「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

「母性」カテゴリーのアーカイブ

666,567と三つ子の魂について

カタカナ語を駆使し、むずかしいことを言わなくとも、祖先は「3つ子の魂まで」と称していたということをしっかりと理解すれば良いだろう。

妊娠・胎児の段階から、生理的早産・体外子宮状態の母子密実一体の時、乳児期、幼児期と家族・親族に囲まれ、やがて外界への興味いっぱいに動き回る、それぞれの段階で必要な体感を培う、経過させることにより、身心、身体を育てるとともに、身体・五感を通じて頭脳・心、豊かな潜在意識を育てていたという事実の理解だ。
カタカナ語を通して抽象的に語る必要はあるまい。
このころまでに腸内細菌叢の質が大人に近い状態になるのは偶然ではない。
3つ子の時までに、一人前となるための基礎がかたち造られるのだし、そのように育てるのだ。

3歳の頃にはその体感のうえに培った身心に、自我・顕在意識が目覚め、遊びという形で自然・外界(風土)との交流・刺激を求め、野生の身心を手に入れます。

そして、6歳6ヵ月6日に習い事はじめとなり、文化・文明(文武両道)を獲得し、継承するものへと歩みだすのです。
育つための経過すべき段階(ステージ)があるのです。

この段階・ステージを無視し始めさせられたのが男女平等という呪詛。
本来異なっているものを、丸めて同じとしてしまうのだから、不自然この上もない。

そして、今、567に対し666が象徴として浮上。
旧約・ヨハネの黙示録では獣とされるもの。
人を習い事、文化・文明の段階、自分の頭で考えるという段階の前に留めておくぞ、というサインに思われるのです。
(文明)人となる以前の存在とも解されるのです。

6⑥6とするならば、⑥は胎児・私。
私を取り巻く人たちが66です。
マスク、3密を避(裂)けよ人と人の間を分断し、過剰な消毒・清潔で共進化してきたばい菌たちとも分断され、免疫力、生きる力さえも奪われているのです。

この語呂合わせ的な数字を偶然と見るか否かは人それぞれ、感性の問題ですが、その裏に秘めたる意図を感じ取ることができる人は、受け手一方ではなく、準備・応戦の備えができることでしょう。

ちなみに、欧州と東洋・わが国は逆。
悪魔の使いのドラゴンは、神たる龍になるのです。
龍の吐く6⑥6は、567となり、369となるのです。

いつもの悪い癖。
Hさんのスレッドに長い書き込み。
書き込み責任と記録としてコピペ。

「三つ子の魂」、母子密実一体の時の大切さについて

ナショナル ジオグラフィックに「手先が不器用になる子どもたち、『驚くべき異変』を専門家が危惧 ファスナーを上げられない、ページをめくれない…親にできることとは」との記事がありました。


・ パンデミックの1年目(2020年3~12月)に生まれた250人以上の赤ちゃんを対象にした米国での研究によると、生後6カ月での微細運動テストでは、パンデミック中に生まれた赤ちゃんは、それ以前に生まれた赤ちゃんよりも点数が低かった。
・スマートフォンやタブレット端末、電子書籍、テレビなどの画面を見ている時間は、子どもが何かを作ったり組み立てたり、絵を描いたりする時間を削る。
そうした端末を使った算数の学習やデジタルアートの作成は、教育効果はあるが、書く、切る、色を塗るといった動作に伴う細かな運動能力を育てることはできない。
との記載がありました。

すなわち、
「動物の本質である身体を動かすことが少なくなっている。
人間の本質は、立ち、手を動かすということであり、身体を動かすことが少なくなっているため、人としての動作も劣化してしまった。
細かな動作ができないということは、その動作によって培われる細やかな感情もまた育てることができなくなっている。
荒っぽい動作、粗野な感情むき出しの世界となる方向へと進んでいる。」
それすなわち、退化。
ということを示しているのです。
人類・人としての危機的な状態に至っているといえましょう。
・・・
人類学では、
「人の脳は7万年前から縮小傾向となっているとしており、この2万年間で人間の脳が1500~1350ccに縮小したとされています。
縮小は、神経繊維の塊である白質ではなく、言語や文化、文字など、人間に特有の複雑な行動や能力をつかさどる灰白質が減少し、野生だった祖先よりも脳が10~15%ほど小さくなっている。」
としています。

脳容積が縮小した原因はわからず、様々な仮説が述べられています。
・最小のエネルギーで最大の知性を得る」ように進化した結果
・社会的動物・家畜化したため
・温暖期に入ったため暖かい気候に適応するために、体が小さくなり、同時に頭がい骨と脳が縮小した
・女性の骨盤が縮小していったため、頭がい骨も小さくなり、脳の容積も縮小した
・単に人間が怠惰になり、知能が低下したから
などなど

「最小のエネルギーで最大の知性を得る」という方向への進化ならば目出度いのですが、残念ながら知識は増えても知性が向上しているとは思えません。
他の仮説の示すところを大きくまとめると、身体を動かさなくなったことに対する適応・進化の結果となろうかと思われます。
身体を使わなくなったための退化といえるのです。

生物・動物に共通する仕組みとして「廃動萎縮」ということがあります。
エネルギーの効率的な配分を行うため、使わないところは萎縮させ、よく使うところを肥大させるというものです。
筋肉は廃動萎縮が顕著ですが、脳も又同様です。

脳を肥大化させる方向に進化した人は、生理的未熟児の状態で子を産み、体外子宮とも言うべき環境、母子密実一体の状態で自分で動くことのできる状態、すなわち動物の出産レベルの運動能力が発達するまで面倒を見るという方向に進化したのです。
脳を肥大化させた代償が、未熟児を一人前の子にするという手間、長時間の育児なのです。
しかし現代社会は、この手間を惜しむ方向へと進めてしまったため、退化の一途を辿っているといってよいのです。

出産後に脳は肥大化してゆき、神経細胞同士のつながり(シナプス)は1~3歳くらいまで過剰に作られ、その後、必要なつながりだけが残されていくのです。
ほぼ1歳で最大になるとも言われています。
神経細胞の繋がりを造り出している最中ですから、自我などというものを持つことはできません。
無意識の自己保全の本能によって生きている、本来ならば、未だ子宮の中で生長している時期といえます。

私はシナプスの繋がりが造られて行くこの時期・体外子宮の時期を、無意識の時期として示し、古人は三つ子の魂とし、この時期の母子密実一体を基礎とする子を取り巻く環境が大切なことを訴えてきたのです。

なぜならば、赤ちゃんは身体・五感をとおして感じた快・不快などの情報、なめ回し、触りまくった皮膚感覚によって脳神経の繋がりを密に、太くして行く時だからなのです。

感じ取った情報、身体を動かしフィードバックした情報により神経回路が形成されて行くのです。

それを、古人は「三つ子の魂百まで」と称したのです。

脳の基礎が形づくられるのですから文字通り「魂の時期」です。

脳科学の世界が、やっと古人の示したことを理解し、説明できるようになったのです。

そして、3~7歳の脳では過剰なシナプスの刈り込みが行われ、神経回路が整備され効率的な処理が行えるようになっていきます。

三つ子の魂の時期に形成された神経回路を中心に、自然の中で遊び回り、感じ、身体を動かすことで、更に強く強固な神経回路へと育てて行くのです。

そして、使わない神経、余分な神経が刈り込まれ失われて行くのです。

身体を動かし、感じることで、外界と脳の配線が照合され、外界との繋がりが確実にされて行くのです。

これで、野生の身体と脳の基礎を完成させることができるのです。

逆にいうならば、野生の身心を完成させるための育児を行わなければならないのです。

その後、6歳6ヵ月の稽古始めから、これまで培ってきた身心をもとに、文化・知恵・知識を植え付け、また、自得して行く時期となるのです。

すなわち、野生の身心を獲得した上に、文化遺伝子(ニーム)という側面を受け持つ父親・男の出番となるのです。

これが進化に即した育児、個体発生は系統発生を繰り返すという原則に則した育児なのです。

他の動物と異なり、人の場合は個体発生、子宮内での進化をなぞり育って行くという歴史は、出産後も続き、三つ子の魂の時期、6歳6ヵ月まで続くのです。

・・・

数日前、人類の脳は縮小しているとの一文を入れた投稿をしました。

すると、脳の容積は増えている、縮小ということについては何のエビデンスもないという指摘・コメントが医療者から寄せられました。

私は数万年の変化という人類学的な見地を述べたのですが、数10年という現代医学のデータを示してのご指摘、反論です。

当然ながら、時間のスパンの異なる比較不能のデータですから意味をなしません。

私はこのデータからは、長いスパンでは縮小傾向にある脳が、なぜ現代になって増加しているのかという疑問が出てきます。

野生の時代に比較するならば身体能力は劣る一方であり、しかも、受け身の情報にさらされるだけで、脳容量が大きくなるという原因・理由は考えにくいのです。

整体的な見地から見るならば、脳が疲れると頭蓋骨が弛み、頭が大きくなるという傾向があります。

すなわち私には、現代の脳容積の肥大は、脳の極度の疲労、身体を引き締めて使うことができなくなってしまった身体の病理が反映されているように感じられるのです。

大きなトレンドからのズレがあった場合は、その原因を究明するのが医学の役割の一つと思うのですが、いかがでしょうか?

私がなにを語らんとしいてるのかという文脈・大意について触れることなく、短期間のデータを示し、全体を否定するイメージを惹起させるものとなっていると感じました。
自分の頭でキチッと考え、判断をしてほしいものです。

私は、述べんとすることの一つの傍証として脳容積の縮小という問題を示したのであって、脳容積が拡大しようが縮小しようが、大意は変わりません。
私が述べていることそのものが誤りならば、もっと俯瞰的なコメントが欲しいと感じましたが、世界観のことなるものの平行線の応酬を避けるために、あえて反論は行いませんでした。
しかし、放置しておくことも意に沿わないため、整理し述べてみました。
・・・

・「手先が不器用になる子どもたち、『驚くべき異変』を専門家が危惧 ファスナーを上げられない、ページをめくれない…親にできることとは」

・ヒトの脳は7万年前から縮小しつつある

・❸ 子どもの頭の中では何が起こってる? <幼児期に効く! 脳コラム5選>

・3歳までにやっておきたい「育脳」! 脳の発達には、基礎となる”生活”が大事

令和7年4月9日 FBに投稿

健康な状態とは 母性の復権


2019年4月17日
 ·

私が興味を持っているのは、すべての健康、トータルな健康についてだ。
年老いたものは、自分の健康のみならず、子々孫々の健康にまでその知恵を用い、目配りをしなければならないと思い、言挙げをしている。

健康とは、自分の足で立って元気に生きて行くことだし、自立自存、自律自尊の個人が、手を取り合って、より面白い、楽しい世界を切り開くことだと思うからだ。
それには、個々人の身体、心の健康から、人の造った組織・社会システムに至るまで、健康・元気であることが必要だ。

なぜ組織・社会システムの健康までなのか。
それは、人は、人間と称すように、社会的な動物だからだ。
その様に進化してきたからだ。
組織・社会システムを離れては、健康な生活、幸せはないと思うからだ。
幸せ=仕合わせ、他の人と力を会わせて物事を成し遂げること、その達成感こそが仕合わせということだと思うからだ。

仙人のように俗界を離れた孤高の幸せでは意味がないと思うのだ。
また、1%の富めるもののみが健康であっても意味が無いと思うのだ。
種としての健康ということに目を向けなければならないのだ。
さすれば、新たな種としての進化が可能となるだろう。

人は、集団として暮らすように進化して来た種なのだから、集団・組織・社会システムの進化を探るということは、当然のことといえるだろう。
このため、
生まれる以前、出産、生まれた後、子々孫々の健康についてまで、
私たちが健康に生きて行くための仕組み、そして、それを取り巻く組織・社会システムのあり方、その未来まで、
その総てに対し目配りする必要があるのだ。

個人の健康は、社会を形づくるための基礎。
個々人が自立自存尊の生活をおくり、その上で組織・社会システムがキチッと機能するならば、快適な生活をおくることが出来る。

しかし、組織・社会システムは、両刃の剣。
便利なものだが、そのメンテナンスを怠るならば、その刃は我が身に返ってくる。
このため、組織・社会システムの健康管理をキチッと行い続けなければならないのだ。

健康管理のためのモデルは、私たちが進化してきた環境=自然の循環、永遠のいのちの継続としなければならないだろう。

私見では、昔の女性は偉かった。
このような健康観を持ち、暮らし、そのセンスを子ども達に伝えてきた。
家の経営者、いのちを繋ぐ者としての自覚を持ち、子を育て、そして男を造ってきた。

これを母性と称している。

皆が健康で元気に暮らし続けるためには、母性、いのちの継承というものを真ん中に据えた組織・社会システムの構築に取りかからなければならないのだ。そこで、母性の復活・復権を唱えているのです。

錦織法子 2015年4月17日 ·

中野裕司さんが私の投稿にコメントしてくださいました。
いつも見事な切り口で、現状を表現してくださる。
私の投稿のコメントに埋もれてしまうのがもったいなくて、
どうしたらよいのか…と思ってきましたが、貼りつけてしまえ!!
と、いうこと…にしました。

以下、中野裕司さんのコメントです。ーーー

自分の健康は自ら守るもの、家族の健康もまた同じ。

しかし、いつの間にか、また、それが便利で儲かる人たちがいたから、自分の、家族の健康はすべて医療に外注する、経費は健康保険でまかなう、それ以上の負担にも耐え得るよう保険会社に積み立てておく、という人任せを横行させてしまった。
そのような社会システムの構築を許してしまった。

根本は、政治的無関心にあり、仕組みを造ることにより利益を得る人たちを野放しにしてきたことにあるのだろう。

国の方針がそのような方向を向いているものだから、学校でもそのような福祉に頼ることが正しいと教えてしまい、それを信じた人が大半になったところから、医療制度の崩壊が始まった。

高コスト社会、税金値上げの到来だ。

医療制度そのものが、ある程度、自らの健康は自らの手で守るという気概を持った人がいるということを前提とし設計していたのだろう。
しかし、そのような含みがあることを忘れ、極端に走り始め、すべて医療におんぶに抱っことすることが当たり前となったため、システムの容量オーバーとなってしまった。
そして、本末転倒、自分の生命を自分が管理するのではなく、他人が健康・生命維持の面倒を見なければならない時代になってしまった。

当然のことながら、現場にそのしわ寄せが行く。

まして悪いのは、管理のための書類、書類のための書類が増えて行くことだろう。
現場よりも管理者の方が数が多い、二重三重に管理するという仕組みもまた本末転倒に拍車をかけている。
制度疲労という言葉で片付けしまうのは簡単だが、制度の末端で働いている人はそれではすまぬ。
大きな流れのなかで諦めるのではなく、根本・本質から替えるためのアクションが必要な時期に来ているのだろう。
このような声が量となり、飽和状態に達し、質への転換となることを期待している。

動物の調和的行動

2015/11/28 FB投稿より

またまたの悪い癖。
錦織さんのスレッドに、長い書込。
記録のため、転載。
・・・・・
昔からこのようだったのか、近頃このようになったのか?
動物などの行動が、調和的という動画・画像が目につき来ます。
弱肉強食というイメージは、植え付けられたもの?
人間の弱肉強食という行動が投影されたもの?
そのような気が募って行く。
これが、進化ならば、人間様の世界にも起きて欲しい。
・・・・・
鬼塚さんから、同感の意見。
・・・・・
錦織さんから、
感覚器からの感覚が進化を進めるのでしようから、感覚器を怠けさせる品々にどっぷり浸かっていると難しいのでしようね。
・・・・・
そして、進化という問題についてブツブツと。

共感、感応する力が進化の原動力だと思います。
進化は、個ではなく、種がなるべくして成るという今西流の進化の仕方があるのでしょう。
今の進化学では、進化の原動力・仕組みが不明です。
しかし、細胞レベルでの情報交換、共感とも思える相互作用により秩序が作られ組織化されることがわかっています。互いに察知し合うのです。
細胞が寄り集まって、別の階層のもの、組織が生まれて行くのです。
構成要素は同じ細胞なのですが、分化し役割分担が決まって行くのです。
細胞レベルでさえ、相互に影響を与え合い、変化して行くのですから、私は、種だけでなく、他の種も含めた共感による共進化が、進化の本質だと思っています。

他の種、生き物の間に、この画像に示されるような融和的な進化?が発生しているとするのならば、いずれ、人間様の世界にも起きてくると言う期待を感じます。

生命は、始原の一つの細胞の別れ。
深い所でつながり、共感しているものと思います。
このような姿が、今、種を超えた生き物の交流に現れているのでしょう。

科学では、未だ捕まえきれない世界があるのでしょう。
弱肉強食と見えるものも、己を己に捧げ、新たな生命を産むための行為、循環のための行為と見ると、まったく異なった世界がみえてきます。
生命の本質は、エネルギーの循環、同じものなのですから。

産(生)まれることと死の様相・表情、性と苦の様相・表情が相似であることもその現れなのでしょう。
同じものが位相を少し変えただけということなのでしょう。
そこには、苦楽共に同じものという超宗教的な世界が広がっています。

しかし、己のためという我良しの強固な信念が、楽に、効率的に富を得る、独占するという信念が、共感力を損なわせています。
個我を超えた共感力、超宗教的な世界への肉薄、自然との共生を妨げています。

しかし、一方で、精神世界の教えでは、今、必要としている事のみ眼前に出現する、宿題として現れる。
という、原則があるとされています。

このような観点から見るならば、今、進化の道程として、一神教的、大脳的、我良しの世界観を克服するという問題が示され、臨界の時となっているとも理解出来ます。

その先に待っている世界を、この画像に示されている生き物たちが見せてくれているのかもしれません。

今、それぞれの置かれている立場で眼前に見えている、一神教的な世界に住む人々が演じ、示している我良の世界という問題、これに気がついたならば、その解決に向けて立ち向かわなければならないのでしょう。
この問題に気づいた人々が、これを解決する使命を与えれたらと思う必要があるのでしょう。

そして、私は、その解決の糸口が日本的母性への復帰にあると思っている訳なのです。
マリア信仰を始め、地母神、母性に対する信仰は世界中に残されているわけですが、脈々と息づいているのは、日本だと思うからです。

一神教的科学文明、男性原理の文明を母性原理が包み込み、融合するとき、分別する事による科学ではなく、共感力を主とする本物の科学、総合・統合の科学が完成し、進化の螺旋階段を一つ登る事ができると思うのです。

大問題、眼前の大きな障害こそが進化の原動力。
大勢の人がそれに気づき、意識に上らせたとき、真に共感しあったとき、変わるべくして変わる。
量か質に変わると確信し、そのための、種、ばい菌となれたら、と思って発信しているのです。

 

イザベラ・バードの見た我が国の育児

シェアしたまま、コメントを付けることができなかった。

いろいろ、本当の理由が挙げられているが、なんか違うな、違和感が大きいのです。
それは、皆「自分」が中心だからなんでしょうね。
個人主義という、現代教育の賜、成果なんでしょう。
しかし、これは主義であって、真実では無い。
人類史という長スパンの歴史に裏付けられたものではない。
実験中のスタイルなんです。

子育てが大変だと言われたくないから?
自分の達成感のための子育て?
自分の人格がどこかに行っちゃいそうだから?
本気で、自分中心の、この言い訳が本当だと思っているのだろうか?

子育ては、生理的早産の時期、授乳期は、母子一体を保つ必要がある。
その時は、母子一体、我が子のために、我が子と時間を共有する大切な時期。
無我夢中の時期だろう。

その後は、徐々に離れて行くことが大切。
伝統的な子育て技術が途絶え、このメリハリが上手く行かなくなったから、子供達は外界・世界との繋がりに対し不安感が強く、親離れしようとしない。
親も、子離れできないという悪循環のような気がする。

昔々の貧しかった時期は、否応なく子育てをやっていた。
今よりも、多くの子を生んで、育て上げていた。

子どもを抱っこし、おんぶし、家事労働をこなしながらも一体を保っていた。おんぶできない場合でも、目で追うことのできる範囲で仕事をした。
母が忙しい場合は、上の兄弟が、弟・妹をおんぶしていた。
それが当たり前だった。

その時期が過ぎると、子供達は次第に母から離れ、兄弟・親戚・友達集団の中で育って行く。育てるのでは無く、育っていった。

子供達は、子守などの労働力として家庭の中に組みこまれる。
弟・妹を子どもがおんぶしながら遊ぶのも、その一貫だったろう。

イザベラバードなど、幕末から明治初めの日本に関する紀行文を読んでみると、子育てについて興味深い文章にであう。

大人は、極度に子供達を可愛がる。
子供達は泣かない、親の言う事を良く聞く。
子育てに関しては、西洋よりも優れている。
などなど
以下、日本奥地紀行より抜粋して示す。

・これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。

・他人の子供に対しても、適度に愛情を持って世話をしてやる。自分の子にほこりをもっている。見て非常に面白いのは、毎朝六時頃、12人か14人の男達が低い塀の下に集まって腰を下ろしているが、皆自分の腕の中に二歳にもならぬ子どもを抱いて、可愛がったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしていることである。

・一家団らんの中に囲まれてふんどししか着けていない父親が、その醜いが優しい顔を温和しそうな赤ん坊の上に寄せている姿である。母親は、しばしば肩から着物を落とした姿で、着物を付けていない二人の子どもを両腕に抱いている。

・子供達は、私たちの考え方からすれば、余りにも温和しく、儀礼的に過ぎるが、その顔付や振る舞いは、人に大きな好感をいだかせる。彼らはとても温和しく従順であり、喜んで親の手助けをやり、幼い子どもに親切である。私は彼らが遊んでいるのを何時間もじっと見ていたが、彼らが怒った言葉を吐いたり、意地悪いことをしたりするのを見たことが無い。

・7歳か8歳の小さな女の子でさえも、あかちゃん背中におんぶして子ども遊びに興じていた。まだ、小さくて本当の赤ん坊を背に負えない子供達は、大きな人形を背中に結んで同じような格好をしていた。

・子供達は家庭において黙って従うことに慣れているから、教師は苦労をしないて、生徒を、静かに、良く聞く、温和しい子にておくことかてきる。教科書をしっみつめている生徒達の古風な顔には、痛々しいほどの熱心さがある。幼い生徒は、主として実物教育によって教えられていた。

・母の背中や父の腕に抱かれてい赤ん坊は目を覚ましても少しも泣かない。

・ここでは今夜も、他の幾千もの村々の場合と同じく、人々は仕事から帰宅し、食事を取り、煙草を吸い、子どもを見て楽しみ、背負って歩き回ったり、子供達が遊ぶのを見ていたり、藁で蓑を編んだりしている。いかに家は貧しくとも、彼らは、自分の家庭生活を楽しむ。少なくとも子供達が彼らを引きつけている。英国の労働者階級の家庭では、往々にして口論があったり言う事を聞かなかったりして、家庭は騒々しい場所となってしまうことが多いのだが、ここでは、そういう光景は見られない。日本では、親の言う事は温和しく聞くのが当然のこととして、赤ん坊の時から教え込まれている。

・私は日本の子供達がとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことが無く、子どもがうるさかったり、言う事を聞かなかったりするのを見たことが無い。日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる習慣となっている。英国の母親達が、子供達を脅したり、手練手管を使ってだましたりして、嫌々ながら服従させるような光景は、日本では見られない。私は、子供達が自分たちだけで面白く遊べるように、上手く仕込まれているのに感心する。

・子供達は輪を作って座り「いろはがるた」をやっているのを、大人達はそれを熱心に見ている。子ども崇拝は、米国の場合よりも日本の場合がもっと一般的である。私が思うには、日本の形式が最も良い。

などなど

山形置賜地方をアルカディアと言ったみとは有名だが、バードのこのような日本の子供達の姿について述べた文書にはもっと注目して良いだろう。
朝鮮・中国紀行も記しているが、このような子供達の姿は日本奥地紀行にのみ見られるものだ。
子育て、育児は、如何に文化的なものであるのかを如実に示している。

バードが日本の関東~東北~北海道を歩いたのは1878(明治11)年のこと。
136年前には、貧しかったが、日本には、理想とする育児をしていたご先祖様が居たということは忘れてはならないだろう。
貧しいものの、子どもの倖せを中心にし、子どもと共の生活を送っていた社会があったのだ。

以前、子供達は母親のもの、親父はそれを守るもの、ということを述べたら、女性・母親を理想化しすぎ、理想化するなとのコメントが返された。
しかし、理想的な母親、父親、家族がこの地に暮らしていたのだ。

なぜ、便利で豊かにな時代に、これほど子育てを難しくしてしまうのだろう。
正直言って不思議だ。
昔ながらの育児技術を見直すことが必要だろう。

FB 2014年12月23日

生理的早産

人間さまは、生理的早産で生まれる。

だから、生まれ落ちてからも、野生動物のように自分の力で立ち上がることが出来るようになるまでは、母体の中にいるように、母子密着を図る必要がある。
たとえ、生まれ落ちたとしても、此処までが月満ちない状態と見るべき。

男は、旦那は、この、大切な時期の母子を守るために存在する。
社会制度も、この時期の母子を徹底的に守ることのできるように組み立てなければならない。

このときの母子密着体験が、外界・世界との関係を結ぶ基礎になる。
身体の健康と自立精神の基礎になる。
また、その後の母の楽な子育ての基礎となる。
密着が保たれ、安定した心と身体を築くことが出来るならば、子育ての大半は完了する。

その生命の大原則について理解した上で、男女共同参画など、今流行の議論を行うのならば良いだろう。

生理的早産という理屈はともかく、太古の昔から、母子密着の大切さは、伝統的な子育て技術として伝わって来たのだが、様々な屁理屈の元で捨て去られてきた。

学問的に証明されようがなかろうが、伝統的な子育て技術についての見直しと、再検証が必要だ。

社会の仕組みは、経済などと言う戯言ではなく、子供が幸せ、元気溌剌と暮らしをしつつ、大人となり、その命の輝きを次世代へとつないで行くこと、生命の継続を最重要課題として作って行く事が必要だ。

生命の目的は、生命の継続を図る事にあり、そのために進化し、そのような方向に進むとき、元気が出、快を感ずるように身体も心も出来ているのだから・・・。
中野 裕司
2014年12月23日 FB投稿

「幼少期の両親との人間関係」

口呼吸による健康被害

先日、発芽玄米甘酒について述べた際、口の大切さを説きました。
霞を食べるといわれ、不老長寿の仙人になる修行が口、歯・顎を鍛える事から始まるとも述べました。
そして、現代社会の食あり方が、口・顎を衰えさせ、味覚をも壊してしまうと申しました。
その結果が、口呼吸となっています。

産まれては哺乳育児が行われず、長じては硬いものを食べ、口、顎の筋肉を鍛える機会を奪ってしまうために、口、顎の筋肉を鍛える機会が失われてしまいます。
このため、口呼吸、口を空いたまま眠るということが若齢化\、常態化させてしまいました。
結果、体内への雑菌の侵入を許し、目免疫系を疲労させ、細胞レベルの損傷が始まり、臓器の損傷へと至るのです。

お母さんの生まれ落ちた赤ちゃんを健全に育てるという意識と覚悟が、一生の健康を大きく左右するのです。
健全な母性が、野生、進化の流れに沿った育児が、健康で明るい社会を造る基となるのです。

 

 

禁断の果実 知恵の樹の実・リンゴ? ~ 失楽園の物語の書き直し

禁断の果実 知恵の樹の実・リンゴ? ~ 失楽園の物語の書き直し

禁断の果実・知恵の樹の実を食べてしまったアダムは、イブにそそのかされ、イブはヘビにそそのかされたと他人のせいにし、神に言い訳をする。
自分さえ、その場を逃れられるならば、それで良い。
我良しの始まりだ。
神は、そのような言い訳をするこざかしい知恵を付けてしまったアダムの姿を見て怒り、エデンの園を追放した、と思うのだ。
そのこざかしき、我良しの知恵が、現代の科学・経済を産み出してしまった。
その結果が現代の状況だとするならば、知恵の使い方を正さなければならないのだろう。
失楽園のストーリーの書き直しを行う時期が来た。

平成29年丁酉の年 干支 FBイントロ

「平成29年年賀+干支の話し」が長くなってしまったので、FBへ解題を投稿。
ここから、長い干支の分析へと導きます。

平成29年 年賀+干支の話し 丁酉

新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

平成29年 2017年 1月1日 丁酉(ひのととり・34番) 元旦

丁酉:ひのととり ⇒ ひのとり(火の鳥) と縮めちゃいましょう。
火の鳥・フェニックスが今年のイメージ。

・・・・・ ・・・・・ いつもの干支を巡る与太話です。お暇な方はどうぞ ・・・・・

今年はどうなるやら・・・。
いにしえの先賢の経験知の積み重ねである干支から今年の傾向を探ってみましょう。

昨年のイントロ。
読み返してみると、主張したいことは昨年と同じ故、今年バージョンに字句を訂正、多少強化をして再掲載。
思っていること、考えていることは進歩しないですね。

平成28年 年賀+干支による運気

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東日本大震災、福島原発の発生からはや6年が経過しておりますが、問題解決への道程は遠く、なかなかに進まず、それどころか新たな問題、負の資産が増すばかりのようです。
天災とはいいながら、人災であることが色濃くなってきております。
また、火山活動も全国で活発化し、一昨年から山で入山禁止が相次ぎ、現在も持続しております。
豪雨による災害は、山筋の土石流のみならず、低地の洪水被害を引き起こしてしまいました。
岩手、熊本では、災害の傷跡が消えやらぬ内に再び災害に見舞われるという状態、岩手では地震災害の後に豪雨災害、熊本では豪雨災害の後に地震災害という具合となりました。
気候変動は落ち着く様子はなく、ますます極端化の一途。
もう、全国、何処に発生してもおかしくはないという状態になってしまいました。
一昨年、昨年と年を越しても暖かな日が続き過ごしやすいお正月となりました。
しかし、各地のスキー場が小雪で困っております。
これも気性の極端化のあらわれ、冬の暖かさ、小雪は、夏の渇水の先触れ。
雪も又、小雪傾向が続いています。
昨年は関東地方では渇水の心配もしましたが、豪雨により救われた形になりました。
季節、その季節らしい装いで巡ってこないと、人間社会のみならず生き物の世界も攪乱されてしまいます。
地球規模の大変動期に入ったとされておりますが、大過なく、一年を暮らすことができれば良いと願っております。

被災地の調査や、倒木事故の情報を見るにつけ感じることは、災害により被災に会う、会わないは紙一重。
これを避けるためには、危険を察する野生の勘を取り戻し、磨くしかない。
それても足らない、日頃から運の良い人となるように努めなくてはならないと強く感じます。

では、運の良い人になるには?
古今東西の難問です。
このような難問に答えを得るために、東洋では経験知を積み重ねてきました。
その一つが長年の自然観察結果、植物の成長、季節変化の観察結果から洞察することにより得られた十干・十二支の組合せによる干支(えと)です。
干支は、植物の生長の様などの観察と経験より得られた直感(勘)により造られたもの、勘を研ぎ済し、多様な経験を積んだ先哲、先達が、時を超えて経験を蓄積し、整理したものなのだと感じております。

さて、それでは例年のごとく、干支より今年の傾向・年回りをうかがって見ましょう。

・・・・・

東洋哲学は、直線的な時間・空間ではなく、時間・空間・万物の生成化育は循環していると直感的に捉えておりました。
万物のみならず、目に見えない世界、万霊も又あの世とこの世を循環していると感じ取っておりました。
従って、人間から見た場合、天災、破壊・攪乱と見えるものも、その循環のなかの一コマに過ぎないと捉えた訳です。
我が国では、そのような感性が当たり前ですから、地震・津波被災に遭っても諦め、混乱の中にあっても我良しに走ることなく秩序だった行動となります。
このような感性・行動に世界が驚愕したと伝えられております。
自然の循環を観察した結果、干支・暦などが生まれたわけですが、現在も正にその循環を感じ取りながら、私たちは生活をしているのです。

いにしえの賢人達は、自然の観察から、1年を記録するのみならず、さらに大きな循環のサイクルを見いだしました。
古代バビロニアではアストロジー(占星術・学)が生まれましたが、古代中国では十干十二支の60年の巡りや八卦・64卦の易となりました。
東西とも、月、星の動きより暦が造られましたが、特に太陽、月、木星の周期に注目しています。
木星の周期は12年ですから、十二宮・十二支が対応しているものといえます。
古代の賢人は、太陽のみならず、惑星・天体・銀河の動き:宇宙との対応・相似により、社会・人象を見ようとしました。
すなわち、人は小宇宙と考え、天・星の運行と密接な関係を見いだそうとしたわけです。
ここから、天・地・人の乱れは連動すると捉え、慎みある生活を送ることにより、天地が安泰であることを祈ったのです。
西洋科学、物質科学では、このような考え方は迷信だと切り捨て、己勝手、自己の権利を主張する訳ですが、人間性という観点から見るならば、自分勝手であることを抑え、慎み、天地の巡りと共に生活をしようというあり方の方が精神的には高く、深いものと思います。
人は地球に溢れ、現在の物の消費と廃棄を是とすることで成り立つ物質文明を、現在の水準で持続させるためには、数個の地球が必要という状態になってしまいました。
このまま地球を食いつぶすか、循環を取り戻し持続可能とするのかは、私たちの行動、考え方にかかっているわけです。
先哲・先賢の循環を基礎とした教えに学び、慎みのある生活へと切り替えて行く時期に来ていると言えましよう。

干支の世界では、ホロスコープ(出生時の天体の配置図・幾何による占星術)のように星と人とを数で直接繋ぐことをせず、その間に自然・草木の生活還環境を仲介させ、物語を紡ぎ出しました。
それが十干・十二支(干支)です。

干は、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十干。
支は、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支です。
十干を、中国哲学の基礎となる五行(木火土金水)に変換するために、
甲乙(木)、丙丁(火)、戊己(土)、庚辛(金)、壬癸(水)の5グループに分け、
先を兄(え)、後を弟(と)としたことより、干支を「えと」と呼ぶようになりました。

五行は、7曜から、太陽と月を除いた5つの惑星。
木星、火星、土星、金星、水星なのですが、新羅万物に対し、この5つの逆走する惑星の性に分け分類し五行説としました。
万物は、五行(五つの性質)から成り立っていて、その消長、結び合い、循環によりあまたの現象として現れるというものです。

兄・弟で陰陽、5グループは五行、偶数と奇数の組合せで物事を理解することができるとしたわけです。
十干十二支では、60年で一周期、還暦となります。
宇宙・天地・自然を貫き、循環するエネルギーの変化の過程を60のタイプに分類したものといえるのです。

今年は、「丁(火の弟)・酉」です。
「ひのと・とり」の年ということになります。
干支の最初甲子(きのえね)から34番目、60年周期(還暦)の真ん中、折り返しから4年目の年の始まりとなりました。
60年の前半で造りあげた事柄の完成へと動き始める時期です。

男(陽)は、42歳が役ですが、陰の女性の場合は33歳が本厄です。
34の今年は、陰の後厄。
厄年をうまくこえると、次の37歳の厄、女を卒業する時期となる庚子(新たな芽生え・更新の象)の厄を楽に越すことができるようになります。
33歳を過ぎると、身体的にはホルモンバランスが変化し、子どものできない身体への脱皮の準備にかかります。
37歳で、脱皮・変身するという事になります。

栄養の不良だった時代、人生50年などと言っていた時代は、老境に入ったとされておりましたが、栄養が良くなった今は、まだまだ若造です。
その次の厄は、陰陽・男女ともに干支が一巡する61歳となります。
還暦60から折り返し、0に戻る巡りが始まります。
120歳、大還暦に向けての折り返しです。

60歳で折り返すと61歳ではなく、59歳、58歳と、だんだん若返って行くと考えると楽しく生きて行けそうです。理想は、0歳の大還暦にあの世に旅立つことです。
人間の生物学的な最大寿命(潜在力)が120年と言われておりますから、大還暦に挑戦するのも一興と思います。

さて、今年の干支を分解して見ましょう。

・十干(根・幹の部分、天) 丁:火の弟(陰)
甲子から始まり、十干3巡目の4年目・丁に入りました。
乙は、芽吹きに備え屈曲している状態、芽が殻の中で縮んだ状態でしたが、丙となり、火(陽気が)働き炳(明らか・つよし)となって行く、すなわち芽が地上に伸びて形をはっきりとさせる状態となったものが、丁では伸びきり、盛を少し過ぎてきた状態(陰)となった事を示している。
すなわち、枝葉を茂らせ、枝がしなだれ下がった状態を示している。
丁の字象は、頭の-(横棒)は昨年の丙(ひのえ)の横棒を引き継ぎ、引き続き丙の延長のまま推移していることを示している。一方、下の│(縦棒)は─(横棒)との緊張、対立の様相があらわれていることを示しており、昨年の流れが持続しつつ、新たな動きが生じ対立が生まれることを示している。

・五行では、丁は火の弟で火。
五行相生説では、木火土金水、木火土金水と循環し、土から金が生まれ、金は水を生むという流れが順当に進んでいることを吉とします。自然の循環に即しているからです。
これとは異なり、五行相克説は他の性に対し優位になる状態を示し、火は金を克し、金は木を克す、のであり、火は金を溶かし、木を倒すのに金物の斧を使うと言うように、押さえ込む様を現します。
いわゆる「あいしょう・相性」が五行であり、循環する方向の流れが吉(相性が良い)であり、相対する性とは、凶(相性が悪い)と見るわけです。

干支の根・幹となる「干」は、盛を過ぎ衰退へと向かう変化の兆しと、その中から変化が生まれ出ようという兆し、衝突し火が燃え上がろうとしているとし、これを革命と見るのである。

・十二支(枝・葉の部分、地) 酉(とり):金・陰
十二支の10番目。
酉は、酒を醸造する器であるが、草木の熟した実を壺に入れ、発酵させた状態である。
酉は、老、飽く、成る、熟す、と意味が通じており、生長したものが熟し老いて行く象である。
新たな勢力があらわれ出る年、革命の年とされている。

以上より、干支の枝である酉は、成熟し老いに向かう象であり、古きものから新しきものへと向かう革命の象とも見ることができる。

酉は、取りでもある。
舞台などの最後を「取り」というが、これは、真打ち・最後の演者がギャラを纏めて受取り、これを分配するところから名付けられたものだが、ものごとの総括、総決算という意味となる。
古きものの総決算としての革命と言う事だろう。

また、酉は、採り、撮り、執り、捕り、であり、物を集めるという意味を含んでいる。
十理(とり)とするならば、篭目(加護目・六芒星)に編んだ籠に閉じ込められた鳥(童謡・カゴメ)が軛を解かれ放たれた象であり、集めた物を腐らせる事なくスムーズに循環する世界(1→10・十理)を指すものとなる。

干(幹)支であるから、丁を幹とし、酉を枝葉として兆しを捉えることとなる。
幹は伸び盛を過ぎたが、枝葉は茂り実を稔らせ、熟した実が発酵している。
幹は火のように勢いがあり、枝葉は黄金のように耀いている。
しかし、その影・内部(陰)では、新たな芽生え、ひこばえが動きはじめている。
五行的に見るならば、幹は火、枝葉は金、火は金に勝(克)つという五行相克となっており、変化が表に出るためには大きな力が必要ようとなり、革命的な様相を帯びることとなる。
ということが、今年の象と見ることができる。

干支では、3年を一つの区切りとして動きを読み取っている。
甲午、乙羊、丙申と続いた3年の区切りが終え、今年から丁酉、戊戌、己亥と続く新たな展開、革命・革新の3年の始まりである。

政治、経済など、自分の興味のある処に、このような象が暗示する様を当てはめ、各人が考察する必要があります。
干支の示すところをヒントに、幹と枝葉の関係などの事象がなにを現しているのか、考えてみると面白いでしょう。

自分、個人の興味ある分野について干支の示す象を考察する前に、参考として十干(天・根幹)と十二支(地・枝葉)を組み合わせた60年(一元)を一区切りとして過去へさかのぼり、世情を確認して見ましょう。

・昭和32(1957)年(一元前)
ソ連、米国へ核実験の中止を申し入れ。
東海村原子炉臨界、原子の火がともる。
日本原子力発電株式会社設立。
鍋底不況(神武景気と岩戸景気の端境期)。
学生運動の原点となった砂川事件発生。
諫早豪雨(死者856名)
国産1号ロケット。

・明治30(1897)年(二元前)
足尾鉱毒事故被害民の請願運動。
金本位制・貨幣法公布
日本勧業銀行設立。
八王子大火(八王子市の大半焼失)

・天保8(1837)年(3元前)
大塩平八郎の乱
生田万の乱
(天保の改革の切っ掛けとなる)
モリソン事件(米船モリソン号が漂流民を輸送して浦賀港に入港するも砲撃に遭う)

・安永6(1777)年(4元前)
各地で一揆勃発。
三原山噴火。

以上を俯瞰するならば、次のように言えます。
噴火、大火、原子力の火、一揆・乱・学生運動の原点となった事件、それと豪雨。
金本位制、鉱毒など金に関わるもの。
天災、動乱(革命)的な動きが多い年巡りです。
根・幹の部分では、│と─の衝突、幹と枝は、火は金に勝(克)つという五行相克、乱の姿が現れているようです。
一方では、原子力発電、国産一号ロケット、金本位制、ペリーの黒船の来訪へとモリソン号事件など、次の時代への魁となる新たな動きが始まっています。

しかし、特に気になることは、福島原発事故の元となった原子炉が一元前に臨界となっていることです。一元、60年も出しました経たないうちに負の資産となってしまいました。
新たな技術の導入に対しては、慎重に検討を重ね導入を行わないと、一元の巡りを経ないうちに負の資産となってしまうということも示しております。
また、各地での一揆や乱の発生、請願運動、学生運動など、これまで行ってきた諸政策の積もりに積もった歪みが浮上し問題を発生させ、そのつけを一揆・乱・運動が「取り」という形となり総決算へと向かう象ということも言えるのだろう思います。

騒乱へと発展させないためには、干支の示す象より対策を考えるならば、茂った枝葉を整理し、風通しを良くし、林床まで日光が入るようにし、病虫害の発生しにくい状態とすることが大切です。
また、根っ子の部分、土壌の改良も必要となります。
自分の身の回りに発生する可能性のある騒乱とは、その枝葉とは、整枝剪定などその手入れの方法とは、と考察を進めることが大切なのです。

しかし、60年サイクル(一元)はおもしろいですね、一定の傾向が出てくるのは不思議ですね。

酉にこだわるならば、12年毎に巡り来る酉年は、自然災害の発生が多いという傾向があるようだ。
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/724.html

12年周期の十二支、その5倍のスパン60年の巡りの干支、いずれもが天災の多い年回りのようです。

さて、干支により、今年の年の巡りの傾向がつかみ出せたとしても、対策が上手く行かなければ大変です。
後付けの対策はどうしても対処療法的な部分最適かとなりがちです。
根っ子の部分、劣化した土壌に関する対策まで行うことは困難です。
それでも人災的な問題は対応可能ですが、天災となると手の下しようがありません。
災害、天災、災難に遭わない運の良い人になることが一番です。
このためには、野生の勘を磨かなければなりません。

野生の勘を育てるには、野生の経験を積み重ねるしかありません。
特に、物心のつかない、すなわち幼児期の記憶に残っていない時期、3歳~4歳までの間に、野生の経験を十分に積ませる事が大切です。
妊娠・受精してから、この時期までの間の経験の蓄積が、無意識となり、身体と心の健康を造り出し、運の良い人とします。

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40億年前に地球上に生命が誕生しました。
私たちは、母体・子宮の中でこの生命の歴史を忠実にトレースし、繰り返して生まれてきます。
そのまくり返しはDNAに刻み込まれ、野生の動物(ほ乳類)は、生まれ落ちたときから自力で立ち上がり、母親のおっぱいへ向かう本能が付与されています。
すなわち、動物の運動機能は、生まれ落ちたときには、一人前に生長しているのです。
その後、栄養の摂取により性の成熟へと向かい、子孫を残して死に至ります。
生命を繋いで行くことが、唯一の使命と言えます。

しかし、人は、大脳が肥大化したため、胎児の身体が一人前になるまで待っていたならば、母胎が持ちません。
このため、生理的早産の状態、未熟な状態で生まれてきます。
このため、自力で歩き、おっぱいにたどり着くことができるようになるまで、守らなければなりません。
このとき、外界に生まれ落ちても子宮の中にいるのと同じ刺激の少ない状態を保ち、次第に刺激の量を増し、外界・野生の世界へと同化させてゆくことが大切となります。
また、ハイハイし、立ち上がり、動き回ることができるようになったならば、なめ回す、触りまくるということになりますが、このとき、身体をフルに使わせ、外界との接触を十分に行わせ、五感の発達を促さなくてはなりません。
このなめ回しにより、環境中のばい菌を取り入れ、腸管免疫の確保・整備が行われます。
それ以前に、母体の産道を通過するとき、おっぱいにしゃぶりついたときに、母体のもつばい菌を取り込み、腸内細菌叢を形成させる事となります。

「眼・耳・鼻・舌・身」という五感をフル活用し、その情報を大脳にインプットし、神経回線が密に、複雑に結ばれることにより「意」の元となる、「意」を支える、無意識がしっかりと形成されます。
五感をフルに使うという事は、なめ回しなどを含め、外界の微生物環境を我が身に受け入れると言うことでもあり、腸内環境・腸内微生物相の多様化・複雑さを増こととなります。
腸内細菌叢を健全に生育させることが、子供の栄養、心身の健康を保つ基となるのです。
大脳のみならず、消化系器官の神経系もまた、動き回り、なめ回すことで回路が繋がれて行くのです。
さらには、免疫細胞の強化・教育も行っているのです。
腸内環境を整えることは、意識ではコントロールできない内臓神経を健全にする事であり、また、大脳神経も健全にする事であり、身体活動のベースとなる無意識は、五感をフル活動させた結果の有形無形の情報との接触により獲得される消化系、及び大脳系神経節の結束と免疫力の賦活なのです。
そして、この無意識をベース、足かがりとして意識の世界へと歩み出すのです。
動物は、無意識の世界を生きており、この無意識の世界の広さ、深さ、多様さを、人も動物である幼児期に形成させることが必要なのです。

40億年の生命の旅を再体験し、腸内細菌叢を育て、動物的な感覚までも体験し大脳に刻み込まなければ人にはなれないのです。
人が、人としての大脳活動・意識をフルに使っての行動を行うためには、生まれ落ちてから五感をフルに使った野生の生活体験が被必要なのです。
人の場合、生命40億年の歴史を繰り返す体験は、子宮の中で終わるのではなく、生まれ落ちてからもの子ごろつくまで、3歳頃まで続くのです。
私見では、野性時代をキチッと過ごさせ自然とふれあう機会の多い子は、勘が研ぎ澄まされ、運の良い人になるのだと思っています。

天変地変が日常化してきた昨今、ますます災害がよけて通る運の良い人となりたいものです。
野生動物は、研ぎ澄まされた感覚、勘により、災害を察知して逃げ出します。
そのような野生を鈍らせず、磨きをかけて行きたいものです。

私たちの年代は、貧しかったが、野山川海、自然の中で、時には生命を落とす危険を冒しながら遊び回っておりましたので、野生の勘は幾分残っていることでしょう。
しかしながら、豊かになるにつれ自然から離れ、野生の勘を培う機会・時を失ってしまいました。
野生の勘を養うためにはということを考え、理解したのは、子をお腹に宿したときからの胎教、生まれ落ちた後の育児、乳幼児期、3歳までの体験の蓄積が大きいのではないかと思い当たりました。
で、このような事を語り始めたところ、講演の機会を得ることができました。
天変地変、及び文明病の激甚化、天・地・人の狂いに歯止めをかけるためには、心身共に健康で、勘の良い(感性に優れた)子ども達を育てることが必要だし、母性の復権を唱えています。

ギリシャ神話の登場人物の一人オイデップスが、顔は人間、身体はライオンという怪獣スフィンクスの謎かけに答えるという話があります。
スフインクスは、通りかかった旅人に謎かけをし、知恵比べを挑み、答えられなかった者喰らってしまう。逆に、正答の場合は、スフィンクスが海に身を投げて自らの生命を断つという設定だ。

その問いは「「朝に4本、昼に2本、夜に3本の足を持ち、その上声を出すものは何か」というものです。
オイディプスはそれは人間であると答えます。
その理由は「人間は幼児の時は4本足で這い、成人になると2本足で歩き、老人になると杖を使うからだ」としました。
なぞなぞの答えとしては、オイデップスの解でよいのだろうが、この答えのみでは何か物足りない。もう少し深い意味があるのでは無いかと考えていたが、フト、先に示した人間の一生の発達段階を示しているのではないかということに思いあたりました。
朝に4本とは、乳幼児期、ハイハイの時期にあたり、4本足を持つ者として象徴される動物の野生の感性を磨き上げる時であり、2本足とは、野生の身体と感性を完成させた後、それを土台として文化・文明を受容し発達させる大人・成人という発達段階であり、3本の足とは、文化・文明を築いてきた老賢者の象徴なのではないかと思うに至ったのです。
胎教に始まり、乳幼児期から3才頃までに至る母子密実一体の時に養われる野生の身体、感性が土台となって、先人が築いた文化・文明を継承し発展させ、老いては若者・後人に文化・文明の精華を賢者として引き渡すという役割、発展段階があるのだろうと思うのです。
このような発展段階を意識するならば、生まれた時から、老いて死するときまでの役割、なすべき事が明確となる。
生き物としての最大の使命は、生命を伝えて行くことなのだがその為の発展段階が明確にされるのだ。
オイディプスは、このような事柄について洞察し返答した。
これにより生命の道の本質の継承が図られた故、その後はオイデップスとして象徴される人に任せ、スフインクスは生命の源たる海に身を投じ、生命の大元へと立ち返ったと見ることができるのではないだろうか?

災害から逃れることのできる運の良い人ということから、人間が人として進化してきた生命史、自然の流れに即した野生の心身、感性をもつ子を育てることが大切だろうというところまで来てしまった。

————————————- いつもの毎年同じ能書きです。

古代中国では、万物は一(・)より生じた陰陽(・・)により発したとされ、五行思想の十干十二支、易の六十四卦に表されるように循環し、一回りし元へ戻ると考えられておりました。
中国に限らず、古代ギリシャなど太陽・星々の動きより時間を観察していた時代はすべてが循環するという世界観でした。
しかし、いつの間にか、直線的・拡散的な世界観に変わってしまい、現在は効率化というスピード・加速まで求められるようになってしまいました。
あっというまに1年が過ぎてしまうこの頃です。
すべてが巡る、元の所へ戻るという世界観へ立ち戻ることができるならば、もう少しゆとりが生まれるように思います。

中国の場合、循環論が精緻にくみ上げられ、様々な循環論の中で最も我々の世界に入り込んでいるのが干支(えと)の世界です。これは、十干と十二支という二つの循環論を組み合わせたものです。

十干といっても、十干を陰陽(兄・え弟と)とし、五行(木火土金水)に還元しております。これと、十二支を掛け合わせたため、十干十二支は5×12=60年で一回りします。易は、六十四卦として表しますから、いずれも60年程度で一巡りし同じような事象が現れると感じていた模様です。人間の寿命では、、120年という長年月を見通すことは困難、60年程度が妥当なところと考えたのでしよう。

人間の一生を60年とし、その程度は観察できる、経験できるということでの組み立てと考えられますが、社会的活動ができるのが約30年と想定するならば、二世代となります。二世代を過ぎる当たりで、ご先祖様が行ってきた事柄を忘れ、同じ事を繰り返すという事かもしれません。
懲りない面々、ということなのでしょうか?
このような懲りない面々に対し、気をつけろよと言うサインを送っているものとも思われます。

もともとは、十干、十二支は別の概念と思われますが、いずれかの時期に合体されたものと考えられます。
いずれも、植物が芽吹き、生長し、実を結び枯れるまでのサイクルを表したものとされておりますが、これを無理矢理組み合わせたため、組み合わせの上での矛盾が発生します。この矛盾から、その年のイメージを浮かび上がらせるという事ができるものと思います。

十干十二支は、植物が芽生え、繁茂し枯れ朽ちてゆく春・夏・秋・冬の生命の姿、時間の経過により生ずる変化の考察より、天地万物の変化を類推的に読み取ろうとするものです。科学的な根拠というよりは、先人の長年の経験と類推による経験科学?といえましよう。

十干十二支は、10×12=60で一巡りです。60年を1サイクルとする変化です。
経済額では、約60年周期で好不況が起きるとしております(コンドラチェフの波)。
・ 技術革新に起因するコンドラチェフの波(約60年周期)
・ 長期設備投資に起因するクズネッツの波(約20年周期)
・ 中期設備投資に起因するジュグラーの波(約10年周期)
・ 短期在庫投資に起因するキチンの波(約3~4年周期)
これらの波が輻輳ししうねり60年で会合します。
このような動き、うねりを植物の生成繁茂に仮託したものといえます。

近頃、これに加え
・社会体制・歴史サイクルの変化 70年説 明治維新+70=太平洋戦争終焉(1945)+70=2015年何か起きる?
・個人の季節サイクル 春・夏・秋・冬 各3年×4=12年説
・人生の生長ステージ 7年一節×12段階説
などが言われております。

大地震は70年
不況は60年
とも言われます。

易が64卦となっており、60~70と少し幅を持って循環しているのかもしれません。
一世代約30年、二世代でふた巡りというところでしたが、長寿命となったため7×12=84年説まで出てきました。

さらに長い循環としては、村山節の800年周期説という物があります。
「文明は800年周期で東西が交代している。西暦2000年が東西文明の交差する年であり、今まで800年続いた西洋の時代が終わり、これから800年が東洋の時代になる。」という説です。
東西の歴史上の出来事を、時間軸の中で俯瞰(歴史上の出来事、1年を同じ長さとし長い巻物とした)すると、800年で循環していることに気づいたというものです。
日本の発展、それに続くアジア諸国の発展、中国の目覚め、言い得て不妙なものがあります。

以上 十干十二支・干支をヒントに、イメージを広げてみました。