント。
全力を発揮し戦うアスリートの身体に異変が~。
他山の石とするなかれ。

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見えない部分にダメージを受けていますね。
全力を発揮しようとすると、ダメージを受けた部分が影響し、全体のパフォーマンスを下げてしまうのでしょう。
一流のアスリートは、火事場の馬鹿力を意識して引き出すことができるようにトレーニングを積み重ねている。
その歯車の一部が欠損しても大変なことになってしまう。
健康・元気だつたワ〇チ〇接〇以前の身体イメージのまま、むりやり動かしてしまうものだから、切れてしまうことになってしまいます。

全力で動かないものには影響が現れないダメージ。
その影響が、時間の経過とともに、じわじわと、かつ確実に出てくるのでしょう。
人類としての総合力の低下です。
怖いですね。

かねてから農・食、住環境などを通じて行われてきた身心を損ねる動きの、だめ押しがコロナ禍によるワ〇チ〇接〇でした。
これにより、身心ともに健常な者、元気なものが少数派となる時代がやってきそうです。
コロナ〇ク〇ンで遺伝子レベルまで影響・汚染されているとなると、次世代の大多数が身心の健康を保つことのできない、生命力の低い、元気・気力を振り起こすことができない人となってしまいそうです。

速くこのような最悪の方向に向かいつつあるという現実に気づき、対抗しなくてはならないのですが…‥。。
これでよいのかおっかさん、甦れ母性。
未来を造る子ども達のために。

・小林さんFB

・桐部さんFB

令和7年4月11日 FBに投稿

メタ・FBの検閲

またまたご注意がきました。
4/10に、ヘイト行為をしてしまったようです。
何処がヘイトに当たっているのかな?
これで3度目ですね。

先の2件のヘイトとの指摘に対する理由を問い合わせても、なしのつぶてですね。
「アカウントが利用できないようになるのを避けるためには、ルールを遵守してください」だってさ。
しかし、キチッとしたルールを示さないのでは、ルールの遵守なんていうことはできませんね。
忖度し、自主規制せよという圧力ですね。
言論統制の後に来るのは~。
歴史に学ばなければなりませんね。

今回は、連合国(国連)、国・政府の現状をわかりやすく指摘したのですが、ストレートに表現するとヘイトにされてしまうのでしょうね。
不都合な事実をヘイトとして葬ろうとしているのでしょうか?

カウントを記録しているようですね。
持ち点を越えたら、アカウントを凍結されてしまうのでしょうね。
かかることのないようしっかりと反省しましょう。

生物多様性と生物多様性「保全」なにが違う?

けふ(もう昨日か)は、東京農大で打合せ。
サクラは丁度良い塩梅です。
道中、新入社員、新入生の初々しい姿が見え、なにか嬉しい気分となりましたね。

私の預かる(特非)日本緑化工協会は、毎年7月下旬に東京農大で緑化工技術講習会を行っている。
その内容、協会の今後の方向性などについて意見交換を行った。

「生物多様性」については多様性が高まるほど生態系は安定するから異存はない。
しかし、「生物多様性保全」と「保全」が入ると極めて政治色の強いものとなり、学問が政治に汚染されてしまった。
なにせ、お国の方針に従わないと研究費が手に入らないのだから。
また、自然には手を付けるなと言う自然保護論者が、生物多様性保全を隠れ蓑にして浮上してきた。
政治に敵対してきた自然保護運動が、政治に取り込まれたのだから大喜び。
高温多雨な我が国の自然は、徹底的に管理を行わなければ荒れ果ててしまうのに、そのような方向へは進めようとはしないのだ。

連合国(国連)地球サミット(1992年)で始まった生物多様性保全条約による取組なのだが、自然の中に外来種という悪者がいるので、その悪者を排除しろというもの。
やり玉に挙がったのは外来牧草。
法面は面積が大きく目立つから、昔から自然保護論者の目の敵にされてきた。
政治と密着したことによりおおっぴらに叩くことができると大喜び。
以前は「牧草」で済んでいたのに、生物多様性保全の取組が始まってからは、外来牧草と「外来」というレッテル張りが行われました。
法面緑化では、70年以上前から牧草を用い続けており、牧草で覆ったところは自然に復元していて問題はないのにね。
問題とする理由は、自生する在来種を駆逐するというのだ。
しかし、その原因を探るならば人間様が環境を改変し、在来種が生育できなくなくしてしまった、砂漠のような状態としてしまったからである。
にもかかわらず、外来種、外来牧草は敵だ、駆逐しろ、使うな、という論法。
その原因を造った、自然環境の中に砂漠のような状態をつくったのは人間様だし、環境が整うならば特殊な環境にしか生育できない牧草は衰退してしまうのだが~。
自分たちが行った行為に対し糾弾するたけの不思議な論法がまかり通る学問としてしまったのは金と政治のため。
おかしい、問題だ、世界より遅れている、世界標準に従うのだと騒ぐほどに予算がつくのだから。

本気で外来種を駆逐したいのならば、改変した環境を元に戻さなければならないのだが、それは物理的に無理なので、牧草に八つ当たりしているのだ。
放っておげは、時間が経つならば自然に消えて行く牧草にはいい迷惑だ。

外来牧草は敵だという論法の生物多様性保全が法面緑化に本格的に及んでから20年以上が経過した。
私は、自然保護運動的な取組の時代から、このような偏った考え方に棹さし続けてきた。
桃太郎の鬼退治じゃあるまいし、悪者を退治すれば済む話しではない。
お役所の見せるための仕事に振り回されてきたのだ。
学問(生態学)の世界は猫も杓子も生物多様性保全に汚染されっぱなして20年以上が経過した。
そろそろ現実に即したところ、当たり前のことがあたりまえに行えるようにしようよという取組に関する打合せ。

家に戻ったら、カラフルな餃子が出てきたよ。
ババの果樹園から、ネギと共にほうれん草を沢山持ち帰った。
有機栽培無農薬。
餃子の具はほうれん草。
ついでに、皮にもほうれん草を入れたんだとさ。

しばらくはネギとほうれん草攻めと思ったが、ほうれん草は茹でて冷凍してすこしづづ使うんだってさ。
ならばネギもそうしたらと、提案したのだが~。

食べ物は農薬や食品添加物などで汚染され、これを何とかしなければならない。
法面の外来種退治などにうつつを抜かしている暇はない、生活習慣病などいのちに係わる問題を優先課題とすべきなのに、縦割り行政は予算消化のために見せるための仕事、連合国(国連)の命を遂行すべく作業を続けている。

こんな非生産的なことをするために税金を納めているのではないと言いたくなってしまいます。
否、サラリーマンは税金を給与からむりやり抜き取られているから、自分の懐が痛んだという気がしないのですね。
欧米のように、収入は自己申告する仕組みに変えなければなりませんね。
さすれば、政治に対して無関心ではいられなくなるはずですね。