「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

里地・里山の風景は日本の原風景。
生物多様性の保全、外来植物の駆逐などという正体不明なものに税金を投ずる事はナンセンス。
里地、里山の保全にこそ投資をすべき。
さすれば、自ずから生物多様性は保全される。
外来の弱い自然を相手にする翻案生態学こそ駆逐すべきもの。
わが国の自然・風土、暴力的ともいえる再生力を無視し、実態と乖離した説を唱えるため、様々な嘘がはいる。
極相、自然林、広葉樹信仰。
挙げ句の果てには、自然林の生えている山は崩れない。
人工林は駄目。
この、神話により、多くの人の命が失われた。
樵、林業を悪者扱いするために、林業労働者のなり手が居なくなった。
今流行りについて乗り遅れるなと、やっと、管理が必要、里山は大切と言い始め、微妙に方向修正をし始めたのがここ数十年(十数年?)。
しかし、過去の神話はそのまま生かしつつ、生物純血主義を説き、新たな神話を作り出した。
外来種を駆逐するために多様な主体を動員するとの行動計画・国民総動員。
外来種というテロとの戦いだ。
永遠の戦いとなってしまう。
もう、信仰の世界だ。
このようなものに税金を投ずるのは無駄だろう。
理念理想を唱えるのではなく、里地・里山の保全・管理と具体的に示し、行うべきだろう。
減反など、何もしない農家に助成を行い続けてきた。
ならば、里地・里山の管理こそ助成をすべきだろう。
国土 ・景観・水源・多様性などの保全、国土の自然という公共財の保全、いくらでも理由は見つかる。
観光立国などとも言っていた。
緑の税、環境税など目的税が流行ってきたが、目的税としての徴収が可能だし、環境のためと言えば反対は少ない。
里地・里山管理を、田舎、故郷の産業・公共事業とするならば、お金・物の循環が始まり、高齢化、過疎化の歯止め、観光を含めた人の循環にもなることだろう。
悪者を探し出し、悪者退治をし、生物純血主義を金科玉条としていてもつまらない。
心が暗くなるだけだ。
日本の国土、里地・里山に手を入れて、ピカピカにし、豊かな自然と風土を誇れる国とし、世界の憧れとなる国造りをしようと誰も言わないのが不思議だ。
これが、究極の生物多様性保全だろう。
日本の国土、里地・里山には、それだけの潜在的パワーがある。
誰が、それに、気づき、掘り出してくれるのか。
掘り出してくれるのを待っている。
そのためには、生態学神話からの解放、暴力的とも言える再生力を組み込んだ生態学の確立、縦割り行政を風通しの良いものにする事が必要だ。
TTPが始まるならば、日本の農家は壊滅的な状況に陥るだろう。
それでは、農家は絶滅し、食の自給、食の防衛ができなくなる。
食の防衛のためには、助成が必須となるだろう。
農林業の従事者は、食の防衛、里地・里山の防衛のための防人として位置付けることが必要だろう。

黒田さんのFBスレッドへの書き込みを転載。

またまた、錦織さんのスレッドに長い書込。
ご免なさい。
記録として、若干手を入れてシェア。
脇から、シェフ兼社長の声が聞こえてくる。
また、「ひま」なことをやっている。
そんな時間があったら、さっさと仕事を片付けて、早く寝なさいと!
—————————————————————-
母体の中にいるとき、胎児から、物心のつかない赤子のうちが、母の勝負時。
このときは、母子の密実一体の時。
母の身体の構造そのものが、そのようになっている。
進化の妙だ。
これにより、動物としての身体と脳の配線が完成し、野生の身体と脳と心が育まれる。
そのなかで、総合力としての野生の勘も身につく。
生命に対する信頼感、危険察知能力など様々。
これが、ある面、生きて行く上での「運」を造るのではないかと思っている。
身体を運び動かすための運動の土台、察知する感性の土台となるのだから、「運」と言っても良いのだろう。
わたしは、このような世界を無意識の世界と称している。
その上に、記憶による知恵が乗っかるのだ。
頭よりも、身体が先に反応して動き出すのだ。
頭は、後追いの屁理屈を付けて説明しているにすぎない。
母は、子供にとっての総て、宇宙・世界そのもの。
母なる宇宙との関係がしっかりと結ぶ事ができた後、安定が確保された後、次第に外界との結びが始まる。
母という存在をアンカーとして命綱を繰り出して、外界の探検を始めるのだ。
そして、母のアンカーとなるのが父たる存在だろう。
家をキチッと保てないと、安定した母にはなれない。
子供は、この無意識の中で培われた母との安定した信頼関係性を基にして、外界へ踏みだし、結びを行い、世界を拡大してゆく事ができる。
いつでも立ち戻ることのできる、安定した関係性が確保された後、外界へと向かうのだ。
母との関係性が、総ての関係性の基礎となるのだ。
この母子一体・密実の時を、じっと見守り、物理的にも守るのが父親の仕事。
大きく言うならば母の住まいする家を保つこと。
その中で、子は育ち、母も、父親も育って行く。
相互に影響し合い、大人(たいじん)へと育って行く。
栄養が満ち、がたいがでかくなり、盛がついたのが青年。
花・華の時期だ。
その栄養、エネルギーを子供へと結実させる。
そして、母・父・親となり、その経験を通して大樹・大人となり、経験を伝え、老い枯れ果てて死に行くのだ。
古木の風情を残して朽ち果てて行くのだ。
現代社会は、経済生長(成長ならば良いのだが大きくする生長)のみを視野に入れ、生命循環の諸相には目をつぶっている。
人・人間としての成長、人間学・心術を捨て去ってしまった。
死に至るまで、どこまで人という器を大きくできるかが生の目的であり、その為に如何に生ききるかが問題だったのが・・・。
子供は、次第に無意識の世界から外界へと目が開き、父なる存在、家族が立ち現れ、親戚、近所へと拡がってゆく。
そして、地域コミュニティーの子育てシステムが機能し始める。
社会の子、地域の自然環境の子となって行くのだ。
父の行為、社会の中に生きる人々の行為を見習い、大きくなって行くのだ。
社会・故郷との関係が子を育て上げるのだ。
そして、親・社会もまた、そのような関係性の中で共に育って行くのだ。
経験・文化の伝達という循環の力が働いているのだ。
昔は、それぞれの循環の中での発達段階に応じたやり方が伝えられてきたのだが、村社会、大家族、封建的として切り捨てられた。
このため、現在は細やかな発展段階に応じた育児は無視され、フラットな状態としてしまった。
そして、子供は自然に育つのだと教えられている。
自然の法則・流れ、循環は無視。
いつかは親になるのだという循環、死んで行くのだという、生・性の諸相は無視。
フラット化。
そこに立ち現れる他者との関係は、我良しの姿のみ。
循環から、はみ出さそうともがいている。
我良しのために、いくら頑張ったとしても、死んでしまえば流されてしまうのみ。
大きな時間の中では泡沫。
しかし、我良しに走り、なまじ知恵があるため、動物よりも悪くなった。
自然とは放置、なにもせず放り投げておけば良いものとの誤解を生みだした。
教育とマスコミの力だ。
一見、言葉としては楽ちん。
なにも努力する必要はないからだ。
これが社会の常識となったのだから、たまらない。
このため、女性は、なんの心得、準備もなく妊娠・出産・育児へと突入することとなる。
そして、母は無我夢中・五里霧中の育児。
母子の受難の時代としてしまった。
子供なんか欲しくない。
自分の時間を大切にしたい、となるのはあたり前の趨勢。
胎児・赤ちゃんを扱うための技術が失われたまま、総てが自己流なのだから。
地球上に、生命が生まれてから40億年。
産みが苦しみならば、地球上には生命は溢れていない。
命の道から、どこかでそれてしまった。
産むという行為のみならず、子育ても同様だ。
母子密実一体の時の大切さを意識せず、子ども達の自我意識ができた後にあれこれと干渉を始めてしまう。
無意識の反抗のしようのないときには、赤ちゃんは可愛いと猫かわいがりをし、甘やかし、親は、子供の召使い状体。
そして、意識=反抗心が芽生えた後、意識に働きかけて強制・矯正しようとする。
子ども達に取っては、おい止せよ!、だろう。
王様から、召使いへの転換が始まるのだから、逆らいたくもなる。
そのような力業を用いるのが育児になっている。
それでは、ちと無理だろう。
流れに逆らっての育児は、疲れるだろう。
何度も記すが、江戸末期から明治初めに訪日した欧米人が同様に記すのは、日本は子ども達の天国、元気に楽しそうに遊び回り、泣く子は見当たらない。
女性に取っても天国。
ある日、近所のうら若い乙女が、一斉に消えてしまう。
お伊勢参りに行ってしまう。
その姿の楽しげな事。
女性上位社会、性風俗も欧米とは子となっており、あっけらカランとしたもの。
処女崇拝などと言うものは、欧米文化が持ちこんだもの。
女性を商品として扱おうという精神があるため、傷物を嫌ったのだ。
このような文化に対する犯行がフェミニズムを醸成した。
日本では、純血は、武家・貴族などの男系社会のもの。
庶民の世界は、自由に溢れ天国だった。
それが、春画などに現れている。
話しが飛んだが、
母子密実一体、無意識の時代、三つ子の魂をキチッと仕込んだならば、その後は、次第にその関係を粗にして行く段階。
母の子離れの時期に入って行かなければならない。
母に取とっては、ここからが本当の産みの苦しみなのかもしれない。
転んでも直ぐには起こさない、手を出さない。
自分の力で起き上がるのを見守る。
手を出したいのを堪え、じっと我慢し、守り導く。
子供の将来を見据えた我慢力の涵養だ。
適度な躾、指導は必要だが、過度な手出しは無用な時期となる。
それが、肉体的にも心・精神的にも自立を促すのだ。
この子離れができないため、モンスターペアレントなどが生まれる。
子供達はおろか、先生など外界までもが自分の思い通りに動くものとの勘違い。
究極の甘え、わがまま構造だ。
この様な状態を見習ったのでは、子ども達は自立できないこととなる。
これは、数世代にわたる子育ての結果培われてしまったのだ。
今に始まったことではない、原因・遠因があるのだ。
真の子育ての結果が現れるのは、母から母へと子育て技術?が受け継がれ、磨き上げられてゆくのだから、数世代後のこととなる。
すなわち、現在の母、子ども達の良き面、悪き面は、敗戦後の教育の成果とみることができるのだ。
無意識の時期を大切にし、心・精神を育てるということに重きを置くよりも、意識がついてから、自己主張を始めた頃から、身体・肉体、及び大脳・知識に偏重した育児を行うという方向だ。
気にくわないものは排除し、我良しに流されるのは当たり前だろう。
心身の無意識の土台が完成した後、ここからが、「子供は自然に育つ」という時期となるのなだ。
しかし、逆のことを行っている。
内臓を含む自律神経という無意識、大脳の基礎となる(不随意運動を含む)筋肉などを動かす神経の配線など、無意識の世界を支えるベースがキチッと育ち、準備されることが、意識活動の土台となるのだ。
現代社会は、この無意識の世界に対し、余りにも無意識すぎる。
目に見える物だけ、数字・量で評価で切るものだけが重要と教えたためだろう。
数字、量で評価するという安直な方向で良しとしたことから、無意識を含む目に見えない世界、センスなどでしか評価できない世界こそが根っ子なのだということを忘れてしまった。
日本文化は、無意識の世界、察知する、感じ取ることが基本なのだが、そのような心を育てようとの配慮が感じられない。
子供の根っ子、土台となる部分さえしっかりと育てる事ができたならば、その後は、様々な物事にぶつかり、その中で試行錯誤、理解をし、深めて行く。
身体の動きもシャープになって行く。
次第に社会との関係性も学んで行く。
自ずから学ぶという体勢を取ることができるようになるのだ。
このような基礎、母と子供も達がいたからこそ、幕末から明治の鮮やかな転進が可能となったのだ。
意識が生まれてきた後は、家業としての習い事を始める時期となる。
見習い、見取り稽古から始める事となるが、そのとき、親父の存在がものを言うようになる。
社会、地域コミュニティーがものを言うようになる。
文化的な遺伝子の継承だ。
母は、より良く生きて行くための命と心と身体の伝承。
父は、社会は、文化の伝承。
母が土台、根っ子を造り、父・社会の伝授する文化・社会性が花開く。
しかし、その父も亦、母から産まれ出でしもの。
人は、母の生ける作品。
社会は、その綜合的な表現。
バイブルでは、生命の樹と智慧の樹の二本があると記しているが、生命の樹を軽んじ、智慧の樹だけを重んじてしまったのが現在。
母なる生命の樹、無意識の樹の伝統は、縄文の昔から日本に根付いてきた。
その伝統を掘り起こし、守り、伝える手行くことが大切なのだ。
だじゃれ的となるが、生命の樹と知恵の樹は、二本とも、日本にあるのだ。
子ども達は、母たる宇宙、内なる宇宙から、外界へ、外なる宇宙へと飛び立つのだ。
それによってこそ、真の自立した子、他者の傷みを感じ取れる心を持つ、思いやり深い社会の構築が可能となるのだ。
そのような子が増え、大人となるならば、世界は安定し、平和になるのだ。
母なるものの使命、それは、子ども達の野生をフルに磨き上げることだろう。
私たちは、地球の子。
生命史40億年の結果が現在だ。
生命史の教えるところは、野生の肉体と感性の土台の上に、文化は花開くということだ。
母なる存在、野生という生命の歴史、について見直し、考え直すときに来ているのだろう。

いつもの悪い癖。
錦織さんのスレッドに長い書込。
いつものごとく、記録のためシェアし補強。
—————————————————————-
角度を少し変えて、身体という面から・・・・・。
「最近、春だから~」という点について。
日が長くなるにつれ、身体も春になって来ます。
骨盤から開きはじめ、だんだん上に昇り、後頭部に至ります。
花(=性)開くのは、植物だけではありません。
その中で、春になり切れない身体を持つ人がいます。
悶え閊える部位に関連した症状が現れます。
身体だけではありません。
閊え悶えたエネルギーが頭・脳=精神にも影響します。
だんだん、桜が咲き始め花狂いの時期になって来ました。
更に温かくなると、皐月病と言うものもあります。
精神的な問題とされますが、身体のこわばり、エネルギーの鬱滞、循環・発散の悶えとも見ることができるのです。
すなわち、春になりきれない身体です。
年取ると、回春、春を取り戻す、という事があります。
春になれない身体というものは、老人・あの世に近づいた、という事でもあります。
近頃は、春になれない身体を持つ人が沢山。
世の中全体が、あの世化していると言っても良いのかもしれません。
物理の法則を転用するならば、身体・心の重い人は地の世界へ、軽い人は天の世界へ行くのでしょう。
身体・心が滞ってしまった場合は、身体を動かし、エネルギーを発散する事で閊え悶えが溶けだし流れ始める事となります。
私たちは、動物なのですから、しなやかに身体を動かす事ができるようにすることが基本です。
感情は、身体・内臓にくっついているのですから。
身体の循環が良くなれば、感情・精神の循環も良くなります。
悶えが取れます。
身体がこわばると、受け入れられるキャパが小さくなります。
感情も抑えきれなくなってしまいます。
・・・・・
制度的に言うならば・・・。
誤解を恐れずに言うならば、結婚するまでは女。
結婚した後は、母だろう。
その覚悟無しに結婚してはならないのだろう。
結婚とは、家を造り、生まれてくる子ども達を守り育てるための仕組み。
利口な女性達が、馬鹿な男を騙して作った仕組みだろう。
長い長い歴史、時間をかけて人という種が造りあげた、母体と子を守るための仕組みだろう。
子々孫々にわたり生命を伝えて行くための仕組みだろう。
この仕組みがあってこそ、地の上に人が溢れるほどに栄えた。
その男を騙し搦め取るための仕組みが、いつの間にか、自分たち女が騙され、家庭に縛り付けられているとしてしまっている。
家の主役は母。
家=内は、女=母の場所。
商家はご内儀だし、武家では大奥だ。
庶民の間では、床の間に鎮座する山の神だ。
家は、構造からしても子宮=子育ての場だろう。
男は、その入り口から出入りする金精様。
金精様は、祭り上げて元気にしておけば良い。
男を家に縛り付けて活用するために手練手管を磨くのが女の修行。
母として、自分・故郷を守る子を育てるための修行もある。
女・母としての自立だ。
それが日本の婦道だ。
いつの間にか、そのような女として積極的に生き抜くという考え方を放棄し、男性優位社会であることを認めてしまった。
女は虐げられてきたという嘘を教えられ、男女平等やジェンダーフリーを説きつつ、過去の自立の道を自らが潰してきた。
行き着く先が、雇用均等、男女共同参画、国民総活躍だ。
女の男性化は、男の中性化を招き、男も女も無い、労働力とだけ見なす社会の到来だ。
労働力が増すならば、当然のことながら給与の低下を招く。
給与の男女差を無くすと称しつつ、年功序列を無くす。
当然のことながら、子育を生むというハンディを持つ女が劣勢に回り、社会弱者となって行くことだろう。
国民総活躍とは、敗戦前の言葉を使うならば国民総動員だ。
経済戦争のために国民総動員体制を造るぞと言う宣言なのだが、なぜか皆、平気だ。
むちゃくちゃな本末転倒社会。
そのような社会を認めるということは、女が馬鹿になってしまった、という事だろう。
優れたDNAを持つ男を捕まえるために女を磨く。
そして子を作る。
後は、男は、おだて上げて働かせばよい。
家を守らせれば良い。
生活費を家に入れ、生活が安定してさえいれば、男はいない方が楽。
家をぶちこわさない程度に、問題を起こさない程度に、外で遊んでらっしゃい。
子育ての邪魔はしないでね。
胎教、育児、子育ての文化は女・母が築き、伝えてきた。
子供は神からの授かり物、神として仕え、育ててきた。
江戸末から明治初めに来た欧米外国人は、子ども達の天国、泣く子を見たことが無い、と異口同音に魂消ている。
また、男が家業を離れ、サラリーマンとなってしまった今、子ども達が、男が額に汗して働く姿を見ることができなくなってしまった。
会社で働き疲れた男が、家でゴロゴロしているようになってしまった。
男が元気な時は、出社よりも、給仕にゴルフなど遊びに行く時。
こんな男を見ていたら、子供がキチッと育つわけが無い。
このような社会では、男が家にいない方が良い子に育つ。
遠くにいる、帰ってこないお父ちゃんを、お父ちゃんはすごい人なのよ、とお母ちゃんが幻想を与えた方が良い子に育つ。
両親がいないと子供は育たないなどいう神話はなぜ生まれたのだろう。
その根っ子を探って見る必要があるだろう。

平成28年 2016年 1月1日 丙申(ひのえさる・33番) 元旦

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

・・・・・ ・・・・・ いつもの干支による与太話です。お暇な方はどうぞ ・・・・・

今年は、どうなるやら・・・・・。
干支から。

東日本大震災、福島原発の問題は5年を経過しておりますが、なかなかに進みません。
また、火山活動も全国で活発化し、昨年五月の連休にはあちこちの山で入山禁止が相次ぎました。
豪雨による災害は、山筋の土石流のみならず、低地の洪水被害を引き起こしてしまいました。
気候変動も落ち着く様子はなく、年を越しても暖かな日が続き過ごしやすいお正月でしたが、各地のスキー場が小雪で困っております。
地球規模の大変動期に入ったとされておりますが、大過なく、一年を暮らすことができれば良いと願っております。

被災地の調査や、倒木事故の情報を見るにつけ感じることは、被災する、しないは紙一重。
危険を察する野生の勘を取り戻し、磨くしかない。
それても足らない。
運の良い人にならなければならないな、と強く感じます。

では、運の良い人になるには?
古今東西の難問です。
このような難問に答えを得るために、東洋では経験知の積み重ねを行ってきました。
その一つが長年の自然観察結果から得られた十干・十二支の組合せによる干支です。
経年のごとく、干支より今年の傾向を見てみましょう。

運の良い人、とは災難に遭わずに済む人のことです。
このためには、野生の勘を磨かなければなりません。
干支とは、野生の勘が磨かれていた先哲の経験知の積み重ねにより生まれたものと思います。
干支を参考としつつ、それぞれが野生の勘を研ぎ澄ませてください。

野生の勘を育てるには、野生の経験を積み重ねるしかありません。
特に、物心のつかない、すなわち幼児期の記憶に残っていない時期、3歳~4歳までの間に、野生の経験を十分に積ませる事が大切です。
妊娠・受精してから、この時期までの間の経験の蓄積が、無意識となり、身体と心の健康を造り出します。

40億年前に地球上に生命が誕生しました。
私たちは、母体・子宮の中で生命の歴史を忠実にトレースし、繰り返して生まれてきます。
野生の動物(ほ乳類)は、生まれ落ちたときから自力で立ち上がり、母親のおっぱいに向かいます。
すなわち、大小は別にして、運動機能は一人前に成長しているのです。
その後、栄養の摂取により性の成熟へと向かい、子孫を残して死に至ります。

しかし、人は、大脳が肥大したため、身体が一人前になって生まれると母胎が持ちません。
このため、生理的早産の状態で生まれてきます。
このため、自力で歩き、おっぱいにたどり着くことができるようになるまで、守らなければなりません。
このとき、外界に生まれ落ちても子宮の中にいるのと同じ刺激のすくない状態を保ち、次第に刺激の量を増し、外界・野生の世界へと同化させてゆくことが大切となります。
また、ハイハイし、立ち上がり、動き回ることができるようになったならば、なめ回す、触りまくるということになりますが、このとき、身体をフルに使わせ、外界との接触を十分に行わせ、五感の発達を促さなくてはなりません。

この「眼・耳・鼻・舌・身」という五感をフル活用し、その情報を大脳にインプットし、神経回線が密に、複雑に結ばれることにより「意」の元となる、「意」を支える、無意識がしっかりと形成されます。
五感をフルに使うという事は、なめ回しなどを含め、外界の微生物環境を我が身に受け入れると言うことでもあり、腸内環境・腸内微生物相の多様化・複雑さを増こととなります。
大脳のみならず、消化系器官の神経系もまた、動き回り、なめ回すことで回路が繋がれて行くのです。
さらには、免疫細胞の強化・教育も行っているのです。
腸内環境を整えることは、意識ではコントロールできない内臓神経を健全にする事であり、また、大脳神経も健全にする事であり、身体活動のベースとなる無意識は、五感をフル活動させた結果の有形無形の情報との接触により獲得される消化系、及び大脳系神経節の結束と免疫力の賦活なのです。
そして、この無意識をベース、足かがりとして意識の世界へと歩み出すのです。
動物は、無意識の世界を生きており、この無意識の世界の広さ、深さ、多様さを幼児期に形成させることが必要なのです。

40億年の生命の旅を再体験し、動物的な感覚までも体験しなければ人にはなれないのです。
人が、人としての大脳活動・意識をフルに使っての行動を行うためには、生まれ落ちてから五感をフルに使った野生の生活体験が必要なのです。
人の場合、生命40億年の歴史を繰り返す体験は、子宮の中で終わるのではなく、生まれ落ちてからもの心がつくまで続くのです。
私見では、野性時代をキチッと過ごさせることのできた子は、勘が研ぎ澄まされ、運の良い人になるのだと思っています。

干支は、植物の生長の様などの観察から造られているわけですが、そのような勘が研ぎ済まれ、多様な経験を積んだ先哲、先達が、時を超えて経験を蓄積し、整理したものなのではないかと思っています。

・・・・・

自然の中での生活は、万物の生成化育・循環の中に包み込まれています。
人から見た場合、破壊・攪乱と見えるものも、その循環のなかの一コマに過ぎません。
そのような自然の循環を観察した結果、干支・暦などが生まれました。

いにしえの賢人達は、自然の観察から、1年を記録するのみならず、さらに大きな循環のサイクルを見いだしました。
古代バビロニアではアストロジー(占星術・学)、古代中国では十干十二支の60年の巡りや八卦・64卦の易となりました。
木星の周期は12年ですから、十二宮・十二支と対応しているものといえます。
太陽、月、木星の周期から暦が造られたという事になります。

人は小宇宙という考え方があります。
ならば、人々の織りなす社会は人が集まった宇宙とも言えます。
古代の賢人は、太陽のみならず、惑星・天体・銀河の動き:宇宙との対応・相似により、社会・人象を見ようとしました。
中国では、ホロスコープ(出生時の天体の配置図・幾何による占星術)のように星と人とを数で直接繋ぐことをせず、その間に自然・草木の生活還環境を仲介させ、物語を紡ぎ出しました。
それが十干・十二支(干支)です。

干は、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十干。
支は、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支です。
十干を、中国哲学の基礎となる五行(木火土金水)に変換するために、
甲乙(木)、丙丁(火)、戊己(土)、庚辛(金)、壬癸(水)の5グループに分け、
先を兄(え)、後を弟(と)としたことより、干支を「えと」と呼ぶようになりました。

五行は、7曜から、太陽と月を除いた5つの惑星。
木星、火星、土星、金星、水星なのですが、新羅万物に対し、この5つの逆走する惑星の性に分け分類し五行説としました。
万物は、五行(五つの性質)から成り立っていて、その消長、結び合い、循環によりあまたの現象として現れるというものです。

兄・弟で陰陽、5グループは五行、偶数と奇数の組合せで物事を理解することができるとしたわけです。
十干十二支では、60年で一周期、還暦となります。
宇宙・天地・自然を貫き、循環するエネルギーの変化の過程を60のタイプに分類したものといえるのです。

今年は、「丙(火の兄)・申」です。
「ひのえ・さる」の年ということになります。
干支の最初甲子(きのえね)から33番目、60年周期(還暦)の真ん中、折り返しから3年目の年の始まりとなりました。
60年の前半で造りあげた事柄の完成へと動き始める時期です。

女性の場合は33歳が本厄、厄年にあたります。
33歳の厄を上手く超えると、次の37歳の厄、女を卒業する時期となる厄を楽に越すことができるようになります。
33歳を過ぎると、身体的にはホルモンバランスが変化し、子どものできない身体への脱皮の準備にかかります。
男では、42歳の厄がこれに当たります。

栄養の不良だった時代、人生50年などと言っていた時代は、老境に入ったとされておりましたが、栄養が良くなった今は、まだまだ若造です。
その次の厄は、陰陽・男女ともに干支が一巡する61歳となります。
還暦60から折り返し、0に戻る巡りが始まります。
120歳、大還暦に向けての折り返しです。

60歳で折り返すと61歳ではなく、59歳、58歳と、だんだん若返って行くと考えると楽しく生きて行けそうです。理想は、0歳の大還暦にあの世に旅立つことです。
人間の生物学的な最大寿命(潜在力)が120年と言われておりますから、大還暦に挑戦するのも一興と思います。

さて、今年の干支を分解して見ましょう。

・十干(根・幹の部分、天) 丙:火の兄(陽)
甲子から始まり、十干3巡目の3年目・丙に入りました。
昨年、乙は、芽吹きに備え屈曲している状態、芽が殻の中で縮んだ状態でしたが、丙となり、火(陽気が)働き炳(明らか・つよし)となって行く、すなわち芽が地上に伸びて形をはっきりとさせる状態を示している
ます。
また、神に生け贄を捧げる机の象であり、生け贄を火で赤々と燃やすから炳。
物事がはっきりと形をとって現れるということを意味します。
植物の生長を形象として見る十干としては、丙は、五行のはじめの季節、春の盛と見ることができる。
植物が発芽し、炳然(へいぜん)現れ出ることとなる。

しかし、丙の上の一の字は陽気を現すのですが、その下は冂に入るであるから陽気が箱の中に閉じ込められ衰退するということも示している。
明らかになったから、消失へと向かうのであるが、まだまだ充実しているということを示している。
また、下の開いている箱だから、箱を持ち上げると逃れられることも示している。

・五行では、金。
五行相生説では、木火土金水、木火土金水と循環し、土から金が生まれ、金は水を生むという流れが順当に進んでいることを吉とします。自然の循環に即しているからです。
これとは異なり、五行相克説は他の性に対し優位になる状態を示し、火は金を克し、金は木を克す、のであり、火は金を溶かし、木を倒すのに金物の斧を使うと言うように、押さえ込む様を現します。

いわゆる「あいしょう・相性」が五行であり、循環する方向の流れが吉(相性が良い)であり、相対する性とは、凶(相性が悪い)と見るわけです。

・十二支(枝・葉の部分、地) 申(さる):金・陰
十二支の9番目。
申は、伸と同じで、万物が伸びる、草木が十分に伸びきった状態を示しています。
進展する力に満ち、陽気が盛んなのですが、伸びきることにより陰気が詰まってくるという事でもあります。
あるいは、伸、人が真っ直ぐ伸びた形、申は電光を現しています。
子(ね)から生長が始まり、半ばを超え、夏から秋となり、秋にさしかかっている状態と言えます。
時間で言えば、午後3時から5時、七つ時にあたります。

子(ねずみ)の芽吹きから始まり9番目の申(さる)、すなわち夏が過ぎ秋に入り、枝葉が繁茂しているが次第に衰えて行く姿といえる。

根・幹を現す十干は、芽を地上に現し、伸びて形をはっきりさせる状態であり、
枝葉を現す十二支は、晩秋にさしかかり枝葉を茂らせるも冬支度に懸かっている状態を表している。
幹は旺盛に伸びつつあるも枝葉の部分は衰え始まっているという事でしょうか?
あるいは、天は旺盛だが、地は秋の気配が訪れているという事でしょうか?
矛盾を抱えている象と言えます。
あるいは、根・幹は陽気が満ちあふれてはいるものの箱に閉じ込められており、このため枝葉は秋の様相を帯びているということで、このままでは、物事が明らかにされつつ、次第に衰退に入って行くということなのかもしれません。
ならば、陽気を箱から取り出すことにより、陽気が形となって発揮されるのかもしれません。
その箱とは何か、相性の良い土・水の示すものは、また、相性の悪い火と木とは?

政治、経済など、自分の興味のある処に、このような象が暗示する様を当てはめ各人が考察する必要があります。
干支の示すところをヒントに、自分にとって幹は旺盛だが、枝葉が衰え始めているという事象がなんなのか、考え理解し、対策を実行することにより成功が訪れる、または、閉じ込められた陽気を箱から出すためになにをなすか、などと解釈するということになる訳です。

大きな話しとして政情を見るために、十干(天・根幹)と十二支(地・枝葉)を組み合わせた60年を一区切りとして過去へさかのぼって見ましょう。

昭和31(1956)年(一巡前)
原子力三法公布施行。原子力委員会が発足。
第4回参議院選挙。昨年結党した自由民主党過半数を確保。
国際連合加盟。
日ソ交渉再開。日ソ漁業条約・海難救助協定調印。国交回復共同宣言調印。
三陸沖に大津波襲来。一万6千余戸が全壊、流出、2万7千人余りの死者が出る。
北京で戦後初の日本商品見本市を開催。
神武景気、造船高世界第一位となる。
デパートラッシュ。
太陽の季節。太陽族。
映画館新築ブーム。
もはや戦後ではない。
水俣病問題化。

明治29(1896)年(二巡前)
清国、仏、オランダなどと通商航海条約調印
日本郵船、欧州定期航路を開設。
日露協商条約調印。
伊藤博文首相(第二次内閣)、内閣不統一により辞表提出、黒田清輝枢密院議長が臨時首相兼任。
朝鮮親露クーデター。
台湾総督府条例公布。
明治三陸大津波 死者2万人
信濃川堤防決壊
陸羽地震。 死者209名
富山県下大大水害 流出3000戸
函館大火 2220戸消失
豊田佐吉、自動織機発明
映画の一般公開。

天保7(1836)年(三巡前)
唐物密輸取締。
幕府、米の石高に応じ江戸廻送を許可。
東海、陸奥などの酒造りを禁ず。
諸国飢饉、奥羽地方が酷く死者10万人を越えた。
全国で農民一揆。

享保元(1716)年(四巡前)
霧島山、噴火。
徳川吉宗将軍となり、享保の改革に着手。
大阪で大火。

4巡前は、
徳川幕府ができ100年余りが経過し、江戸中期に入った。
米を経済の基本とした経済運営を行ってきたが、そのほころびが出始めた。
8代吉宗が将軍職に就き、財政を安定させるための改革に乗り出した。
甘藷の栽培、治水の実施や目安箱を置き、小石川養生所を設置するなどを行った。
石高を上げるために新田開発に力を入れた。
基教に関係のない漢訳洋書の輸入を緩和した。
しかし、米の生産量が増えることにより、逆に米価の下落を招くなどの問題が生じた。
力をつけ始めた商人の力を殺ぐため贅沢を禁じたため、商業は振るわなくなった。

吉宗は善政を行ったが、家康のさだめた米を中心とする経済を遵守し、商人・商業を抑圧したために経済は困窮していった。
一方、漢訳洋書の輸入を緩和したことにより、国外の諸事情、技術情報の入手が可能となった。

幹としては妥当と思える政策を実施したが、商業の発達という時代の流れを見定めることができなく、改革は上手く行かなかった。
気概と結果が上手くつながって行かなかったのです。
丙子申は、そのような結果に終わった享保の改革の始めの年にあたるのです。

3巡前は、
天保の飢饉が続き、全国で農民一揆が多発した。
一方、西南諸国は、支那との密貿易により財政を整えていった。

ここにも、困窮による一揆の多発と、密貿易による冨の蓄積という矛盾が現れています。

2巡前は、
日清戦争終結後のひとときの平和の年。
日清通商航海条約を締結し、三国干渉などにより低下した海外に対する影響力を強化するために日本郵船、欧州定期航路を開設した。

大きな特徴はない年だが、つかの間の平和の中で、次なる戦争の準備が進められていたのだろう。
幹の部分の戦争準備と、枝葉の庶民の一時の平和。
と、思いきや、地震、津波、洪水、大火、災害の当たり年となってしまいました。

1巡前は、
神封景気に踊っている中、原子力委員会が発足し、三陸を大津波がおそっている。
日ソ国交の回復、北京での見本市が行われている。

幹の部分は神封景気に浮かれているが、枝葉の部分では、津波被災が深刻となっている。
1巡前、2巡前、三陸筋には津波がおそっている。
巡りから、5年ほど速かったという事になるのだろうが、干支をキチッと見定めていたならば、そろそろ津波が襲ってくる周期だと、準備ができたようにも思える。
このような事を感じ、身体が動く人が運の良い人なのだろう。

丙申の年周りは、火山の噴火、津波、冷害による飢饉と農民一揆という天変地変と騒乱が発生しているようです。
津波の襲来と原子力委員会の発足の時が重なっているのは興味深い事実です。
偶然とも言える関連ですが、津波と原子力発電所の関係については、突っ込んだ議論をすべきサインが出されていたとも受け取れます。
また、漢訳洋書の輸入緩和、支那との密貿易、欧州航路の開設、ソビエトとの国交回復など、海外との関係も共通項としてありそうです。
新たな動きの前兆でしょうか?
漢訳洋書の輸入が蘭学の興隆繋がり、倒幕に至る経緯となってしまうのですから、これもまた、皮肉・矛盾と言えるのかもしれません。
また、根・幹の取る方向により、枝葉である庶民に与える影響がマイナスだったり、結果が矛盾している場合が多いようです。

しかし、60年サイクルはおもしろいですね、不思議ですね。
全壊の三陸津波の襲来と原子力委員会の設立の時期が重なっていたとは、意外でした。
真摯に自然現象、災害について考察していたならば、福島原発は防ぎ得たとつくづく思います。
福島原発は、結果として臨界爆発に至りましたが、電源さえ確保出来ていれば防ぎ得た事故です。
技術の問題ではなく、人災と言える事故です。

人災の発生を防ぐためには、自然、見えぬ世界、物言わぬ世界に対して真摯に振る舞うことが必要です。
科学技術を過信して、危険を察知する勘が鈍ったために発生してしまった事故と言えます。

いずれの災害発生地を見て回っても、死者が発生するという事の裏には、人災的な要素が読み取れます。これを、予想外として片付けさせてしまうことは問題があると思います。
災害が発生した後に現況復旧を行い、類似箇所を含め災害対策の予算を付ける、ということが現状ですが、これでは、対処療法であり、手遅れとなってしまいます。
予想外の災害を防ぐことはできません。
対処療法ではなく、干支のような大きな視点で物事を見る目も必要なのではないでしょうか?

勘と経験の世界、野生の勘の世界を余りにも軽視しているために天災と言われる事故、その他の社会的な問題が多発していると言えると思います。

経済、政治、医療、教育、様々な問題が発生していますが、みな、自分さえ良ければ良い、今さえ良ければ良いという、「我良し」の発想が招いた問題だと思います。
歴史は繰り返すと言いますが、問題を繰り返し、繰り返す毎に被害を大きくしていたのでは洒落になりません。
科学技術が発達すればするほど、その影響は甚大となって行きます。

科学技術が発達すればするほど、巨大科学となり、その全貌を把握できる人間がいなくなり、また、手足、五感を使い経験を積み重ね、勘を磨く機会が失われ、勘が鈍って行く。
そして、巨大科学・技術と人間の間が無限に開いて行く。
この逆説的な状況について真摯に考えてゆくことが必要です。

巨大科学・技術を使いこなすためには、逆説的となりますが、野生の経験を積み、勘を研ぎ澄まし、不測の事態、予測不能に対応可能な人材を育てる必要があろうかと思います。
ひと言で言うならば、全体を見通す目を持った、運の良い人です。
科学が進むほど、人材が育たなくなっていると感じるのは私だけでしょうか?
巨大科学・技術を使いこなすためには、科学的な素養と共に、天象地象から干支を感得した先人・賢哲のような能力を持つ人材を育成しなければならないのです。

東洋哲学は、天地人の調和を考究するものです。
人の和の乱れが、天変地変を招くものと考えられております。
また、人の和(バランス)を保つためには、忠恕なる人を育てることにあるとしております。
科学・技術教育のみならず、孔子の言う忠恕、孟子の言う仁義という感覚が必要になるのです。
人材教育をしっかり行い、その上で科学・技術教育がなされなければ、人災的な要素の払拭は困難でしょう。
そして、人間はますます部分の仕事、部品のように取り扱われるようになってしまいます。

中国・韓国などとの問題、グローバル経済という人の和が乱れた結果、豪雨災害・火山・地震などの増大へと繋がっているように思えます。
干支などの東洋哲学を、迷信と捉えるか、経験知と捉えるかは各人の考え方一つです。
ただ言えることは、地下資源をやたら掘りまくり、エネルギー源として石油・石炭を燃やし続けた結果、地球規模の環境問題が発生したと考えられているのですから、「我良し」の人間が増え、人の和の乱れが天変地変を招いている、ということも否定できないと思う訳です。

現代教育では、神様・仏様の実在を証明できないからいないとされています。
しかし、証明されていないものの存在は、確率から言うならば居るも居ないも50%です。
基教など一神教の神が、旧約・新訳に記された状態で存在するとは思えませんが、確率論的には、神・仏が存在する可能性は高いと言えます。
特に、我が国のように自然そのものを神と捉える、祖先を神として敬うという信仰形態の場合はなおさらです。
さらに言うならば、神仏はその存在を問うものではなく、各人が感じ取る、感得するものなのですから、居る、居ないという問題では無いのです。
感じられる人には居るのであって、感じられない人に取っては居ないのです。
それは、芸術を理解できる、感じ取れるということに似たものと言えます。
感じ取れるという事は、嫌なものは回避でき、良きものには同化できるという事で、運の良い人の基本となる能力だと思います。
信仰とは、地球・自然に対する謙虚な姿勢そのもの、地球・自然の状態を感じ取ることのできる感覚に根ざしているのだと思います。

————————————- いつもの毎年同じ能書きです。

古代中国では、万物は一(・)より生じた陰陽(・・)により発したとされ、五行思想の十干十二支、易の六十四卦に表されるように循環し、一回りし元へ戻ると考えられておりました。
中国に限らず、古代ギリシャなど太陽・星々の動きより時間を観察していた時代はすべてが循環するという世界観でした。
しかし、いつの間にか、直線的・拡散的な世界観に変わってしまい、現在は効率化というスピード・加速まで求められるようになってしまいました。
あっというまに1年が過ぎてしまうこの頃です。
すべてが巡る、元の所へ戻るという世界観へ立ち戻ることができるならば、もう少しゆとりが生まれるように思います。

中国の場合、循環論が精緻にくみ上げられ、様々な循環論の中で最も我々の世界に入り込んでいるのが干支(えと)の世界です。これは、十干と十二支という二つの循環論を組み合わせたものです。

十干といっても、十干を陰陽(兄・え弟と)とし、五行(木火土金水)に還元しております。これと、十二支を掛け合わせたため、十干十二支は5×12=60年で一回りします。易は、六十四卦として表しますから、いずれも60年程度で一巡りし同じような事象が現れると感じていた模様です。人間の寿命では、、120年という長年月を見通すことは困難、60年程度が妥当なところと考えたのでしよう。

人間の一生を60年とし、その程度は観察できる、経験できるということでの組み立てと考えられますが、社会的活動ができるのが約30年と想定するならば、二世代となります。二世代を過ぎる当たりで、ご先祖様が行ってきた事柄を忘れ、同じ事を繰り返すという事かもしれません。
懲りない面々、ということなのでしょうか?
このような懲りない面々に対し、気をつけろよと言うサインを送っているものとも思われます。

もともとは、十干、十二支は別の概念と思われますが、いずれかの時期に合体されたものと考えられます。
いずれも、植物が芽吹き、生長し、実を結び枯れるまでのサイクルを表したものとされておりますが、これを無理矢理組み合わせたため、組み合わせの上での矛盾が発生します。この矛盾から、その年のイメージを浮かび上がらせるという事ができるものと思います。

十干十二支は、植物が芽生え、繁茂し枯れ朽ちてゆく春・夏・秋・冬の生命の姿、時間の経過により生ずる変化の考察より、天地万物の変化を類推的に読み取ろうとするものです。科学的な根拠というよりは、先人の長年の経験と類推による経験科学?といえましよう。

十干十二支は、10×12=60で一巡りです。60年を1サイクルとする変化です。
経済額では、約60年周期で好不況が起きるとしております(コンドラチェフの波)。
・ 技術革新に起因するコンドラチェフの波(約60年周期)
・ 長期設備投資に起因するクズネッツの波(約20年周期)
・ 中期設備投資に起因するジュグラーの波(約10年周期)
・ 短期在庫投資に起因するキチンの波(約3~4年周期)
これらの波が輻輳ししうねり60年で会合します。
このような動き、うねりを植物の生成繁茂に仮託したものといえます。

近頃、これに加え
・社会体制・歴史サイクルの変化 70年説 明治維新+70=太平洋戦争終焉(1945)+70=2015年何か起きる?
・個人の季節サイクル 春・夏・秋・冬 各3年×4=12年説
・人生の生長ステージ 7年一節×12段階説
などが言われております。

大地震は70年
不況は60年
とも言われます。

易が64卦となっており、60~70と少し幅を持って循環しているのかもしれません。
一世代約30年、二世代でふた巡りというところでしたが、長寿命となったため7×12=84年説まで出てきました。

さらに長い循環としては、村山節の800年周期説という物があります。
「文明は800年周期で東西が交代している。西暦2000年が東西文明の交差する年であり、今まで800年続いた西洋の時代が終わり、これから800年が東洋の時代になる。」という説です。
東西の歴史上の出来事を、時間軸の中で俯瞰(歴史上の出来事、1年を同じ長さとし長い巻物とした)すると、800年で循環していることに気づいたというものです。
日本の発展、それに続くアジア諸国の発展、中国の目覚め、言い得て不妙なものがあります。

以上 十干十二支・干支をヒントに、イメージを広げてみました。

明日は、「文月・大暑・初侯 桐始結花」となります。
生命力の強い桐は、最も暑い季節に花開きます。

一年の内、最も暑い時期に入ります。
身体の一年のリズム・巡りでは、動き、汗をかき、体毒を出し切るとき。

熱中症にお気をつけ下さいとは言いません。
昔に比較し、暑くなっているとは言え、熱中症がこれほど増たのは異常です。
汗をかける身体、動物としての自然の身体になっていない、という事でしょう。
否、冷房が当たり前となっているため、夏なのに冷えをため込んでいます。
汗をかけないように、自らがしているのです。
身体が緩まず、ガチガチの身体になってしまいます。

柔軟で強い身体を作り上げなければならない時期の子供達を抱えた、家庭・小学校まで冷房をガンガン効かしています。
子供達の感覚では無く、感覚の鈍った大人・先生の感覚で温度設定をしてしまうからです。
子供達は、それになれ、鈍い身体になってしまいます。
とどのつまりは、冬期の学級閉鎖です。
多用する薬、食品添加物などが、そのような身体を造る傾向に拍車をかけています。
夏場の暑さのなかでエネルギーを消耗していないのに、鈍い身体は対応できず、直ぐ夏ばて状態、熱中症になってしまいます。

石油・化石エネルギーを消費し、お金をかけて、今の快適さだけを追い求め、自然のリズムを否定する事により、自らが進んで病になりやすい身体を造っているのです。
大枚をはたいて、知恵を絞って悪循環を起こしています。
サル知恵ならぬ、万物の霊長としておごり高ぶる人間様の知恵なぞその程度のもの。
天に向かって唾していることさえ気がつきません。
なんたる茶番・悲劇。

政治問題も含む現代社会の茶番は、根っ子・根本を見ること、背景と総合を忘れ、今、目の前に見えることにのみ気を取られているという事の結果なのですが、健康問題も又、同様です。
今、目の前の快適さのみに目が行ってしまっております。
これは、冬期の学級閉鎖のみならず、将来の生活習慣病予備軍を、家庭・学校が一生懸命になり、余分なことをして造り堕しているという事になります。

地球温暖化防止、二酸化炭素の排出抑制、自然エネルギーと叫ぶ環境に優しいと称する人たちも、夏の涼しさを競っています。
環境に優しいことをしようという集会で気炎を上げた後には、冷たいジェラード、冷たいビールなんぞをたしなみます。
興奮した大脳のクールダウンかもしれませんが、内臓に取っては迷惑なことです。
今後50年後の地球よりも、内臓の迷惑さよりもも、今の大脳で感じ取る感覚の世界の快適さの追求です。

地球環境全体を見ないで、社会全体を見ないで、自分たちの健康についても省みないで、大脳が造り出した理想というバーチャル屁理屈?に振り回され、部分最適を繰り返し、快適な家畜小屋を求め、自らが家畜化の道を選ぶ自己家畜化という世界に陥っているんだよ、と揶揄する所以です。

いつもの悪い癖、話しを大きくしすぎます。
もとい、
皮肉になりますが、「夏です、身体を良く温めてください」、と言うことになってしまいます。
半身浴、足湯などで、冷えを取り、汗腺を開き汗を出しましよう。

せっかくの夏、汗をかききりましょう。
十分に汗をかき、良い水と塩分を補給しましょう。
ただし、化学塩では無く、ミネラルバランスの取れた自然塩がお勧めです。
また、新陳代謝が活発になっていますから、食べ物でエネルギー源を確保し、良き呼吸を行い、体内に酸素を十分に取り入れ、良質なエネルギー生産と排泄を保つようにお気使いください。
細胞レベル、さらには細胞内小器官・発展期のミトコンドリアが活発に活動していることをイメージしてみてください。

夏に汗をかききったものは、冬の健康が約束されます。
夏に汗をかくことは、体温が上がると言う事。
これにより、新陳代謝が活発になります。
細胞レベルまで活発になるのです。
すなわち、若返りの好機なのです。

特に、子どもを生み育て、子々孫々に命をバトンタッチして行くお母さん、お母さん予備軍の方は、冷えにはご注意を!
自然・生命・健康というものについて、立ち止まって考えてみてください。

江戸川・葛飾納涼花火大会

江戸川・葛飾納涼花火大会
富士山と煙と帰り道

江戸川・葛飾納涼花火大会  
花火前の一時・胸躍らせて

日本緑化工協会 現地研修会-8
赤沢自然休養林 森林資料館
平成27年7月15日
参加者:17名

日本緑化工協会 現地研修会-6 妻籠宿(打ち上げ?)
平成27年7月15日
参加者:17名