「ひまなか(中野裕司)」の感じ、考えたこと・・・・・・・・・。                                  ML・FBなどの投稿を掲載します。

4月, 2026 のアーカイブ

理念理想に走りすぎる環境行政

現実と理念理想の間に翻弄される法面緑化の世界を示すと共に、そのような状態からの脱却への道筋に対する提案です。

現実を踏まえて進めるべき行政が、理念理想に走り、現実との乖離を引き起こし、無理無駄を発生・拡大させています。
行政は、現実的であるべきです。

私たちが求めるのは安価なサービスではありません。
質の高いサービスを求めているのです。
しかし、理念理想を隠れ蓑とし、税金の無駄遣いをしてきたことを棚に上げて、いたずらにコスト縮減をはからせ、品質の低下を引き起こしています。
理念理想を声高に語ると、トラブルの元となり、高コストとなってしまうことは歴史が示しています。

現在は、理念理想を説きながら、安かろう、悪かろうという世界へと誘導しています。
私は、このような状況を「貧乏人になる競争」とも称しています。
国家が、国民を貧乏人になるための競争へと追い込むのは異常事態と感じるのですが、多くの人は異常とも感ぜず、唯々諾々従っています。
従順な、飼い慣らされた、迷うことのない子羊です。

そのような世界がバブルがはじけて以降、20年以上も続いてしまうと、安かろう悪かろうが常識・常態となってしまいました。
技術立国日本は、どこかへ消えてしまったようです。
行政管理立大国日本となってしまいました。

品質の良いものを造り、維持し、人物金の資本を国内に循環させることが基本です。
海外との貿易、グローバルは、その次の話です。
本末転倒は止めましょう。

演出される恐怖感・飢餓感

コロナでは感染の恐怖を煽り立て、唯一の救いは「コロナ遺伝子ワクチン」とし、飢餓感を増幅し多数回接種した。
ワクチン依存症とも言う状態。
生命汚さ、心魂の貧しさを露呈させてしまった。
そして在庫を抱えたままの米不足。安ければそれで良いと輸入米に走った。
で、今。
油断による社会機能の停止へと向かうと脅され、飢え死に至ると脅され恐怖感を煽られ、飢餓感をましている。
油断による不幸は先の敗戦でこりごりだろう。
しかし、その総括を行わず、手足を縛るための貿易立国へと走らされ、またまた、油断の世界が訪れた。
あらゆることが石油に依存する社会。
石油が断たれるならば、都市部では、あらゆる生活必需品、いのちを維持する食までもが失われることだろう。
このような状態となることを防ぐためには、分散型の社会を構築することが重要となる。
これを機会に輸入等他に依存する社会を変革し、地方が自立し、生産手段を取り戻し、持続可能な社会の構築へと向かうことが喫緊の課題となっている。
その自覚と覚悟が必要だ。

「幼稚園と小学校の接続」と「段階的成長」について

物質的な世界のみ、「量」に偏ってしまった結果、その内実である「質」という世界を見落とすようになってしまいました。
子ども達を育てるということは、「量」の問題よりも「質」を高めてゆくということが大切なのです。

家畜を太らせるということと同じ「量」の問題として捉えると、直線的に進んで行くと考える。
色の世界で言うならば、グラデーション・濃淡が次第に移り変わって行く世界。
坂道だが、勾配を緩くし、同じ線路を進めば目的地に達するというイメージだろう。
この発想により「幼稚園と小学校の接続」などということとなる。
しかし、これは現実、実際、現場を踏まえない頭で考えたことだろう。

このような直線的なもの、ことは自然界には存在しない。
自然は、多様性、凹凸という波があり、直線的には進むことができない。
この複雑な条件、環境にぶつかり、熟すという段階を踏む、経過させることで力がついて行くのだ。
物事をこなすためには、一定の時間の経過が必要なのだ。
やりこなすことでワンステップ階段を上ることができるのです。
ストレスを段階的に増やすことで力が付くのだ。

筋トレでは当たり前のことなのだが、頭デッカチの人々は直線的に成長するという負荷の少ないモデルを好むようだ。
何事にも一定の負荷をかけたトレーニングが必要だし、段階的に負荷を上げて行くことで力がついて行くのです。

子どもの自然の成長に対しても、物量的な発想、直線的な発想をあてはめてはならない。
体験・経験の積み重ねにより、脳神経の刈り込み、配線の強化が行われ、「量が質へと変化」する、「飛躍」するという段階がある。
意識的に行っていた動きが、量を熟すと無意識に行えるようになるという段階がある。

これを古人は、世代を経た観察と経験の積み重ねより、七五三と称したり、六歳六ヵ月の習い事始め、あるいは十三詣りなどとして示している。
その成長段階に即した段階的な育児の切りかえを示しているのだ。

そして、その段階となったということを自覚させるために通過儀礼としての行事を行ってきた。
それは、「自覚」であり、更には深い「覚悟」を定めさせるためのものなのです。
この通過儀礼により、子どもが「自覚」し「覚悟」するわけですが、それは同時に、親が「自覚・覚悟」し、子ども達と向き合わなければならないのです。

この切替がキチッとなされないと、ケジメを失った社会を造り出してしまうこととなるのです。

「量質転化」は大切なことなのですが、質を上げるべく工夫を重ねつつ、量を熟すという集中力、エネルギーの持続が必須となるのです。
小学校に上がる以前、就学前の幼児期は、野生の身心を育て、集中力と持続力を養う時期。
これによって身心が育った後、学習という集注・持続をともなった行為を行うことができるようになるのです。
それは、いつも言うところの「守破離」の世界。

「幼稚園と小学校の接続」などということを許すならば、脳のみが肥大し頭デッカチとしてしまった現代だから、小学校での勉強が楽になるようにと、保育所・幼稚園が小学校の予備校化させて行くことになるだろう。
それは、子ども達の身心の自然、健康奪い、殺すこととなるだろう。
現在、そのような弊害により子ども達の元気が失われてしまっているのに、更に拍車をかけるような愚行はしてはならない。

現代社会は、この集注、持続を嫌い、効率化と称するショートカットをさせてしまうため、最初は良いようでも、時間が経つにつれ真に身に付いていないことが露呈するという問題を発生させているのです。
効率化、ショートカットという「楽」、依存は、麻薬にも似たものであり、脳の回路に固定され、中毒となり、取り戻しのできない状態を造り出してしまうこととなるのです。

動物は、DNAに消費エネルギーを節約するように組込まれていますから、効率化、ショートカットによる「楽」を一端覚えてしまったならば、集注の持続などは苦行となってしまうのです。
なので、それぞれの成長段階をキチッと「経過」、身に付けさせ、次のステップへと進む「自覚・覚悟」の植え付けが大切になるのです。
その成長段階で身に付けるべきものをキチッと身体に、脳に染みこませるならば、次の段階を楽々と熟すことができるようになるのです。

明治以降、無批判に西洋式が良いものとして受け入れ、敗戦後は古いものはすべて悪として捨て去ってきました。
しかし、悪しきものとして良きものも一緒くたにして捨てしてしまったのです。
ここに、現代社会の混迷のもとがあるわけです。
日本古来の経験の積み重ねにより造りあげられた伝統的な取組を、その内実が失われないうちに、現代的に取り戻すことが喫緊の課題となっているのです。
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いつもの悪い癖、加藤さんのスレッドに書込。
書込責任と記録としてシェア、コピペ。
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・元投稿
https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid0S9hvMR3gkTTsyQm9ScF4cdnvVH1ATpTx4mmbFDofYqCGZonzUg6JRv1mctc3CBAQl

アセビ、イタドリ

-イギリスでは、イタドリは侵略的外来生物として嫌われていると聞きます。
気候がうまく合致したのでしょう。また、新参者は生態系に組込まれるほど時間が経過していないため、病害虫が存在せず、我が物顔で猛威を振るっているようです。

-意図してなのか、意図せずなのかは不明ですが、天敵のいない世界に人が持ちこんだものですから、人が天敵とならなければなりません。
幸い、イタドリは食べられるし、薬効も期待できます。その利活用を広めると良いでしょう。
さすれば、時間の経過と共にイギリスの生態系の中での居場所が定まることでしょう。

侵略的外来種とハーブ、どちらの扱いの方が好みですか?
好みの問題ですね。

-生物純血主義と私は揶揄しておりますが、連合(煉獄)国=国連の始めた生物多様性の取組は、外来種を悪者呼ばわりし、恐怖感を煽り、短期間で始末しよう、力尽くで駆逐しようという姿勢が困りものです。
在来種を守るために、侵略的外来種を根絶やしにしてしまうのです。
増えてしまってからは徒労に終わるのは目に見えていますが、二酸化炭素と同じ取組を政治的に強制しています。

-外来の野生の生物の場合は、侵略的外来種というレッテル張りをするのですが、人間に対しては移民を用いての侵略的な行為を推し進めているのが連合国(国連)と、その関係機関です。
身一つ、同じ一つの組織なのに、右手と左手は平気で異なったことをするという異常な組織。
そこから見えてくるのは、銭金・利のため。

・・・

イタドリの薬効についてイタドリ(虎杖)は、「痛みを取る」という名前の由来通り、高い鎮痛作用、抗炎症作用、利尿作用を持つ多年草です。
特に根は生薬「虎杖根(こじょうこん)」として、関節痛、リウマチ、膀胱炎、便秘、月経不順の改善に利用されます。また、若葉には止血効果があり、皮には抗酸化作用が高い成分が含まれています。 現代農業

・・・

イタドリは、全国で山菜として食していますが、高知県では定番惣菜となっていますね。
しかし、シュウ酸が多いため尿道結石となるとの指摘もありますね。

身体を動かし、汗を出し、キチッと排泄がなされていれば大丈夫、問題はないでしょう。
排泄系に過負荷をかけないように、良き水をとりつつですね。
排泄不良、水をとらないなどで、循環が滞ると、循環に関わる病気のある場合は、ご指摘の結石となるおそれが高くなります。
ただし、お菓子代わりにイタドリに砂糖をつけて食べるという組合せは、結石を造りやすくしているかもしれませんが、程度問題でしょう。

-北海道などのイタドリは、オオイタドリでイタドリよりも大型ですね。

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シカは食べ物がなくなってしまうと、毒のある植物、棘のある植物まで食べ始めます。

三重の藤原岳の山頂付近はニホンジカが増え鹿牧場のようになっています。
そこでは、アセビなどの若芽を食べてしまうので、丸刈り状態になっていますね。
ガスの中に、入道のような樹形が出てきて、遠目では何の木かわかりませんでした。

-日本全国の山は、シカの食害によって下草が失われ、大変な状態になっています。
環境省は、生物多様性保全などと外来種を悪者として駆逐するための予算を沢山使っています。
その予算を本気でシカを駆除するために使った方がよいですね。
もう大変なことになっていますから、早期にシカを駆除しなければならないのですが、いろいろ法律は作っても現場の実態にそぐわないので、逆に足かせとな進みませんね。

-見せるための取組。部分最適、対症療法の積み重ね、先送りで、すべてが狂ってしまいました。

いつもの悪い癖、荻原さんのスレッドに書込。
書込責任と記録としてシェア、コピペ。コメントも。

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西丹沢 ミツバ岳・権現山

天気が良いので、西丹沢、ミツバ岳834m、権現山1018mへ。

わが家のシェフの要望。
ミツマタの花が綺麗だから行こう、ということでお供。
いつもの、ガイド兼ポーターです。

通常ならば、3月下旬から4月上旬が花盛り。
今年の花は遅れ気味ですから、ちょうど見頃。

標高300mの丹沢湖畔から、一気に700mを上り詰めます。
もう少し奥の屏風岩山1051mまでと思いましたが、花見に時間を割いたため、諦めました。

ミツマタの群落のところでは、お日様が雲の中から出てくれました。
風もなく、周り一面、良い香りが漂っていました。

シェフは、来週は何処へ行こうかと、もう、作戦を考えています。
なにせ、PCにかぶりつきの私の健康管理という名目があるから、逆らうことはできません。

国とは、巨大ヤクザ

さてさて困ったな、共時的現象。10年前の国は巨大ヤクザと指摘した投稿が浮上してきたよ。
同内容の投稿の浮上は、いつもは共時的な現象は面白いな、ということなのだが・・・。

10年前はスルーだったが、検閲が厳しくなった今はどうなるのやら。
類似の投稿は、差別的な表現として削除されてしまいました。
でも、10年前から私の発言は不動です。

-これが差別的な発言とされるのなら、世も末だ。それとも、文中で「ガ○キ○」という言葉に対する言葉狩りでレッテルを貼り付け、削除するのかな?
念のため、言葉狩りに合いそうな言葉は○○としておこう。
それとも「ヤクザ」という表現が禁忌なのかな?

・・・

2015年4月13日/プライバシー設定: 公開/コピペし、見やすくなるよう編集。

・・・

「左から見れば、真ん中も右に見える」、至言だ。
このような動画をシェアすれば、右というレッテルを張られてしまうご時世。
さしづめ私は、超右翼ということになるかもしれない。

最も、右翼・左翼という定義を理解した上でレッテルを貼っているとは思えないが。
右も左も、煎じ詰めるならば全体主義の統制国家を目指している同じ穴のムジナなのだが~。
いつのまにかすり込まれた色眼鏡を通して語っているだけだろうから・・・。

-しかし、右だ左だと言っている平和な時は過ぎた。
戦争反対、平和憲法を守れと、理念・理想を言っていれば良い時は過ぎた。
米国のソフト植民地であるからこそ、その傘の下だからこそ言えたこと。
守られている、自立していない子ども、○○の言い分だ。

-自立した者は、自らを守るための手立てが必要となる。
理念・理想ではなく、現実の社会・世界をありのままに見ることのできる者ならば理解出来ることだ。
学校で教えられた、習った、ことを、いつの間にか自分の考えだと勘違いしている。
きれい事ではなく、現実を見定めることが必要だ。

-現実の社会は、ソフト化された「力」の論理で動いている。
「力」をあからさまに示すのではなく、間接的にし見えにくくしているが、「力」であることには変わりはない。
現実は、人が集まり、集団が大きくなるにつれ「力」による統制が必要となる。
すなわち暴力的となる。暴力を抑制的に用いるか、直接的に用いるかの違い。
同じ「力」であっても、抑制的に使うためには工夫が必要であり、国民を守らんとする傾向が強くなる。

自らの組織を自らの「力」、直接的な「力」で守ろうとすると暴力団・ヤクザの世界となる。
その最大の組織を国家なのだ。

-税金という冥加金を納めることにより、治安のための警察、防衛のための軍、を造る。
税金により暴力装置の外注が始まる。
税金を納めるということは、そのような事なのだと認識する必要がある。
実際には、理念・理想というオブラートで包み暴力的な「力」をソフト化し、見えにくくしているだけのことだ。
(10年が経過し、力をむき出しにする傾向が強くなって来ている。それは、ある面、力を表に出さざるを得ないほど、国のあり方が劣化してしまったということ。)

-納税者は、このような現実を見定めた上で、国の方向性・税金の使い道を監視する必要があるのだ。
これを、見えにくくなっているから無いとし、見ない、聞かない、言わざる状態とし、理念・理想という表面のみを教えている。
このような状態を知の後退という。

-江戸の昔は、武士という「武」の「力」を熟知した上で、精神修養を重ねた支配層がいた。
一般庶民も又、そのような前提の元、自らを守ると言う事を行ってきた。
また、商道など、自らの生業を道の領域にまで高めようという思いがあった。
理念・理想などというものではなく、実践を通じた地に足のついた方法で修養を重ねていた。
それが、明治教育では「修身」として花開いた。

-しかし、戦後はこのような良俗を捨て去ってしまった。
そして、理念・理想という明らかな矛盾・嘘を含んだものを、平気で教えるから、子ども達の社会に対する信頼感を損なう事になってしまう。
理性を麻痺させなければ生きて行けないという国にしてしまっている。そんな国、社会では、生き生きと生きることは困難だ。

-矛盾を飲み込めない子ははじき飛ばされ、教えられた通りに覚え込むお利口さんのみが生き残る。
明治期に始まったエリート教育の結果で既に実証されている。
頭デッカチのお利口さんが国の中枢を占めたとき、国の舵切りを誤り、先の敗戦を招いた。
明治維新から70年後に現れた教育の成果である。

-国民の生命・財産を守ると言う事が国の基本的な機能だ。
極論するならば、対外的には外交・防衛であり、対内的にはインフラ整備・防災であり、後は付け足しに過ぎない。
国の機能を基本的な部分に限るならば小さな政府・夜警国家となる。
国家の基本的な機能、最小限の機能とは、安全保障や治安維持だ。
すなわち、外交と外交の手段としての暴力装置である軍、治安のための暴力装置を持つことだ。

-余分な部分を拡大して行くのが大きな政府、福祉国家である。
現在の我が国は、福祉国家的な政策により大赤字となっているわけである。
福祉・医療に名を借りた銭儲けが大流行り。
自分の身体を精神的な人質に取られてしまい、グーのもでない状態。

-しかし、国家の最小機能としての安全保障を自力で行うことができないわけであるから国家とは言えず、米国の半植民地・ソフト植民地・属国という事になるわけである。

-このようなことを踏まえ分かり易く言うならば、国とは、最大のヤクザ組織という事になる。
ただし、その本性をむき出しにしないようにインテリヤクザを装っているという存在と見ることが本質に近いとおもう。
現実の国際社会は、互いに俺のシマを荒らすなよとしのぎを削り、弱いところは傘下に組みこもうと虎視眈々と狙っている。
植民地主義と異なるのは、直接的な「力」の行使ではなく、ソフト化された金融という「力」を用いることである。
ソフト植民地主義の時代と言えるのだろう。

-日本国は、地球という星の最大派閥の米印ヤクザの傘下に入り、せっせと貢ぎ続けていたからこそ脳天気なことを言い続けられた。
そのポジションを守るにあたってはソ連との冷戦構造が幸いしたが、情勢が様変わりしているにもかかわらず、惚けた状態のままでいる。
戦後70年が経過して、戦争責任を国軍の暴走として片付け、ほおかむりをしてきたが、そろそろその化けの皮がはげ始めてきた。
敗戦後70年にわたり続けられた頭デッカチとする教育の成果が失われた20年として現れた。
明治70年が敗戦、敗戦後70年で新たな敗戦ともいえる。


巷に植え付けられた敗戦教育、負けるべくして負けたなどと言う教育であるが、事態はそんな単純なものではない。
負けるはずの無い戦いを、完膚無きまでにたたきのめされ敗戦に導いた官僚、陸軍・海軍の知性の劣化の著しさにはあきれかえるが、その暴走を認めたのは国民で有り、国を守るために一般庶民の貴い生命が捧げられた。
しかし、明治70年の敗戦、敗戦後70年の経済敗戦に対する総括は行われていない。

-その貴い生命を無駄にしないためにも、国と言うものの本性を見定め、理念・理想という陥穽に陥ること無く、現実の世界に立ち向かって行かなければならない。じわじわと戦後70年間の義務教育の成果が現れてきた。
明治に始まるエリート教育の結果による敗戦。
その反省から、新たな義務教育制度が惹かれた(はずだ)。
しかし、頭の詰め込みという基本的な部分は変わらず、むしろ多様な教育を不可能とし、人として生きるための基本を教えることをおろそかにしたため、さらに状況は悪化している。
戦前のエリートが抱いた頭でっかちの世界観が、一般庶民にまで病魔のように拡がっている。
この点では、明治70年の敗戦よりも頭デッカチ病は重篤化しているといえる。

-まずは、現実を見る目を曇らせている、理念・理想というベールを取り去る必要がある。
その上で、どんな方法が、組織が、現実世界に順応的なのか考える必要があるのだろう。
なにかおかしいな、変だなと感じている庶民、サイレントマジョリティーの目覚めが必要だ。


・「誇り高キ大日本帝国」
https://www.youtube.com/watch?v=5s7prx1Uh-Q&t=33s



量の積み重ねが質(第六感)に変わる

2026.04.13

 「皮膚・筋肉・細胞・(五感)」をフルに使っての刺激の受容とその刺激の処理・経過の蓄積・量によって「ヒト」が「人」になる。量の積み重ねにより質(第六感)への変換がなされるようになる。
脳内のバーチャル空間がキチッと生成され、見えない世界まで察知できるようになるのだ。

これは、フィードバックによる神経回路の刈り込み、強化、運動能力の向上だから、一定量をこな(熟)す、経過させることによってのみ会得されるもの。
熟練。
筋肉は使うほどに強くなり、脳細胞も又使うほどに強化され、身体全体のバランス、繋がりが構成されて行く。
練って練って、発酵させるのだ。
これは進化の道程の再現なのだから、生き物としての一定の経過時間が必要であり、ショートカットしてはならないのだ。

その練り上げられた身心・脳を造り出すことによってのみ、次なる進化の道程へと踏み出すことができるのだ。
さもなければ進化の袋小路に入り込んでしまうことだろう。
出産・育児の手抜き、ショートカットの手段を手に入れてしまった今、その岐路に立ったといえるだろう。
その岐路の最先端に立っているのが我が国の今、だろう。

この量の熟しは、意識が明瞭となってからではつらいものがある。
三つ子の魂といわれる無意識の時期、六歳六ヶ月までの動物としての「ヒト」の安心・安全、絶対的に守られている時期に、くり返しくり返しの刺激に晒され、野生に生きることができる身心を如何に獲得するかが大きいのだ。
この時期の経過の仕方により深き、広き世界が身心、そし脳内に形成される。
あとはこの基礎の上に乗り、磨き込み、己という構築物を建設することとなる。

動物としての野生の身心の確保が「人」となるための基礎であり、その基礎の上に祖先が構築してきた文明・文化を受容する期間が成人(「人」と成る)となるまでの時期。
このように、進化の成果を会得し「人」となった後、己の世界を積み上げて行くのだ。

その過程を古人は「守破離」として示しており、大きく見るならば、成人、一人前に至るまでが「守」であり、その上に自己の工夫を積み重ね「破」、老成するに至っては「離」、己の世界を創り出し、後代に託すのです。
その積み重ねが文化であり、文明なのです。

子ども達が、野生の時期、文化・文明の受容の時期を進化の流れに沿って十全に行えるよう親、周辺は心を配ることが大切だが、人の行うことであるから過不足が生ずる。
長じては、内省・内観する目を育て、自己の成長の過程で過不足の部分を意識して補いつつ、縁により与えられた自己の進むべき道を見いだし、歩くことが大切となる。
この不足を補うことがその人の人生の大きな課題となるのだろう。
・・・
昨日の投稿にも、脳に汗をかかせなければならないと記しました。
身体を使い、感じ・動き、脳に染みこませ、そして時間をかけ熟す、熟成・熟練させたものでなければ、薄っぺらで役に立ちませんね。
張りぼて。
身体は、空だ。
時間をかけて中身を詰め込まなければならないのです。

現代社会は、時間をかけて中身を満たすことを怠ったが故に、空いた隙間を塞ごうとあがくか、満たない心に目をつむり無視し、不感症、お化けのように生きて行ことになるのです。
そのような心に目を背けるためのスマホ動画など、時間食い虫の数々。

自分が今世で経験を積むための時間を、スマホなどによって喰い潰されているということに気が付きません。
膨大なエネルギーを使い、人の時間を喰い潰すための仕掛け、罠にはまっています。
それでいて地球温暖化、CO2削減、カーボンゼロなどと叫ぶのですから、この世は妙ちくりん、矛盾に満ちあふれています。
しかし、矛盾などはお構いなし。
銭金・利を生み出すのが時間ということが資本主義という巨大ネズミ講の本質ですからね。

昨日の「AI活用に対する危惧」の投稿
https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid02hKPddjyjycXAYehgwD93jzhg8e6w2wm2pQwxDYzdYijUNvmzzhB6woBTy7sVWiR7l

画像のリンク
https://www.facebook.com/naoko.harmonie/posts/pfbid01PhdYq7p6nXfsz374SxmVXz73Rs54ae1cf5j5jGMoBXXdHTDcNh9NuoHPZc2QwSHl

荒川さんの投稿の画像は中抜けです。 全文は下記へ
https://www.facebook.com/yukari.arakawa.10/posts/pfbid02CDz9MZD5aWwUR7otVdjwu3n7FutZ86Q6Fp8oHjUCPqDhoCWG2HUV8z9QwzZ1HnMPl

AIの問題 脳に汗を~

脳に汗をかかせ、いろいろな引きだし、索引を頭の中に造ることなく、AIを使用することは、脳を劣化させてしまいかねませんね。
辞書代わりとしては超便利ですが、そもそも調べるためには、基本的な事項に関する知識がないと使いこなせません。
シェアに指摘にあるように、この点がAIに関する最大の問題でしょう。

-AIが出現する以前の年代は、現場で身体と脳に汗をかかせての作業をやってきたので、AIを脳の拡張として使いこなせる脳の状態にはあると思われます。
使いこなすスキルの点は、脇に置いておいてですが。

-90年代のWWWでは、ネットサーフィンなどと言い、ネット上に展開される情報を追いかけて、新たな知見を得るということがあった。キーワードを追いかけ、知識を深めるという点では、ある面、知的?な遊びだったろう。

-そのネットサーフィンも死語となり、画像・動画が流されるようになると、ネットへの受け身へと流れ、依存度がましていった。脳に汗をかかせることなく、情報を受け入れるのみ。情報の流れを追いかけ、流され、身を任せるのみ。

-スマホという便利な手持ち端末により、覚え、考えるということを放棄してしまったようだ。問えば答えが返されるという便利な状態では、脳に汗をかかせ、覚え、考えるという労力は避けるようになってしまう。そのうち、問いを発する力さえも劣化して行くことだろう。-最初からスマホを使い熟し、さらにAIという便利な道具を与えられ、生身の身体、脳の開発のできない環境で育ったものたちの行く末が心配ですね。
取り越し苦労でなければ良いのですが。

・・・

子供達に取って、大変な時に到ったと思います。
便利な道具を最初に与えたのでは、身心の劣化に進んでしまいます。
その劣化の方向を文科省が進めているということも問題です。
知的な作業もまた体力勝負であり、身心・脳に汗をかきトレーニングをし、一定水準に達していない者は使いものになりません。

トレーニングジムブなどで、筋肉トレをして身体の手入れを行うことは当たり前となっているに、脳を使いこなすためのトレーニングを教えず、知識という結果だけあればよいとショートカットを進めてきましたが、更に加速されていることが気かがりですね。

大学の高校化と言われてから久しいのですが、その改善がなされず、更なる地盤沈下へと進みそうで大きな危惧感を持っています。

https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid02Y72S8rRPd9YasabGZYaUC2xXPnXDPfTpgcxDZchqP5rhhc5LyaHCeGSAui1L8WY6l

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いつもの悪い癖、蟹澤 さんのスレッドに書込。書込責任と記録としてシェア、コピペ、補強。

https://www.facebook.com/satoshi.kanisawa/posts/pfbid02KPK1HqBnVDGn4uBjLwVvTJc5D3Ath9ftkPdN2W6BzDhAkXYCSpLswkdWewo2kBEWl

腸内細菌叢と丹田について

-腸内細菌叢と丹田の関係腸内細菌叢と病的な体臭ということについて、腸内細菌叢と丹田という観点から総合的に述べてみよう。
腹・肚を定めることが、健康を維持するための要。それは、腹・丹田、「身体の重心をあるべき処に置く動く」という体勢を整えることであり、「肚・腸内細菌叢の健全さ」である。
丹田を中心に動くことのできる体勢と、腸内細菌叢とは、裏腹なのです。

-頭、首、肩甲骨の力を抜き、鳩尾を弛め、上に登った気(血)を下に下げ、深い呼吸に導く方法については、何度がFBに記したので、腸内細菌叢と腹・肚の関係について記しておこう。

・・・
肚は、肉付きに土と書く。腹の中に土・土壌があるということ。すなわち、腸内細菌叢。私は、土壌細菌叢をお腹の中にとじ込め、餌となるものを追いかける様に進化した生き物が動物と説いてきました。
それほどに、植物根系が土壌養分を吸収するメカニズムと、腸内で栄養吸収するメカニズムは酷似しているのです。

-腸内細菌叢の研究が進み、腸内細菌叢と、住まいする土地の土壌細菌とは連続性があるということがわかってきました。心土不二、地産地消と言われていることが科学的にも裏付けられたといっても良いでしょう。

-腸内微生物叢は単に消化のならず、その代謝物は大切な役割を持っていることも明らかになってきました。代謝物は、腸管のエネルギー源となり、免疫系にも関連しホメオスタシス(身体の恒常性)の維持に関わっているとされています。

-健康なお腹は温かく弾力に富み、オナラは臭いがなく、水素に富んでいる(オナラは燃える)。腸内細菌叢が健全だと、産生された水素によってアルカリ性体質が保たれ、抗酸化・抗炎症作用により健康維持や老化防止が行われるのです。-また私は、腸内細菌叢の発酵熱は血液を通じて体内に配分されるものと感じています。
「発熱時(38℃以上)には特定の腸内細菌叢が活性化し、ウイルス感染の重症化を抑制するメカニズムも明らかになっている(東京大学医科学研究所)」とされています。昔から「お腹は冷やさない」とされており、腸内細菌叢は体温の維持にも大きく作用していると思われます。

-すなわち、腸内環境が悪化し腸内微生物叢の生態系が劣化すると、体内の恒常性もまた崩れることとなるのです。
そのサインは臭いオナラ、便秘などとなって現れることになります。
すなわち、そのガス成分は水素と同様、体内を巡ることになるから、酷い場合は身体から悪臭を発することとなる。
身体に取って不要、悪しきものだから、汗腺、呼気を通じて発散・排泄されることになる。
いろいろな臭いがあるが、それは酸化臭と総括できるだろう。

-このように悪化したお腹は、硬く冷たく、動きが不良となる。腸内微生物叢の働きを活発に保ち、お腹を温かく、弾力のある状態に保つことが健康の秘訣ということとなる。
古来より、このような健康なお腹を保ち、鍛えることを、丹田を鍛えると称してきた。
やわらかく、状況に即してしなやかに動くことのできるお腹なのです。

-丹田がキチッと整っていることを「上虚下実」の体勢と称しています。
これは頭デッカチとなり、首、肩、肩甲骨が固まっている状態をほぐし、丹田・重心に身体の中心を定めることを示しているのです。
硬いお腹ではこれがうまくできないのです。

-柔らかでしなやかで、重心の定まるお腹とは、身体の体勢、身体使いであると同時に、頭デッカチとなり、そのストレスによって、腸の蠕動運動を阻害し、腸内細菌叢の動きを悪化させることを防ぐ、すなわち、頭の中を空っぽにし、身体を弛め、腸内細菌叢を健全に保つということと同義なとのです。

-このことをキチッと理解し、悪しき体臭となることを防ぐことのできる生活を送るのです。
悔い改めは食い改めから!

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「ヒト」と「人」-3        彼我の育児の違い

2026.04.04

西洋も我が国も、7歳以降を「人」とし、それ以前の野生の時期「ヒト」とは大きく区別をしていましたね-3
 彼我の文化の違いと母性の甦りについて。(文化論をヘイトとし削除してしまうメタのAI言論統制には反対します。
狂禍書的なフラットな世界観としてしまい、知の後退・愚民化を招いてしまいます。
もっとも、それがねらい? なんて投稿するとまたまたBANされてしまうかな。)
・・・
加藤さんより寄せられた次のコメントに返答。
> 江戸時代は、子どもたちが大切にされ愛情を注がれていたが、西洋では、子どもたちを厳しくしつけなければ悪くなる存在とされていたことと聞きます。
江戸期の教育は、シュタイナー教育とにていると思っています。
> また、日本人の多くは、やってはいけない行為は自明のことであったように思いますが、他国ではそうではないようで、この違いは何が影響しているのかといつも疑問に思っています。
> コメントいただいた歴史を拝見しますと、なんとも自己中心的な考え方であるように思います。
> 人間性の違いは、教育の違いなのか、環境によるものなのか、考えてしまいます。

・・・
次のリンクをご覧ください。
・江戸時代の子育てはどんな感じだったのか?
https://www.youtube.com/watch?v=nr-r2u43jeQ
・【貴族の日常】ヴェルサイユ宮殿、17世紀フランス貴族の子育てとは?
https://www.youtube.com/watch?v=tgF5EMx9YaA
庶民と貴族の子育てではキチッとした比較にはなりませんが、文化とは概ね上流階級の造ったものが下々に流れて行くもの。おって知るべし。

-彼我の子育てに対する違いは、個人がベースと、家という共同体の持続を基礎に置いている世界観の違いが大きいと思います。
それは、国土・風土、環境の違い、食・身体使いの問題でもあります。

-我が国の、高温多雨で食が豊かな環境では、厳しく自他を区分けしなければならない条件は存在しません。
食は分け合えば良いのですから、本質的に争いとは無縁です。
また、山岳丘陵、泥濘な土地柄で、採集・農により食を得る生活では身体の使い方は地に倣い、腹(丹田)を中心とする動き、足で地べたをキチッと踏む動きとなります。

-土地に根ざした地域共同体の成立となり、いのちを大切にし、子を大切に育てる文化となるわけです。
いのちを大切にする、自然に順応的な母系社会が形成されます。
突出したリーダーの必要はなく、合議、談合による差別の薄い世界が形成されて行きます。
共同体の中では和を乱してはならないわけで、子も穏やかに育つこととなります。

-一方、個人がベースであっても、西洋社会には、キリスト教という基礎があるので、個人は基教の教義・倫理によって縛られています。
この基教の縛りから逃れようということが、自由、平等となるので、自由=自由奔放・わがまま、平等=フラットとはなりません。一定の歯止めがある訳です。
従って、宗教・文化的な背景を無視した自由・平等の押しつけは、ナンセンスであり、暴力的といえるのです。

-個と力がベースとなるのは、寒冷や乾燥という気候の影響が大きく、食の確保が困難という環境の中で、生きのびるための選択だったのでしょう。
生きのびるためには、個のパフォーマンスを上げなければならず、弱い他から奪うことも厭ってはいられないのです。力がなければ生きのびることができません。
そして、群れを統率する強いリーダーが必要となります。

-寒冷・乾燥地では、狩猟・牧畜ににより、獣のいのちを奪うことで食を得ることとなります。
大陸の大平原・半砂漠という環境のなかで、強い集団を結束させるためには、天を神とする父権的な上意下達の社会を造り出すこととなります。
狩猟・牧畜の場合は、走り、あるいは騎馬で獣を追い回すという動きとなるので、意識は上、天に向かい、身体使いも又上部の胸に焦点を置いた動きとなるのです。
心臓、ハートといっても良いでしょう。熱量を高くして生きて行くのです。
そのような世界の子どもは、獣として扱われ、調教されることとなります。

-このように気候風土、環境の違いによる食を巡る身体使い、文化の違いが発生し、それによって育児文化も大きく異なったものとなったといえましょう。
それは、それぞれの気候風土、生活環境の中で長時間をかけて育まれてきたことなのです。
善し悪しを超越していることなのです。(このような文化論的な指摘をヘイトとしてしまう、新たなAI専政文化にはくり返し反対を表明しておきます。)

-しかし今日、気候風土を無視し、西洋的なスタイルをスタンダートとする文化侵略、押し付けにより大きな問題が引き起こされているのです。
文化侵略の主体は、以前は基教という宗教でしたが、今日では宗教の背後に隠れていた経済が表に出、グローバル金融勢力、軍産医療複合体、DSなどと称される者達となっているわけです。

-我が国にとって大きな問題となるのは、文化侵略がステルス革命という形で進められ、狂育という洗脳を通じて伝統文化を捨てさせられ、切り離されたことなのです。
これによって、歴史から切り離された根無し草となってしまったことなのです。

-我が国は明治期に、上から「強制的」に「個人主義」へと切り替えを進め、敗戦により、ふたたび上から「強制的」に「自由」が与えられました。
そして、日本的な身体使いを軍隊狂育によって矯正され、西洋式の動きがたたき込まれました。
精神は洗脳され、身体は調教されたのです。-もともと感受性に優れ身体能力の高い民族だったので、スポーツ分野では、明治から160年を経た今日、欧米以上の身体能力、精神力を発揮する若者が増え、追いついたといえましよう。
これは目出度いことなのですが、おしなべて精神・身体的な分離による中途半端からは多くが抜け出すことができず、低迷している状態といえます。

-外国から入ってたきた文化を伝統文化が吸収し、自家良薬のものしてきたのが日本文化です。
日本的仏教・仏神融合、儒教の良いとこ取り、戦国時代に入ってきた西洋文化を融合させた江戸文化など。遡れば弥生式文化も同様だったのでしょう。
融合し、新たな文化にまで高めるためには数百年の年月が必要でした。
その中で、日本的身体使いに目覚めたスペーツ・身体文化は融合がなされ、いち早く抜きん出てきたと言えます。

-しかし、今回は上から強制的に伝統文化を捨てさせるという精神的、肉体的外科手術といえるもので切りかえられてしまったので、そこから抜けだすのは大変です。
良きも悪しきもひっくるめて、西洋式が良いこと、伝統文化、伝統的な身体使いは悪しきものという観念を狂育を通じて意識の中に埋めこまれ、日本人は精神分裂状態となってしまったのです。
急速、急激な社会変動のなかでの空白な心、アノミーの状態となり、古くからの価値観を捨て去って、西洋式が良いことと上書きされたのです。
なので、まずは、この洗脳からの脱却が急務となるのです。

-旧石器・縄文から培ってきた古き文化、伝統文化を捨て、自分たちの経験の積み重ねの結果、自得したものではない洋式文化、洋式動作を強制されたのです。
これによって中途半端な個人主義(わがまま)、自由主義(なんでもあり)となってしまいました。
肚から動く動作文化は否定され、狂育による頭デッカチとなり、腰抜け、腑抜けの状態となり、地に足を踏みしめた生活ができなくなってしまったのです。
中途半端となってしまったので、なんともみっともない歩き方、所作が目立つようになってしまいました。
それは、精神・脳の活動にも現れています。
ここに現在の混迷の原因があると感じています。

-明治期は基教に変わる天皇一神教があったわけですが、敗戦により、その規範を失い、敗戦後は田舎にかろうじて残っていた地域共同体までつぶしてしまったので、根無し草となってしまったと感じています。

-真に日本的なものを知り、取り返すためには、薩長下級武士テロリスト革命、敗戦革命、経済戦争革命の総括が重要となるのです。
しかし、我が国は、この総括を行うことができません。
で、これを許さない勢力の支配下にある植民地だと申しております。
明治から160年あまり、すっかりソフト植民地政策によって骨抜きにされ長きに巻かれろとばかりの忖度奴隷根性に堕してしまったのです。
まずは、このことに気づき、その軛から解き放たれることが大切なのです。
公共への大きな依存を離れ、自立自存、自律自尊、独立独歩の人となる覚悟が重要となるのです。

-西洋的個人主義による世界は、もう限界が見えていますから、現代的な地域共同体の再構築が必要となっているのだと思うのです。
公共への依存を離れ、自立自存、自律自尊、独立独歩の人として身心を確立しつつ、江戸期の共同体の良き部分を現代的に甦らせるのです。
それは、明治革命、敗戦革命、そして経済戦争革命により、逐次劣化・つぶされていった母性、いのちの継続を中心に置いたものとなると感じているのです。

-科学技術が発達し、食を世界に行き渡らせることができる世界となったのですから、西洋式の弱肉強食、父権的・個の文化から、日本式の母権的な和の文化へと切りかえて行かなければ、世界は潰れてしまいかねません。
日本、そして母性の甦りが、世界を救うのです。

-で、いつものこれで良いのかおっかさん、母性よ甦れ。子、孫達に明るい未来を残すため。

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・その3 彼我の育児の違いhttps://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid09gmhNM5wjBbs66bd49gHJTRGPo8hCNuoFGfvqP795spQYxJ2JKRiPNEbNGUpHD8Ql
・その2 西洋と東洋の歴史的関係https://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid034BKowWej9YVRG63gbqpSSaAymBMD99JtUZrBWeY9tgMYbxPw4YvgUkfCoUSQveh3l
・その1 発達段階に応じた子育て 七五三などhttps://www.facebook.com/himanaka/posts/pfbid0uU7u7xWN6yRiZv5xhcx14Yqpv1TEBjK6WF6wTxxEuGGeSX3pMJTBUtZsXVM7zyASl